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極上の書斎

作者: 明日ノ灯

 何か物事をする時、だいたいのものは決まった場所がある。例えば食事をするときはダイニングだし、料理するときはキッチンでするし、本を読むときにはトイレに……。考え始めたらキリが無い。

僕は最近になって書斎で俳句を考えている。「書斎」と聞くと、少し暗く、大人な雰囲気の部屋で、部屋を囲むようにして本棚が並び、棚ではぎっしりと並べられた本が背比べをしている。部屋には大きなデスクがあり、机の上にはカランダッシュやモンブラン、ペリカンといった、世界に名だたる高級ブランドのペンが並び、金持ちの老人が持つ部屋。といったイメージだ。

物書きや熱狂な本好きの夢の部屋。僕は別に金持ちでも無いけれど、その部屋で俳句を考えている。ただ、僕の書斎は少し変わっている。大人っぽい雰囲気も無いし、本棚も無い。デスクも無ければ、もちろん高級文房具もない。あるのは、鏡と小さいプラスチックの椅子。そして唯一無二の最高級の椅子。細かいものは他にいくつかあるけれど、大体はこんなものだ。そんなミニマリズムを突き詰めた書斎でいつも頭を捻っている。

午後十一時過ぎ、家族が寝静まり、父が轟音を奏で始めた頃、俳人「明日ノ灯」はその書斎に向かう。書斎は一階の一番奥にある。螺旋状の階段を下り、低く鈍い声で鳴く冷蔵庫の隣を通り過ぎ、いつも本を読んでいるトイレを通り過ぎると、書斎のドアが見えてくる。

 書斎のドアをくぐると、むっと湿った空気と共に森の香りが流れてくる。香りが数ヶ月単位で変わるのもこの書斎の良いところだ。もう一つあるドアの向こうへ行くと、父のうるさいイビキや冷蔵庫のコンプレッサーの稼働音がすっと消えて、縦長の窓の隙間から、蝉たちの声が聞こえてくる。


 熱帯夜 あっちも熱い 愛の詩


「もうこの時期か」

 そう思いながら、ゆっくりと腰を下ろす。唯一無二の椅子は今日も暖かく、そして優しく僕を包むように支える。色々なしがらみがまとわりつくなか、それらから開放してくれるように俳句に、言葉に、その音一つ一つに夢中にさせてくれる。山のように積まれた他の課題や期末テストの勉強のことさえも、この時だけは何もなかったようにしてくれる。

 月明かりが差し込む午前十二時、溢れ出していた音たちがすーっと整っていく。


 夏の月 詩は溢れど 学はいずこへ


 今日もこの時間がやってきた。眼鏡をとり、スマホと着替えを持って「あの場所」へ向かう。どうしたものか、今日は父が大人しい。スースーと柔らかい音が気持ち良さそうに泳いでいる。

「はあああ、びっくりしたあ」

 階段を下り終わると同時に、ガラガラと氷の落ちる音が僕の背筋を突いたために、声が思わず漏れた。急な出来事で動揺して、忍び足で狭い廊下を進む。

 扉を開けると、今日も蝉たちの詩が聞こえてくる。でも、昨日とは違い、風の唸る音も重なるようにして聞こえてくる。いつもの場所に腰をおろすと、自然たちが織りなす、世界で二度とない演奏会が幕を開けた。


 湯に浸かり 蝉と風との ハーモニー


 僕もそこに詩を添えよう。極上の湯に浸かりながら。


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