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昔話 マグノリアの君

それは遠い昔。


王立学院に初等部という物が存在しておらず、騎士の心得を学ぶ正式な学びに通おうとすれば十三歳になるのを待つしかなかった頃。


私はこっそりと王立学院に忍び込み、剣術の授業を生垣の間に紛れて覗き見ていた。







その頃私は十歳。


兄は学院卒業まであと一年の十五歳。彼は寮に入って滅多に帰って来なかったが、休みに帰省するたびに学院で学んだ事や、周りの友人の話を穏やかな顔で話してくれた。

その際私がよく強請ねだったのは剣術の授業の話だった。

同期生にコリント流武術の達人がいるという―――兄はよくその人物の事を語ってくれた。その人の体が如何いかに強く敏捷で、繰り出す技が芸術的なまでに美しいかを語ってくれたのだった。


その様子をウットリと語る時の兄の頬は紅潮し、その美しいとまで表現する剣技を目の前に描き出しつつ話しているからか、何処か遠くを見るような瞳をしていた。


私はとても羨ましかった。


きっと兄は学院の授業が楽しくてしょうがないのだろう。

私は父のような素晴らしい騎士になりたかったから、一刻も早く学院で正式な剣術指南を受けたかった。


だから家庭教師から受ける指南と、学院の指南にどんな違いがあるのか知りたくなった。


そして何より、兄があんなに心酔しているコリント流武術の達人の技をこの目にしてみたいと言う欲求に抗えなくなっていた。

兄と同学年の彼も、翌年には卒業して騎士になるのだろう。そうすればその技を目にする機会を得るのは難しくなる―――私はどうしても今、彼の技をこの目に焼き付けたかったのだ。







生垣に隠れコッソリと練習場を覗く私の視線の先で、兄が剣をふるっている。

尊敬する兄の剣先の美しさに溜息を漏らす。手合わせをこなす兄は強かった。私は誇らしさで胸が熱くなるのを感じた。


そこに『彼』が現れた。


赤茶色の長い髪を一つに結わえている。

兄を見据えるその瞳が……まるで楽しくて堪らない、と言うように細められた。対峙する兄の体にも僅かに緊張感が漲る。油断のならない相手であると彼の緊張が物語っていた。




兄の剣先を美しいと評するならば、彼の動きはまるで『舞』だった。


神殿に奉納する神楽に乗せて踊るような、まるで決まりきったシナリオをなぞるように洗練された剣技。見慣れない動きに見えるのはタイミングが少し違うからだ。他の者と明らかに違うリズムに乗って、その人は息をしている―――そんな風に私には見えた。


「あっ……!」


生垣から現れた闖入者に、その場の視線が一斉に集中する。


払われた兄の剣が宙に舞った時、私は思わず声を上げ立ち上がってしまった。

気付けば私は両手を握りしめて、夢中になって試合を観戦していた。掌は汗でびっしょりと濡れている。


兄が私の元に歩み寄り、呆れたように腰に手を当てた。

口を開こうとした彼を制したのは、兄が繰り返し私に語っていた達人、その人だった。


「お前の弟?元気がいいね」


そう言って微笑んだ『彼』は―――『彼』では無かった。


男性と見紛うようなしっかりとした眉の、悪戯めいた少年のような顔立ち―――しなやかで美しい、野生の獣のような肉体を持った少女。




オティーリエ=コリント




『彼女』は男子しか入学できない筈の王立学院に、初めて入学する事を許された女子生徒だった。







それから私は折りを見て学院に忍び込むようになった。

生徒達は面白がって、殊勝な騎士志望の子供をコッソリと受け入れてくれた。

兄はそんな私を―――少々苦々しい表情で見ていた。


訓練を盗み見る事に対して顔を顰めているのではなく、オティーリエにすっかり心を奪われてしまった私に、兄は気付いていたのだろう。


兄が彼女に好意を持っているのは、明らかだった。


しかし嫡男の彼には既に婚約者がいる。伯爵家の次女で私と同い年のロミー=モットルだ。五歳年下の相手と婚姻を結ぶなど珍しくない事だが、現在十歳の彼女を十五才の兄が女性と認識するのは無理があっただろう……数年先であれば違っていただろうが。




