表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/16

昔話 マグノリアの追憶 6

壮行会の翌日、ツェーザルに呼び出された。


場所はよく二人で剣を交えた王立学院の広場だ。私がそこへ辿り着いた時、青い空を見上げて何事かを思案しているツェーザルを見つけた。彼は私が好んで腰を下ろしていた、マグノリアの木の下に座っていた。


「珍しいな、お行儀の良いお前が」


声を掛けると穏やかな表情で、ツェーザルは振り向いた。


「……いつも気になっていたんだ。ここからどんな風景が見えるのか」

「何だ、羨ましかったのか?」

「そうかもしれない」

「それで―――何か良いものは見えたのか?」

「いや、全く」

「だろうな、別に景色を見ていた訳じゃない。ただ香りを嗅ぐと落ち着くんだ―――その木は屋敷うちの周りに沢山生えていて、試合の前に心を落ち着けるのにも役立つし、ゆっくり流れを反省する助けにもなるんだ」

「そう言えば―――良い香りだな。爽やかな……」

「胃腸が悪い時乾燥した花弁を煎じるのも良い。出立前に届けさせるか?遠征に役立つぞ」


軽い感じでそう言うと、ふっと頬を緩めてツェーザルは立ち上がった。太陽を背にして陰になったシルエットが……一段と高くなったような気がする。


「また背が伸びたんじゃないか?」

「うん?まあそうだな、最近少し重くなった気がするな」


勿論太ったと言う意味ではない。鍛錬の結果、筋肉が付いたと言う事なのだろう。


「学院の頃はそれほど体格の差は気にならなかったのになぁ……やはり男は得だな」

「……」

「私が男だったらな。そしたらお前と一緒に遠征に行けたのに」


ついポロリと言ってはならない本音が飛び出してしまった。失言に思わず唇を噛む。俯いて視線を下げると―――そんな失言など聞こえなかったような、ツェーザルの柔らかい声音が降って来た。


「久しぶりに―――手合わせしないか?」


カチリと錠前に鍵が嵌ったように、小気味良くその声は胸に響いた。私は顔を上げて微笑んだ。


「ああ、やろう」

「勝った方が一つ相手の言う事を聞く、と言うのはどうだ」


珍しい。賭け事はあまり好きでは無い筈なのに。

けれども、初の遠征で気が高ぶっているのかもしれない、そう思い直し私はシッカリと頷いた。出立前にコイツがやりたいと言っている事には、それがどんな無理難題だとしても―――応じてやりたい。それがツェーザルへの私なりのはなむけだと、そう思ったからだった。







学院を出た頃は互角だった。いや、僅かに私の方が彼を上回っていた筈だ。重く鋭い剣を受け流し、軽さと早さを活かし一歩先んじる事で互角に追い付き、コリント流で鍛えた独特の間合いで虚を突く事が出来た。

私だって鍛錬は欠かしていない。道場に通う者にも大抵負けはしないし、同じ王立騎士団に所属する厳つい先輩騎士達にも、引けを取らない自信はある。

しかし、ツェーザルの上達は見事と言うよりほか無かった。更に重くなった剣は受け流すのが精一杯で態勢を崩される。緩急をつけて繰り出した剣先もすんでの所で受け止められてしまう。―――悔しさに歯がみをするとともに、素直な尊敬の念も湧いて来る。身分に胡坐を掻いていると言われない為、武のバルツァー家と代々呼ばれる家柄に負けないよう彼がどれほどの努力を重ねて来たか―――同じように重い看板を背負って来た私には、我が事のように思い当たるからだ。


切っ先が私の喉笛を捕らえて紙一重でピタリと止まった時―――私は両手を上げて降参を表した。


「流石ブルーノと手合せを重ねているだけの事はあるな」

「……知っていたのか?」


自らの剣を柄に収め、肩で息をしながらやや苦しそうに尋ねるツェーザルを見上げて、私は笑って種明かしをした。


「鎌を掛けただけさ。ブルーノは何も言わない」

「……」

「以前手合わせした様子を見るからに、お前がタダで引き下がるとはどうしても思えなくてな。それにブルーノがバルツァー家に通うのをやけに楽しみにしているから―――多分そうだと了解したんだ」

「……彼にはまだ、全く歯が立たないがな」

「そんな事はない。以前だってブルーノは『手加減出来ない』と言っていたじゃないか。そんな事を彼が言うなんてかなり稀な事だ。随分と気分が良さそうに見えたぞ。なかなか彼を追い詰める人間がいないから、実はいつもブルーノは退屈しているんだ。だから手応えのある相手とやるのが、無性に嬉しいらしい」


