第8話 作戦①
「貴方が噛んだ小指が痛い~♪」
「噛んでないでしょ。ちょっと強く握っただけだし。」
「嘘よ嘘。私、痛みはもう感じないし。」
冴子さんは今日も、教室の窓際の席でボウッと外を眺めていた。
あの日以降、僕は彼女に対して違う感情が芽生えていた。
それは、ただの友達としての友情ではなく、敬うべき気持ちなのか憧憬とでもいうのか、あの時、僕は彼女の生に対する向き合い方にただただ感心してしまったのだ。
「そういえば、まだあの証拠は手元にあるわね?…………よし。じゃあ、彼らの住所も知っているわけだし、その動画を送っちゃいましょう。」
「は?」
今、なんて言った?
彼らの住所?
証拠を送る?
「いやいや。ちょっと待って。それはどうなの?」
「いや、彼らの住所知ってるでしょ?そこに手紙を添えた動画を送るのよ。それですっきり解決するかもしれないわよ。」
「まあ、知ってはいるけど。それはどうなの?道徳的に駄目じゃないの?」
「道徳的にって…………あれだけのことを日常茶飯事にやられてまだ道徳がどうとか宣うのか小僧よ。」
「小僧って。まあ、僕は穏便に済ませたいなあとは思ってるよ。でも早くこの状況から解放されたいってのは本心だけどそれはどうかと。」
「一回黙れ。」
「真似しないでよ!恥ずかしいだろが。」
「いい?貴方は一回、教師にも、親にもバレてそれで何を学んだの?何も変わらなかったんでしょ?そもそも、顔に傷があって、容疑者が数人いて、貴方との接点を鑑みればその時点で彼らは黒なのに、何もしない学校に救いを求めても無駄。親に言っても無駄。ここからは何でもありのデスゲームよ。」
「いやいや。なんでそんな血の気が多いの?…………ああ。分かった。最近、僕が勧めた漫画ばっかり読んでたからか…………。」
最近、冴子さんは暇だとぼやき続けていた。
それはそうだ。
旧校舎にはなにもないのだ。
それに、夜もずっと目が覚めた状態でいることは僕には想像もできないような苦痛なものだろう。
それを見かねた僕は冴子さんに今、流行りの漫画を家から持ってきて勧めたら、どっぷりハマってしまった。
冴子さんはため息をつくと、僕の目を見て諭すように話す。
「まあ、それもあるけれど。本当にいじめの常態化なんてのは始末が悪いのよ。貴方のバックにすごい強いやつが来るとか、教室中を味方にしてそういういじめっ子が生きづらい雰囲気でも作るとか、色々あるけど一番手っ取り早いのが彼らの親御さんに知ってもらうことよ。」
「うーん。そうなのかなぁ。でも、あんな悪いやつらが親の言うこと聞くかなぁ。」
彼らの親が知って止めても、彼らは止めない気がする。
親に言われてやめるようなら、こんなに事態は長期化していないだろう。
しかし、現状、僕にはどうすることもできない。
冴子さんの案に乗っかるのが一番楽でもある。
これは、ある意味で逃げているのかもしれない。僕は彼女の案がすべて通じなかったらまた元の木阿弥に戻るのかもしれない。
それが、良いことなのか悪いことなのか分からないが、文字通り、僕は最後の砦である彼女の言うことにすべて従ってみるのもいいかもしれないと考えた。
憧憬はあくまで憧憬。僕は彼女のように生に執着しているわけでもない。
こんなことを言うとまたはたかれてしまうだろうが。
「まあ、それもそうね。じゃあ、とりあえず、ネットに流すとか?あるいは、マスコミに売り込むとか?最近はそういうのに厳しい世の中なんでしょ?あ、名案を思い付いたわ。あの映像の音声を校内放送で流しましょう。」
「は?いやいや、もうやめてよ。流石に全校生徒に知られるのはつらいよ。これ以上の恥の上塗りは嫌だ。」
「じゃあ、貴方って分かる部分をカットして、流しましょう。よし!放送の件は私がちょちょいとやればできるわ。彼らの自宅に送る件は任せたわ。」
「え、ちょっと待ってよ。ちょちょいって。」
「こう、お昼に放送室に潜り込んで、放送部員が見ていない間にあれの音声を流したら一発よ。流石に全校生徒に知られた状態で貴方に危害を加えるのは難しいでしょ?」
なぜ彼女はこうも好戦的になってしまったのか…………。
確かにバトル漫画ばかり貸してはいたが、こんなフウになるとは。
彼女がこんなに影響を受けやすい子だったとは誤算であった。
「うーん。分かった。とりあえず、やってみるよ。」
僕は悩んだ挙句、彼女の案に従うことにした。
確かに諦めていたこの事態に終止符を打つにはここまでやらなければ、後悔してしまう。
