異変 七
二手に分かれた<ダブル>達。ついにメガホイールへたどり着くが、今まさに谷底へ落されようとしていた。軍の攻勢を振り払いメガホイールを救えるか!? そして最後の仲間の元へとたどり着いたユダイム達。そこには予想もしなかった強力な敵が立ちはだかり、絶体絶命のウルハリオンは覚悟を決める!
「くそっ、こいつら……」
ベスペルハミルは悔しかった。相手はたかだか軍人である。ただの人間なのだ。道具がなければ、兵器がなければなんら一般人と変わらない彼らに、ここまで追い詰められている自分がなさけなかった。
大きな振動。
しかしそれは地震ではなく、機械的なものだった。今彼らの後ろで、メガホイールが深い崖の下へ、重機によって落とされようとしているのだ。
ベスペルハミルの横で、メルカンビアが同じく顔をゆがませている。押し寄せる軍隊の兵器によるスクリプトが、ノイズとなって彼らを波のように飲み込もうとしている。そして彼らを支えるようにエシュテンメインとアイシー。その全員が覚醒状態だった。
彼らの目の前にはこのスベンフォールの全兵士約二千人。それを<ダブル>として覚醒しているとはいえ、たった四人で抑えているのだ。そしてその後ろでは、徐々に崖へと寄せられているメガホイール。
巨大な重機によって動いているそれを止める方法は、今の彼ら、いや、彼女らの力では無理だった。方法があるとすればただ一つ。その為に、彼はその力を残されていたのだ。
振動が大きくなる。崖に近づきすぎて、岩の強度がメガホイールの重みに耐えられなくなり沈みはじめていた。
メガホイール内には、まだアシュタルという<ダブル>が残っていた。だが彼女一人では重機に逆らってメガホイールは動かせない。
そもそもそんなエネルギーがない。兵士達が兵器の力を頼りに、出力いっぱい、スクリプトを浴びせてきた。消耗が激しい。だが。
(あの時ほどじゃない)
エシュテンメインは思った。そう。それはベスペルハミルもメルカンビアもアイシーも、同じように思っていた。あの時、あの戦争の時ほどではないと。
ゴン!
身体が浮き上がる強烈な衝撃。崖が崩れる。岩が割れる。メガホイールが彼らの後ろで沈んでいく。ゆっくり。その巨体が崖の下へ、今まさに。
無理なのだ。それほどの質量を持ち上げる事は、<ダブル>達のプログラムではどうにもならない。物理的に不可能だった。<ダブル>達だけでは。
ゴン!
再び大きな衝撃とともに崖から飛び出すようにして、メガホイールが今まさに、白い光を放って轟音とともに落下していく。白い光。
「間に合ったか!」
叫ぶベスペルハミル。そしてその衝撃音を上回る、風の叫び声。メガホイールの落下が、今、止まった。そう、空中で静止し、まさに止まったのだ。兵士達が口々に叫び声を上げる。そんな馬鹿なと。強烈で力強い、プログラムの波動。それがベスペルハミル達を含め辺り一帯すべてを覆っていた。なにが起きたというのか、兵士は驚き<ダブル>は安堵する。
メガホイールの一部が開いた。それはちょうど地面に落ちた種が発芽していく様に似て、新しい生命の鼓動のよう。そしてプログラムの、光の波動をまといながらまさに花のように美しくも恐ろしく咲き乱れる、それは人型、<モデル>。
「美しい……」
兵士が思わずその人型兵器に見とれて。しかしそれは美しいだけではなく、やはり強力な兵器だった。巨大で超重量のメガホイール、しかも重機で落とされたそれを、その一機、いや、一輪というべきか、単独でささえ、持ち上げ、押し返してさえいたのだ。無論、誰にでも扱えるものではないし、同じ<ダブル>においてもエルキューヴィだからこそできる芸当だった。
「普通じゃねえ」
思わずうめくベスペルハミル。エルキューヴィが最高の能力を持った<ダブル>である事は間違いない。しかし、一ヶ月間まったくメンテナンスを受けずに衰弱している上、同じく放置されてエネルギー残量の少ない<モデル>なのだ。簡単にできる事ではない。少ないエネルギーで効率よくそれだけの質量を動かせるだけの、高度なプログラムが必要になる。
メガホイールが地上に押し戻された。エルキューヴィの乗る<モデル>、ワッツの左腕が払われると、薄く白い波のような波動が広がり、それを受けて重機がばらばらに吹き飛んだ。返す腕で兵士達が吹き飛んでいく。ウルハリオンが見たらショックを受けるかもしれないと、エシュテンメインは思った。兵士達にとっては地獄のようで、一瞬の間にその殆どが足だけや頭だけとなり、血も肉も機械の破片にまみれてなにも分からなくなった。
「エルキューヴィ!」
彼らの医者でもあるアイシーが異変に気づいた。どうやら限界らしいと。ワッツの発するエネルギーが不整脈を起こしていたのだ。しかし本人はまったくかまわず、大きく<モデル>を羽ばたかせると谷へと降りていった。
「無茶だあいつ。あんな状態でユダイムを迎えに行くなんて」
ベスペルハミル達が急いでメガホイールへ向かった。
「……」
地震とは違う振動を感じた。ウルハリオンは相手の表情が分からない事に苛立ちを覚えて、そしてわずかに見える目が赤く光る事におびえていた。
「ふぅっ」
一呼吸。あきらめた。
ばん!
