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閑話 はちみつ日和

『ふさわしい条件 1』の少し前のお話、クロイツとレオノーラの新婚生活の一幕です。


婚約前の夜会での約束が叶ったのは、婚姻後一月半ほど経過した時だ。クロイツは中尉に昇進する事が決まり引き継ぎ作業に入ろうとしていた。新しい部署に配属されれば暫く休暇らしい休暇を取る事は難しいだろう。彼は妻であるレオノーラの都合に合わせて休みを取る事にした。

本当は貴族の間で近頃流行している『新婚旅行』なるものに連れて行きたかったのだが、婚姻自体が駆け足で準備されたものだったので長期休みの取得は断念せざるを得なかった。


しかしクロイツは十分幸せだった。


叶わないと思っていた恋を成就させて、レオノーラを妻にする事が出来たのだから。

だから今回のそれを思い付いたのも、直前の事だった。


特別な許可を取って、王宮の奥深くレオノーラの手を引いて歩く。ところどころに控えている衛兵がクロイツの顔を認めてスッと頭を下げた。


「皆さん、クロイツ様の顔をご存知なんですね」


感心したように呟くレオノーラにクロイツは笑った。


「新兵の教育係みたいな仕事もやっていたからね。衛兵は特に新任の若い騎士が担当する事が多いからな。……その内レオナの教え子の中にも衛兵になるヤツも出て来るだろうな。今年入った見習い騎士達はまだ研修中だけど」

「私の授業に熱心な子が近衛騎士に士官しますかねぇ」


レオノーラの担当科目は薬学と農地経営学、農業実習など園芸関係に偏っている。薬学以外は領地経営に熱心な貴族子息は興味を持つかもしれないが、騎士になるような学生が喜んで受講するものでは無かった。現に騎士志望のレオノーラの従兄、マクシミリアンも必修の基礎薬学と農地経営学以外受講していない。しかも農地経営学は赤点しかとった事が無い。騎士志望の男子学生は押しなべて似たような傾向があった。


「植生で土地を把握する事や薬草の知識を持つ事は、騎士の仕事の大きな助けになるのだがな。知識の差が生死を分ける事もある」

「クロイツ様のおっしゃる通りですね。だけど学生の内は実感しにくいかもしれません」


成人前の少女に見える可憐な唇から、年輪を重ねた者が発するような台詞が飛び出してくる。クロイツはこのアンバランスさを好ましく思っている。


突き当りに壁と同化した小さな扉があって、クロイツが幾つかある鍵穴に順番に鍵を差し込むとカチリと音がした。扉を押したクロイツに促されるまま狭い螺旋階段をグルグルとのぼって行くと、やがて同じように小さい扉が再び現れた。その扉を開ける時クロイツが僅かにレオノーラを庇う仕草をした。ブワッと空気が飛び込んで来て一瞬目を瞑る。次に目を開けた時レオノーラの眼前に広がっていたのは空色だった。


「わぁ……」


そこは王宮の屋根にしつらえられたバルコニーのような場所だった。

ちょうど上手い具合に王宮を訪れる者から死角になっており、身を乗り出さない限りこちらの存在を下から気取られる心配は無い。


眼下には王都が拡がり、シュバルツ王国のほぼ中心に位置する休火山が綺麗に空の背景に浮かんでいる。目を丸くしているレオノーラに設置された備品箱から取り出した細かい網状のレースの付いた帽子を被せ、手袋を渡す。クロイツ自身も装備を済ませてからレオノーラの手を引いてバルコニーに設置された巣箱に近付いた。


ブンブンと羽音を響かせ、次々とミツバチが巣箱に入って行き、そして出て行く。


「わぁ、こんなところに巣箱があるなんて、想像もしていませんでした……!」


そう言って振り向いた妻の緑色の瞳がキラキラと輝いているのを目にし、クロイツは満足気に頷いた。王宮の養蜂場は特に厳重に管理されており、出入りできる者は限られている。クロイツは今回の無茶な異動の交換条件の一つとして、この養蜂場の見学を要求したのだ。勿論帯同する妻がレオノーラという特別な人間で無ければ許可は出なかっただろう。熱心に観察する小柄な妻の横で膝を折り、彼は一緒に小さな王国の営みを観察した。


