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戦乙女は悪鬼羅神を守護する  作者: 一条さくら
第一章 戦乙女
3/9

 礼儀正しく頭を下げたラッカに手を振って奥へ進むと、幾つかの部屋を突っ切って最奥にある総長の執務室へと進んだ。軽くノックをして声を掛ければ、直ぐに返事が返ってくる。


「失礼致します」

「ああ、入れ」


 部屋の中には、私と同じ黒軍服に纏った青年が佇んでいる。服の上からでも分かる引き締まった肉体に特徴的な緑色の髪を軽く刈り上げた青年は、戦乙女を纏め上げる総長その人である。ああ、何故戦乙女という役職であるのに、男神である青年が総長を務めているのかと言えば、数百年もの昔、彼が上層部からの依頼を受けて『神を守護する戦乙女』を設立した立役者であるからに他ならない。

 年の頃は二十代前半。仕事柄、荒事にも慣れ、圧倒的な力で武力行使を行う彼は、野性的な魅力を感じさせる精悍な容姿をしている。そのような容姿でありながら、彼は肉体派とはかけ離れた戦乙女きっての頭脳派でもある。


「久方ぶりだな、戦乙女イヴァル。今日はわざわざ来て貰ってすまない」

「はい。ご無沙汰しております、アレース総長」

「ああ。イヴァル、そこに座れ。本日の用向きは少しばかり特殊だからな。長くなるぞ」

「はい。失礼致します」


 執務室に置かれた重厚な対面式ソファーに座ると、アレース総長は珍しいことに、にこやかに微笑んだ。

 これは何か覚悟をする必要があるのかもしれない。自然と姿勢を正し、アレース総長を注視する。


「イヴァル、そんなに固くならずとも良い。今日は聞き取り調査が主な目的だ。理由は分かるな?」

「はい。そういえば、もうそんな季節だったのですね」


 思いがけずしみじみとした声で答えると、幾つかの分厚い書類を前にしたアレース総長にこれまでの報告を申し上げた。

 アレースという名前にあるように、神を守護する戦乙女の総長という特殊な地位だけあって、彼だけはコードネームではなく本来の神の名を名乗っている。


「ではこの時の悪鬼羅神様は―――」


 彼はギリシア神話によって人の世に伝わる戦の神である。完全無欠な神という存在は、人の世に於いてはあまり好まれないらしく、彼の名前で伝わる神話には面白おかしく事実とは正反対の注釈がなされている。まあそれは神にとってお馴染みの光景だから、わざわざこれを引き合いに出して彼を侮る神は居ない。

 アレース総長の言う聞き取り調査というものは、十二柱からなる評議会――神の序列で言う、最高位の神として座している神々があらゆる実権を握る最高機関――で定められた数十年に一度の監察調査である。これは戦乙女が守護する神の現状や、今後も戦乙女を付けるべきか議会で評議するための調査の一環である。


 元々、私が守護するアクラ――悪鬼羅神は、戦闘能力が高く、その能力は最高位の神とすら対等に渡り合えるもの。その為、アクラに限って言えば本来は戦乙女を付ける必要などない。それが何故、わざわざ戦乙女たる私がアクラの守護、警護人として側に張り付いているのかと言うと、それはアクラの行動を監視、観察し、何事か異変があれば速やかに評議会へ伝えるというある種の保護監察人としての役目を担っているからである。

