望郷 二
エネルギーを失い、食料も僅か、装備も破損しているメガホイール。そんな中、徐々に回復していく軍。脱出の際に見た<オグマ>とは、<ダブル>達との繋がりとは、そして<ウルズ>とは? 彼らの身に起きている事とは!?
「……」
腐って異臭を放つ温室の中、せめてそれらを肥料にと全て片付けて準備を整えたが、それを使う元の種が無かった。アシュタルの正しい判断で止められた放水システムもエアコンもソーラーシステムによって、保存していた種の殆どが駄目になっていた。
「これじゃ香水も作れないなぁ」
口に出して。黙ったままでは辛かった。せめて口に出して、それも辛いが、自分をあきらめさせる為にも、ユダイムは声にした。
しかし香水作りは単なる趣味だが、ここは全員の食料用プラントでもある。それの九割方が全滅したのだから、事態は深刻だった。
「ふぅ」
深いため息を一つ。その施設を後にした。ユダイムがメガホイールに乗り込んだ時、勝手に自分の部屋を拡張して作った個人用のガーデンに向かう。元々完全に観賞用なので自然光が入る場所に作られていたが、給水システムが止まっていたのはここも同じ事で、やはり全滅状態だった。観賞用の植物はユダイムの趣味で手のかかるものが殆どだったから、それが仇となったのだ。
雲がうっすらと張ったままの空が、赤く染まっていた。
「ここも……」
全滅。そう自分を納得させるために、言葉にしようとした時、気づいた。
「残ってる」
それは手のひらに乗るくらいの小ぶりな鉢植えで、そこには鮮やかな緑が赤く広がる夕日を受けて、何故だろう、どこか不思議な空間を感じさせていた。
「残ってる」
もう一度口に。二枚の葉が中心から伸びて、その内側に、巻き上がった葉が房のように固まっている、なんの変哲もない植物。あの日、メガホイールを出たあの時のままだった。ここだけ、時間が止まって感じた。その植物は見た目と違い、ごくまれに花を咲かす事がある珍しい植物で、ユダイムはその赤い花を一度だけ見た記憶があった。
その鉢植えをガーデンから自分のベッドの脇へ。何故か安心してそれでようやくお腹がすいている事に気づいて、エルキューヴィになにか作ってもらおうと部屋を後にした。
今の彼は知る由もなかった。その植物が、本当はこの世界のものでないという事に。
壊滅といってもいいだろう。それ程ひどい基地の有様で、生き残った者もその正気を保ったままなのは極わずかだった。人的消耗はそうだが、それでも基地は時間とともに、バッテリーが回復し設備が徐々に動き始める。
一番ひどいのは<ダブル>達に荒らされた司令部だった。局長も怪我をしていたが、見た目にもそれ程の怪我ではなく、しかし本来であれば即死するような状況だったのだが。そこへ男が戻ってくる、マルトア。
「……」
壊れて閉じなくなった扉の前で一度敬礼すると、武器と階級章を差し出した。
「<オグマ>の使用についてです」
<オグマ>はその使用を禁止されている、軍にとっての最高機密の一つである。このスベンフォール基地においても一部の人間しか知らされていないものなのだ。動かす為には、局長自身による<オグマ>解除が必要で、確かにその解除を行ったがマルトアが許可を得なかったのも事実である。しかし。
「軍人として責任を取ってもらう」
それだけを言うと局長は奥へ下がっていった。マルトアが帽子をかぶっていない局長の顔を見たのはこの時が初めてだった。
奥は電力が回復してなお暗く、その先にはなにかあるようだが、それがなんなのかは誰も知らなかった。
「行け、回復させろ」
声だけが響き、マルトアは敬礼をしてその場を去った。
局長は、彼はひどく乾いていた。水が足りなかった。だが足りないのは水だけではなかった。時折視界が大きくぶれるのだ。いくつかの記憶も失われている。彼には、時間がなかった。
日が落ちてあたりは青黒い空気に染まっていた。
少し冷えるだろうか、寒いのが得意ではない<ダブル>達にはそう感じる気温。しかしメガホイールに空調をすべて整えられるだけのエネルギーはなかった。空気の循環だけでいっぱいだった。