その後、どう転ぼうと僕の選択は二つになる。そのまま、事態が終わるのを待つか、すべてを自分から終わらせるか。
いわば生きるか死ぬかの選択だ。
ならば、最後に彼女にかけてみよう。
そう、あの時誓った。
彼女に手を差し伸べられた時に。
僕はある放課後、となり町に来ていた。
それは、件の証拠写真、動画と彼の親への手紙を彼の家に投函するためだ。
彼というのは、金城のことだ。
冴子さん曰く、いじめの主犯格だけを崩せば、後の子もそれに追随して崩れるという至極簡単なことなのだそうだ。
もし、仮にそれでもいじめがあれば、他の子にも同じように自宅投函を行うというのが対応策である。
そのため、今日は金城の家に投函しにきた次第である。
彼の家付近に行ったときは人が近くにいないことを確認し、迅速に事にあたったためかスムーズに行えた。
僕は投函後、早く自分の家に戻りたくて、すぐに帰宅するつもりだった。
しかし、ことは上手くいかなかった。
「あれ?橘君?久しぶり?」
「え?ああ谷さん。久しぶり?ううん。ちょっと本を買いにこっちの町にきたんだ。」
こんなところで谷さんに会うのは誤算であった。
早めに会話を切り上げて、家に帰ろうと焦って下手な嘘をつく。
「そうなんだ。橘君ってここの近くに住んでるの?」
「いや、隣の町だよ。谷さんはここから近いの?」
「そうだね。ここから5分くらいかな。……………………えっと。橘くん。」
「なに?」
「…………………………………………ううん。やっぱりなんでもないや。じゃあ、またね。」
その後、谷さんは去っていった。
ああいう、言い方はやめてほしい。気になるじゃないか。
何かを言いよどむならはじめから言わないでくれと思いつつも、早く会話を切り上げられたことに安心し、僕は帰路についた。
その次の日、僕は再び、金城に呼び出されていた。
しかし、放課後、彼に呼び出されたところに行くと金城しかおらず、他の人間はいなかった。
僕は不振に思い、周りを見渡すもやっぱりいない。
何故だ?
金城はこちらを睨みつけると、出会いがしらに僕の頬を殴ってきた。
「お前。うちのポストに変なものをいれただろ。今なら許してやるから、データを消せよ。そうしたら、今月は抑えてやるからよ。」
「え?今月?」
「ああ。今月の分の集金は勘弁してやるからよ。お前他にも持ってるだろ?」
なんだ、効果てきめんじゃないか。
親に言われてこんなフウになっているのか?
彼は何故か少し焦っており、挙動もおかしい。
まるで、何かに警戒するような。
しかし、僕は彼の前だと上手く話せない。何故か体が震えている。
日ごろ植え付けられた恐怖心はちょっとそっとのことではどうやら拭えないらしい。
「もっ…………持ってるけど」
「あん!?聞こえねぇぞ!ちゃんと話せよ!」
「え…………えっと。いや…………嫌だ。」
「あ!?お前調子乗ってんじゃ…………」
そこで、校内放送がかかった。
その内容は彼を指導員の教師が呼んでいるというものだった。
彼は舌打ちと共に、僕の腹をけり上げると、そのまま頭を掻きながら去っていった。
「たすかった…………のか。」
「上々ね。」
「うわ!びっくりした。」
「おなか大丈夫?起き上がれる?」
見上げれば、そこには冴子さんがいた。
冴子さんは僕を見下ろしており、手を差し出す。
僕はその手を握り、立ち上がると、腹に入れていた力を抜くため深呼吸を繰り返し、いったん落ち着く。
冴子さんはうんうんと頷くと、なにやら考え込む。
「どうしたの?なんでいるの?」
「いやあ、昨日投函したなら、呼ばれるのは今日でしょ?どういう反応するか見に来たの。狙いはばっちりね。あの子、あなた以外にこのことを知られたくないのよ。他のいじめっ子に貴方に弱みを握られたところをね。これはもう一押しね。」
「えらく楽しそうだね。こっちは腹をけられて痛いし、もう散々だよ。」
「まあ、あとちょっとの辛抱よ。がんばって男の子。」
「はいはい。がんばりますよ。女の子。」
「彼を崩せば、いけるわよ。後はどっちにするかね。他の子にも投函物をプレゼントするか、校内放送ジャックか。」
この時、学べばよかった。
彼は逆恨みするタイプの男だということに。
彼は怒ればこちらに報復にくるタイプだということに。
また、放送をジャックするやり方には色々と穴があって、それは僕らだけでは終わらない話にもなりかねないということに。




