元魔王の独白1
空間移動の魔法でMPを大きく減らした俺は、少し焦っていた。
魔力の回復がめちゃくちゃ遅い。
平和な世界だと聞いていたが、これはやばい。
1づつの回復なんて始めて見た。
MP上限と回復力が高いおかげで、回復の桁が違ったからな。
どこかから集めようにも集めるべき魔素が見当たらない。
どこにも魔力を感じない。こんなことがあり得るのだろうか。
もしかして、俺の感覚がおかしくなったのか?
とりあえず、感覚を確かめる為に指先で火を灯す魔法を使ってみる。
「!? 魔法が、使えない…だと…?!?」
詠唱しても灯らない。威力調整に自信のある火球を1つ作成…できない。
魔力を増やして粘っていると、ものすごく小さな火球ができた。
普段なら、適当に魔力を放出して火球を消すのだが、残らず取り込んでおく。
魔力を使うなら、有意義に使わなければいけない。
いつもの調子でぽんぽん魔法を使っていたら、いつかMPが尽きてしまうかもしれない。
どうやら、全く魔法が使えない世界というわけではないようなので一安心だ。
ただし、威力は驚くほどに低かった。
あの感じからして、消費魔力の1%以下の威力だ。0.ウン%いや、下手したら0.0ウン%の威力しか出ないかもしれない。
この世界でなら全力で暴れても、世界を滅ぼしてしまうようなことは無さそうだ。
しかし、普段なら全く気にも留めない魔力消費だが、異世界故に何が起きるか想像もできない。
その場しのぎで行動するのは不味い。とにかく、長期的な視野で物事を見なければならない。
何も考えずに異世界に出て来てしまったせいで、色々準備不足である。
MP回復薬は亜空間倉庫にあることはあるが…
とりあえずもっと切羽詰った状況になるまでは現地調達を試みようと思う。
とりあえず、現地人に接触してみよう。そう思って探知をかけて、驚いた。
続いて、看破や調査を使い、情報収集を試みたのだが、ここで更なる問題にぶち当たる。
探知の範囲が狭かったこと。それは想定の範囲内だ。
まず、MPを消費したのだ。いや、当たり前といえば当たり前なのだが。
そして、看破や調査により読み込んだ情報が異世界の文字なのだ。
…異世界の文字と思われる複雑な記号というか…。普通は俺の知る文字で情報が出るはずなのだが。
ちなみに自己確認・探知・観察・看破・調査・地図などは基本魔法と呼ばれていて、熟練度は必要だが、殆ど魔力を消費しない。
数値にして1以下なので、「魔力がいらない」魔法として認知されている。
「魔力がいらない」魔法で、MPを消費してしまう現実に、改めて背筋が凍る思いだ。
これは不味い。即急に手を打たないと、いつか野垂れ死んでしまうかもしれない。
用意すべきは、この世界の眷属だ。
確かに、一時的には莫大な魔力が必要だ。
だが、今すぐにでも欲しい情報が手に入り、そして長期的に見てもメリットは大きいと思う。
別に取って食おうとか、手駒にしようとか、そういうつもりはない。
ちょっと記憶を見せてもらったら、それだけでも充分助かるのだ。
どの程度の知識を持つ人物を捕まえられるかは運次第となるだろうが、最低限、この辺の地理と簡単な常識ぐらいは分かるだろう。
文明度から通貨かそれに似たものはあるだろうから、金の稼ぎ方がわかればなおいい。
できれば衣・食・住を少しだけ助けて欲しいが、このあたりは交渉次第となるだろう。
探知によって分かったことだが、人が多い。それも、ものすっごく多い。
半径数百メートルしか探知できなかったが、搭のような建物に人が密集している。
ここは王都に違いない。これはどこまでが街なんだ?