一枚多く上着を羽織って、展望室のテーブルにユダイムは座っていた。ここの外壁に使われているガラスは動力なしで通過する光を増幅する、特殊構造になっている、集光機だ。
薄い雲に覆われた夜空であっても、本が読める程度の明かりとなる。そして軍の基地、スベンフォールに明かりが戻った事も、よく見えていた。
階段をこちらに上がってくる足音。ペスペルハミルの足音だと分かり、外を向いたままのユダイム。
「ふん」
どかっと正面に向かって座るペスペルハミル。胸を張ったまま腕を組んでいるのだろう。ユダイムは見なくても分かった。
「で? 俺に」
尋ねるユダイムに、用があるから彼は来ているのだと。何かと訊く必要はないので、さっさと内容をうながすユダイム。
「<オグマ>ってなんだ」
いつもの調子とは違う、食って掛かる態度ではなくただ真剣なだけのペスペルハミル。ぱっと見、いつもの態度と変化がないので区別しずらいのだが。
ともかく彼は真剣だった。
<ダブル>はその誕生の瞬間から少年でありまたは青年であり、全ての共通した知識を、脳への焼きこみによって行われている。年代による多少のずれはあっても、アークヒルの基地でメンテナンスを受けていれば、そのずれも必ず解消されるように、システムができているのだ。
それは<ダブル>全員が同じ知識を共有しているという事に他ならない。記憶以外の全てを共有しているはずの<ダブル>において、何故、あの時、ユダイム一人が<オグマ>という存在に気づきそれと判断できたのか、ペスペルハミルには全く分からなかった。
「対<モデル>兵器さ」
ユダイムが答える。
元来、<モデル>とは通常の戦術兵器で、一般の人間にも扱えるものだった。しかしその形態から技術の進化とともに複雑化し、単体での攻撃機能も備えるようになっていった経緯がある。
「高度に複雑化したせいで」
<モデル>はその機能向上と引き換えに、致命的なバグをその内に抱える事となってしまった。それは複数の条件がそろう事で暴走するという低い確率だが、きわめて深刻で厄介なもので。
「あーっ」
突然の声に驚く二人。そこへお盆の上にスープを載せたエルキューヴィがやってきた。彼はまたペスペルハミルがユダイムに何かくってかかっていると勝手に思い込み、二人の間に割って入る。
「ちょっと止めてよねペスペルハミルっ」
「……何をだよ」
そのやり取りに思わず苦笑するユダイム。落ち着かせてエルキューヴィを自分の隣に座らせると、スープを一口。美味しいの言葉に満面の笑顔で答えるエルキューヴィ。話を続ける。
<モデル>に発生したバグを回避する為に当時の技術者達がとった行動は、ハードではなくソフトでの対応、すなわち、パイロットの特殊化というものだった。そしてその究極の形が、ユダイム達<ダブル>という答えだったのだ。
<ダブル>は技術的に作り出された、新しい生物といえる。詳細は知らされていないが、卵子を特殊な工程で育て上げたものなのだ。これ自体は全員が知っている事である。
事実であれば――だが。
そして<ダブル>達は<モデル>に乗り込む為に、<契約>という行為を行う。これは<ダブル>達個々に存在するパーソナルな遺伝子を利用した認証であり、これがゆえ、通常の人間ではその遺伝子情報を持たないので、<モデル>に乗る事ができなくなってしまった。
そしてその遺伝子こそ、暴走を抑えるプログラムの実行コードだったのだ。
「だがそれも完璧じゃない」
今度はメルカンビアが、ベスペルハミルを探してここへ来た。それを見てエルキューヴィが他の分のスープを作りに戻る。ユダイムのおかわりをかねて。
完璧を望むには<ダブル>も<モデル>も複雑すぎたのだ。
遺伝子コードによる強制プログラムは、そもそも<ダブル>が正常である事が当然の前提である。しかしその前提が崩れてしまった時、悲劇は極大化してしまった。