 評議会は常にアクラの危険性を神々へ発信し続けているのだ。その為には、アクラに引けを取らぬ程度の多少腕に覚えのある戦乙女を傍に置く他無い。

 実際に私が剣や弓を持ってアクラを取り押さえた事も、警護中に命の危険を感じた事も無いが、評議会はやはりアクラの存在をどうあっても放置しておくつもりは無いらしい。

 口惜しい。本当に、口惜しいものだ。

 つまりこのアレース総長の聞き取りは単なる確認の調査であって、いわば形ばかりのものでしかない。

 アクラがその対象から外される事は恐らく生涯有り得ないのだろうから。


「手間を取らせて済まなかったな、イヴァル。これで聞き取りは終了だ。お疲れ様」

「いえ、アレース総長もお疲れ様です」

「ああ。イヴァル、まだ時間はあるのだろう? 折角だ。お茶でも飲んでいけ」

「ありがとうございます」


 アレース総長が執務室の外で控えていた従卒に目配せするのを見つつ、私は溜まっていた息をふっと吐いた。

 どんなに言葉を重ねた所で、やはり胸糞が悪くなる。私の言葉一つでアクラへの風当たりが弱まる訳でも無いが、私は戦乙女という組織の人間そのものなのだ。

アクラを幾ら擁護してもそれが評議会の議員達に受け入れられる事は無いだろう。

 悲しいことだが、それが現実だ。


「そう言えばイヴァル、職務に何か支障は無いか?」

「ええ、勿論、何一つとしてございません。最近では、特に攻撃を仕掛けて来る輩も居りませんし、平和そのものです」

「そうか。然し、警戒は密にしておけ。何か事が起こってからでは遅い」

「承知致しました」





 それから、アレース総長の趣味の良い紅茶を飲みながら、私はアレース総長と暫し世間話に興じていた。

アレース総長の口から出るのは、専ら評議会の裏話だ。私自身、一応評議会の議員にはある程度のパイプを持っているけれど、やはり現状において評議員に近い高い序列に位置するアレース総長の話は興味深く、また私では知り得なかった万金にも勝る話題ばかり。

これも現場の人間として上層部に振り回されてばかりの私と、上層部にある意味注目され続けているアレクに対するアレース総長なりの気遣いというものだろうか。


ふと、俄かに執務室の外が騒がしくなった。アレース総長は何故かそれに訳知り顔で、「もう来たのか」と呟いている。一体何事なのか。

執務室に飛び込んできたのは、先程顔を合わせたばかりのラッカだった。若干顔色が悪いように見えるのは、光の加減だろうか。息せき切って走って来たらしいラッカは、「アレース総長、」と声を上げた。続く言葉を片手で制したアレース総長は、軽く頷いて私を流し見る。


「イヴァル、どうやらお迎えのようだ。受付まで行くように。ああ、私の用事はこれで済んだから、そのまま職務に戻って貰えればそれで良い」

「畏まりました」


 そうして青い顔をするラッカと共に受付に向かうと、そこに居たのは、屋敷で過ごしているよう重々言い含めたアクラだった。成程、それでこの騒ぎかと納得すると共に、些か警戒感を漂わせてアクラから距離を取り注視する蒼天宮の衛兵達の姿に思わず嘆息した。


「アクラ、私は貴方に待っているよう伝えた筈だが」

「戦乙女――イヴァル。いえ、急に蒼天宮への用事を思い出しましてね。少し前に来たのですよ」

「用事、か」

「ええ。不要不急の用事だったもので、連絡が遅くなりました」

「それならば仕方が無いが、これからはどうか先に連絡してくれ。そうすれば総長にお願いして切り上げて頂き、私が同行するから」

「ええ、申し訳ありません。次からはそう致しますよ、イヴァル」


 にこやかに微笑むアクラとは対照的に、この場の空気はピリピリと張り詰めている。

 アクラを包囲する衛兵達ときたら、まるでアクラを厄災か複数の犯罪を犯した指名手配犯のような扱いで、不愉快な事この上無い。アクラが気分を害していないから――少なくとも、態度の上では平静そのものだ――良いものの、このような態度は改められるべきだろう。

 特にアクラは、役割こそ特殊ではあるが、神の序列で言えばこの場に居る神々の誰よりも高く、実際にアクラ自身はこの天上世界に於いて最高位にも近い神なのだから。


「衛兵共、この場は私が引き継ぐので、早々に去るが良い」

「戦乙女、私共は蒼天宮を守る使命を持った者達です。貴女の指示には従えません」

「我々には、神々を守り規律を守る使命があるのです」


 衛兵達はどうにも序列というものを蔑ろにする傾向があるらしい。可笑しなものだ。

 アクラもただの神の一人だというのにこの態度。全く、ふざけているとしか思えない連中だ。しかし、これが一般的な神々のアクラに対する態度なのだから、もう笑うしかない。本当にその他の神々はどれ程アクラやアクラに準ずる悪を担う神々を排除すれば気が済むのだろう。神とはそれ程までに狭量な存在では無いだろうに。

