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第一話 剣天斎、憂慮す。



 葦原国。


 五千年という長い歴史を持ち、そのうちの五百年という歳月を鎖国へと費やした極東の島国である。


 世界の流れから異質なまでに切り離されたその国は、当事国たる葦原国以外からは忘れ去られてしまい、其の名が歴史に登場するのは、魔導機械の発展に伴い世界各国への渡航が簡便化されるようになった近代の事になる。


 サムライという強力な戦士を軍事力として保有していた葦原国は、列強諸国が驚くほどの速度で瞬く間の内に近代化を成し遂げたかと思うと、その類まれなる軍事力と急速に発達した経済力により、列強諸国への脅威として颯爽と歴史の表舞台に顔を出した。


 その余りにも急速すぎる成長の中心に立ったのが、五大老家と呼ばれる大大名連合の活躍と、三大武家と呼ばれる古来より連綿と続く武士の源流にして、防人の役目を負った武家の手引きがあっての事であった。






 ★★★★★





 『絶剣』朝日・剣天斎。


 葦原国三大武家が一角の、朝日家における先代当主である。


 かねてより、三大武家が輩出した全剣士の中に置いて、最強と称されるほどの剣力を持つ彼も、寄る年波には勝てず、今は病床に伏して手入れのされた庭を眺める毎日を過ごすばかりである。


 しかしその姿は、病に伏していても尚超然としており、彼の身体から放たれる覇気は常に他を圧倒してはやまず、漲る剣気はこの期に及んでも尚、人を切り裂かんばかりである。


 そんな剣の道を究めしその男は、天井を見上げながらその報告を静かに聞いていた。


「……そうか。辰巳は、勝てなんだか」


 そう呟いた剣天斎に答えたのは、作務衣に身を包み綺麗に剃髪した若い僧侶であった。

 僧侶は、剣天斎の視界に映らぬ様障子越しに膝をつき、そのまま報告を朗々と続けた。


「は。御前には申し訳ありませぬが、これにて辰巳様は当里より追放と相成ります。辰巳様に預けられていた娑婆刀サバトは没収。支度金三十両を与えた上で、大酒の港町から市井に追放となります。今後の活躍にも依りますが、場合によっては処分……。と言う事もございます」


「……そうか。苦労を掛けるな」


「いえ、このような些事についてご隠居が心を砕かれる事などありませぬ。万事抜かりなく進んでおります故に、」


「そうではない」


 僧侶の言葉を遮ると、剣天斎は病に弱る体を押して起き上がった。

 そんな剣天斎の様子に、僧侶は障子越しながらもその姿を見て、思わず慌ててその場を立ち上がりかける。


「御前!?一体何を!!無理をなされてはお体に障ります!!」


「良い。それよりも、聞け。心して聞け。今から貴様に話すのは、それほどの事よ」


 だが、剣天斎は、そんな僧侶の挙動を制すると、障子越しにとはいえ僧侶の姿を視界に納めて、おもむろに話し出した。 


「辰巳の、奴の剣才は、いずれはこの儂をも凌ぐ。それ故、この里にいずれは害悪を成すであろう。いや。何もなさぬかもしれぬな。ただ、この里が滅ぶ様を、蟻の巣が崩れる様に見下ろしているのやもしれぬ。最早、その有様を覆すこと等、我らには出来ぬ」


 そう言うと、剣天斎は無念そうに唇を噛み、拳を握りしめた。

 その姿は、己の孫を案じる好好爺であるようにも見えたが、同時に、これから起こる災難を防ぐことのできない預言者であるかのようでもある。


「儂は、そうならぬように、少しでも奴の剣才を目覚めさせようと、この里の者に認められるようにと、八方手を尽くしたつもりじゃ。しかし、儂では辰巳の中に眠る剣才を呼び起こすことも、この古き因縁に縛られた里を変えることも、できなんだ」


 僧侶が影として、隠密としての仕事を祖父から引き継いでまだ年は浅い。しかし、それでもこの最強と謳われ、今も尚葦原国最強の侍として君臨しているこの老人が、病床の身体を押してまで、自らの孫の為に尽力していたことは知っている。

 そして、其の全てが悉く裏目に出てしまっていたことも。

 最強だの、英傑だの言われても、所詮この程度の物よ。そう無念そうに呟く剣天斎の顔に、何も言えずに何度黙りこくってしまった事であろう。

 そうして、いつも通りに黙りこくってしまった僧侶に向けて、剣天斎は諦めたように静かに続ける。


「だが、それは栓亡きこと。最早、どうしようもできぬ、過ぎ去った過去の事じゃ。問題は、儂亡きあと、主らは途轍もない敵を作ることになる。そこよな」


 そう言うと、剣天斎は深々とした溜息をつくと、天井を静かに見上げた。


「儂を超えた辰巳は、恐らく、いいや必ずにこそ、この里の存亡に関わることになるであろう。だが、その時には儂の命脈は尽きていようぞ。儂の犯した失策を、主らに押し付けることになる。それ故に、すまぬ。と、言ったのじゃ」