遺伝子コード自体は正常だったが、それを実行する<ダブル>が狂っていたのだ。そしてこの時、コード自体は正常であるが故、他の<ダブル>達にも異常が伝播するという、現象が初めて発見された。
そして大量の<ダブル>達が暴走の末、争い、死んでいった。
「……」
さすがのベスペルハミルも顔色が悪くなる。増幅された星明りの下ではよりいっそう、そう見えた。メルカンビアが少し身体を寄せる。
この事故によって種の存続を目的に、<ダブル>達は今まで一箇所であったユグラドシルの株分けをして、その一つがアークヒル、もう一つがスヴァルトアールヴヘイムとなったのだ。そこからさらに小さな株分けを何度かおこなわれているが。
「私のデータベースにその情報はないね」
メルカンビアが。別にユダイムが隠していたわけではない。彼らが知らないという事を、ユダイムが知らなかったのだ。
エルキューヴィが戻ってきて、皆にスープを配ると一息つく。
「ふうん、俺らが知らない事が多いってのは分かった。けど<オグマ>の説明にはなってないよな」
ようやくメルカンビアにも、今の状況がつかめた。二人の邪魔をしないようにと口をあまり挟まないでいたのだ。
そしてベスペルハミルとは別に、<オグマ>という重要な情報を知らせなかったアークヒルに、疑いの思いを抱いた。
何かあるのだ。アークヒルが<ダブル>達に隠している何かが。単に<オグマ>の事を隠しているだけではない。その情報を隠さないまでも、意図的に知らせないようにするには、それに付随する、数多くの情報を一緒に隠しておく必要があるのだ。
メルカンビアの疑念をよそに話は進む。
「今のは<ダブル>側の話だ。民間人や軍人はまた別なんだよ」
そう、<ダブル>と<モデル>による暴走が、一地域だけで済むわけがない。それは広く甚大な被害をもたらし、当然それによって危機意識を持った民間と軍が協力して作り上げたのが、対完全<モデル>兵器<オグマ>だったのだ。
その性質上、物理攻撃には弱いが、エネルギー兵器やプログラムはほぼ全て無効化する、まさに<ダブル>達にとっての天敵となった。
「と、俺が知っているのはこんなところだ」
「なるほどね、じゃあアークヒルにも詳しい情報があるわけじゃなさそうだな」
確かに、ベスペルハミルのいうとおり、ユダイムも<オグマ>に関して、詳しいスペックを知っているわけではない。軍がその情報を公開するわけもないので詳細は不明なのだ。
「ふーん、ユダイムは物知りだね」
能天気なエルキューヴィに、メルカンビアは思い切り脱力した。
「え? <ダブル>についての?」
<モデル>デッキ。整備中のエシュテンメインとウルハリオンのところへ、メルカンビアが来ていた。
メルカンビアにたずねられて、少し困惑しながら答えるウルハリオン。おかしな事に、<ダブル>に関する情報がほしいというのだ。自分達の事について一体何を調べるというのか。しかし、メガホイールのデータバンクにはそんなものはない。
「アークヒルにならあるだろうけど」
「それじゃ駄目だ」
何故駄目なのか分からない。しかし、他にありそうなところといえば。
「スヴァルトアールヴヘイムくらい、かな」
そうした会話の途中、エシュテンメインに呼び出されたのでそこで会話は終わってしまったが、この事が後に、ウルハリオンの行為のきっかけとなるのである。
「メルカンビアがなんだって?」
説明しようとして、しかし、エシュテンメインが道具を落としたので、それをひろうウルハリオン。
「だめだ、この暗さじゃ効率が悪いよ」
エシュテンメインがあきらめるように。星明りをいくら増幅できるからとはいえ、それだけで巨大なメガホイール内全ての明かりをまかなえるわけもなく、結局整備はここまでとあきらめて、ウルハリオンと格納庫が見渡せるサブコマンドルームで、一息つく事にした。
一ヶ月に及ぶ放置から元の状態に戻すのは、予想以上に大変だという事がわかったので、しばらくは忙しいままだろう。明日に備えてどこから取り掛かるか、今一度二人で相談する必要もあったのだが。
