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昔話 マグノリアの追憶 5


兄弟子のブルーノは平民ながら早くから剣の才能を見出され、私が物心つく頃にはもう道場中で彼と互角に戦えるのは先代当主である祖父と、現当主である父しかいない状態だった。年は五つほど私より上らしい。『らしい』と言うのは、彼は自分の正確な年齢を知らないからだ。まず父を病で失い、少年ブルーノは母と幼い妹と肩を寄せ合って生きて来た。市井の祭事で行われる剣術の試合に参加して、小遣い稼ぎをしていたそうだ。其処を祖父と父に目を付けられたのだが、家計を支える身であったので誘いには乗らずコリント家の武術道場に通う事は無かった。しかし無理が祟って彼の母が体を壊した時、祖父は彼に援助を申し込んだ。代わりに道場へ通い、後々師範代として道場に所属する事を約束したのだ。ある程度実力を付ければ、護衛の仕事も斡旋すると約束して。つまり彼は―――言葉は悪いが幾ばくかの金でコリント家に買われたのだ。


祖父と父の目は確かだった。今では彼と肩を並べる実力を持つ者は王国にそうはいない。カクタスに渡り傭兵として働けば、かなりの地位に上り詰める可能性もあったかもしれない。ただ彼には体の弱い妹があり、医療技術の未発達な彼の国に一緒に渡る事は難しかっただろう。おそらくこの取引は、彼にとっても十分に利益のあるものだったのだ。


そして先ほど、既に師範代の資格を得て道場で指導をしているブルーノに、実入りの良い仕事が舞い込んだ。武の家と呼ばれる格式あるバルツァー家へ師範として送り込まれるのだ。私の剣に興味を持ったカスパルがコリント家の道場に通いたいと申し出、それならばと侯爵から父へ師範を紹介するよう、求めがあったのだった。


学院の長期休みを利用して、一度その稽古を見学しにバルツァー家を訪れた事がある。


必死でブルーノに立ち向かうカスパルに、昔の自分が重なった。ああ、私もあんな風に軽くあしらわれていたんだな……とブルーノの余裕のある背中を見ながら、恥ずかしくなった。自分で自分を観る事は出来ないが一所懸命なカスパルを見ていると、微笑ましく思うと同時に……色々と客観的に見えすぎて、どうにも居心地が悪い。ブルーノはこれまで決して私をぞんざいに揶揄ったり、貶したりしなかったのだから余計に―――痛い。


「道場で一番の手練れは彼なんだってね」


隣で練習風景を同じように眺めていたツェーザルが、そう呟いた。振り向くと真剣な視線をブルーノにあてたまま、こう続ける。


「……君より強いね?」

「う……まあな。一度も勝てた試しが無い。幼い頃から、彼が私の目標だよ」


負けず嫌いのしょうが疼くが、事実は事実だ。苦々し気に応えると、ツェーザルはゆっくりと振り向いた。


「以前言っていたね、強い者じゃないと君のつまにはなれないと。彼はその資格を有しているって訳だ」

「そうだな。まあ、ほぼ彼で決まりだろうな」


私が事も無げに言うと、ツェーザルは眉を顰めた。


「しかし……彼は平民なんだろう?」


意外だった。ツェーザルは学院一の実力主義だ。それこそ私が彼と親しくなったのは、彼が平民だろうが女だろうが、実力のある者と交流する事に躊躇が無いからだった。しかし彼は比類なき武の名門、バルツァー侯爵家の嫡男だ。やはり貴族籍を持つ者と平民の婚姻には生理的に拒否反応を拭えない……と言う事なのだろうか。


私は肩を竦めて素っ気なく返答した。


「その為の子爵位さ。コリント家は実力主義なんでね、名門出の君には理解できない価値観かもしれないが―――」

「いや、そう言う意味じゃない」


するとしかめっ面のまま、言葉を遮られてしまった。

なんだ?じゃあ、一体どういう意味なんだ。尋ねようとした時カスパルが子犬のようにコロコロと駆けて来て、真剣な面持ちで私の正面でギュっと拳を握りしめて言った。


「オティーリエ!どうだった?」

「ああ、だいぶん上達したようだな」


あまりに微笑ましくて、つい口元が緩む。私の返事にカスパルは嬉しそうにはにかむ。するとその様子を黙って観ていたツェーザルが、スッと足を踏み出した。そのままスタスタとブルーノに近付いて行き、一言二言遣り取りしたかと思うと二つの摸擬剣を手に取り一方を彼に手渡した。そして―――改めて距離を取り、向き合う。


どうやら彼は見ているだけでは堪えきれなくなったようだ。より強い相手と剣を交えたいと言う衝動は、強い人間であればこそ抑えきれないものなのだろう。その衝動はよく理解できる、理解できるが……。







結論を言うとツェーザルはよくやった。おそらく道場に所属する彼と同じ年頃の男達から比べても、対峙するブルーノはかなり手応えを感じていたのだろうと言う様子が見て取れた。

しかし相手が悪かったと言うほかないだろう。


普段の彼ならあり得ない事だが―――限界まで戦って土の上に仰向けに転がり、激しい呼吸を繰り返しながら動かなくなってしまった。私は彼に歩み寄り、腰に手をあて立ったままその泥で汚れた端正な顔を覗き込んだ。


「いつも澄ましているくせに―――美男子が台無しだぞ」


クスクス笑って当て擦ると「抜かせ……」と力の入らないいらえが返って来た。厳ついブルーノの表情の乏しい顔を見やると、彼は肩をすくめてこう言った。


「面目ない、手加減できませんでした」

「『強かった』って、言ってるぞ」


言葉の足りないブルーノの通訳をしたが、動けない様子のツェーザルは「……それはどうも……」と苦々し気にやっと返すのが精一杯のようだった。




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