 その怒りが少しばかり発露してしまい、少々威圧的に言ってしまうのは仕方が無いだろう。


「全く、頭の固い連中だ。ならば勝手に付いてくるが良い。だが肝に銘じておけ。お前達の態度如何によっては、お前達の上官に直訴する事も辞さないとな」

「戦乙女、それは重々承知しております」

「ならばそれで良い」


 私が言葉を切ったタイミングで、アクラが声を上げた。


「帰りましょう、イヴァル」

「ああ、そうだな。ラッカ、手間を掛けて済まなかったな。私とアクラはこれで失礼する。アレース総長によろしく伝えておいてくれ」


 急な呼びかけにびくりと肩を揺らしたラッカは、苦笑し損ねたような苦い笑みで「ええ、勿論」と固い声音でそう答えた。

 戦乙女として長い経歴を持つラッカでさえ、アクラを前にすればその他の神々と同じく警戒心を強めている。それが何処か寂しくて、哀れでならず、私はアクラと並んで本部を、そして蒼天宮を後にした。

 その背中を、誰かが強い眼差しで見つめている事など、私は気付いては居なかった。





 ―――やはりあの御方は変わらないな。

 執務室を出て本部の入り口まで来た私は、静かに去っていくイヴァルと彼女を迎えに来たのであろう御方の後姿を見つめる。

 大方、私の急な呼び出しに疑問を抱いてわざわざここまでやって来られたのだろう。やれやれ、これではどちらが〝守護神〟なのか分かったものではないな。イヴァルはその事に少しも気付いてはいないのだろうが。

 彼女の可愛らしい鈍感さには称賛せざるを得ない。なにせそういった部分こそ彼女の長所なのだから。そう考えると、御方のやり方は流石に上手い。思わず苦笑が漏れた。


 まあでも、これがある種あの二人の自然な関係性だ。私はそれを少しばかり気に掛けるだけで、特別あの二人の間に割って入ろうなどという気はない。

 もしもそんな無粋な行動をとれば、まず間違いなくあの御方とそれに連なる方々が容赦なく襲い掛かってくるだろう。

 私とて、命が惜しい。そんな馬鹿げた行動は絶対に取りはしない。


「何故、イヴァルはあのように何のてらいもなく御方おんかたと接していられるのでしょうか?」


 ふと、愛らしい顔を蒼白にさせたラッカが去っていくイヴァルと御方――悪鬼羅神を見つめ、ぽつりと呟いた。その視線の先に居る二人は寄り添うように歩いている。

 漆黒の艶やかな髪を肩で切り揃えたイヴァルは豊満な肢体を無粋な男性物の黒軍服で覆っている。しかしそのような服装でもイヴァルの魅力は少しも損なってはおらず、逆に禁欲的な雰囲気と相俟ってイヴァルの玲瓏とした美貌をより引き立たせている。

 常に女性らしからぬ紳士的な王子然とした口調と気品溢れる振る舞いを見せているイヴァルは、この天上世界において密やかに女神達の思慕と盲目的なまでの信奉を集める男装の麗人である。

 対して隣に立つ悪鬼羅神は絶世の美女とも傾国の美姫とも称する事が出来る中性的な容姿と妖しくも儚さが丁度よいバランスで同居した美しい青年だった。


「イヴァルは、御方が恐ろしくはないのでしょうか。だってあの悪神達のトップに立つ御方ですよ? 私は――怖いのです。あの方の存在そのものが」


 確かにラッカの言う通り、イヴァル自身に悪鬼羅神へ向けた敵意など今まで一度も見た事が無い。そればかりか、そういった感情を持っている雰囲気すらありはしない。一度は、それが強靭な精神力で抑え込まれているだけだろうと下種な勘繰りをしたこともある。