マグノリアのお茶を持参して彼の妹、ニチカを見舞った時、ブルーノが僅かに最近明るいのだと彼女が面白そうに打ち明けてくれた。私も仄かにそう感じていたが、彼女が言うなら間違いないだろうと、そこで確信を得たのだ。


するとドサリとマグノリアの木の下に腰を下ろし―――胡坐を掻いたツェーザルが「はーっ」と盛大な溜息を吐いた。私は笑いながらその横に腰を下ろす。見上げると木漏れ日がキラキラ輝き、薄かったり濃かったりする影のモザイクタイルを私達の体に顔に腕に、チラチラと投影している。

暫く黙ってその様子を眺めていると―――私の隣で大人しく木の陰に収まっていたツェーザルが、ポツリと呟いた。


「……ブルーノを夫に選ぶのか?」


既定路線に乗ればそれは当前の流れ。誰に指摘されても特に動じる話題では無い。

だが剣術の話ばかりしてきた気の置けない友人に『女』としての今後の処遇を尋ねられるのは、何とも居心地が悪いものだ。彼も私も、学院と言う籠の中で責任やしがらみから一時いっときの間解放されていた無邪気な学生などではなく、もうしっかりと覚悟を決めて家を担おうとする大人になった……と言えばそれまでなのだけれども。


「……そう言う事になるだろうな。彼は父のお気に入りだから」

「それは―――彼が一番強いから?」


随分突っ込んで来るな、と思ったが負けた弱みでついつい強く跳ねのけられない。明日から彼は船上の人間になると思えば尚更だ。実はまだ個人的に『婚姻』については直視したくない、と言うのが本音なのだが。


「まあ、そうだな。今道場で彼に勝てる者はいないし」

「じゃあ彼に勝てれば―――君は俺のものになる?」


言われている意味が浸透するのに、時間を要した。


「は?」


思わず横を向くと、真剣な表情のツェーザルの蒼い瞳とかち合う。

心の準備をしていなかった所為か―――心臓がギュッと絞られるような感覚に襲われた。水色の双眸にまるで捉えられてしまったかのように、視線を外せなくなってしまう。


「遠征から帰ったら、ブルーノに再び手合せを申し込む。もし彼に勝てたら―――俺と婚姻を結んでくれ」


一つ一つの言葉の意味を、今度はじっくりと吟味するように聞き分けた。その結果……ますます私は混乱する事となった。


「……お前、跡継ぎだろ」


動揺しつつも半ば呆れて、やっとそれだけ呟いた。


「バルツァー家の跡目は、カスパルが継げば良い」


私をしっかりと見据えたまま、ツェーザルはハッキリした口調で言った。反対に私は更に混乱してしまう。


「そんな話、通る筈ないだろう?お前の一存で―――」

「もう父には話をしているんだ。俺に継ぐ気はないって」

「バカな……婚約者はどうするんだ?」

「……あの子はまだほんの子供だから、婚約の意味も分かってないよ。むしろカスパルとの方が仲が良いんだ」


私は絡めとるような水色の視線を引きちぎるように、立ち上がった。うっすら笑顔さえ浮かべているツェーザルを見下ろし、首を振った。


「お前……おかしいぞ。いつもと違う」

「これが素、なんだがな」


と、ツェーザルと言えばむしろノンビリとした苦笑いで、首をかしげたりしている。その様子を見ていると、動揺しているこちらの方がむしろ変なのかと勘違いしてしまいそうだった。


「ただこれまで―――君に対する気持ちを口に出来なかっただけで。それ以外は別に変らないと思うが」


うっすらと笑うツェーザルの顔をボンヤリと見ていた。

するとドンドン頬が熱くなってくる。




何だ、これは。




どうした事だか、頬と一緒に体までカッカッと燃えるように熱くなって来た。

そんな私の様子を眺めているツェーザルは、満足気に笑みを深めて―――ゆっくりと立ち上がる。私は幻術に掛かったようにただ、その様子を見守るだけで動く事も出来ずにいた。次の瞬間には―――スッポリと長い腕の中に捕らえられてしまう。


「ツェーザル……」

「そんな表情かお男の前で晒したら、駄目だ」

「……『そんな』って」


『どんな』だ?


言われている意味が分からず尋ねようと顔を上げた瞬間―――唇に噛みつかれた。何が起こったのか把握できずに目を見開く私に、顔を離したツェーザルがその整った端正な表情を緩ませた。


おい、何だその表情かおは?




