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戦乙女は悪鬼羅神を守護する  作者: 一条さくら
第一章 戦乙女
2/9

戦乙女ヴァルキュリアは悪鬼羅神を守護する



 悠久という永遠に似た緩やかな時の中で、天上世界と呼ばれる天空の都。人間達には決して届き得ない遥か彼方に於いて、美しくも怠惰な世界は存在していた。

 この天上世界には神と呼ばれる存在が(あま)()実在している。それは人間の世界で言うところの、神話に登場する存在そのものである。

 神という存在の力は絶大だ。

 何せ神ともなれば殆ど万能に近い力を有しており、世界を丸ごと一つ創れる程度の強大な力を持つ存在も居る位なのだ。無論、それ程力を持たず、限りなく人間に近い〝無能〟と呼ばれ蔑まれている神も同時に存在している訳だが。


 神という存在は長じて傲慢さの塊でもある。なまじ力を持っているが故に、それを行使したがる者は多い。まあこれも、神として生まれたが故の本能でもあるのだろうが。

 人間の世に交わり神話として伝わる神の殆どは温厚な性質を持つ平和主義者だ。とはいえそれはあくまでも少数派。中には強硬な姿勢を貫くものも多く、ほとほと神の好戦的な姿勢には疑問を抱かざるを得ない。


 そのような状況にあって、この天上世界が生まれた当初、一つの定義が定められた。

 それは即ち、神の序列である。神々の序列を定めるのは、この天上世界を創造した神々であり、その序列は殆ど不動と化している事から、神々の世界に於ける絶対的なルールだと言っても良い。

 神の世界は厳格な縦社会だ。故に、序列が下の神は序列が上の神々へと服従する義務がある。その序列には様々な定義や位階が定められているが、要は人間の世で言う貴族の序列だと考えれば問題は無い。

 より強力な力を持つ神々や、人の世に交わり神話を伝える有名な神々の系譜は、人間で言う所の王族や貴族に分類され、必然的に神々の序列では一定以上の地位を確立している。


 ―――即ちその系譜に名を連ねると言うことは、一種のステイタスでもあるのだ。

 かく言う私も、さる神々の系譜に名を連ねては居るが、まあ今ここで言う事でもないだろう。

 日が昇って久しい朝、黒軍服の襟を正して私は目の前の重厚な扉を叩いた。幾ばくかの後、精緻な意匠が彫刻されたその扉はゆっくりと静かに重々しい動作で開いていく。観音開きに開いた扉の奥から清らかな風が吹き、顎のラインで切り揃えた黒髪がさらりと揺れた。


「おはようございます、(ヴァル)乙女(キュリア)

「おはよう、私の守護神。調子は如何か?」

「ええ、順調ですよ。今日もよろしくお願いしますね」

「ああ、承知している」


 屋敷の奥でにこやかに微笑むのは、腰まで届く長い銀の雫を垂らしたかのような見事な銀髪に淡い金色の目を持つ守護神だ。

 ここで言う守護神とは、私が守護し警護する神という意味であり、人の世で言う、守護してくれている神という意味ではない。

 つまるところ私は、この目の前に居る神を守護し警護する役目を担っているのだ。それは人の世で言うボディガードだとか、SP(セキュリティポリス)と呼ばれるものと同義である。但し、私は守護神によって雇われている訳ではないから、実質私と守護神の間に主従関係というものは存在していない。


「さて、そろそろお茶の時間ですね。庭に出ましょうか」

「ああ、そうだな」


 ゆったりとした白のローブを纏う守護神の姿は誰しもが振り返って見る程美しい青年である。その声は大変な美声で、耳元で甘く囁かれようものなら、一瞬にして腰が抜けてしまう程だ。

 けれども彼の側に近付こうとする神々は殆ど居ない。守護神が住む屋敷が広すぎ、また神々同士での交友がそれ程盛んでは無いのも理由の一つではある。けれどもそれは神にとって些末な問題に過ぎない。


「戦乙女はこちらに。皆、先ほどの品を出して下さい。ええ、昨日届いたものですよ」

「畏まりました。直ぐにお持ち致します」


神々が彼を避ける理由、それは彼の神としての役割にこそ原因がある。

 彼は悪鬼羅神あっきらしんという名で呼ばれる、この天上世界でさえ知らぬ者はいないと称される有名な神の一人である。彼はその名の通り、ありとあらゆる悪と非道を凝縮した神であり、天上世界の魔神、悪神たる神々を統べ支配する神でもあるのだ。

 それは神の恥部とも、神の陰部とも蔑称されるものである。


 実際、往々にして神々は人と似通った感情を持っている。即ち彼の存在そのものが忌むべきものとして蔑む神も多く居るのだ。彼はただその役割を担う神であり、彼自身が何事かを行った訳では無いというのに。


