第13話 僕と彼女ともう一人
彼女の瞳に雨が映っていた。
そのすべての光をを封じ込めんばかりに開かれた大きな双眸に、彼女のすべてを流した雨粒が映っていた。
それは、どんな物よりも儚く綺麗に見えた。
「今日も暇そうだね。」
僕はそんな彼女に目を奪われて呆けていたが、我に返り、彼女に声をかける。
「ああ、来てたの?声かけてよ。怖いじゃない。」
冴子さんはこちらに気付くと、すこし嬉しそうにはにかんだ。
その表情は今までのものとは違っており、すこし得した気分になる。
今までの全てを悟った諦観のこもる表情よりもよっぽど良い。
最近、冬から春に移項する季節の変わり目なのか雨が続いている。
それが気に食わないのは、天に唾を吐くような意味のない怒りだとは分かっていても、彼女を見るとつい考えてしまう。それは雨天時の彼女がどこか気が落ち着かず、何かに焦っているように感じられるからかもしれない。
「今日も雨だね。」
「そうね。別になんともないわ。」
「それは大丈夫な人の言葉じゃないよ。」
僕は彼女に近づくとその手に触れる。
重なる手を見ると、心なしか彼女の手に温度が戻ったような気がする。
彼女は「なに?」とこちらを見ているが、僕はその手を優しく握る。
「いや、こうしてると落ち着くから。僕も雨は苦手だしね。」
「そう。」
彼女は僕の目から視線をそらさない。
いつもなら、なんでもなさそうに彼女の視線は流れていたのに。
「こうしていると、嫌なことも二人で共有しているような気がするでしょ。別にそれが本当じゃなくても。」
「うん。なんだか落ち着くわね。」
穏やかな表情の彼女を僕は後ろから抱きしめた。
彼女は嫌がらずそのまま、深く息を吸うと、目をつむり、ゆっくり舟をこぐ。それが単なる恰好でも、僕も椅子に座って彼女を抱きしめて、二人で夢を見た。
雨の音は鳴りを潜めて、僕らは静寂に包まれる。
そうして、この世界にはまるで二人しかいないような気になる。
「あ、橘君、久しぶり。」
「ああ、谷さん久しぶり。」
僕は図書館に来ていた。
というのも僕はあまりこの地域のデートスポットやら、遊び場をしらない。それは、単に今まで友達と遊ぶといった放課後を過ごしてこなかったからである。
しかし、目下の目標が冴子さんに思い出をいっぱい作ってあげたいというところにある。最近では、僕は無い頭を絞って公園や、デパート、カラオケなどいろんなところに彼女と一緒に行っている。
カラオケはマイクに彼女の声が入らなかったことから二度と行くことはないだろう。
また、神社仏閣もいくら僕という入れ物に入っていたとしても彼女は霊体であることから行くのは憚られる。
とすると、行ける場所はいつも似たり寄ったりな所になってしまうのだ。
いや、普通の学生ならば携帯で検索するのだろう。しかし僕の携帯は彼らに破壊され、PCも持っていない。
ならば、無料で来れて、町のタウンマップなどもある図書室が一番最適だと考えた次第だ。
そうして今日は次に行こうと思える場所がないため、次の候補を調べにきたのだ。
また、迷惑をかけた谷さんの様子を久しぶりに見に来たことも冴子さんとの時間を割いて来た理由の一つだ。
「どうしたの?探し物?」
「うん。このあたりで面白そうな場所ないかなって。」
谷さんはこの間の事件で相当怖い目にあっていたが、すっかり立ち直っており今は普通に話せる。事故の後はやはり、男子とは距離を取っていたらしいが。
軽度の男性恐怖症とでも言うのか。
男子と話すと少し身震いを覚えていたそうだ。
「そういえば、谷さん。もう大丈夫?僕にできることがあれば言ってほしい。あの事件は僕のせいでもあるから。」
「うん。もう大丈夫。まだ少し男子は怖いけど。橘君は大丈夫だよ。」
「…………そう。なら困ったら何でも相談してよ。力になるかはわからないけど。」
「うん。頼りにしてる。」
僕は本を探し、何か所かよさそうな場所を選び、その場所を記憶する。
谷さんも図書委員の業務を再開する。
そうして放課後は終わりを迎える。
知らない間に時間が過ぎていたようだ。そこまで熱中していたのか。
今まで何かに入れ込んだ事のないこの僕が。
今日も平和に夜がやってくる。
最近は、いろんな出来事があり自分自身もいっぱいいっぱいになり、自分を見つめなおすこともできなかった。
しかし、よく考えると平和な日常とは僕が最も望んでいたものだ。
こんな穏やかな気分の自分がすこしおかしくなる。こんなフウに同級生と笑って、好きな人のことを考えて、明日のことを考えて高揚感に包まれるような日がくるなんて。
谷さんも業務が終わったのか、また声をかけてきた。
「あ、探し物は終わった?」
「うん。終わったよ。」
「なに?何かいいことでもあった?なんだか楽しそうに探し物してたから。」
「そうかな?」
顔に出ていたかと少し恥ずかしくなって俯いてしまう。同級生の子との距離の取り方は未だに分からなくなる時がある。教室でも誰かと親密に話すこともないが、些細な会話でももっとスマートに取り合えたのではないかと反省する日々だ。
「…………うん。今度、ちょっと遠出するんだけどそれが楽しみで。」
「そっか。彼女?好きな人いるんだ。」
「うん。その人と一緒に行くとどこに行っても楽しくて。」
「…………そっか。好きな人…………いたんだね。よかったね。橘君がそういうフウにちゃんと笑ってたら私も安心するよ。ほら?学生生活なんだしあんな感じのことばかりじゃなくて、楽しまないとね。」。
「……………………そうだね?」
一瞬、谷さんの顔に陰りが見えたが、すぐに元気な表情に戻って僕はすこし不可解な顔で見てしまう
「いや、えっと。あ。私、先生みたいなこと言ってるね。ごめん。ごめん。でも楽しそうでよかった。」
「う、うん。今は幸せだよ。こんなこと言ってるとなんだか高校生らしくないけど。」
谷さんと僕はすこし談笑をして、帰り支度を済ませて、二人で図書館の扉を施錠する。
もう校舎は暗く、廊下の窓から差し込む夕日に目を奪われる。もっと遠くを見るとそこには雲が割れて光の柱が見える。天使の梯子というのか、はたまた薄明光線だったか。
覚えてはいないが、今、僕が見ている光景を冴子さんも見てると良いなとふと思った。
「あ、天使の梯子だね。」
「ああ、そういう名前なんだ。あれ綺麗だよね。」
「うん。綺麗だ。」
それは、彼女の髪に光が乱反射して輝きを帯び、揺れ動くさまに似ていた。
僕は息が漏れるほど、見惚れていたものだ。
もう見えないけれど、今はもっと別のものが見える。それは、多分、彼女としか見れない光景なのかもしれない。
彼女が和かに笑うと僕も嬉しくなってしまう。そんな彼女の姿は透けていても惚れ惚れしてしまう光景だった。
自分の胸がこんなに激しく動くとは知らなかった。
その人の声を聞くだけで、僕は至福を味わうのだ。
「ああ、そういえば聞こうと思ってたんだけど。」
「え、なに?」
急に谷さんがかしこまった口調で居直るものだから、こちらも彼女に顔を向ける。
「橘くん、なんでこないだの放課後、旧校舎に行ってたの?」




