■お金を借りよう!
※
「気がついたんだけどサ」
ハルトが持ちかけてきたのは、近隣の迷惑にならぬよう鏃を回収していたときだった。
この地方のやわらかい草原には、裸足で遊ぶ子供たちがいる。
靴はなかなか高級品で、子供時代は裸足で過ごす子も多いのだ。
実際、裸足の草原歩きはハルトもオルデヒアも試してみたのだが、すこぶる気持ちよかった。
それに畑を耕したり、耕地を切り開く開拓民たちは高級品の靴が汚れるのを嫌い、裸足で農作業したりする。
すると残された鏃が悪さをするのだ。
地中に残されたそれを踏み抜き、怪我をするだけではない。
破傷風という恐い病気は、古戦場跡を開拓する人々からは呪いのように恐れられたものだったのだが、その一因は土のなかに残された古い矢の仕業だったのだ。
「なんだ……気がついたって。よし、これで、12本目っと。数に間違いはないな?」
矢の三分の一は折れたり矢羽根が破損してしまっていたが、見失うこともなく全てを回収してオルデヒアが訊いた。
こちらも自分の行いの後始末を終え、晴れ晴れとした笑顔のハルトに。
「オレさ、気がついちゃったんだよ」
「だから、なんだ。なにに気がついた?」
「肉、さっきの肉の話」
「お、おう。なんだまだ諦めてなかったのか?」
「だれが諦めるかよ! そうやって諦めなかったからこそ、オレたちは魔王に勝てたんだろ」
威勢よく言い切ったハルトの啖呵を、やれやれ、とオルデヒアは聞き流した。
それはたしかにその通りだった。
立ちふさがる困難にみんなの心が折れそうになったとき、ハルトだけは決して諦めようとしなかった。
全員を鼓舞し、奮い立たせてくれたのは戦いの技術だけではない。
彼の心が、みんなを動かしたのだ。
このヒトとなら勝利を、平和な世界を勝ち取れる──あのとき高揚した心のことを、オルデヒアも忘れたことはない。
けれども、だ。
こう、なんというかこの諦めない心というものは状況によりけりで、非常にやっかいなものでもあるのだな、とオルデヒアは二ヶ月ばかりの旅路で気がつきつつあった。
「でな、オルデヒア。肉、だよ」
「お、おう」
オルデヒアの怪訝な様子など、どこ吹く風。
爽やかな汗を流しながら、ハルトは言った。
言い切った。
「肉は、買えば、良くね? 肉屋で」
オレ、天才だわ──そういう副音声の聞こえそうな調子で。
こめかみが痛むのを、オルデヒアは感じた。
「それ、わたしが最初に言ったよな?」
「あれっ、そうだっけ? いつ?」
「弓と矢を武器屋で買う前に。肉屋の前で」
「……聞いて……なかった」
「オマエ、そういうところだぞ。いつも」
ガーン、という顔になったハルトに、オルデヒアはまた深く溜息をついた。
ハイエルフであるオルデヒアは老衰で死ぬことはないのだが、コイツと付き合っていると心が老いそうだ、とは思う。
「そうだったか……うかつだった」
「ヒトの話はよく聞こうな、こんどから。旅の基本だぞ」
「わかった。じゃあさ、肉屋で肉を買うことにするよ、オルデヒアの言うとおり」
「お、おう」
「だから」
「ああ」
「お金、貸してくれる?」
こんどこそ本物の痛みを感じてオルデヒアはこめかみを押さえた。
それから言った。
「ダメだ」
「なーんで? オレの金なんだからさ! 出してよ!」
「わたしとの約束を憶えているか?」
「ん?」
「出費は一日最大でも20ギルファまで。……短弓はいくらした?」
「えーと、18ギルファ、かな?」
「矢12本と矢筒は?」
「あ、それはスゲーお買い得で、まとめて5ギルファだったんだよ。オレ、買い物上手だよな」
「……足し算」
「ん?」
「足し算ができてない!」
えっ、あれっ、とすこしばかり荒くなったオルデヒアの口調に、ハルトは慌てて両手の指で計算を始めた。
しばらくして顔を上げる。
金額を見失ったらしい。
ふー、とオルデヒアが怒りを堪えるための息を吐いた。
「23だ、ハルト。23ギルファ」
「あれっ、うわちゃー、予算をオーバーしてたのか! しまったなあ、買い物はいつも商人にまかせてたから……ムハンマドのヤツ、いまごろ、なにしてるだろうかな」
「ちがう、ハルト、そっちじゃない。むかしの仲間に思いを馳せるな。金額だ。足し算だ」
「そうだった! 予算オーバーじゃん。オルデヒアは気がついてたの?!」
「もちろんだ」
「なんで止めてくれなかったのさ!」
「オマエ、殴るぞ、本気で」
ハルトの超訳責任転嫁に、オルデヒアは拳を握りしめた。
あと、責任転嫁には「嫁」の字が入っているが、オマエの嫁になったつもりは断じてないからな、とも。
たしかに、予算オーバーをしていたのはオルデヒアだって知っていた。
だが、この旅も、はや二ヶ月。
まともに長剣も扱えなくなってしまったハルトが、はじめて自分の口から「あの武器が欲しい」と言い出したのだ。
強大な魔族の群れに雄々しく立ち向かう勇者:ハルトの背に何度も胸をキュンとさせてしまった経験を持つオルデヒアが、男の再起を期待したのも無理はない。
結果は散々だったわけだが。
「とにかく、本日の出費はもう予算オーバーだ」
「そこをなんとか! 明日の分を前借りで!」
「オマエ……ほんとうにクズだな」
だが、ハルトの必死の懇願についにオルデヒアは折れてしまう。
そして、ふたりは知らない。
パーティーの現在の財政面を担うこのハイエルフをして、出費を許してしまった状況。
これこそが無職:ハルトが覚醒したオーバースキル:無心の効果だということを。
金の無心。
なるほど、無職特有の、ふさわしいオーバースキルであった。
「じゃ、これ。大事に使うんだぞ」
「やった! オルデヒア、大好き!」
しぶしぶ財布から取り出された硬貨一枚を受け取るが早いか、ハルトはどう聞いても口先だけのおべっかとしか思えないセリフを吐いて、近隣の村へとスッ飛んで行った。
「子供か、オマエは……」
思わずオルデヒアがそう呟いてしまうくらいには、すごいスピードだった。