 だがイヴァルは本当に、何ら含む所もなく悪鬼羅神をただひたすら真っ直ぐに、そこらに居る有象無象の神々と同様に、対等な位置関係として悪鬼羅神を見つめていた。

 これが戦慄せずに居られるというのであれば、その神は何処か感情の一部を欠落しているに違いない。けれども誰も、この事実に気付いてすら居ない。それは何と悍ましい事なのか。


 今この場に居る誰もがその美貌に酔いしれながらも心の底からその存在に怯えているのだ。

 戦乙女として長く勤めあげ、後進の戦乙女を教官する立場にあるラッカでさえ、その表情には悪鬼羅神に向けた恐怖が張り付いている。

 恐らくここに私が居なければ、或いはここがラッカの職場でなければ、あまりの恐怖からとっくに逃げ出していたのだろう。ラッカの唇は未だその恐怖を示すかのように僅かに震えていた。

 まるで草食の小動物が獰猛な肉食動物に怯えるかのようなラッカの態度は、戦乙女という武力を行使する側の人間とは思えない程の怯え方だった。だがそれに違和感を感じられないのは、悪鬼羅神という存在をどのような目で皆が見ているのか、私自身が知り過ぎているが故の事だろう。


「イヴァルは、御方と長い付き合いだからな」


 そう軽くうそぶけば、ラッカは必死でこれを否定する。


「でも、それでも二千年程のお付き合いなのでしょう? なのにイヴァルは御方に怯えも…いいえ恐怖すら抱いてはいない。どうして、どうして、あんな御方と対等に話すことが出来ると言うのですか?」

「乱暴に言ってしまえば、御方はイヴァルをいたく気に入っている。それが理由だろう」

「イヴァルを御方が…?」


 震え上がるラッカとは真逆に私の心は酷く落ち着いていた。

 私自身、悪鬼羅神を前にして平然としている事は難しいだろう。確かにイヴァルはいっそ惚れ惚れする程あっけらかんとした様子で悪鬼羅神と相対している。けれど私は戦乙女という部署の長として、或いはその統括者として思うのだ。

 悪鬼羅神や悪を担う神々を蔑み、疎み、異常な程に警戒している私達やその他大勢の神々こそが実際には彼等よりもは異常なのではないかと、私はそう思えてならない。


 いつからだろうか。まるでそうある事が当然のように、私達神々は蛇蝎の如く彼らを遠ざけ、敬遠し、彼らを一種憎むべき対象として見るようになったのは。

 それは可笑しいことであると声を上げる神々も勿論居た。けれども彼等は自ら――或いは評議会の策謀によって――悉く西方に追いやられ、評議会やそれに連なる者達に失望し、西方へと去っていった。

 勿論、彼らと評議会の間にある種の嫌悪感というものは存在しているものの、あくまでも表面上は友好的で平和的な別れでもあった。

 だが恐らく彼らの心にあったのは、恐らくこれ以上話しを重ねても両者の意見は平行線を辿るであろう事が明白であったが故の、ある種の諦観でもあったのかもしれない。


「イヴァルは私達が見えていない何かが見えているのかもしれぬな」

「何か、ですか?」

「ああ。私達には見えず、彼女には見えている何か、だ」


 不思議そうに、それでいて理解に苦しむといった様のラッカの頭を撫で、私は職務に戻るよう促した。

 これもまた、私なりの推測の域を出ない想像の話なのだ。わざわざそれを説明する必要はないだろう。なにせこれが正鵠を得ているのかどうか、私には実際の所分からないのだから。

 とはいえ、この様子では今日ばかりは重要な案件に手を付ける事は難しいだろう。付近を警戒していた衛兵達も去り、緊張感からは解放された筈だが、未だその余韻は後を引いているらしい。

 ラッカの表情は先程よりも緩んだとはいえ、やはりまだもう少しばかり張り詰めた空気を纏っている。多少、普段と同じくくらい落ち着いてきたとはいえ、これ以上私が居てもどうにもなるまい。


「考えても分からぬ事は、胸の内に仕舞っておくべきだ」

「…はい、アレース総長」


 私はラッカにくれぐれも職務に支障を来さぬ程度に気持ちが落ち着いたら仕事に戻るよう言い含めて執務室へと戻って行った。


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