しかしオティーリエ=コリントには兄に嫁げない理由わけがある。




彼女は跡継ぎなのだ。コリント流武術道場を継ぐ本家唯一の血筋であり、格上とは言え他家に嫁ぐなどと言う事は有り得ないのだ。


そのため特例として王立学院に入学する事を許された。

伝統ある武術道場の継承者を、正式な手続きを経て騎士にすべく王家が動いたのだ。

後から考えると―――女子生徒の入学を検討していた王立学院が行ったその為の試行、若しくは布石だったのかもしれない。


とにかく様々な思惑に取り巻かれ、彼女はその場所に籍を置いていたのだ。

しかし学院の同窓生には、少なくとも表立って彼女を貶める者はいなかった。


彼女の実力が本物だったからだ。


彼女の剣は一流だ―――それこそ学院内で彼女に匹敵する技術を持つ者は片手で数えるくらいしかいない。

勿論、兄もその一人だ。武のバルツァー家と称される我が侯爵家は、代々優秀な武官を輩出する家柄として名高かった―――優秀な兄はずっと、私の憧れで自慢だった。







彼女が休憩するのは、決まって白い大きな花の咲く木の根元。

微かに清涼な香りが漂って来る。

私はよくそんな彼女に近付いて、色々な話を聞かせて貰った。


武術のコツ、手合わせの前の心構え―――それから野営で罠に掛けた蛇を食べたらかなり美味かったとか……他愛無い話題も多かった気がする。

彼女は私を自分の弟のように可愛がってくれたと思う。兄弟がいないので、私の兄の事を羨ましく思っていたと語ってくれた事もあった。




そんな風に、週に一、二度学院の練習場を訪れた。

ある時私はふと気になって、彼女にある事を尋ねてみた。




「結婚?……ああ、私も婿を取らなきゃならないしね。相手はねぇ……未だ決まってないけど、とにかく『強い男』じゃないと。私に勝てない相手を次期当主のつまの座に据える訳に行かないだろ?ウチは特殊だから、まず強くないと当主の許可が出ないんだ。その代わり身分は問わないけどね」

「身分を問わない……?」

「ああ、それこそ平民でも強けりゃいい。その為に余計な物を背負い込まないよう子爵位以上の身分は賜らないようにしているんだ。まあ理由はそれだけじゃないけどね」


それで名のある武術道場を継承している家柄の割に爵位が低いのか。


「なら、例えば私が―――強くなって、オティーリエに勝ったら……婿に入る事は可能なのか……?」

「え?」

「ほ、ほら……私は次男だからいずれ家を出なければならないし、武芸で身を立てたいと思っているから騎士になるつもりだし……た、例えばの話だよ」


彼女のしっかりとした眉が面白そうに上がった。


「侯爵様のご子息が、五つも年上の年増に婿入りしてくれるの?……フフ、そうなったら面白いね……」


その微笑みは、決して十五歳の少女の物では無かった。

いわば上官が生意気を言う部下を揶揄からかうような―――そんな表情で彼女は笑った。

その表情に自分がほぼ告白に近い事を口にしたのだとその時やっと気が付いて、私は顔を真っ赤にしてしまった。


「オティーリエ」


温度の低い叱責のような発声で、兄が彼女を窘めた。


「弟を揶揄わないでくれ。まだ子供なんだ、冗談でも本気にするぞ」

「……可能性の話をしているだけだよ?面白いと思ったからそう言ったまでさ。まあ―――いくら私がモテない男女おとこおんなだからって、侯爵家の大事なご子息に言い寄ろうなんて思っちゃいないよ。だからそんな怖い顔をするな」


