閑話 侯爵家のご令嬢
クロイツの妹でファイトの双子の片割れ、アデリナが登場します。
設定説明のような、山無しオチ無し小話です。
王立学院で最も人気が無いと言われていた園芸部は、かつてレオノーラとクロイツの二人のみで切り盛りをしていた時期が続いていた。しかし先頃領地経営に興味を持つ数人の学生が部員として加わる事となり、漸くレオノーラも本来の顧問と言う立場で園芸部に関わる事が出来るようになった。つまり少しだけ、仕事のスケジュールに余裕と自由度を持てるようになったのだ。
と言う訳で最近レオノーラは、クロイツが比較的早く帰れると予告した日にはなるべく直ぐに帰宅するよう心掛けている。変わり者の侯爵令嬢改め、変わり者の次期侯爵夫人レオノーラにも一応、自らの夫を労わろうと言う気持ちが育ちつつあった。勿論、一般的な貴族夫人の配慮のレベルには遠く及びはしないが……。
屋敷に戻ると『急な打合せで晩餐には間に合わない』と言う旨の伝言が、クロイツから届いた所だった。その手紙を確認したレオノーラは侍女の手を借り簡易な講師の制服から晩餐用のドレスに着替え、一人でダイニングルームに降りて行く事とする。
クロイツがいる場合は、仕度を終えた後夫であるクロイツに伴われて向かう事となるのだが―――相手が多忙であるのであれば、仕方が無い。元よりサクサク一人で行動する事に何の躊躇いも無い常識知らずの『変わり者の令嬢』であるレオノーラは、特に騒ぎ立てもせず、事務的に侍女にされるがまま作業を済ませてしまう。
通常の貴族令嬢であれば夫の突然の不在に機嫌を悪くしたり、浮気を疑って嫉妬をしたり―――その結果あの服とこの宝飾品は相性が悪いだとか好みじゃないだとか難癖をつけ、手際が悪い気が利かないといつもより厳しい態度を取るなど、使用人に当たって憂さを晴らす者もいるのだと言う。
その点、バルツァー次期侯爵夫人に仕える侍女達は気楽なものだった。この国ではかなり希少な職業貴族令嬢であったレオノーラは合理的な思考の持ち主で、効率的に作業を進める事を常に優先し、使用人の邪魔立てを一切しないからだ。裏を返せば着こなしや料理、屋敷の整備等の雑務や家政に関してほとんど使用人の言いなり……とも取れるのだが。
結婚当初こそ学院に入り浸る彼女の顔を知らない使用人が多かったり、その所為で裏口から入って使用人と間違われたり―――と何かと現場を騒がせたレオノーラだったが、彼等の働きやすさを自然に優先する彼女に対して、『心酔する』とまでは行かないが「それほど悪い方では無いわよね、確かに変人かもしれないけど……」と言う意見を持つ者が増え、屋敷内での主に対する評価が上向き始めた。その上学院で作成した基礎化粧品の試作品を配布され、その効果を実感する者が出始めると―――『働きやすい主の元、特別な恩恵も享受できる素敵な職場!』と言う評判が広がり、一時期は採用の打診が多く寄せられた事もあったのだった。
ダイニングルームの扉を開けると、既に当主席にはフォルクハルトが腰を下ろしている。そして綺麗に着飾った夫人がその隣に座っていた。自席に近付いたレオノーラは、斜め向かいの席についているフォルクハルトと隣の夫人に軽く淑女の礼を取り、席に着こうとして―――思わず瞬きを繰り返した。
「クロイツは遅くなるようだな」
その夫人が声を発したので、思わずレオノーラはパンッ!と両手を合わせた。
「お義母さま!どうされたのですか、その恰好は……?」
凛と背筋を伸ばした麗しい夫人は、まさしくゲオルギーネだった。一瞬違う人間のように認識してしまったのは、いつもと装いが違うからだった。丁寧に化粧を施し、念入りに美しいドレスで着飾っている。嫁いできて以来、屋敷ではゲオルギーネの男装姿しか目にした事が無かったレオノーラは、あり得ない場所で花を咲かせている希少な高山植物を見つけた時のように目を丸くして、不思議そうにゲオルギーネを眺めている。
「ああ、これか……?」
ゲオルギーネが理由を述べようと口を開こうとした時、そこへクロイツの弟ファイトとその双子の妹アデリナが連れ立って入室して来た。ファイトは紳士然として、アデリナをエスコートしている。王立学院も女学院も試験空けの少し長い休みに入ったのだ。その休暇の間、久し振りに二人は屋敷で過ごす事になっている。
ちなみに王立学院の園芸部の薬草園では、領地が遠くて帰る事が出来ない部員が通常通り面倒を見続けているので、休暇中ではあるがレオノーラも特に残業などせず、定時に帰宅する事が可能となっている。