この勝手の分からない世界で、俺はできるだけ目立たない方がいい。
幸いにも通りがかる人はわずかであったし、怪訝そうな視線は浴びたものの、こちらが見やるとすぐに目を剃らされた。
どうやら怪しまれずに済んだようだ。
俺は隠蔽のローブを身に纏うと、細い路地へと身を潜めた。
とりあえず意思疎通の為には、こちらの世界の言語が必要だろう。
しかし、ゼロから教えてもらえるほど親しい相手もいないし、そこまで時間をかけるつもりもない。
最善を求めればきりがない。
今は、迅速かつ穏便に、言語を含むこの世界の情報を手にいれなければならない。
そう、こちらに敵意は無い。
取り返しのつかない事態にさえならなければ、なんとかできる自信もある。
しかし、意思疎通ができなければ、敵意が無い事も伝わらないのだ。
穏便に進めたいが、多少は強引な手段も止むを得まい。
言語を理解できるようになったら、誤解を解けばいい。
この感じだと、直ぐに人が通るだろう。
そうしたら、そこから情報を搾り取れば良い。
そして、男はやってきた。どう見ても冒険者じゃない。
魔力も感じないし、華奢だし、油断しまくっている。
問題なのは鑑定しても異世界の文字しか出ない事だ。
これでは奴が何者なのか分からない。
躊躇しているうちに、その油断しまくった男はどこかへ行ってしまった。
…。
気になったのは、毛髪や瞳の色である。勇者と同じだった。
もしや関係者ではと周囲を探ってみたが、どうも民族性の問題らしい。
次の通行人を待っていたが、角を曲がってしまい、近くまでは来なかった。
視線さえ合えば操る事が出来るかもしれないが、その為に隠蔽のローブを脱ぐような危険は冒せない。
妙な二輪の乗り物に乗って通過した人間もいたが、驚いて身を引いてしまった。横ではなく縦に2輪である。
よく整備された通路のおかげもあってか、スムーズに通り過ぎていく。
あんなに細い車輪で魔力も無いのによく倒さず乗るものである。
そこら中にあるのを見るに、見世物ではなく一般的に使われているもののようだ。
広い道の向こう側で歩いている人がいるが、ちょっと距離がありすぎる。
…。
なかなか上手い具合にカモが来ない。
うん、別に通行人に頼る事でもない。
妙に明るいが、時間は夜のようで、寝入った人の気配もある。
そちらに頼るでも良いだろう。
と思っていたところに、人の気配近づいてきた。さっきの男だ。
右手に白い袋のようなものをぶら下げている。
この匂いは…食料か?
買出しに出かけて、その帰りだとすれば、必ずここを通る。カモだ。
ごちゃごちゃ考えていると期を逃す。
防音と隠蔽の効果のある結界を逃走防止に張り、そこに引き摺り込んだ。
殆ど抵抗らしき抵抗も無かったが、果たしてどういう意味だろうか。
暴れられた時の対応をあれこれ考えていたが、慌てこそすれ、騒ぎもせずに結界の奥に捉えることができた。
大声を出されても問題ない結界はではあるが、無駄と判断したのか、それとも腕に自信があるのか。
何かブツブツ言ってるが、多分魔法ではない…だろう。
何しろ言葉が分からないので、確証は持てない。
そのうち両手を軽く揚げた。初心者が行う魔術の動作に似ている。
観察している時間はあるまい。
だが、俺と視線を合わせたという事は魔眼を全力で行使できるということだ。
幻惑、催眠、思考操作、そして魅了。視線に魔力の乗せ、叩き込む。
そして数分後。
「…やりすぎたか?」
確かな手ごたえを感じたぐらい、思いっきり低レベルのド素人だった。
魔眼のコンボが決まったは良いが、完全に意志を喪失しているように見える。
言葉が通じないから簡単に確かめる事はできないが、何を命令しても言うがままになりそうだ。
威圧を放り込まなくて良かった。精神崩壊していたかもしれない。
いや、低レベルのド素人などと侮るまい、ここはあの勇者を生み出した上位世界なのだから。
人気が無いとはいえ市街地だ、何が起こるか分からない。
目撃者や邪魔が入っても面倒だし、とりあえず1人で充分だ。安全の為に亜空間に引き入れる。