兄は眉を顰めて彼女を睨んだ。


しかし彼が割って入ったのは、弟可愛さでは無い。

私はそれを知っていながら、密かに胸を震わせていた。


『可能性がゼロでは無い』と言う事に―――どうしようもなく浮き立つ自分がいるのを感じたのだ。


自分が嫡男で無い事を初めて幸運に感じた。

大好きな尊敬する兄に対して―――仄暗い優越感を抱きさえしたのだ。







それから兄と彼女は王立騎士団に取り立てられ、王国の各地の見回りや王都で行われる祭事や行事の警護など―――それぞれ新人騎士が行う仕事に従事する事となった。


私は剣術の稽古を今まで以上に熱心に取り組むようになった。

するとその内、家庭教師が私の相手をするたび音を上げるようになった。父は喜んで更に手応えのある剣術家を呼び寄せた。


そうして私の目の前に現れたのが、ブルーノだ。


彼は平民だったが、コリント流武術当主に師事する武芸者でもある。年は兄の五つ上、つまり私より十歳ほど年上らしい。

私がこの流派の家庭教師を希望したところ、父が道場に推薦を受けたのが彼だった。

騎士にはならず、修業を続けながら見入りの良い短期の要人警護等で身を立てていたらしい。詳しく教えては貰えなかったが、身内に病気持ちがいて騎士の任務のように長期間家を離れるのは難しいとの事だ。

侯爵家の家庭教師はまさに彼にとってちょうど良い条件の仕事だったようだ。


彼はそれまでの家庭教師と比べ、各段に強かった。

子供相手に基本から教える剣先の動き一つでも、彼の実力が桁違いである事が伺えた。

私はまるで敵わなかったが、その強さの違いが感じ取れるだけ成長したのだと言えるのかもしれない。


何処かオティーリエを思わせる呼吸の取り方。少し一般の剣術と違うタイミングは、最初に彼女の動きを目にした感動を思い起こさせた。




そしておそらく―――オティーリエより、彼は強い。

であれば、彼に勝てれば―――私はオティーリエに勝てる。そして彼女に手を伸ばす事ができるかもしれない。




少し生意気で、幸福な子供だった私はそう前向きに捉えていた。そしてますます熱心に剣術に打ち込むようになった。

寡黙なブルーノは無駄口は一切きかなかったが、適切に私を導いてくれた。そして私は十三になり―――学院に入学する頃には同期に実力で私に適う者は皆無となるまでの実力を身につけていたのだった。




もしかして私は―――オティーリエを手に入れる事が出来るかもしれない。

あの、しなやかな野生の獣のように雄々しい彼女を。


そんな未来に一縷の光明が見えた時―――兄と私の運命を変える出来事が起こったのだ。







今でもその頃を思い出すと、胸が苦しくなる。


ホルン首長国に、国境付近にある険しい山から蛮族が侵攻して来た。ホルンは同盟国であるシュバルツ王国に援軍を要請した。そして我が国の援軍は素晴らしい働きをし―――結果としてホルン首長国は蛮族の侵攻を退ける事に成功したのだった。