「とにかくエネルギーかな」
それがない事には結局のところ、どうにもならなかった。そして。
「<モデル>」
それを使って、少しでもエネルギーの取得効率を上げる必要があった。他に方法はない。
サブコマンドルームからミーメイヤーの<モデル>、クリムトが暗がりにうっすらと浮かんで見える。
契約者であるミーメイヤーを失ったのだから、今クリムトの一番有効な利用方法は、それを、単なるエネルギー変換装置にしてしまう事である。だが、本人と強い結びつきを持つ<モデル>を失う事は、パートナーであるアマシアスにとって、本人を失う事の次に苦しいものなのだ。
「説得するしか……」
言いかけてエシュテンメインは、ウルハリオンの様子がおかしい事に気づいた。少し驚いたような表情で、視点はどこか定まっていない、意識がここにはないような。
「ウルハリオン?」
声をかけるとすぐに正気に戻る。しかし変だ。
「疲れてる?」
軍の基地スベンフォールから脱出して、それほど時間はたっていない。今日はもう休んだ方がいいかもしれないと、エシュテンメインが促す。
「うん、……なにか今、青い何かが見えた気がした」
部屋に戻ろうと立ち上がりながらウルハリオン。その言葉に一瞬の不安と次の瞬間の理解でエシュテンメイン。
「まさかっ、<ウルズ>!?」
ようやく休憩から目が覚めたアイシーのところへ、あわてて駆け込む事になった。
<ウルズ>とは幻覚や幻聴を伴った<ダブル>特有の異変で、寿命や致命的なメンテナンス不良があった場合におきる現象である。
大抵の場合、その幻覚は初めて見るはずなのにとても懐かしかったり、心安らぐものだったりと、皮肉交じりに死の抱擁などともいわれたりする現象でもある。何にせよ本当にそうであればとても危険な状態だという事になる。結局アシュタルを除く全員がメディカルルームへ集まった。いや。
「アマシアスは?」
もう一人、彼だけがこの場にいなかった。舌打ちをするベスペルハミル。アイシーは全力でウルハリオンのメンテナンスを行う為、首から提げていたハーモニカをはずして覚醒する。また受ける側のウルハリオンも。
そして全てが白く、壁と床の境もはっきりとしないICUの中にある球体の中で、その身体を空中に浮かべていた。
ゆっくりとだが不自然にその中で回っているのは精密な検査の為で、覚醒してはいるが、ウルハリオンはプログラムを一切使用してない状態。それを隣の部屋で強化ガラス越しに見守る<ダブル>達。しばらくして記録されている脳波から、問題の映像と思われる部分が検出された。
「映像に」
アイシーの声が、スピーカーを通してICUの外にも聞こえてきた。それに反応して全員が、備え付けられた小さなモニターに視線を合わせる。
ノイズ。
「ん?」
ものすごい勢いで映像解析プログラムが実行されていき、ノイズから徐々に鮮明なものになっていく。そして現れたのが。
「青? 何だ?」
ただ青いだけの、映像かどうかも分からない、ただの青。モニターが壊れているのかとベスペルハミルはエシュテンメインに聞いたが、どうやら違うらしい。
「空」
その言葉に全員が反応する。ユダイムだった。
「何で空だって分かるんだよ」
ベスペルハミルが。
確かにいわれれば、最後に見たのはいつだったか、雲一つない晴れ渡った空のようにも見える。だがなんの根拠もない。
「たぶん、俺も見てる」
「!」
そう。ユダイムははっきりと思い出せないが、何度となく青い空を見ている。そしてその下の草原と、懐かしい香りを。
いきなりな告白である。
もしこれが<ウルズ>なら大問題で、ベスペルハミルはここぞとばかりに食って掛かり、スピーカー越しにアイシーが詳しい話を聞こうと声を上げ、さすがにエシュテンメインも、黙っていた事に怒りながら詰め寄る。そしてエルキューヴィ。
「どうして!? どうしてウルハリオンがユダイムと同じなの? 僕見てない!」
何だか違う事で怒っていた。




