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第七話 三日月(5)

一週間、二週間、一月経っても早紀さんは眠ったままだった。やがて近くの病院に転院した事で、私は休みになると早紀さんのお見舞いに行くようになった。

最初は色々気を使っていた早紀さんの両親も、入院が長期化するにつれて私が早紀さんの元に行くのを歓迎してくれるようになった。何冊も本を持ち込んで、早紀さんの枕元で読み、時々早紀さんに話しかける日々を繰り返すうちに、晴次さんとも時々話すようになった。私より一つ年上の晴次さんは、学部は違えど私と同じ大学だった。私は男性に苦手意識があったが、年齢以上に落ち着いていて思いやりのある彼にはすんなり打ち解けることが出来た。


「それじゃあ、早紀さんについて会社は一切無関係って言っているの!?」

「ああ。退職願いを受理した後の事だから、早紀は自己管理が出来なかったんだろうって反論されたみたいだ。会社としては、勤務時間はきちんとチェックしていたし、休みも取らせていた。社員の自主的な出勤については任せているので把握しかねる。ただ、会社の評価をこのまま下げるような発言を続けるなら、こちらにも訴える用意があるって脅されたらしく、最後に見舞金を無理矢理押しつけて、今後一切関わらないようにって追い出されたみたいだ」

「そんな…」

「それと、決定的な証拠がないらしくて、行政に訴えても反応がイマイチだって父親が言っていた」

「じゃあ、このまま黙りこむしかない訳?」

「…」


晴次さんは無言で背中を向けたが、悔しさがにじみ出ている姿に彼もまた憤っていることが分かった。学生の私達はあまりにも無力だった。悔しくて、どうすることも出来ない自分が情けなくて、私は何か良い方法がないかひたすら考えた。早紀さんの仇を討ちたくて、色々調べた後、やがて一つの可能性にたどり着いた。数日後、私は付き添っていた晴次さんを夜の病院のロビーに連れ出し、彼にだけ打ち明ける事にした。


「晴次さん、私あの会社に復讐する方法を思いついたの」

「はっ?お前そんな事考えていたのか?」

「うん、このまま泣き寝入りするのは悔しすぎるから…」


「…ちなみに、その方法って何だ?

まさか犯罪とかじゃないよな?」


「あのね、内部告発って知っているでしょう?」

「会社の中から不正な情報なんかを公開するやつ?」

「そう。私があの会社に入って、不正を暴いて公表する」

「何言ってるんだ!馬鹿かお前!」


「早紀さんがあんな状態なのに、あの会社は責任すら認めないんだよ。そんなの悔しいじゃない!本当なら早紀さんと同じ目にあわせてやりたいけど、そんな事出来る筈なんてない。それならせめてこんな事があった、って公開するだけでも会社にとっては社会的にダメージになる筈だよ。成功するか分からないけど、少しでも早紀さんが受けた痛みを返してやりたいの!

私が出来る事はこれくらいしか思いつかなかったから…」


「それなら俺がする」

「それは駄目。晴次さんは早紀さんと同じ苗字だし、顔も似ている。会社の人とも会ったんでしょう?警戒されるに決まっている。

私なら面識はないし、女だから大丈夫だと思う」

「だからって…夏樹、自分の言っていることが分かっているのか?お前の人生を棒に振るかもしれないんだぞ。早紀の為にそこまでする必要は無いだろう?」


戸惑う晴次さんは複雑な表情を浮かべていた。確かに家族でもない私が、自分を犠牲にしてまで早紀さんの仇を討ちたいというのはおかしいかもしれない。


「晴次さん、あのね。私は両親にも頼れなくて、ずっと一人で過ごしていたの。生活の為のバイトも勉強も必死にやって辛い時も我慢していた。

だけど、そんな私を早紀さんは、頑張ってるって認めてくれて分かってくれた。辛い時には泣いて甘えることを許してくれたし、嬉しい時には一緒に喜んでくれた。私を今までずっと支えてくれたの…

だから、私のこれからを早紀さんにあげても構わない。むしろ私がそれを望んでいるの」

「夏樹…」


「大丈夫、心配しないで。まだ先の事だし、一応普通に就職するだけだから」


「…分かった。だけど、絶対無理するなよ?」

「うん、ありがと。じゃあまた来るね」


晴次さんに笑いかけると、出口に向かう。ドアが開いて外に出るまで、晴次さんはずっと見送ってくれていた。


それから私は会社に確実に就職する為にこまめに情報を集め、使えそうな資格を片っ端から取っていった。目の回る様な毎日が続いたが、忙しさが私の寂しい気持ちをまぎらわせてくれた。

