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金呪綺譚《きんじゅきたん》

昔に書いたお話を、書き直したものです。(落ちを書き足した事により、いささか無理が出たかもしれません……;)

 どことも知れぬある星の、いつとも知れぬ時代の話。


 プロローグ 幽宮ゆうきゅうの姫


 朽ちた小さな城跡しろあとに、一人の姫が住んでいた。

 姫は名をアナレラと言った。滅んだ国の末代の姫、アナレラ=アナリ=アナレナ。だがその名を呼ぶものは、姫本人以外は誰もいなかった。

 大きく穴の開いた王間の天井からは、さんさんと日の光が差しこんでくる。だが雨の日や雪の日は、自然の厳しさをさえぎってくれるものもない。姫はそれでも、誰もいない、何もない王宮を逃げようとはしなかった。ただあきらめたような笑みを浮かべて、崩れかけた玉座に人形のようにすわっている。坐ることしかできないのだ。

 姫を哀れんだ森の小鳥や小リスたちが、てんでに木の実や何かを持って、アナレラのもとを訪ねてくる。姫は彼らの訪問を喜んだが、贈り物は受けとろうとしなかった。

「もう良いの。……私はもう、食べなくてもかまあない体なのだから」

 大きな青い目を細め、幽宮の姫は静かに微笑わらう。森の生き物は気の毒そうに、姫の足もとへ目を落とした。アナレラは、小さな足に可愛らしい金のくつをはいている。

 いや、そうではない。

 金の靴をはいていると思われたその足は、美しく凍りついたかのように、金そのものと化して固まっているのだった。


 同じ頃、アナレラの生きる国の隣国りんごくの王宮で、こんな会話が交わされていた。

「父上、僕にしばしのお休みをいただきとうございます」

 少年のような目をした王子が、国王に願い出る。カルウシャ国の王ジュゼクは、口に虫が入った時さながらの顔をした。

「何? お前がか? ……珍しいな、お前が何かをねだるとは」

「お許し願えるでしょうか、父上?」

 王子が甘えるような口ぶりでおうかがいを立てる。考えこむ手つきで口ひげをでた王は、やがてつまらなそうにうなずいた。

「ふぅむ。まあ良い、お前のことだ、余にとって不益ふえきなことはしでかすまい」

「ありがとうございます、父上!」

 王子ジュゼは、にっこり笑って深々とおじぎする。頭の羽根飾りと綺麗な金髪に隠れつつ、べろりと赤い舌を出した。

(――暴君王め)

 内心でそう吐き捨てて、舌をひっこめて顔を上げて、また笑う。

 己の妻を何かにつけてはいびり倒し、心労により死なせたジュゼク。優しい母が死んだ時から、ジュゼ王子は父をひそかに憎んでいた。けれど、父を憎んでも憎み通せぬ自分が、本当は一番憎らしかった。

 息子が王間を出てゆくと、ジュゼク王は気だるげに頬杖ほおづえをついた。

『すべからく、君主は横暴であるべきだ』

 ただの平民から成り上がり、善良な君主から国を奪った、ジュゼクの父の口ぐせだ。今は亡き父のその言葉を、現王ジュゼクは疑問にも思っていなかった。


 一の章・金の姫と銀の王子


 かさかさ、とかすかな音がした。

 何かが落ち葉を踏みしだく音だ。アナレラは浅い眠りから目をさまし、整った顔を夢見心地でゆっくり上げた。

「……小鳥たち? 小リスたちかしら?」

 一人言を呟いて、ぼろぼろになった石造りの廊下へと目を向ける。がたん、と石の煉瓦れんがの落ちるような音がして、姫はかすかに身構えた。

 違う、小鳥たちじゃない。何かもっと大きなものだわ。

 オオカミかしら? 熊かしら?

 もう考えた姫は、一瞬逃げようとした。けれども、すぐにあきらめた。金の呪いがかかったこの足では、とても逃げきれるものではない。がたん、とまた大きな音がして、綺麗な声が廊下の向こうから響いてきた。

「こんにちはぁ! えっとぉ、誰かいませんかぁ?」

「……に、人間っ!?」

 思ってもみなかった事態に、姫はオオカミや熊の訪問よりもっとずっとうろたえた。あわてて身を隠そうとして、金の足にはばまれて玉座から転げ落ちてしまう。音にびっくりしたように駆け寄ってきた青年が、アナレラ姫を助け起こした。

「……大丈夫?」

 姫が、恥じらいに顔をそむけてうなずいた。

「そっか。なら良かった!」

 青年は人懐っこく微笑んで、アナレラをきちんと玉座に坐らせた。それから当然のしぐさのように、姫の細い手に触れるだけのキスをする。顔を上げて自分を見つめる青年に、姫は白い頬を桜色に染め上げた。

 美しい青年だ。

 軽く結わえた金色きんの髪。それを飾るは、豪華で豪奢な孔雀くじゃくの羽根と、赤い宝石が二つ三つ。彩りにとどめをさすように、金髪に深緑しんりょくのリボンがかかっている。薄い胸はむき出しで、細い両腕に申し訳程度の袖のように、透ける布がかかっている。ぴったりと足に吸いつくようなジーンズをはき、腰には金のさやの剣を二本差している。

 どう見てもただの平民ではないと、世間を知らない姫にも分かる。正体不明の青年は、透き通るような萌黄もえぎの瞳に姫を映して微笑んだ。

「こんにちは。君がアナレラ?」

 アナレラは黙ってうなずいた。青年は『やっぱりねぇ』と言いたげに、子供のように頬を緩めた。しもべめかした所作で姫の前にひざまずき、うやうやしげに口を開く。

「初めまして。僕はジュゼ。ジュゼ・ジュセフ・ジュゼッペと申します」

 青年の名乗りを耳にして、姫の頬にいっそう鮮やかに赤みがさした。

「……されば、あなた様が……」

「そう、隣国カルウシャのジュゼ王子。アナレラ=アナリ=アナレナ姫、君の許婚いいなずけだよ」

 王子がはっきりした声音で告げた。

(……ど、どうしよう……一体こんな場合には、何と言ったら良いものかしら?)