「如何しましたか、戦乙女?」

「いや、すまない。少し考え事をしていたようだ。何でも無い」

「そうですか。それならば良かった」


 守護神が柔らかく微笑んだ。

 全く、同じ神として腹立たしくも苛立ちを抱かずにはいられない事だけれど、そんな環境にあっても彼の人となりを知り、友として親しく交流する神々も少なからず存在している。

 守護神も、そして魔や悪を自身の役割として持つ神々は現状を甘んじて受け入れている。いや、受け入れる他に選択肢が無かったのだろう。この辛く苦しい状況は、既に彼が誕生して何千年という時を経ても尚、現在まで続いているのだろうから。


「今日は良い風が吹いていますね。薫風とでも言いましょうか」

「そうだな。確かに良い風だ」


僅かに目を細めて空を見上げる。

 始まりが、どうであったのかは分からない。私が神として誕生する以前から、守護神は蔑まれ、疎まれて来たのだから。だからこそ、だからこそ、だ。守護神や彼と同じ役割を持つ神々を厭う事無く接してくれる神々の存在こそ、本当に救いでもあるのだ。

 梅や桃の木が植えられた美しい庭先で、守護神は六角形をした風流な四阿(あずまや)へと向かった。


「戦乙女もお座りなさい。ああ、これはお願いではなく命令です」

「…失礼する」


 テーブルに広げられた幾つかの高杯には、黄金色に輝く桃が美しく綺麗に盛られていた。それらを幾つか手に取り、控えていた侍女達に頼んで剥かせた守護神――アクラは、柔らかな相貌を緩めて小さく切られた果肉を一つ手に取り、形の良い唇の奥に含んだ。

 大層美味しそうに食べるアクラの姿は、その優美さと相俟って更にその美貌に磨きを掛けている。花が綻ぶような微笑みは、女神を虜にする程の美しさだ。


「さあ、戦乙女も一つお食べなさい」


 彼が幾つか食べる合間にそう進めてくる。

 甘い蜜が滴り落ちるそれは、本当に美味しそうだ。


「頂戴する」


 小さく切られた果肉を口に含むと、舌の上で蕩けるような甘さが口いっぱいに広がる。これ程までに完成された桃というのも中々手に入らない貴重なものだろうに、アクラは更にもう一つ食べなさいと勧めてくる。儀礼的ではなく、心のままに手を伸ばした私は再度その桃を堪能し、更に再度の勧めは断った。

 しっかりと堪能した所でアクラはにこやかに微笑む。


「美味しいでしょう。これは先日、西王母が贈って下さったものなのですよ。五千年ぶりに完熟した蟠桃ばんとうが実ったと仰って」

「ぐっ…!」

「おや、大丈夫ですか?」

「…問題ない」

「それは良かった」


 どうにか噴き出す事は堪えて些か乱暴に水を手に取り、軽く噎せながら喉の奥に嚥下した。ああ、勿体ない。

 目の前で微笑むアクラは本当にイイ笑顔をしている。

 蟠桃ばんとうという桃は、西王母が崑崙で手ずから育てている桃である。その中でも完熟した桃というものは、いかな西王母でも作るのが大層難しいらしいのだ。

 一応顔見知りである西王母ならば恐らくはお許しも頂けるだろう。けれどもその貴重な桃のお相伴に預かったのが一介の戦乙女とは何ともはや。羞恥やら申し訳なさで顔が燃え上がる様に熱かった。

しかしアクラは、「貴女が味わってくれていることを西王母もお喜びでしょう」と笑みを深めて優雅にカップを持ち上げた。


 それが事実であれば良いが、何とはなしに居住まいを正してしまう。全く、私の守護神は悪戯好きで困る。

 そう言えばアクラは、「愛故ですよ」と微笑むのだ。全く、私がただの女神であれば恐らく一目で恋に落ちていただろう美しい微笑みは神々しささえ感じさせる。


「ああ、私もアクラを愛しているよ」

「ええ、知っています。私の戦乙女」


 飄々と返事をするアクラの目に宿る妖艶な光は何を意味しているのか、私には分からない。だから私は、「そうか」と微かに鼓動を早めて返事をするのだ。それを蕩けた眼差しで見るアクラから視線を外し、私はもう一度カップを傾けた。


 そうしていつもと変わらぬ日常を過ごしていた昼下がり。私は侍女を通じて一報を受け取っていた。


「蒼天宮から呼び出し?」

「はい。先程、使者のお方はお帰りになられたのですが、急ぎ本部へ出頭するようにと仰られて…」

「そうか。手間を掛けさせたな。相分かった。直ぐに準備しよう」


 元々、天上世界での一日は瞬きをするよりも早いもの。特別何も起こらなければアクラがのんびりと過ごす間に鍛錬をしたり、或いは戦乙女としての事務仕事を済ませてしまうのだが、急なお召しによって戦乙女の本部がある蒼天宮へ出かけなければならなくなった。

 本部から呼び出しを受けるなど、何事かあったのだろうか?