暫くするとふと不埒な思い付きが湧き起こり、クロイツは彼女の腰に腕を回して少し力を込めた。

小さな柔らかい体は簡単によろめき、スッポリと大きなクロイツの腕の中に収まった。突然の事に驚きで見開かれた瞳に満足して、レースを避けてその額にチュッと口付けた。


「クロイツ様……こんな所で恥ずかしいです」


拘束を緩めないまま頬を染めるレオノーラに微笑みかける。


「誰も見てない」

「蜂が……」


笑いながら彼女の手を引き巣箱から十分に距離を取る。帽子を取り去りその小さな唇に齧り付いた。


「外じゃ……ん……」


彼女の言葉はペロリと容易く飲み込まれる。彼女の些細なあがきなど鍛え抜いたクロイツの両腕とって抵抗と呼べるものですらない。

クスクス笑いながら照れる妻を味わっていると、


「うぉっほん」


と窺うような咳払いが割り込んできた。

思わず動きを止めたクロイツが妻を抱え込みながら恐る恐る振り向くと―――そこに居たのは……


「た……」

「アルフレート様!どうしてこちらに?」


レオナが頓狂な声を上げた。心から驚いている様子に、クロイツは戸惑う。こっそり現れた事には肝を冷やしたが、この初老の男性がこの場にいるのは、ある意味当然と言えば当然の事だからだ。


「レオノーラ、久しぶりだね。元気にしていたかい?」

「ええ!お会いできなくて寂しかったです。諸国を回られているとマルグレーブ学院長には伺っていたのですが……」


アルフレートと呼ばれた男性が両手を広げたので、クロイツはレオノーラを解放した。

するとレオノーラは嬉しそうにポスンとその少し恰幅の良い胸に飛び込んだ。


「フッフッフッ、レオノーラはちっとも変わらないのぉ」


レオノーラをキュッと抱き留めた男性はチラリとクロイツを見た。

彼女は男性から体を引くと眉を上げた。


「まぁ!私随分変わったんですよ。何しろもう『人妻』ですから!」


そうして腕を組み得意げにする様子は、大層可愛らしい。

嫉妬からつい男性を睨みつけてしまった余裕の無い夫の眉間が、その様子を目にしてやっと緩んだ。思わず男性はクスリと笑ってしまう。


「紹介しますね、こんな私を娶ってくれた素晴らしい旦那様です!」


ジャーン!と効果音が付きそうな誇らしげな紹介に、ククク……と笑いを堪えていたその男性はとうとう少し腹を抱えて笑い出してしまった。


「クク……ワッハハハ!フフッ……ワハハハハ……!」

「―――ハーニッシュ大公……何故こちらに?」


クロイツは溜息を吐いて膝を折った。

レオノーラは夫の慇懃な姿勢にキョトンと首を傾げている。


クロイツは今や完全に理解した―――アルフレートがその正確な身分を彼女に知らせないまま付き合いを続けていたのだろうと。おそらくマルグレーブ学院長を通して知り合ったのだろう。随分親し気な様子に見境なく嫉妬してしまったが、そもそもそのような不敬な態度をクロイツがとれるような相手では無い。


「クロイツ様?……アルフレート様をご存知なのですね?『ハーニッシュ大公』?アルフレート様は『へリング伯爵』では無いのですか?」

「レオナ……」


戸惑う妻が気の毒になって、クロイツはアルフレートことハーニッシュ大公に問いかけるような視線を向けた。笑いの余韻でゼイゼイ言っていたアルフレートは、そのもの言いたげな視線に気付き姿勢を正した。コホンと一つ咳払いをして気まずげにレオノーラに笑い掛けた。