ファイトとアデリナが礼を取り、フォルクハルトが頷いた。二人とも音を立てずに席に着く仕草は優雅で、隙の無いクロイツの振る舞いを思い起こさせる。流石マナー教育が行き届いている……と感心するレオノーラに向かって、さきほど途切れた言葉の続きをゲオルギーネが発した。
「私としてはいつもの格好の方が気楽なのだがなぁ……アデリナが着ろと言うので、仕方なくな」
チラリとアデリナに視線を送って、ゲオルギーネはバツが悪そうな表情を浮かべる。いつも自由に振る舞い歯に衣着せぬ発言しか行わない彼女の、そんな態度は大変珍しい。……が、人の心の機微に疎いレオノーラには、それが何によるものなのか推測できないままだった。
すると席に着いたアデリナが柔らかく微笑んで、ゲオルギーネに余裕の視線を返した。
「偶には夜会以外でも淑女らしく振舞ったって、罰は当たらないでしょう?お父様もお母さまが綺麗な方が嬉しい筈だわ、ねえお父様?」
補足するようにそう行って、それからフォルクハルトに可愛らしく笑顔を向ける。双子の兄であるファイトは、その隣で押し黙っていた。まるで関わり合いになりたくない、我関せず……とでも言いたげに視線を外してテーブルの端を見ている。
一方水を向けられたフォルクハルトは、通常営業の穏やかな笑顔を愛娘に向けて応えた。
「そうだな、ドレス姿のゲオルギーネを見るのも嬉しいものだな。―――勿論騎士服を纏うゲオルギーネも凛々しくて美しいが」
フォルクハルトは顔色一つ変えず、当たり前のように臆面も無く妻を褒めたたえる。ゲオルギーネは少し頬を染めて視線を逸らした。控えている使用人から生温かい視線を向けられている事に壮年夫婦は気付いていないが、知らん振りを決め込もうとしていたファイトはこの甘ったるい空気に耐えきれず、思わずコホンと一つ咳をついて場の空気を掃い、ニコニコと妻を眺めている男を促した。
「……父上」
「ああ、すまぬ。ビルギット、頼む」
「承知いたしました」
フォルクハルトの合図に従い、ビルギットが侍女達に指示を与えた。こうしてクロイツは不在ではあるが珍しくバルツァー家の本宅に住まう家人がほとんど揃った晩餐がはじまったのである。
晩餐の後、レオノーラは自分専用の執務室へ戻って少しの間仕事を片付けていた。扉を叩く音がしたので立ち上がり「どうぞ」と声を掛けると、ファイトが荷物を持って入って来た。
「レオノーラ義姉さん、これコリント先輩から預かって来ました」
「あら、有難う」
荷物の中身を確認すると、マクシミリアンからと言うよりその母親から託されたマグノリアの花弁を乾燥させたお茶であった。
ファイトは王立学院に入学後、マクシミリアンと知合いコリント流武術道場に通うようになっていた。休みがあれば必ず道場に顔を出すくらい頻繁に通っているらしい。見習い騎士となったマクシミリアンとバルツァー家に嫁いだレオノーラは、最近ほとんど顔を合わせておらず、むしろファイトの方がマクシミリアンの動向に詳しいくらいだった。
「マックスは元気でやっているかしら?」
「そうだね、でも騎士団の仕事なかなか大変そうだよ。今日も顔を合わせたの久しぶりだから」
「そう……あ!ファイト様は明日も道場へ向かわれるのかしら?新しい丸薬を作ってみたのだけれどマックスかお家の方に渡して貰える?」
「……『ファイト』でいいよ」
「じゃあ、ファイト。お願いできる?」
ファイトはコクリと頷き、レオノーラがマクシミリアン用の疲労回復やそのほか様々な薬用のある丸薬の包みを纏め、その母親用へ自作した基礎化粧品の試作品一式にお礼状を添付したものを用意するのを待って、包みを受け取った。そしてドアを出て行こうとノブに手を掛けてから立ち止まり、ふと振り向く。
「ええと、さ。あの……」
「?」
「アデリナの事だけど……」
言い難そうにファイトは一度言葉を切った。
「アデリナ様、ですか?」
「……やっぱ、いーや。うん、義姉さんなら大丈夫だよ」
「え?」
「うん、まあ……頑張ってね」
「はあ……」
「じゃ」と告げて、ファイトはパタンと扉を閉めて出て行った。彼の伝えたかった事はレオノーラには全く察する事はできなかったが―――『義姉さんなら大丈夫』と言われたのだから、多分大丈夫なのだろう……そう彼女は思考を停止して、特に気にせず仕事に改めて取り掛かったのだった。
その時は全く想像だにしていなかったが―――ファイトが何を言いかけていたかと言う事を、レオノーラは割とすぐ知る事となる。