 姫は頬を真っ赤に染めて、再び顔をそむけてしまう。ジュゼは姫の手を握ったままで、アナレラのまつ毛の長い横顔かおに見とれた。

(綺麗なひとだ)

 亜麻色の長いながい髪。本物と見紛うばかりの、精緻せいち造花はなの髪飾り。ぱっちりした青い目は、深海からすくい上げた大粒の宝石いしを思わせる。ひらひらした装飾の多い服装は、落ちぶれていても一国の姫だけのことはある。

 つと目線を下げた王子は、姫の固まった足に目をとめて、そっと足指へ指を這わせた。かちんと硬質な手触りに、ジュゼが小さく吐息をついた。

「……やっぱり、『金になる呪い』がかかっているんだね」

 アナレラは静かにうなずいた。握られた手に、上から白い手を重ね、小さな声音で問いかける。

「王子は、どうしてここへおいでに?」

「ん? ちゃんと見ておきたくて、僕の奥さんになる人を。……全身金に固まる前に」

 王子が姫の白い手を優しく持ち上げ、己の頬へすり寄せる。百年前からの恋人にするようなしぐさに、姫は困ったように眉をひそめて微笑んだ。

「まじめなお方なのですね。どうせただのお飾りなのに」

「そう思ってるのは、僕じゃない。僕の父上だよ」

 いずれ全身が金に変ずる呪いのかかった、滅びた国の年若い姫。ジュゼの父は、アナレラを『息子の妻』という名目で奪い去り、珍しい金像として、己が王国の飾りにしようとしているのだ。父に似ず優しい心根を持った王子は、あきれたように吐息をついた。

「ひどい人だ、父上も。そのひどい人に逆らえないこの僕も、たいがい嫌なやつだけど」

「それでも」

 アナレラが小さく歌うように言葉をこぼす。顔を上げた許婚に、口づける口ぶりでささやいた。

「それでも、こうして私にいに来てくれた」

「……せめて一生に一度くらいは、父上の意にそわないことをしたいと思ってね」

 言い訳のように呟いたジュゼは、子供が母を見上げる目つきで、姫の青い瞳を見つめた。

「ねぇ。君はいつも一人なの?」

「見ての通りですわ。小鳥たちや小リスたちが、遊びにも来てくれますけど。……人間のお客様は、本当に久しぶり……」

「淋しくないの?」

「……どうにも、しようがないですわ」

 姫は涙の代わりに言葉をこぼし、あきらめたように微笑んだ。

(似ているな、僕と)

 ジュゼは内心で呟いて、痛ましげに愛おしげに、出逢ったばかりの姫を見つめた。

 呪いのかかった姫と、横暴な王の息子。流されるまま生きてきた二人は、言葉にせずとも、互いの苦悩が切ないくらい良く分かる。ため息をつくジュゼに向かい、アナレラは小首をかしげて問いかけた。

「ジュゼってお名前、そちらの言葉で『銀の御子みこ』って意味ですわよね?」

「う? うん」

「どうして『金の御子』ではありませんの? 王様は、金が……一番がお好きなのに?」

 少し皮肉な質問に、王子がぐっと口ごもる。

(まいったなぁ)

 そう言いたげに苦笑しながら、またアナレラの細い手の甲にキスをした。萌黄の瞳を歪みを帯びて緩ませて、崩れた微笑を浮かべて答える。

「一番は父上だから。父上は『自分と同等以上のもの』がこの世にあることに、どうにも我慢がならないのさ」

 本当は、そんなものいっぱいあるのにね。

 吐き捨てる口ぶりで呟いて、王子は姫の手に頬をすりつけた。欠けていたパズルのピースがはまったように、不思議に心が満たされてゆく。

「あーぁ。本当、まいったなぁ」

 大げさに息を吐く王子に、姫が首をかしげてみせる。ジュゼは、冗談に見せかけた本気の声音でささやいた。

「僕さぁ、君のこと、本気で好きになっちゃったみたい」

 ただでさえ赤く色づいた姫の頬に、いっそう鮮やかな朱が昇る。細められた青い目から、何年ぶりかの涙が落ちた。王子は軽く伸び上がり、アナレラ姫のやわいくちびるへキスをした。

 姫のくちびるは優しく甘く、強い花の香りがした。

 何千万種の花の匂い。その花束の一番良いところだけを、煮つめたような香りがした。


 二の章・よく思い出すおとぎ話


 ジュゼは、自分の国に帰らなかった。

 ことさら何を言うでもなく、何を問うでもない。ただアナレラ姫のそばに、影のように従っていた。一日のうちのほんのわずかな間だけ、森で木の実や果物を食べ、泉の水を飲んで朽ちた城へ戻ってくる。

 最初は姫にも森の恵みを食べさせようとしたのだが、姫は何も口にしようとはしなかった。

「私はいいのです。食べなくとも平気ですから」

「それも『金の呪い』のためかい? けれど、おなかは空かないの?」

「……空かないことは、ないですけど」

「なら食べなよ、ほら!」

 王子が姫の口もとに、むいた果物を押しつけるように差し出した。姫は泣き出しそうに微笑んで、頬を染めて小声で答えた。

「この満足に動けぬ足では、後になって困りますから」

「『後になって』? ……」

 そこまで言われて、王子はようやく思い当たる。

 そうだ。人間は、食べるだけではすまないのだ。ものを食べれば、その後にしなければならないことがある。

(ああ、僕は何てことを言わしてしまったのだろう――!)