「レオノーラ、私は『へリング』と名乗っていたがそれは偽名なんだ。正しくはアルフレート=ハーニッシュ=シュバルツと言う」

「え……っ」


レオノーラは言葉に詰まった。そしてクロイツを見上げる。

クロイツは頷いて説明を引き継いだ。


「ハーニッシュ大公は……退位された前国王だ」

「ええー!そんな……」

「すまんな、レオノーラ。君にはただの同好の士として接して貰いたかったんだ……身分を偽った事、許しては貰えないだろうか」


畏まった様子で、謝辞を述べる前国王にレオノーラは慌てて頭を下げた。


「そんな……!大公様、私などに勿体無いお言葉です……許すも許さないもありません……」


レオノーラにも、王族を畏れこうべを垂れるくらいの常識はあった。

するとアルフレートは悲しそうに眉を下げた。


「もう『アルフレート』とは呼んでくれんのか?」

「え?あの、ええと……」


哀願を受け、王族への敬意との間に板挟みになるレオノーラをクロイツは庇った。


「大公……無理をおっしゃらないで下さい」


そう言って戸惑うレオノーラの肩を抱き寄せた。レオノーラは肩の温かさに勇気づけられ顔を上げる。すると寂し気な年の離れた友人の表情に胸を突かれてしまった。


「アルフレート様……」

「レオノーラ……」


見つめ合い、目で会話をする二人。

ピッタリと体を寄せ合っているのに、クロイツは途端に不安が込み上げてくるのを感じた。

するとしっかりと頷いて、スルリとレオノーラが彼の安全な檻を抜け出し一歩前へ出た。


「わかりました!アルフレート様……人前では『大公様』とお呼び致しますが、人目の無い所では今まで通りそう呼ばせていただきます。その時だけは私達はただの同好の士、植物採集を生業なりわいとする者同士……それでよろしいでしょうか?」

「ああ……!レオノーラ!有難う……!」


ガシっと手を取り合い見つめ合う、初老の柔らかな容貌の男性と可憐な少女。その光景にクロイツは頭痛を感じた。


レオノーラを取り巻く男性陣は、マルグレーブ学院長にアルフレートこと前国王……屋敷では祖父であるカスパルも妙に絡んでくる……何故か高齢で権力のある人間ばかりだ。クロイツがどんなに焼きもちを焼こうが、どの相手も若造が簡単に排除できる相手では無い。


新婚旅行の代わりのせっかくの逢瀬デートが台無しである。


内心頭を抱えたが、王族にかしずき命を捧げる近衛騎士として前王の前でしゃがみ込む訳にも行かない。クロイツは代わりにそっと目を閉じたのだった……。







クロイツは現国王直下に新しく設立された部署に異動となる予定だった。幼馴染として幼い頃から定期的に顔を合わせていたアーベル王子が直属の上司となり、特殊任務を受け持つ事となる。

詳細は部外秘のためまだ明かされていない部分が多いが、相当ハードな仕事内容となる事は目に見えている。これまで仕事を断ると言う事を知らなかったクロイツだが、初めて難色を示した。せっかくの新婚生活を不意にしたく無いという本心は口には出さなかったが、アーベル王子には筒抜けだったらしい。クロイツはカーの入れ知恵だと疑っており、その推測は当たらずとも遠からず……と確信している。


この為アーベル王子は幾つか交換条件を飲むとクロイツに提案した。

本来なら、一言命令すれば良いだけなのだが―――どうしてもクロイツに前向きに仕事に関わって貰いたいらしい、察しが良い敏い王子の配慮だった。

そうまで言われてクロイツに固辞する選択肢は無い。その時要求した条件の一つが、王宮内に設置された養蜂場を見学する権利だった。







アルフレートの説明付きで改めて巣箱をジックリと観察した後、王族の私的な応接室でクロイツとレオノーラはお茶を振る舞われた。


「これは……」

「ハチミツ……ですね?」


アルフレートはニコリと笑った。

お茶のかぐわしい香りに混じって芳醇な甘さが二人の舌と鼻腔を満足させた。


「そう、王宮産のハチミツだ。有事の際には兵糧にもなる……まあ、ここ数十年そのような不穏な動きは無くて幸いだがな」

「あの巣箱はアルフレート様が設置されたのですか?」

「ああ、王宮の物はな。そして王都内の施設にも同じように巣箱を設置させた。その巣箱から収穫した物は『王都産蜂蜜』としてかなりの高値で市場しじょうに流している。……ただ未だ一部の貴族の間に出回っているだけで、平民の手に届くまでの生産量には至っていないのだが……」

「それがクロイツ様が以前夜会で提供された蜂蜜なのですね」


レオノーラが尋ねるとクロイツは頷いた。


「大公がマルグレーブ学院長の支援を受けて、王宮に試験的に設置したものが初期型プロトタイプになっているんだ。試行錯誤した結果を他の施設に応用して養蜂場を王都内に徐々に拡大している所だそうだ。だから―――レオノーラに一番最初に成功を収めた王宮の養蜂場を見せたかったんだ」