部屋を訪ねて来たアデリナにワードローブをチェックされた。その翌日、帰宅すると応接室に引っ張り込まれ―――服を剥かれ細かい採寸をされ、生地を当てられ帽子を被らされ……あげく以前計測した採寸で作られた試作品にも、何回も着替えさせられた。翌日には宝飾品の行商人、その翌日には靴の行商人が現れた。その度にアデリナに問答無用で応接室に引っ張り込まれ―――やっと全てが終わった……と安堵した途端、ゲオルギーネとセットで夜会に連れ回される事となる。
アデリナはレオノーラがいない午前中には、既にゲオルギーネの身の回りの品を一新し終わり、男装で気軽に出かけようとしていた母親を捕まえて女装させ、主だった茶会に連れ回していたと言う。
それにしても不思議なのは、妙にアデリナがレオノーラを引き込むタイミングが良い事だった。レオノーラを捕まえるタイミング、連れて行く夜会ごと、突発的な案件が無い限りほとんど彼女の仕事が被らないようになっている。それはレオノーラの関知しない所に理由があった。アデリナは事前にアクスやビルギットと綿密にスケジュール調整を済ませていたのだ。
連れ立って出かける事になった二度目の夜会で、二人切りになった時レオノーラは尋ねてみた。いつも『我が道を行く』……と言うか我が道しか歩かないゲオルギーネが全くと言っていいほど珍しく従順なので、レオノーラは不思議に感じたのだ。
「お義母さまは男装の方がお好みですよね」
「ああ、動きやすいからな」
「アデリナ様のおっしゃる通りドレスばかり着用されるのは、何故なのですか?」
「……アデリナが……」
俯き、ゲオルギーネが何故か震え出した。そして再び顔を上げるとゲオルギーネが頬を紅潮させて辛そうにこう言ったのだ。
「アデリナが可愛すぎるのが悪いのだ……!アデリナにお願いされると、私はどうしても断る事が出来なくなってしまうのだ……」
恥じらうように告白するゲオルギーネに、合点が行ったと言う様子で端的にレオノーラは頷いた。
「……なるほど、そう言う訳ですか」
そう言えば、とレオノーラは思う。フォルクハルトはいつもゲオルギーネの好きにさせているが、何かあれば苦言を呈する事もある。そんな時ゲオルギーネは常に素直に彼の言葉を受け入れる。アデリナは可愛らしい容貌をしているけれど、どちらかと言うとゲオルギーネより父親のフォルクハルトに似ている。特に温和そうな目元や雰囲気が。
ゲオルギーネは娘のアデリナから我儘(?)を言われると、娘可愛さについつい従順になってしまうらしい。
アデリナは気質もフォルクハルトに似ているようで、テキパキとアスクやビルギットと家政について尋ね、意見を交わしチェックを行い――普段、屋敷を統括しているフォルクハルトやクロイツの目の届かない部分についても、女性としての目線でアレコレ補足しているのだと言う。その一つが家族のワードローブの見直しや、屋敷中の装飾や設備の修繕や改修の指示だったりするらしい。
以前はそれらはアデリナの祖母、ロミーの役割だったそうだ。ロミーの仕事の大半はフォルクハルトに引き継がれているのだが、どうしても男性目線で取りこぼす部分もある。それらを補うのは学院入学前の少女でありながら、既にしっかり者であったアデリナの役目だったらしい。
ファイトはアデリナを苦手としている。それは自由なゲオルギーネに代わり、母親よろしく身だしなみや行儀作法、男性としてのエスコートの仕方について指摘するアデリナに、思春期の少年らしく反発心を持ちつつ逆らえずにいる事から来ているそうだ。
「我が家で一番強いのは……アデリナ様なのですね」
「そう、実の所おじい様もアデリナだけには弱いんだ。アイツが一番おばあ様に似ているからかも」
またしても伝書鳩のように荷物を運んで来たファイトにレオノーラがそう告げると、ファイトは苦々しい表情でコクリと頷き返したのだった。
双子の片割れアデリナの設定説明のようなお話でした。
アデリナは『おばあちゃん子』でした。両親の事は好きなのですが、一番尊敬して近づきたいと思っているのは、貴族女性として立派に屋敷を取り仕切っていた優しい祖母のロミーです。兄のファイトに対しては、学院入学前少しウジウジしていたので、愛情もあってキツメに駄目出ししていました。今回登場しておりませんがクロイツも勿論、アデリナには甘いです。でも彼女は我儘娘では無いので、サラリとした良い関係を保っています。
なかなかアデリナのエピソードに手を着けられませんでしたが、何とか追加できました。
お読みいただき、有難うございました。
【追記】以前、感想欄で「この屋敷でゲオルギーネが最強(最凶)です」と返信していたのですが、「注:不在中の双子を除く」と注釈を追加します。その頃まだ双子のイメージがまだ固まっていませんでした…面目ありません!