「可愛いな。お前のこんな顔を見られただけで俺は―――もう死んでも良い」




その台詞を聞いた途端、頭がカッと燃えた。恥ずかしさではなく、無論怒りでだ。

ドンっと胸を押して、大きな体を突き放す。




「滅多な事を言うな……っ!」




私の反応に驚いたように、広げた手の中を確認して。それから空を掴んだ両手を下ろしてツェーザルは笑った。


「ハハ、単なる冗談だ」

「……お前、騎士団の先輩に悪い影響を受けたんじゃないのか?」


軟派な物言いに違和感を抱き、私は眉をひそめた。私の知っているツェーザルと見た目も声も剣筋も―――ソックリな別人だと言われても、今なら納得できるだろう。清廉だった彼も大人になって悪い遊びでも覚えたのだろうか。所詮コイツも男だと言う事か?それとも遠征前に自棄やけになっているのだろうか。


どちらにしろ、コイツの捌け口になる訳には行かない。私の肩には家督と責務が掛かっているのだから。それはツェーザルも同じ事、分かり合えていたと思うのは―――私の幻想だったのだろうか。


するとツェーザルの微笑みが固まった。


「オティーリエ」


私はクルリと彼に背を向けた。情けない―――こんな事で。




「……滅多な事を言うな……」

「……」

「それに女で憂さ晴らししたいなら、他を当たってくれ。私には無理だ―――」

「オティーリエ」




右肩に大きな手の温もりを感じる。震えているのが―――伝わってしまう。堪えきれずに落ちた涙が嗚咽に代わる前に、どうにかこの場を納めたいのに。肩を包みこむ掌の温かさが、私の中にある堰を崩そうとする。


こんなのはただの感傷だ。


明日港を旅立って、ツェーザルは他の騎士達と同じようにホルンの地へ辿り着く。今回の後詰めは多分に牽制の意味を担っていて―――コイツがここへ戻って来ないなんて事、ある訳がない。だから暫くすればここへ戻って来て、また涼し気な顔をして私と剣を合わせるのだろう。悪い冗談なんか、無かった事にして。

私は混同しているんだ。女である悔しさと、もどかしさ。それからもう帰って来ない、取り戻す事が出来ない、友人との気の置けない楽しい日々を惜しんでいるだけだ。


ツェーザルが悪い。


こんな想い出の多い場所に呼び出しておいて。成長して―――変わってしまった自分を誇示するから。普段ならそんな振る舞いや揶揄いなんて、鼻で笑って済ませる事が出来るのに。近頃の私は―――あらゆる自分の限界を突き付けられて戸惑っている……こんな事、とうの昔に乗り越えて来たのだと思っていたのに。コイツの不穏な行動一つで、うっかり剥き出しの若い気持ちを突き付けられて、あの頃に引き戻されてしまうなんて―――割に合わない。


「馬鹿野郎」

「うん」


もう一方の肩に、大きな手が更に添えられる。


「気障な物言いしやがって。私に勝ったからって上から見ているんだろう?―――見てろよ、また鍛えてお前が帰ってきたら再試合だ。絶対、コテンパンにしてやる」

「ああ、そうだな―――もう一度やろう」


そして二つの大きな温かい手が、フッと肩から外される。一瞬引き留めたくなるような妙な衝動が胸に去来したかと思うと―――次の瞬間、背中全体が温かくなった。長い腕が延びて来て背後からシッカリと捉えられてしまう。

そんなツェーザルの妙な行動に対して、私は無視を決め込み淡々と宣言した。もう、冗談や揶揄いばかり口にするようなコイツに振り回されるのは御免だった。


「……私はお前に勝つんだから。だから絶対帰って来いよ、勝ち逃げなんて許さないからな」


背後でクスリと笑う気配がした。


「うん、必ず。それで君に―――求婚するよ」

「そんな事、許される訳ないだろう。無理に決まってる」

「ふふ『嫌だ』とは言わないんだな」

「……揚げ足を取るな」

「いいよ、今はそれで。勝負は帰って来てからだからな。……俺の本気を思い知らせてやる」

「ふん、私に勝ったからって勘違いするな。お前なんかブルーノに負かされるのがオチだ」

「それはどうかな?ブルーノが俺を見込んでくれているって、お前が言ったんだろう?異国の戦場で鍛えれば―――なかなか次は良い線行くんじゃないか」


朗らかな声音が耳に掛かる。くすぐったくてギュッと目を瞑ると―――スッと拘束が解かれた。




「じゃあ、またな」




ポンと背中を叩かれて―――その手が離れた。

ゆっくりと振り向くと、ツェーザルの背中が見えた。


立ち尽くし、広場を出て行く彼の背中を私がただ見守っている間。

決して彼は―――振り向かなかった。






それが私の、ツェーザルの姿を見た―――最後の光景だった。


次話、最終話となります。本日11:00更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