 王子は猛省もうせいし、黙って深く頭を下げた。それきり王子は、姫のもとへ食べ物や水を持っては来なくなった。

(ああ、本当に気の毒なことをした)

 初期の頃のそんなあやまちを思い出し、姫にかしずきながら王子が深く息をつく。

「どうなされました?」

 不思議そうに問いかけてくる恋人に、王子は黙って微笑わらってみせた。

「……少し、上がってきたね」

 ジュゼが何気なく話題を変えて、アナレラの足に軽く触れながら呟いた。

 何のことか。問わずとも分かる、金に変じた足のことだ。姫はゆっくりうなずいて、一人言めいてささやいた。

「全身金に固まるまで、あとどのくらいかかるでしょうか?」

 王子は答えることも出来ないまま、金の足を優しくさする。少女の柔い足の感触はかけらもない。ただ金属質の冷たい感触が、ジュゼの指をはね返すような硬さでそこにある。

 王子は小さく吐息をついて、姫を見つめて問いかけた。

「……アナレラ。君はいつも、何を考えているんだい?」

「あなたがここへいらしてからは、ずっとあなたのことを。あなたがいらっしゃる前は……」

 姫はつと言葉を区切り、淋しそうに微笑んだ。

「ある国のおとぎ話のことを、いつも考えていましたわ」

「おとぎ話? どんな?」

 不思議そうに自分を見つめる恋人を見つめ返し、姫はぽつりぽつりと語り出す。

「……昔、ある国に高飛車な女王と、気の弱い王がおりました。やがて二人の間に、一人の娘が生まれました」

 姫は静かに言葉をつむぐ。おとなしく聞いている王子の手を、甘く優しくさすりながら。

「娘はたいへん美しいと評判で、得意になった女王は、姫が十歳の誕生日にこんな暴言を吐きました。『見よ、我が娘は絶世の美女、魔女コルコーニャよりも美しい』と」

 森に住む魔女コルコーニャ。その名を聞いて、王子はああ、とに落ちた。

(知っている。この『おとぎ話』なら、自分もよく知っている)

 ジュゼ王子が、姫の手にすがるように頬を寄せる。そんな王子に微笑いかけ、アナレラ姫は言葉を継いだ。

「この言葉を耳にしたコルコーニャは、いかりました。美しい姫を奪い去り、彼女に『体が金に固まる呪い』をかけて、女王のもとへ返しました。女王は激しい後悔に身を焦がしてみずから死を選び、王は心労のために数年後に亡くなりました」

 語り終えてふっと息をつくアナレラに、王子は聞かでものことをあえて訊ねた。

「その姫の名は、何と?」

「……アナレラですわ。アナレラ=アナリ=アナレナ」

 己の名を口にして、姫が苦しげな笑顔を見せる。亡国の王女に、カルウシャの王子はなぐさめるようなキスをした。

「……この国に住んでいた人たちは?」

「去っていきましたわ、みんな。『魔女コルコーニャに呪われるような国なら、先は知れている』と言って」

 姫の答えを聞いた王子が、ふうっと長く息をつく。どこか他人事ひとごとのような口調で、ぽつりと呟いた。

「どうにか、ならないのかな」

「……え?」

「どうにか出来ないものかな。僕らの前に立ちふさがるいばらの道を、切り開くことが出来ないものかな?」

 アナレラが傷ついたような顔をして、ふっと口ごもる。王子も口をつぐみ、姫の手の甲に、ごまかすように柔いくちびるを押しつけた。

 濁流に流されて生きてきた二人は、流れに逆らうことが恐いのだ。流れに敵わないことを知るのが恐いのではない。流れに逆らい、流れに打ち勝った後、どうすれば良いのかが分からない。自分一人の力で、自分一人の判断で生きてゆくのが、恐ろしくてたまらない。