ホルンにもシュバルツにも若干の犠牲者が出たが、被害はそれほど多く無く……この件は事無きを得ず収束させることが出来た。


我が国は要請された仕事を大成功させたと言えるだろう。


ただ我が侯爵家にとって―――この遠征は大きな悲劇をもたらした。

少ない犠牲者の中に、私の兄ツェーザルも名を連ねていたからだ。


私は兄の代わりにバルツァー家を継ぐ事となり、兄の婚約者だった同い年のロミー=モットルと改めて婚約を交わす事となったのだ。







兄の亡骸のほとんどは、ホルン首長国の異国人墓地に丁重に埋葬された。

遺髪と、兄が鎖に通して肌身離さず身に着けていた侯爵家に伝わる指輪が持ち帰られ、荘厳な国葬の後、ひっそりと身内だけで遺品を墓所に収める儀式を行った。


そこに彼女が現れた。


彼女は異動を命じられ、近衛騎士団に籍を移し王女の警護を行う事になっていた。そのため、ホルンでの遠征軍には加わっていなかった。


直前に出された命令に、何者かの意図が働いていたのだろうと言う噂がまことしやかに囁かれた。


その意図を発したのはコリント家の者なのか、その血統を守ろうとするもっと上位の者なのか―――定かでは無い。

少なくとも彼女の人柄を知っている私には、それが彼女の意志では無いという事は十二分に分かっていた。


実務上でも、第一陣である遠征軍を男性だけで固めると言うのは理に適っている。

男勝りで実力も相違ないとは言っても、女性を少数でも帯同させれば設備に無駄な経費が掛かる。長期とならない遠征であれば、そこから女性を外すのは妥当な判断と言えるだろう。


しかしそれが……どうだと言うのだろう。


彼女が死地から遠ざけられ、安全な場所に匿われたと言うのは事実なのだ。


同じような教育を受け、実力を付け、地位を得たからと言って―――有事に役に立たないのであれば―――これまでの投資に何の意味があるのだろう。


「カスパル……このたびは……」

「『女』は気楽ですね―――危ない場所に行かないように……周囲が配慮してくれる」


私はそう吐き捨てるように言うと、彼女から目を逸らした。


どうしても―――彼女を傷つけたかった。

そうでなくては崩れ落ちそうだったから。

彼女に怒りをぶつける事で―――どうにもならない虚しさに決着を付けられるような気がしたのだ。




沈黙が長く続いた。




彼女は苦痛に顔を歪めているだろうか?

それとも罪悪感に涙を流しているのか―――?


彼女の心にかすり傷でもいい、何かを残せたら……自分の不当な苛立ちを手放せる気がした。そしてこれ以上、醜態を彼女の目の前に晒さずに済む―――そう考えていた。




私は幾分期待して、顔を上げた。


彼女に手を伸ばせない自分が―――僅かながらでも爪痕を残せれば良い。そんなささやかな希望を持って。




しかし彼女は―――微笑んでいた。


まるで出会ったばかりの十歳の子供を見るような優しい瞳で、私を見ていた。




だから私は、彼女に罪を与えるしかなかった。

彼女を罪悪とする事で自分の中にある全ての鬱屈や、悲しみ、どうにもならない運命に巻き込まれた苛立ちを―――全ての元凶は彼女だと―――転嫁したのだ。




本当はただ泣きたかっただけだ。




大好きな兄がいなくなって、もう二度と会えない事が苦しい。

自由に生きていく筈だったのに、いきなり大きな責任が肩に圧し掛かって窒息しそうだ。

好きな相手と添い遂げる可能性が完全に消えてしまって―――ただ悲しかった。




ただ彼女が涙を一つ零せば、あるいは傷ついた顔を見せてくれれば―――


「ゴメン、言い過ぎた。本当は分かってる、どうしようも無かったんだ。オティーリエのせいなんかじゃ無い。貴女も辛かっただろう?すまない―――ただの八つ当たりなんだ」


と……言えたのに。




彼女は私に頭を下げ―――何も言わず横を通り過ぎた。

そして父に挨拶をし、持参したマグノリアで作った花輪を墓前に手向たむけて、胸に拳を当てる騎士の礼を取ったのだ。







暫くして。


彼女が近衛騎士団を辞し、婿を取ったと言う噂を耳にした。


相手は平民だった。


学院に入る前まで私の家庭教師をしていたブルーノだ。




その後彼女と近しく話す機会も無く、私はバルツァー侯爵家の跡継ぎとして、仕事に邁進し出世を果たした。

ロミーは……妻はそんな私に献身的に尽くしてくれた。

バルツァー侯爵夫人として、彼女はあらゆる面で完璧だった。私は一女性としてのその生き方を尊重し……支持したいと思う。







だから私は決して認める訳には行かないのだ。

―――男と肩を並べて生きるような……あの女の生き方など。




カスパルの昔話でした。

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