「……クロイツ様……」


レオノーラは感激して手を組み合わせた。見上げる緑色の瞳が宝石のように輝いている。


「あっついのぉ……じじいは除け者か?」


見つめ合う二人を揶揄うアルフレートはニヤニヤしながら掌で自らをあおいだ。

クロイツは不敬と知りつつも、ジットリと大公を恨みがましく見つめた。


「もともと二人だけで見学する予定でしたから……今日の事はアーベル王子がアルフレート様に進言なさったのですか?」


言外に『邪魔』と含ませつつクロイツは尋ねた。

アルフレートは可笑しそうに笑いながら、ゆっくりと若者をたしなめた。


「アイツを責めるなよ……私がたまたま聞きおよんだのだ。アイツはレオノーラと私の関係を詳しく把握していなかったから、ワザと知らせたのでは無い」

「……」

「若いって言う事は素晴らしいね、情熱に身を任せる事ができる。何もかも羨ましいよ」

「は……」


鷹揚に笑う前国王にクロイツは自分の悋気を指摘された事に気が付いて、言葉を失った。

するとレオノーラがニッコリと笑ってこう言った。


「私もアルフレート様が羨ましいです。長年の知識も経験も人脈も備えていらっしゃる。自由に好きな場所へ飛び立てる自由をお持ちなのも、仕事を終えて退位されたからこそでしたのですね。夫と私はまだまだこれから王国に尽くす身ですから、当分自由には動けません……早くアルフレート様に追いつきたいです」

「ほ……ハハハ!それは困るな。レオノーラが私の年になる頃には私の体は王国の土となってしまっているだろうからな。まだまだゆっくり世の中を味わわせてくれよ」

「あら、そうですね……存分にお楽しみになってください。そしてまた土産話と新しい植物の種をシュバルツ王国の元に運んで下さいね」

「それじゃあ、レオノーラのためにせっせと励むとするかの……!」




ご機嫌になったアルフレートは二人に王宮製の蜂蜜を二瓶も持たせてくれた。

その時クロイツは気が付いた。


(大公は自分に苛立ち、注意を促した訳では無い)


そもそも成人して数年経ったばかりのクロイツなどアルフレートにしてみれば子供も子供。彼はただそう言う目で自分をみていただけなのだと。自分の未熟さを痛感して蜂蜜瓶を抱えながら苦笑するクロイツだった。

より一層精進し王家のために尽くさねばならないと、彼は改めて誓ったのだった。


帰りの馬車の中でそんな事を考えている真面目な顔の男を、レオノーラは覗き込んだ。


「クロイツ様?」

「ん?」

「今日は本当に有難うございました。王宮に設置された初期型オリジナルの養蜂施設を見学出来るなんて思っても見ませんでした。それに思いも掛けない方に再会する事ができてとても嬉しかったです。本当に―――いつも私の事を大事にしてくださって有難うございます」


ふんわりと微笑む可愛らしい妻の顔に、クロイツは思わず見惚れてしまう。


「クロイツ様は本当に私には勿体無い旦那様です」

「レオノーラ……」


その瞬間胸に込み上げてくるものがあって、クロイツは隣に腰掛けていた妻をつい強引に抱き寄せてしまった。馬車の中で起こった唐突な体重移動にグラリと御者の手綱たづながふらつく。


「わぁ、危ないです!クロイツ様」


慌てる妻の拘束を緩め、クロイツは笑った。

やっと手に入れた愛しい妻に尽くすのを苦にした事は無いが、いつも自分の想いが一方通行であるような気がしていた。それを寂しいと感じた事は無かったが―――初めてレオノーラから返事を返されたような感覚に、胸が熱くなった。


一刻も早く屋敷に辿り着きたい。


明日も休みで本当に良かった!―――と、クロイツは妻に満面の笑みを向けた。

レオノーラはソワソワと挙動不審になり始めた夫の態度に首を傾げたものの、取り敢えず機嫌が良さそうだと見て取ってニコニコと笑顔で応じた。

この後散々夫に可愛がられてヘトヘトになるまで付き合わされるとは―――露程も想像せずに。



ただ新婚夫婦がいちゃいちゃしている話でした。オチ無しでスイマセン。

この日「俺、もしかして愛されてる?」なんて浮かれていたクロイツですが、この後側室候補をすんなりと受け入れる妻に内心かなりショックを受ける事に……。いつも気の毒な役まわりなので、たまのご褒美話のつもりです。


お読みいただき、有難うございました。

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