「……馬鹿だよねぇ、僕たち」

 王子が泣き笑いの声音で言葉をこぼす。アナレラは眉をひそめて微笑った後、かぶりを振るようにうなずいた。

 初夏の日ざしがさんさんと、大穴の開いた天井から明るく二人を濡らしていた。


 三の章・コルコーニャ


 二人が出逢って数か月が過ぎた。

 アナレラの足は、もうひざの所まで金に固まっていた。王子は黙りこむことが多くなり、四六時中ため息をつきながら、姫の足をさすっていた。

「コルコーニャ……」

「え?」

 ぽつり呟かれた言葉に、アナレラ姫が顔を上げる。王子は思いつめた顔をして、もう一度魔女の名を呼んだ。

「コルコーニャ=コール=コーリャ。どこにいるんだろう? 君に呪いをかけた魔女は」

 王女は口にしかけてためらった。魔女に逢う方法は知ってはいるが、そのすべを人に明かしてはならないと、魔女本人にきつく口止めされている。

 アナレラは何度も口にしかけては言いかねて、最後にようやく口を開いた。

「……この城の前にある、グルガ森の最奥の巨木。その巨木のうろに向かって『心から逢いたい』と望みながらコルコーニャの名を呼ぶと、それで彼女に逢えるそうです」

「そうか……そうか」

 小さく唱えたジュゼ王子が、燃え立つような萌黄の瞳で姫を見つめた。今までに見たことがないほどに、ひどく真剣な面持ちだった。

「アナレラ。コルコーニャに逢いに行こう」

「…………え?」

「君が金に固まるのを、これ以上黙って見てなんかいられない。コルコーニャに呪いを解いてもらいに行こう!」

(ざん、……)。

 流れに逆らって王子が泳ぎ出す音を、アナレラの耳は聞いた気がした。どうしてか、泣き出したいくらいに姫の気持ちがたかぶってゆく。言い知れぬ感情の波に、アナレラがかぶりを振るように身をよじる。ジュゼはぐっと王女の手をひき、姫をおんぶして歩き出した。

「さあ、行こう。魔女といえども鬼ではなかろう。話せばきっと分かってくれるよ」

 勝手な希望を口にしながら、王子が気張った足どりで歩を進める。姫は王子におぶさりながら、きつくくちびるを噛みしめた。

 悲しい。切ない。

 まだ流れに逆らえない自分がみじめで、ジュゼに置いていかれた気がして。

 自分の背中が温かく濡れてゆくことで、ジュゼは姫が涙していることに気づいた。気づいていて、あえて気づかぬふりをした。


 森の中は、小さな生き物たちの吐息であふれていた。

 かさこそ、という小鳥や小リスの立てる音が、二人を追ってついてくる。ジュゼの息が荒くなるごと、森の奥へと近づくごと、音は遠く小さくなっていった。

 二人はやわやわとした優しい葉色の落葉樹の森を越え、黒く尖った針葉樹の森を過ぎ、やがて淡く霧のかかる、薄暗い森の最奥に行き着いた。そこには、それ自体が魔性の生き物であるとも見紛うほどの巨木があった。

『近づくものは、みな一呑みだ』。

 巨木はそう言いたげに、その腹にぽっかりと大きな口を開けていた。

「……ここだね、アナレラ?」

 息を切らしたジュゼが、肩で息をしながら訊ねた。

 草はらに降ろされた姫は、黙って首をたてに振る。姫のしぐさにジュゼは大きくうなずいて、ふうーっと息を吐いて呼吸を無理やり整えた。それからあらん限りの大声で、うろの中へと呼びかけた。

「コルコーニャ! 偉大なるうつくしの魔女、コルコーニャ=コール=コーリャ! どうか姿を現したまえ!!」

「ええい、うるさい。そのような大声を出さずとも聞こえておるわ、うつけ王子が」

 いきなり耳もとでこう言われ、ジュゼがびくりと振り返る。

 いつの間に現れたのか、美女が一人いちにん立っていた。黒いビロードのマントをはおり、笹の葉のように長い耳をぴくぴくと神経質そうに揺らしている。

(魔女だ。魔女コルコーニャだ!)

 王子は息を詰め、魔女の動向に神経をとぎすます。そんな王子を小馬鹿にしたように流し見た後、魔女は紅色べにいろの目で嫌味まじりに笑ってみせた。

「どうした、父の傀儡王子かいらいおうじジュゼ・ジュセフ・ジュゼッペよ。我を探して来いと、父王に青い尻を叩かれたか?」

 ジュゼはぎゅっと柔いくちびるを噛みしめた。ふと萌黄の瞳で魔女に怯える姫を見つめ、かすかに微笑う。嵐に見舞われた花のように震える姫が愛しくて、愛おしいから、こんな屈辱も恐くない。

 ジュゼは正面から美しい魔女を見据え、まっすぐに言葉を投げかけた。

「魔女コルコーニャ。アナレラ姫にかけられた、金の呪いを解いてはくださらないだろうか?」

「……何故なにゆえに?」

「そも姫本人には何のとがもないはずです。あなたをあなどった女王は悔いてみずから死を選び、王は心労で亡くなった。国はとうの昔に滅びた。もう彼女を呪う理由はないはずだ」

「ふん」

 魔女のくちびるから笑みが洩れる。コルコーニャは嘲るような笑いを浮かべ、切りつけるほどの激しさで、すらと王子を指さした。

「ずいぶんと生意気な口をきくようになったではないか、傀儡王子ジュゼ。我はお前を生まれた時から水晶越しに見ていたが、お前は人様に意見出来るような性分ではなかったはずだ」

 痛いところをずばり突かれて、ぐっと王子が口ごもる。勝ち誇るように嘲笑わらった魔女が、たたみかけて問いかけた。

「何がお前をそのように変えたのだ、ジュゼよ」

 ジュゼは黙って、手のひらを泳がせ愛しい姫を示してみせた。

「…………『愛』か?」

 姫を振り返り、魔女が呟く。王子はためらいもなく魔女の言葉にうなずいた。

。僕は彼女を、アナレラを心から愛している」

「く」

 魔女の口から笑いが洩れた。ぴんと突き出た耳がおかしげにぴくぴく震えている。魔女はおかしくてたまらないといった風に、声を殺して肩を揺らして笑っている。そうして無邪気に笑った顔は、意外に可愛らしく見えた。