亜空間構築には膨大な魔力が必要なのだが、これを開いたり閉じたりするくらいなら殆ど魔力を必要としない。
その上、亜空間を作った俺の魔力が充満しているので、俺の叩き込んだ状態異常を維持しやすく、新たな魔法も通りやすい。
儀式を十全に行うことができるのだ。
とはいえ、万が一にも状態異常が解けてしまっては困るので、速やかに次の措置を行わなければならない。
言葉が通じないので、意識支配のスキルを使う事にした。
魔眼が決まっているのでこのスキルを使用したが、普通は成功しない。
だが、使いようによっては擬似的な肉体の乗っ取りも可能な為、危険なスキルとされている。
乗っ取るつもりはないので安心して欲しい。
安心も何も、本人はもう何も感じてはいないようだが。
視線を通して意識に介入し、掌握する。
意識の中に俺の意志を流し込む。忠誠を誓い、名を捧げよ、と。
支配された状態で逆らう事はできないが仕方ない。好都合とも言う。
名捧げとは本人の人格を主人に捧げる儀式で、眷属化には必ずしも必要というわけではないが、相手の意思を聞いていないので、行っておかないと失敗する可能性がある。
成功すれば言葉も必要なく意志の疎通が出来るし、今回の場合には必須だろう。
男は両膝をつき、両手をだらりと下げた。無抵抗を表わす姿勢である。
言葉では無いが、言われた事を言われるがまま、といった感じである。
「 ト バ ハ ル キ 」
少しの間を置いて、名が差し出された。
発音が難しいが問題ない。
真名を名乗った事が起因となり、「名」が魂から吸い出される。
これで眷属化の難易度はぐっと下がった。さっさと済ませてしまうとしよう。
何が起きるか分からないから、きちんと行う必要があるだろう。
魔核を埋め込む事で
スタンダードな『血核』よりも優れる『真核』を魔核にしようと思う。
手のひらに爪を食い込ませて血液を取り出し、凝縮して魔力を込める。
真核を作るのは久しぶりだが、魔力の消費が激しい以外は特に問題も無く上手くいった。
「魂堕。」
そして、『人である』事をも奪う。
魂の変質であるからして、本来はここで猛烈な抵抗を食らう。
それを防ぐ為の名捧げでもある。
相性もあると聞いた覚えがあるので、それが良かったのかもしれない。
名捧げを行ったとしても普通はわずかばかりの抵抗は受けるはずだが、真核を胸に押し当てると水に水滴を垂らすように吸い込まれた。
肉体には一瞬で馴染んだようだ。
魔力を目に通して、生命力の流れに目を凝らす。
実際の魂が見えるわけではないが、発生するエネルギーを捕らえる事で、実際の様子と大差ないイメージ図のようなものが見えるのだ。
胸の奥にある魂の放つ生命力も乱れる事なくすんなりと真核を受け入れた。
眷属化が始まった。
結局、全て済むまで状態異常が解けることは無かった。
現在、こいつの魂のコントロールは眷属の親…つまり俺のものである。
いくらコントロールできるからといって、すべて奪うような真似をするつもりは無い。
言葉が通じれば先に交渉したのだが、俺は情報を手に入れ、お互いに得をする取引をするつもりだ。
こいつの欲しいものは分からないが、力が手に入って喜ばない人間などいまい。
とりあえず、自我を引き抜く。これは一時的な措置である。
人格に引き続いて自我を失うのは物体になるのと同義だが、死ぬわけではない。
魂の基礎を引き抜くという暴挙ではあるが、要は元に戻せば良いのだ。
基本的に抜いてはいけないものを引き抜いているので、白目を剥いて仰け反り、
身体をビクンビクンと震わせているのは見苦しいが、仕方ないと納得するしかない。
引き抜きが終わると、虚ろであった肉体のコントロールを完全に失い、形成されはじめた繭に身体を預けた。
瞳孔が開ききっているが、問題はない。
ただ、一時的に『情報を持った肉の塊』になっただけだ。これで完全な無抵抗。
俺が必要とする情報を吟味している時間は惜しいので、サクッと全部の情報を取り出すとしよう。
魔王の辞書に容赦という言葉は無いようだ