 流石に無理をしていたのか、そこまで一気に語りつくした剣天斎は、不意にせき込み始めるとその声を聴いた侍女たちがどこからともなく現れ出て、剣天斎を介抱する。


 確かに、剣天斎の言うとおりであるならば、御家に関わる一大事であろう。

 そして、この老人は、こと剣の道、部の道においては、葦原国はおろか、世界を見渡しても尚超える者がいないと言えるほどに武の極みに到達した生ける伝説である。

 その警告を、聞かぬという選択肢はあるまい。


 だが。


「…………お言葉ではございますが、御前。そのような心配は杞憂では無いか、愚考いたします」


 そんな剣天斎の言葉を、若き僧侶はそう一蹴した。

 僧侶の言葉を聞いた侍女たちは思わず息を呑み、目を見開いて驚愕する。

 

 それは、ともすれば首を刎ねられてもおかしくない程の大罪である。


 そもそも朝日家における影とは、当主の耳目、手足であると同時に、使い捨てを前提とした道具でもある。

 口答えすることはおろか、当主へ意見を述べる事すらも簡単には許されていない職分である。

 ましてや、今彼が口にしたのは家督相続に関する御家の一大事。

 影の身の上では、その話題を口にすることすらも憚られる。下手をすれば、その場で八つ裂きにされてもおかしくない程の事である。

 僧侶もそれは重々承知の上である。

 だが、そんな覚悟の上で言った僧侶の言葉を聞いて、剣天斎はただ楽しそうにくつくつと笑った。


「ほう。何ゆえに?」


 剣天斎はまるで、巷の笑い話を聞くような気やすさで、僧侶の話の続きを促した。

 だが、剣天斎のその気やさすとは裏腹に、その場にはまるで真冬の凍気の様な、或いは真夏の灼熱の様な、肌を突き刺す緊迫感が立ち込めた。

 それはそうだろう。


 後継者について何か言う事。言うなればそれは、当主批判だ。


 お前の息子はこれこれが悪いから当主にふさわしくない。お前の孫はこれこれができないから当主に相応しくない。

 ひいてはそれは、お前の教育が悪いからこういうことができないのだ。と、暗に言っているも同じことである。

 若き僧侶は一度喉を鳴らしてつばを飲み込むと、一拍息を吐いておもむろに口を開いた。


「御前には申し訳ありませぬが、我らには、少なくともそれがし個人の眼を通して見れば、辰巳様に御前を超えられるようなご器量がある様には見受けられませぬ。魔道においては霊気を練る事さえできず、武道においては武威を張る事すらできませぬ。

 それに、今回の『試しの儀』を超えられぬことで、娑婆刀は没収され申した。最早、手足の潰された赤子に同じです。いかようにもできましょう。御前の心配する通りの事にはならぬと、存じます」


「なるほどなるほど。これは言ってくれるわ。だがなあ、奴はこの俺、朝日・剣天斎の孫だぞ?そんな男が、本当に霊気も武威も使えずに、泣き寝入りしたまま終わると思うか?」


 不意に若々しい言葉使いになった剣天斎は、僧侶に向けて快活な笑い声を上げながらそう言った。

 思います。とは、喉の奥から出かかった言葉である。だが、流石にそれは無礼であると、僧侶はその言葉を無理矢理に飲み込むと、「……さあ、それは」とだけ、言う事で精いっぱいだった。

 そんな僧侶に向けて、剣天斎は、その心中を知ってか知らずか無邪気に話を続ける。


「それに、手足が無いことを力が無い事であるかのように語ったがな。大蛇は手足が無くとも、仔牛を食らい、人を絞め殺すくらいの事は出来るぞ?もしも彼奴が蛇になれば、この島を食らい殺す大蛇になるやもしれぬぞ?人の一念は、生死すらも超えるものだ。ましてや、それが仮にも最強と呼ばれた儂が認めた男の一念であれば、島一つ滅ぼすこと等、たやすいことであると思わんか?」

 

 その言葉は、孫を思う祖父というよりも、無力さを噛みしめる老人そのものであるようで、思わず僧侶はその言葉を強く否定した。


「そのようなことは、させませぬ。元よりこの里に生きる全ての者は、女子供に至るまでもが、五千年もの間、この国を守るために戦い続けた誇り高き戦士にございます。

 ましてや我ら影の者は、命に懸けても朝日家に仕えるのが役目。例え辰巳様が御前に並ぶ剣士になりましょうとも、最後には必ずその首を討ち取って見せましょうぞ

 そして、仮に我ら影にできない事であったとしても、御家には時代の嫡男たるドラコ様を始めとして、古豪、新世代を問わずに、剣才漲る剣士戦士の方々が大勢控えております。」


 先代当主たる剣天斎の言葉を遮る態度、当主の孫の始末を安直に口にしたその言葉、其の全てが影としてあるまじき姿であり、一考するまでもなく斬首ものの大罪である。


 だが、その言葉を聞いた剣天斎は、僧侶の取った態度を咎めることはせず、


「……そうか。そうであることを、祈っておる」


 ただ、静かにそう言った。




 それは今までの覇気雄進とした男の声ではなく、他に頼ることの無い老人の発した声音そのものであった。






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