 本来、戦乙女たる私がこういったお召しを受ける事は殆どないのだが、職務中に呼び出しを受けるとは、何年振りの事だろう。

 一抹の不安を他所に、私が不在の間は屋敷で過ごす様に言い含めて私は蒼天宮へと向かう。本来であれば正装に着替えなければならないのだろうが、まあ職務中なのだからある程度は許されるだろう。一応身なりを整えるべく、普段は仕舞っている襟章やモールを取り出して装着する。

 この軍服にも慣れたもので、そう手間取る事無く装着を終えた。


「わざわざモールを持参しているなんて、戦乙女は真面目ですね」

「そうか? 念の為、一応持ち歩いてはいるが些か荷物であるのは確かだな」

「戦乙女らしいですね。宜しければ今後は屋敷に置くよう手配しましょう。いつ必要になるとも限らないのですから」

「すまない。だが、遠慮しておこう。公私の区別は付けておかなければ」

「やはり戦乙女は真面目だ」


 守護神はふっと微笑んだ。その笑みが何処か陰があるように思えて、私は思わずアクラを振り仰いだ。けれどもアクラはただ笑みを深めるのみ。


「アクラ、何か気になる事でもあるのか?」

「いいえ、何も。ああ、少しばかり気になると言えば、モールが少々曲がっている事ですね」

「ん? ああ、済まないな。こちらでは見えにくくてな」

「そうでしょうね。はい、これで良いですよ」

「ありがとう、アクラ。侍女殿も、手間を掛けさせた」

「いいえ。どうぞお気をつけて」

「ああ」


 部屋の隅で用意してくれていた屋敷の侍女から外出用の外套を受け取り、私は軍服の襟を正してアクラに声を掛けた。


「不便を強いるが、少しばかり屋敷で過ごしていてくれ。直ぐに戻る」

「ええ、分かっています。行ってらっしゃい、戦乙女」

「ああ。行ってくる」


 急いで屋敷を出た私は、その時アクラが何か不可思議な表情を浮かべている事に気付く事は無かった。



 2



 ここは、いつも清らかな空気に満ちている。

 目の前に聳え立つ巨大な宮殿を見上げながら、私はいつもそう思うのだ。

 蒼天宮は天上世界の中央に位置する宮であり、言わば政治の中枢とも言える場所である。その荘厳な佇まいはさながら神殿の如き清浄さに包まれ、内部はあらゆる美で彩られた豪華絢爛な世界が広がる宮でもある。

 戦乙女の正装は、私が今着装している開襟式の軍服である。白のシャツに黒のネクタイを締め、襟元には階級章、腰には革のベルトを締めている。本来であれば女性用の軍服――短いスカートにロングコートを合わせた華美な礼装――を着る事が好ましいとされているが、私は実用性から男性用の軍服を軽く手直しして着装している。動きやすさで言えばやはりこちらの方が動きやすい。


「おはようございます、戦乙女イヴァル」

「おはよう、ラッカ。済まないがアレース総長に繋いでは貰えないか?」

「ええ、勿論。お話は伺っていますわ。少しお待ち下さいね」

「済まない」


 戦乙女の本部は、数多くの神々が行き交う他の部署とは違い、穏やかな静寂さで満ちている。その最中にあって、受付のラッカは相変わらず愛くるしい笑顔でにこやかに出迎えてくれる。

 実の所ラッカとは既知の仲である。彼女も比較的戦乙女の職を拝命して長いが、私の後輩に当たる戦乙女でもある。最近では現場に出る事が少なくなり、すっかり事務方に転身してしまっているが、戦乙女としての力量は高く、新任の戦乙女に指導することも多いと聞く。ついでに、彼女の熱烈なファンも多く居るらしい。


「少し席を外します。イヴァルはここでお待ち下さいね」

「ああ、分かった」


 可愛らしくもいじましい様相から戦乙女の看板娘でもある彼女は、溌溂とした動作で直ぐに本部の奥へと小走りで駆けだした。

 如何な戦乙女でも、奥の事務的な手続きや本部長に当たる戦乙女の総長に面会を申し出る際には一々受付で名前と用命を確認した上で入らなければならない。

 まあそれは一重にこの戦乙女の本部が蒼天宮の中でもひと際機密性の高い案件を抱え込んでいるが故の事なのだろうが、些か面倒に感じるのも仕方がない事だろう。


 ラッカが本部の奥へと向かう間、私は本部の入り口で柱に凭れ掛かり、遠くの喧騒に耳を澄ませていた。

 私の神としての真名はイヴァルという名前ではない。然しながら役職名としてでしか呼ばれる事の無い戦乙女には、お互いを区別するための仮の名前というものが必要だった。

 即ちそれがイヴァルという名であり、ラッカという名前なのである。言わばコードネームのようなものだけれど、それが案外しっくりと来ているのは、やはりこの名前に馴染んで長い時を過ごしたが故の事なのだろうか。


「イヴァル、お待たせしました。総長がお呼びです。奥の執務室へお進み下さい。案内は?」

「不要だよ。手間を掛けさせたな」

「いいえ。行ってらっしゃいませ」

「ああ。ではまた後程」


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