覚醒。これが人生最後の覚醒、そう覚悟。
相手の軍人は微動だにしない。そうなのだろう、こちらの状態を完全に見抜かれているのだ、戦いにならない事を。だが戦う事が目的ではない。それだけが、唯一の望み。そしてウルハリオンは低く構えた。その時。
「!?」
自分の腰にしがみつく感触。身体が反応してびくついたが直ぐにそれの正体が分かって。
「ユダイムっ」
「なに!?」
今度ばかりはキルウェルも驚いてた。あれほどのプログラムを乱発して幾度となく倒れ、そのたびに起き上がり、今また立ち上がろうとするその姿は、<ダブル>の概念を越えていた。
満身創痍。だがその表情には力があった。そして。
「プログラム!?」
ユダイムはこの相手を見くびったりはしなかった。強力な敵であると認識して、全力を使った。ここさえ乗り切ればいいのだと分かっていた。だから軍の施設である基地の壁を何枚もぶち抜いた、あのプログラムを個人に向けて実行した。ちりも残らず消えるだろう。
「うわぁ!」
その瞬間、そのフロア全体に衝撃が走った。せっかく回復していた巨大なスクリーンにひびが入り、いくつかの機械が破裂する。騒ぎに気づいて直ぐ近くにいた兵士達も投げ出され、そうでない兵士の何人かは、脳をスプーンでえぐられるような感覚に精神に異常をきたした。
光と爆発、そして轟音、だが。
「……嘘」
ウルハリオンでさえ後ろへ吹っ飛んだその衝撃の中、あの男は生きていた。生きてその場に立っていた。
プログラムを弾いた際の負傷だろう、左腕は血だらけではあったが、他には帽子を飛ばされたくらいで、その場に立っていたのだ。局長はユダイムのプログラムをすべて横に受流していたのだ。
無事とはいえ、局長も驚いていた。倒れたユダイムを見て。
(そんな馬鹿な、まだこれほどのプログラムを使えるのか……アークヒルは本物の<ダブル>を完成させたのか?)
ウルハリオンはようやく見る事のできたその相手の表情を見て、やはり驚く。ユダイムより年上だろう。少なくとも完全な大人である。だが、<ダブル>は短命である。例外中の例外である、ユダイムより長生きという事だ。覚醒しても男である事などやはりこの軍人はあまりにも不自然すぎた。ありえない。 <ダブル>でも人間でもない!
「……みー、めいや」
うめくような声。
まさかっ、アマシアスはまだ生きていたのだ! なんという精神力。彼の、今は彼女の、その<ダブル>としての能力はまったく高くないのだ。そこへあれほどのダメージを受ければ、死んでいてもおかしくなかった。
メガホイールは、世界中で起きる不自然な<歪み>の調査のためアークヒルを出発したが、ウルハリオンには今まさにこの場所が<歪み>の中心であるような気がしていた。おかしくなったすべての元凶、<歪み>。
「!」
ユグラドシルの樹が鳴動。いつの間にか、おそらくさっきの衝撃だろうその為に、ノイズ、分厚いシールドプログラムが一時的に吹き飛んでいた。徐々に回復しているが。
そしてその樹に身体を埋められたミーメイヤーが、その目を開けた。特徴的な、首の傷。そして、赤い瞳。しかしそれは徐々に光を失いつつあった。
「ミーメイヤー」
もう一度、今度ははっきりと。呼吸も辛い。しかしアマシアスはとてもとても大切な人へ、手をのばした。回復していくノイズシールド。
ウルハリオンがそのノイズシールドの穴にプログラムを打ち込もうと、だがしかし、赤い目の軍人がそれをけん制するようにして視界に入る。
「ミーメイヤー……」
回復していくノイズの壁に、ユグラドシルの樹が薄くなる。
終わった……。
そう思ったルハリオン。しかし、その時。
「光が」
キルウェルが思わず口を。
ユグドラシルの樹を流れる光のすじがその動きを止め、逆流。いや、埋まっている人、<ダブル>、ミーメイヤーに向かって流れ始めたのだ。
ありえない。
そして声ではない、しかし基地全体、メガホイールにも届く彼女の言葉が、響いた。
{アマシアス、あなたは強いわ、私に代わって、今度はあなたがメガホイールを導きなさい。皆を、アークヒルへ……}
うつろな表情。しかし、一瞬だけとはいえその声は力強く響いた。
自分達が生まれた場所、アークヒルへ。ノイズが再びミーメイヤーと彼らとをさえぎっていく。そしてミーメイヤーの瞳から光が失われた。
「そこまでだっ」
さっきの衝撃で司令官の席は吹き飛んでいて、危険を察知した部下達が、今までは決して立ち入る事のできなかったこの場所へなだれ込んできた。しかし奥にあるユグラドシルの樹は激しいノイズが視覚的にも現れて、既に見えなくなっていた。