 ようやく笑い終えたコルコーニャは、ふくろうじみた動きでくるっと妖しく首をかしげた。

「よし、されば傀儡王子の愛に免じて、金の呪いを解いてやろう。ただし、半分だけだ」

『半分だけ?』

 綺麗に重なった二人の問いに、魔女はゆかいそうに微笑する。

「ああ。アナレラ、お前は腰から下がすべて金に変わる。それで呪いは半分だ」

 姫を指さして告げた魔女は、次に王子を指さした。

「ジュゼ、お前の腰から下も金に変えてやる。それがもう半分の呪いだ」

 魔女は得意げに肩を揺らすと、上から見下げるような視線で口元を緩めジュゼを眺めた。

「どうだジュゼ。半身の自由を失ってまで、この女を救いたいか。この女と共にいたいか?」

「是」

 ジュゼが迷いなく言葉を発する。王子の答えに、魔女は今度こそ本当に吹き出した。

「ぷ……くっ、あはは! あははははっ! 人とはほんに愚かなものよ……『愛のため』とうそぶきおって、そんなたわけた決断までも平気でしてしまうのだから!」

 コルコーニャは肩までの黒髪を揺らして笑い続ける。ようやく笑いをおさめると、姫に向かって指先で軽く円を描いた。

「これで良い。もう姫の呪いは半分解けた」

「あ、ありがとうございます!」

 顔を輝かせ礼を言う王子に、魔女は眉根をひそめて微笑んだ。

「……ああ。さればジュゼ、いつ自分の身に呪いが降りかかるか、楽しみに待っているが良い。それと」

 コルコーニャが赤いくちびるへ指をあて、ご褒美ほうびのような口ぶりで告げる。

「呪いが完全に解ける道がある。が、我はその術を明かさぬ。どうすれば金の呪いが解けるのか、自分たちで考えろ」

 そう言い残した魔女が、ばっとマントをひるがえした。とたんに生温い強風かぜが吹き、二人は思わず目をつぶる。再び目を開けた時、魔女の姿は消えていた。

 アナレラが青い目に涙をためて、こいねがうようにジュゼを見上げる。

「……ジュゼ……」

(ごめんなさい。私のために――)。

 言いたいことも言うべきこともたくさんあるのに、言葉が小石のようにのどに詰まって話せない。ジュゼは何でもなさそうに、小さく微笑って応えてみせた。

「いいんだ。君を失うよりか、ずっとましだよ」

「……ジュゼ……っ!」

 王子の足にアナレラ姫がとりすがって泣き出した。ジュゼは彼女の頭の花飾りに手を触れて、亜麻色の髪を撫ぜながら、一粒、二粒涙をこぼした。

 愛しい人をこの手で救えた、喜びの涙だった。


 四の章・最後の呪い


 それは長い告白だった。

 王子の話を聞き終えたカルウシャ国の国王、ジュゼクは深く長く息をついた。

「なるほどな。どこでいつまで油を売っておるのかと思うたら、呪いをしょいこんで帰ってきたという訳か。馬鹿息子が」

 吐き捨てるような口ぶりに、ジュゼが低く身を縮める。

 ジュゼはあの後、アナレラを自分の城へと連れ帰り、父に逢わせた。アナレラは今、王の居室に運ばれた粗末な椅子に坐っている。

 父の前にかがんだジュゼは、横目でアナレラを流し見た。呪いは姫を侵し尽くし、腰から下は全て金へと変わっている。姫は、獣に射すくめられた小鳥のようにかたかた小刻みに震えている。そんな彼女が、狂おしいほど愛おしい。

 ジュゼクはいまいましげに息をつくと、「まあ良い」とつばを吐くそぶりで言い捨てた。

「まあ構わぬ。お前たち、腰から下をこのカルウシャに置いてゆけ」

 唐突に放たれたことに、二人がきょとんとした顔で王を見つめる。王はいらだたしげに肩を震わせ、もう一度吐き捨てた。

「聞こえんかったのか? 出来損ないの息子と、出来損ないの嫁などいらぬ。腰から下の金を置いて、どこなと出てゆけ」

 ふっと意味の分かったアナレラが、ますます激しく震え出す。ジュゼが歯を食いしばって顔を上げ、噛みつくように言葉を吐いた。

「何ということをおっしゃるのです? 体を二つに切り離されて、生きていけるはずもありますまい!」

「知らぬわ。お前のようなやつなど知らぬ。良い傀儡くぐつだと思うていたに、とんだ役立たずじゃ」

 泥にも等しい言葉を吐いて、王が物を指すように己の息子を指さした。

「お前は今までのようにうなずいておればそれで良い。さあ、いつものように『是』とだけ答えて笑うが良い」

 王子がくちびるを噛んで押し黙る。かたかたと震える姫を流し見て、萌黄の目を閉じてうつむいた。ぎちぎちと両の手を血の出るほどに握りしめ、ようやくゆっくり顔を上げる。

いな。」

「――……何?」

「否。自分一人の命なら、喜んで投げ出しましょう。だが姫の命まで奪うとあっては、この体一寸刻みに刻まれようとも『是』と言う訳にはまいりませぬ!!」

 今まで誰にも発した覚えのない、はげしい言葉。その言葉を己が父へと投げつけて、カルウシャ国の第一王子ははったと王をにらみつけた。ジュゼク王が舌を噛み切りたそうに顔を歪めて、爪を噛む。

