■肉をつかまえよう!
「あたりまえだけどさ……肉って……獲物を捕まえないことには手に入らないんだよな」
呆然とした口調でハルトが言った。
ときは聖王国歴1599年、初夏のこと。
あの凄惨を極めた黒蝕の魔王戦争から二年。
いずこともしれぬ高原地帯にハルトは、いた。
放心して、立ち尽くして。
足元、それからあらぬ方角のそこここに射掛けられた矢が、地面といわず樹木といわず突き立っていた。
それが、のどかな高原の景観を損ねている。
肝心の獲物=今夜のお肉ことケダモノはとっとこ逃げてしまった。
手のなかの短弓の弦は切れてしまって、無残なありさま。
ハルトが無謀な狩りを始めるまでは心地よくさえずっていた鳥たちの声も、聞こえない。
痛い沈黙。
完全な空振り。
丸坊主だ。
「だから言っただろう。素人が挑むのには狩りは難易度が高すぎる、って」
背後の梢から声がした。
銀の鈴を鳴らすように可憐な響きは、だからこそ残酷だ。
「だってさー、うまい肉食いたいじゃん?」
その声の主を振り返り、ハルトは抗議した。
正義は我にあり、という感じで。
「わたしは別に。オートミールでも、チーズでも、木の実でもかまわないぞ。初夏といえば草がうまいからカチクの乳も良く出るし、チーズもベリーの仲間もうまい。まさに旬だ」
「いや、それも限度があるってオレは言ってんの! そんなもんばっかり食べていると、エルフになっちまうぞ!」
「いや……もとからエルフだがな、こちとら」
あきれ果てた、という表情で樹上に腰かけた少女が溜息をついた。
流れるようなプラチナブロンドがふうわり、と風に舞う。
それだけでどこかから良い香りがしたような気がする。
そういう美貌の持ち主だ。
人間の基準で言えばあと数年もすれば、だれもが振り返るような美女になる、という評価を下す輩は多かろう。
けれども、彼女がそうなることは決してなかった。
すでに彼女は成人を迎えていたし、それ以前に人間ではないのだから。
エルフ。
多くの人々がお伽噺のなかの存在だと信じてきた生き物が、ほんとうに実在するのだと広く世間に認知されたのは、黒蝕の魔王戦争のときだ。
彼女たちエルフは同じく伝説の側の存在と思われていたドワーフや、その他の亜人たちとともに世界を守るため人類と手に手を取ってともに戦った仲だった。
「とにかくさ、オレは肉が食いたいわけよ! このバラルーシュ高原は、うまい野生動物の宝庫なんだ! むかし食べたオレは詳しいんだよ! あの感動をもう一度!! わかるだろ、オルデヒア!」
「さっぱりわからん」
「だー、なんでだよ、みんなで食べたじゃん」
「たしかに、この高原地帯の獣がうまいのはわかる。食べたしな。問題は、だ」
よっと、とひと声、オルデヒアと呼ばれたエルフの娘は数メートル下の地面へと降り立った。
単衣の裾がはためくが、抜かりなく下に履かれたスパッツと風乙女の守りのおかげで、野郎どもの期待するようなシーンにはならない。
「お、お、お?」
だが、ハルトには効果は抜群だったようだ。
はためく布きれの奥を覗き込もうとした顔が、地面にめり込む。
ズシン、めこき、と音がした。
「オマエ……ほんっとに、バカな」
「た、たすけて、くれ」
頭上から降り注ぐオルデヒアからの辛辣な評価に、ハルトが言えたのはそれだけだった。
※
「やはり、まだ無理だったのではないのか、無職に短弓は」
「それを言ってくれるなって。そろそろイケるんじゃねーかなーって思ったわけさ、Lv3ともなればさ、ふつうのクラスなら主武器スキルのひとつくらい憶える頃じゃん?」
「無職のLvが上がる、というのは……なんだか悲惨な響きがあるな」
オルデヒアからの治療を受けながらハルトが言った。
黒蝕の魔王戦争以来、ハルトは無職になった。
クラスも、実際の生活においても。
あの最終局面にあって聖剣は、世界を救う代償に莫大な経験値をその代償に要求した。
この世界における経験値とは、まさにそれまで歩んできた人生そのもの。
それを一時に失ったハルトはまさに救国の、いや、全世界を救った英雄となったわけだが──。
「まさか、剣もまともに使えなくなるとは思わなかったぜ」
あまり悲壮さも感じさせずに言うハルトに、オルデヒアはまた溜息を吐くしかない。
まあ、その男にいきなり「世界をゆっくり回りたいんだよ。オレたちが救った世界のことを……オレはもっと知りたいんだ」と持ちかけられ、ノコノコついてきてしまった自分も自分だとオルデヒアは思うのだが。
「というか、なんなんだろうな無職というクラスの役割は」
「すごいレアらしいけどな」
「……まあ世界観的に、果たす役割がないという意味ではそうかもな」
「クリティカルヒット、って奴だないまのお言葉」
胸を押さえながら、しかし、笑顔のまま言うハルト。
たしかに精神の図太さだけは勇者のときのままのようにオルデヒアには感じられる。
「とにかく、さっきのざまでは短弓の扱いはまだまだ先だな」
「うむ。まさか購入後2時間でブッ壊れるとは思わなかったぜ。使ってみるまで適性がわからないこの仕組み、やめて欲しい。運営には改善を要求するッ!!」
「それを知りながらなぜ購入したし……天才的な才能だな、ある意味」
「ちなみに新たに覚醒したオーバースキルの《ちから》では、ないッ」
「だろうともさ」
ちなみにだが、とオルデヒアは訊いた。
ハルトの無職レベルが上昇したのは昨日のことだ。
王都を出奔してからはや二ヶ月。
ハッキリ言って、だいぶ遅い。
「それで。覚醒したオーバースキルというのは、どういうのだ?」
オルデヒアから水を向けられ、治療も終わったハルトはよくぞ訊いてくれた、とばかりに笑顔を広げて、告げた。
自慢げに新たなるオーバースキルの名を。
「無心、という」
どうよ、カッコいいっしょ?
名前からして、恐らくは精神的な強さに関係しているものだと思う、とハルトは胸を張った。
たしかに「心」の一字が入っているからにはそういうものかも知れないが……無職などというクラスの存在はあまりにレアすぎて、オルデヒアにもこのスキルがなにを意味しているものなのかよくわからない。
初めてなのである。
「サムライの無我の境地とか明鏡止水とかに近いヤツかもな!」
「いや、このレベル帯でそれほど強力なオーバースキルは獲得できないだろう」
わからないなりに一応、釘を刺しておく。
正体不明のオーバースキル頼みに、ハルトが無謀なことをしないように、だ。
だが、これまでの経験上、わかっていたことがあった。
ハルトが自信満々に断言するときは、だいたいにおいてロクなことではないか、ロクなことにならないのだ。
これは法則だった。