旅立ち【短編】
五日ぶりの風呂。
浴槽で服を脱いで、包帯を剥がす。鏡に映る自分の背中。驚いた。傷が綺麗さっぱりなくなっている。
もしかして、あれは夢だったのだろうか。いや、そんなことはない。
現に人々の心の傷は癒し切れておらず、その姿を見るたびに母と弟を思い出す。もう、二度と会えないのだと。
身体は思ったよりも冷めていたようで、緩いお湯なはずなのに火傷をするかと思った。でもどこか懐かしくて。五日前、最後に入ったのは剣の稽古から帰ってすぐだったっけ。いつも通り、悪いことも罰当たりなこともしてないのに。どうして自分がこんな目に遭わなければならなかったのか。目が潤んできた。
他の避難民が使うシャンプーの匂いが辺りに広がってきた。違う。俺の家は薔薇の香りじゃない。もっと優しくて暖かい、サフランの香り。それがお母さんの匂い。
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風呂から上がると新しい着替えが用意されていた。
袖を通す。服は少し大きめだったが気にせず着替える。麻で出来た狩衣。しかしそこには王族の家紋が描かれていた。今まで王宮に貯蓄されてきた高価な服や食糧は、ギルベルトが全て生き残った国民に支給した。彼には助けられてばかり。どこまで国のことを思っていたのか。それがやっと今分かった。
いつか恩返しをしたい。それがいつからは分からないが。
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特に仲の良かった知人もいないので、ギルベルトに軽く挨拶を済まして城を出た。瓦礫と全壊が広がる城下町。
業火の中、背中に振り下ろされた剣。人を殺せなかった見習い騎士。そういえばあの時、何故俺は死ななかったのだろう。今まで事件のことでいっぱいいっぱいで、ふとした疑問まで頭が回っていなかった。
あのあと直ぐに怪我の治療をして貰ったが、血の量に比べると遥かに傷が浅かった。
城下町、西門前。俺が刺された場所。傷をおい目が覚めたあと、初めて見たのはフードを被った男だった。顔は、俺そっくりで。
何故、【大量虐殺の静粛】が起こったのか。
『今のお前には、分からないことだ』
あの男に浴びせられたこの言葉の意味を、今も理解は出来ていない。けれど、この言葉はこれから一生自分について回るような気がした。
あれから男は捕縛され地下牢に収容されたらしい。この国、エスティマが落ち着いてから男の処遇を決めるそうだが、処刑___助かる見込みはないだろう。
男は自らを【大量虐殺】と名乗ったそうだ。そこから、あの悲劇の事件【カルネージの粛清】という歪な名前がついた。皮肉な話。
西門を出てすぐ、最後に一度エスティマの国を振り返ってみる。そうか。外から見たら、案外こんな小さな国だったんだ。崩された壁の瓦礫がまだそこら辺に積まれている。
壁に守られた国、エスティマ。なんだか臆病な王様が閉じ籠ったカラのように思えてきた。くすっと笑いが溢れた。
『港のある街は人の足でここから西に4日。その間にロロノフという街がある。といってもかなり昔の文献に載っていたことだから、信憑性はないけどね』
ギルベルトの言葉。何でも500年前に書かれた地図しか残っていないらしく、曖昧な答え。エスティマがいかに外界を知らないかがよく分かる答えだった。
いつ帰るか分からないし、正直旅先の宿がどうなるかも決まっていない始末。けど、だけど。
「いってきます。母さん、アモン」
ここで留まっていたら、自分の時間が止まる気がする。だから。
踏み出さなければと思って。
護身用の剣と、2日分の軽食糧を肩にエスティマに背を向けた。
一人称が【自分】から【俺】に変わったのは、自我が少し強くなったからと解釈して頂けたら嬉しいです。
また、これからも緩やかに成長させていく予定です。