「……おのれ、穏便に言うておればつけあがりおって。余にそのような口をきいておいて、ただで済むとは思うていまいな」

 ジュゼク王が、腰に差した剣のつかへ手をかける。あわてる護衛や召使いの手をふり払い、腹立ち紛れに一喝いっかつした。

「外へ出ていろ! 余が良いと言うまで誰も入るな!」

 姫と自分と、血を分けた父。

 その三人以外誰もいなくなった空間で、ジュゼは黙って立ち上がり、愛剣をすらと引き抜いた。ジュゼクが侮りきった声音で、己が息子を挑発する。

「斬れるのか? お前に余が斬れるのか?」

 ジュゼが燃え立つ萌黄の瞳で、父親をまっすぐにらみ据える。

 斬れる。

 何のためらいもない瞳が、ありありとそう語っていた。

「――――――――ッッ!!」

 声もなく気合を上げ、ジュゼが父王へ斬りかかる。剣を引き抜いたジュゼク王が、獣のような唸りを上げてジュゼ王子を迎え撃つ。思わず目を閉じたアナレラが、無理やりに目を見開いた。

 いけない。もう逃げてはいけない。全てのものから逃げるのは、もう終わりにしなくては。

 だってジュゼは、私のために……!

「……ジュゼ! 負けないで、ジュゼ!!」

 アナレラは声をふりしぼって愛しい人へ声をかける。それだけでもう、彼女には精一杯の勇気だった。呪いに流され、運命に流されてきた亡国のお姫様。

 ジュゼは彼女に向かってほんの一瞬微笑んだ。萌黄の瞳が再び燃え立つ。ジュゼは猛然と憤然と、血を分けた父に向かっていった。剣戟けんげきの音に入り混じる愛しい声に励まされ、ジュゼは少しずつ父を追いつめる。ジュゼクの体に赤い傷が増えるごと、王子の剣は、わずかずつ鋭さを失くしてゆく。

 無理もない。どれだけひどい人だろうと、紛れもない我が父なのだ。

(それに――)

 考えかけたジュゼは、燃え立つ萌黄の瞳を歪める。この人と自分との間には、父と子以上の『繋がり』がある。それでも、王子は手を止めない。愛する人のために、弱すぎた自分のために、最後まで手を止めようとしなかった。

「ジュゼ! 頑張って、ジュゼ!!」

 血を吐くような姫の言葉に背中を押され、ジュゼは王座までジュゼクを追いつめた。きりきりと歯を食いしばる父に向かい、ゆっくりと剣を上向ける。

 その刹那、ぴきりとかすかな音がした。ジュゼは萌黄の瞳を見開いて、己が足もとへ目を落とす。細いながらもたくましい足先が、きらめくような金色きんの輝きを放っていた。

「……っこんな時に……っ!」

 王子がくちびるを噛みしめる。そんな王子を嘲るように、足が見る間に輝く金へと変じてゆく。ジュゼが太い眉を苦しげにひそめ、がくりとその場にひざをつく。そんな我が子のさまを見て、王はただれ落ちるような歪みに歪んだ笑顔を見せた。

「はは。ははは……こんな場面で呪いが発動するとはな……よくよく運のないやつよのう」

 ジュゼクは子供が虫を踏み殺す時の目でわらい、剣をゆらりと差し上げた。

「ジュゼ。これはお前の剣でさんざんさいなまれた礼だ。思うさまなぶり尽くした後、お前が望んだ通りに、一寸刻みに切り刻んで殺してやろう」

「……ぃ、嫌ぁ! ジュゼ! ジュゼぇえ!!」

 王女の悲鳴を協奏曲に、鬼畜の王が己が息子を嬲り出す。ジュゼは必死に抗った。だが、両足の自由を奪われては片羽根をもがれた鳥も同然だ。全く歯が立たないまま、全身を浅く深く、刀傷で彩られてゆく。

「ジュゼ! ジュゼえぇっ!!」

 姫が狂ったように許婚の名を叫ぶ。王子の豪華な羽根飾りが無残に飛び散り、美しい金色こんじきの髪がざんばらに切り刻まれる。愛しいジュゼの頬が、肩が、腕が、鮮やかに赤い血で染まる。

「止めて! 止めてやめて止めてぇっ!! ジュゼぇええッッ!!」

「ははは! どうだ痛いか苦しいか! 泣きながら這いつくばって余の足を舐めて『お願い』したら、許してやらんでもないぞっ!!」

「……誰が……っ!」

「ほう? ならば痛みに苛まれながら死ぬが良いっ!!」

 王は血に狂ったように剣をめちゃくちゃに振り回す。ジュゼのひたいがぱくりと裂けて血が奔る。アナレラは泣きながらわめきながら、悶えてもがいて泣き叫ぶ。だが金の足は、粗末ながら頑丈な椅子に吸いつくように坐りこみ、どうしても離れようとはしてくれない。

 アナレラは桃色のくちびるを血の出るほどに噛みしめて、初めて己を芯から憎んだ。

 どうして。

 どうして私は、いつもいつも何かに流されているばかりで。愛しい人が死にそうなのに、どうして何も出来ないのだろう……!