就職活動が始まり私は直ぐにあの会社の求人に申し込んだ。以前人手不足と聞いていたので採用される確率は高いと見込んでいたが、通知が来るまではやはり不安だった。

希望通り内定を貰い、卒業が近くなった頃、久しぶりに晴次さんと病院で再会した。一足先に社会人になった晴次さんは、私の就職先近くの会社で働いていた。

スーツ姿の晴次さんと病院の中庭のベンチに腰を下ろす。周りには人気もなく、太陽の日差しがぽかぽかとしていて、ここが病院であることを忘れそうな長閑さだった。


「夏樹も卒業か…あっという間だな」

「本当だね」

「お前が本当にあの会社に入るとは思わなかったよ。…本当にするつもりなのか?例え会社が潰れても、早紀は目を覚ますか分からないんだぞ」


「そんな事分かってる!」


つい声が大きくなり、はっとする。


「ごめん。心配してくれているんだよね…だけど、自分で決めたことだから」

「そうだったな、悪かった。

…もうあれから二年以上経つのか」


晴次さんが気まずい雰囲気を変えるように呟いた言葉は、私にも時の早さを感じさせた。私達はこの二年、ずっと眠ったままの早紀さんと過ごしてきたのだから。


「夏樹、ありがとうな」


「どうしたの?急に」

「早紀をずっと好きでいてくれて。だけど、もしお前にこれから好きなやつが出来たら、早紀の事は気にしなくて良いからな」

「何それ…晴次さん、本気で言っているの?」


睨み付けるように見ると、真っ直ぐな視線とぶつかった。その眼差しが早紀さんと良く似ていて、怒気を削がれてしまう。


「お前も会社近くに引っ越すんだろう?夏樹にも良い機会だと思っていたんだ。夏樹は可愛いし、しっかりしている。これから新しい出会いも有るかもしれないだろう。いつまでも早紀に縛られなくても良いんだ。もし早紀の目が覚めたら、俺がきちんと話すから」

「…」

「夏樹の気持ちは分かっているけど、これだけは伝えておきたかったんだ」

「…」


「じゃあ、俺は帰るから。夏樹は早紀の所に行くんだろう。またな」

「うん、気をつけてね」


晴次さんを見送り、病室に戻る。やわらかな日差しがカーテン越しに早紀さんを照らしている。目を閉じたままの早紀さんに、いつものように手を握って話しかけた。


「早紀さん、これから今までみたいに来れなくなるけど、休みが出来たら必ずお見舞いに来るから、待っていてね」


答えてくれない寂しさが胸に募り、涙が流れ落ちる。いつもなら我慢出来るのに…もう記憶の中でしか聞こえない声は随分曖昧になってしまった。


「好きだよ。早紀さん」


どきどきする胸を抑えて、早紀さんの頬にそっと唇を押し当てた。



卒業後、私が働き出した会社は、ワンマン社長の経営する小規模の企業だった。従業員は規模の割には少なく入社式の直後から、私と一緒に入社した男子と共に研修を受け仕事を始めた。次々に説明される事を必死に覚えていく。とりあえず私は、この会社で仕事が出来なければならない。私の計画はこうして始まった。


早紀さんから聞いていた以上に職場は過酷だった。毎日終業時間ぎりぎりまで仕事を入れられ、残業は当たり前の様にあった。女性社員は私一人だったので、社長からのパワハラやセクハラまがいの事もしょっちゅうだったし、雑務もこなさなければならず、早紀さんも同じ目にあったのだと思うと悔しくて、くじけそうになる日も多かった。


半年を過ぎる頃になると、私と同期の男子が辞め、その分私に仕事が回された。まだ扱える情報は少なく、気がはやるが失敗する訳にはいかない。私は一人で黙々とこなし、なるべく多くの仕事に関わった。

晴次さんとは連絡を取り合っていたが全く会えずにいた。休みも殆どなく、早紀さんにも会えずにいた。未だ目を覚ましたという連絡はなく、気がつけばあっという間に一年以上が過ぎていた。

漸く仕事が落ち着き、少し早めに帰れるようになった頃、私は綾乃ちゃんと出会ったのだった。


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