 心臓が燃え立つほどの、己に対しての烈しい怒り。その激情は金に固まった足へ向けられた。

「……動け」

 自分以外の誰にも聞こえないほどの、低い声。姫は金色に変じた両足に、とんとこぶしを打ちつけた。そのリズムがめちゃくちゃに激しいものに変わってゆく。か弱い手が金にこすれて皮が破れ、血が噴き出し、それでも姫は己を全力で殴り続ける。

「動け。動け! 動け! 動け!」

 姫は細い両足にこぶしを打ちつけ、泣きながらわめきながら一心に叫んだ。

「動け! 動けぇ! 動けぇええええええぇえええええッッッ!!!」

 パキィン……ッ。

 何かが割れるような音が、あたりに響く。息子にとどめを刺そうとしていたジュゼクは、剣を振り上げた手を止めた。血に濡れて殺し合っていた親子が、姫の方を振り返る。

 姫は立ち上がっていた。

 金に固まったはずの細い両足あしが、白い肌を持つ綺麗な足に戻っていた。

「……アナレラ?」

 愛しい人に名を呼ばれ、姫は歩み出す。ふらつく足で転げるように王子のもとへ駆け寄ると、黙ってジュゼの頬を撫ぜた。王子が腰に差していたもう一振りの剣を引き抜き、ジュゼク王へと向き直る。

「………………っっ!」

 桃色のくちびるからこぼれる息は、もう声にもならない。姫が王子を守ろうと、敵うはずのない相手に剣を向けている。かたかたと足を鳴らし、切っ先をふるふる震わせて。

 目の前の茶番に、ジュゼク王は身をそらせて笑い出す。

「……ふっ……ふはは、はははははっ! これは傑作だ! うるわしの姫アナレラ嬢、満足に歩いたこともない箱入り姫が、余に敵うとでもお思いか?」

 恐い言葉の刃にも、姫はひるまない――訳がない。ひるんでいるのだ、痛いほど。

 逃げ出したい。今までのように目をつぶって見ないふりをしていれば、簡単に事は終わるのだ。ジュゼを殺したジュゼク王に腰から下を斬り落とされて、それでこの世とさよなら出来る。敵うはずのない剣戟で嬲り殺されるよりか、それでもいくらかましだろう。

 それでも。

 ――それでも。

「……私は、逃げない……っ!!」

 迫り来る恐怖に涙を流し、面白いくらい震えながら、亡国の姫は宣言した。ジュゼクが姫の決意をふんと鼻で嘲笑う。

「呪いが解けたは魔女の気まぐれか知らんが、どうとて結果は同じこと。お前から先に死ぬが良い!」

「…………ッッ!!」

「アナレラ!!」

 見開いた姫の眉間に刃が奔る。王間をつんざくジュゼの悲鳴に混じり、パキ、とかすかな音がした。ジュゼク王が剣を振り上げた手を止める。王が下げた視線につられ、姫と王子がジュゼクの足もとへ目を落とす。

 王の足先が、金色にまばゆい輝きを放っていた。

「……なぜだ」

 ジュゼクが苦悶の声を上げる。ピキピキとかすかな音を立て、金はまたたく間に王の足を伝いに伝い、体の中心へ登ってゆく。

「なぜだ。なぜ、何故余が金の呪いを受けねばならぬのだ……っ!!」

 剣を取り落としたジュゼクが、絵に描いたように取り乱す。ついさっきまで嬲り殺そうとしていた息子へ向かい、祈るように手を組んだ。

「た、助けてくれジュゼ……魔女にとりあって、呪いを解けと頼んでくれ……ジュゼ、ジュゼ、頼む、たのむ……ジュゼ、お前はいつだって余の言うことをきいてくれたであろう?」

 王子がつらそうに萌黄の瞳を歪めてみせた。綺麗な瞳に、いっそ滑稽こっけいなほどにみじめな父の姿が映る。

「なぁジュゼ、頼む……お前は真実血を分けた、余の一人息子であろう?」

 ジュゼがうつむき、深く長く息をつく。その脳裏に、父との思い出が蘇る。

 気まぐれに見せてくれた優しい態度、数えるほどの嬉しい思い出。そうして、父と子が越えてはいけない一線を越えた、数えきれない夜の営み――。

 ジュゼは哀れな老人じみてこいねがう父王へ向かい、顔を上げる。それからゆっくり首を振り、いっそ慈しむように、ほんのりと淡い笑顔を見せた。

「父上。……さようなら」

「ぅ……う……うがぁああああぁあぁあああぁあああああああああああああッッ!!!」

 ジュゼクがえた。それは紛れもない、絶望と怒りに身を震わせた、一頭の獣の声だった。頭を抱え、天を仰ぎ、呪われた罪人そのままの格好で、王は一体の金像ぞうと化した。

「父上……」

 吐息混じりに呟いた王子が、切なげに萌黄の瞳をまたたいた。それからふっと軽くなった足に気がつき、己が体を見下ろした。

「……え……あれ……?」

 どうしたことだろう。金の呪いが解けている。驚く王子の目の前で、アナレラがしなしなとくず折れた。あわてて姫を助け起こしたジュゼが、甘い声音で問いかける。

「大丈夫?」

 王子の声に顔を上げたアナレラの目が、燃え立つようなあかい色に染まっていた。

「……コルコーニャ……?」

 ジュゼの呟きに、アナレラがくすりと微笑って言葉をこぼす。

『ようやく分かったか、うつけども。お前たち二人が初めて自分自身で歩もうとしたから、金の呪いは解けたのだ。一番呪いを受けるべき相手に弾けてな』

 アナレラが――いや、アナレラの体を借りたコルコーニャが、金に変じた王を振り返る。魔女は嬉しそうに、淋しそうに、眉をひそめて淡く微笑った。ぽんと子供にするように、ジュゼの頭へ軽く手をやり、母じみた笑顔でこう告げた。

『さあ、もう良いだろう。あとは二人で生きてゆけ』

 紅い瞳に、王子が映る。生まれ変わったばかりの、一人の王子の姿が映る。魔女は無邪気な笑顔を見せて、ぐりぐりとジュゼの頭を撫ぜ回した。

『これからは、お前ら自身の話だ。二人で考え、二人で笑い、嘆き、二人手をとって生きてゆけ』

 言った瞬間、すうっと瞳の色が変わり、潤んだ青い目が現われた。かくんと倒れこむアナレラの肩を、王子が優しく抱き寄せる。ぼんやりと自分を見つめる姫のひたいに、ジュゼが柔いくちびるを押しつけた。

「……何? どうしたの……?」

「魔女が来た。『これからは二人で生きてゆけ』ってさ」

 ふうう、と長く息をつき、ジュゼは姫の頭へ手を置いた。遠い目をして、しみじみ呟く。

「……ねぇ、アナレラ。もしかしたら、本当はさ」

 アナレラが、不思議そうに自分を見上げる。そんな姫君の頬を撫で、ジュゼは黙ってかぶりを振った。

(――もしかしたら)

 魔女コルコーニャは、こうなることを予見していたのかもしれない。カルウシャ国の将来を憂い、いずれ姫と王子がジュゼクを倒すことを期待して、アナレラに呪いをかけたのかもしれない。

(……そのために、アナレラの国を潰してまで?)

 内心で呟いたジュゼ王子は、風船の空気が抜けるような吐息をついた。

 分からない。何も、なんにも、分からない。けれど、今はそれでも良い。となりにアナレラがいてくれるから、それだけでもう何でも良い。

 そう心中で歌うようにささやいて、王子は目を閉じ微笑した。

「さあ、行こう」

 萌黄の瞳を明るく開き、王子が姫に手をのべる。とっさに白い手をそえて、姫は小首をかしげてみせた。ジュゼが少し淋しそうに微笑して、柔肉色やわにくいろのくちびるを開く。

「国の皆に知らせよう。新しい王と女王が誕生したと。これからは民のためを思い、民のために生きてゆくと」

 ジュゼはふと金像の父を見つめて、ずっとかすかに鼻をすすった。

「ひどい王だったし、ひどい父親だったけど。……やっぱり、僕は彼を憎みきれなかった」

 好きだったんだ。最後まで。

 王子が……新郎が、かすれた声で打ち明ける。声を殺して涙する。そんな優しい新王に、アナレラは静かにうなずいた。

(よく分かる)

 呪いをかけられる元凶となった母だけど、それでも私も、母をとても好きだった。

 けれどこれからは、愛と束縛を取り違えて、流れに飲まれて生きはしない。人生という荒波に、溺れきれずにみじめに生きてゆくことはない。どれだけつらくとも、どれだけ厳しくとも。

「一緒に生きてゆきましょう。ジュゼ」

 ジュゼは涙ぐみながらうなずいて、新たな女王の白い手の甲に口づけた。


 そのさまを、水晶玉の向こうから魔女コルコーニャが見つめていた。

「それで良い。これからは二人で生きろ。――我が息子よ」

 魔女は小さく呟いて、紅い目を緩ませて微笑んだ。

 そう、ジュゼは自分の息子。魔女の素質の欠片もない、自分とは似ても似つかぬ鬼子おにご

「ジュゼよ。お前の母は、子を生むことが出来なかった。そのためにジュゼクは、彼女につらく当たっていた。どころか、実は男女構わず食い散らすジュゼクの『種』も、子をせぬほど欠けていた」

 誰も聞くことのない告白を、コルコーニャは水晶に向けて語ってゆく。

「我はそんな二人を目にして、何かの助けになるかとジュゼクと情を交わし、魔力で『種』の欠けたところを補って、産まれたお前を王子とした。だが、事態は変わらなかった。どころかいっそう悪くなった。お前の『母』はジュゼクにいびり殺され、お前は父王に『いつくしまれる』始末……」

 ため息をついたコルコーニャが、懺悔ざんげのように言葉を重ねる。

「我は一計を案じ、隣国の女王の悪言を口実に、アナレラ姫に『金に変じる呪い』をかけて事の行く末を見守った。ジュゼクはきっと、アナレラ姫の金像を欲しがるだろうと。そうして心優しいお前は、姫を気の毒に思って彼女と接触をはかるだろうと……」

 それは小国一つを滅ぼす、一か八かの賭けだった。

「――その賭けが、こうもうまくいくとはな」

 呟いた魔女は、痛みの溶けこんだ笑みを浮かべた。ジュゼは一生、自分が魔女の子だと気づくことはないだろう。それで良い。

(良い王になれ――)

 くちびるだけで呟いて、魔女は水晶越しに愛しい我が子の頬を撫ぜた。紅いあかい瞳から、一すじ、二すじ、涙が落ちた。


 どことも知れぬある星の、いつとも知れぬ時代の話。

 それはとてもありふれた、小さな奇跡の物語。

                                      (了)


い、いかがだったでしょうか? 自分ではけっこう気に入ってるんですが……。自作テープに(書き直しのため)朗読の声を吹きこんで、王様の台詞(低音)で咳きこんだのも良い思い出ですww

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