エスティマ滅亡編7
ギルベルトは剣を振りかざして、一人、また一人と心臓を貫いていく。
模擬戦のスピードのまま、美しい型で。ルシアはそれに応戦して、剣を握る。なのに、いざ賊軍を前にして足が動かない。やっと動いたと思ったら、頭が真っ白になったのだ。
剣の使い方自体が分からなくなる、そんな感覚に陥った。足はどんな踏み込みだったか。重心の掛け方は、掬の握り方は。どうやって人を斬るのだろうか。
答えは決まっている。
人を斬ったことがないのに、分かるわけがないんだ。
その所為で、背後に回り込まれた一人の賊に気が付かなかった。
刹那、左肩から背に向けて一筋の鈍い何かが降ってきた。身体が歪み、バランスを崩して頭から地面へと強く強打する。
ぬるっとした赤い感触が、地面から伝わってきた。それが自身の血なのだと気付くのに大して時間はかからなかった。
ああ、人間はこんなあっさりと死ぬのか。そりゃそうか、彼ら賊軍は圧倒的な実践力を積んでるんだもんな。
まさか自分がこんなに短い人生だったなんて。もっと我儘を言えばよかったな、なんて。
死が近づくと不思議なもので、思考が上手い具合に働く。
遠くからは、ギルベルトの自身を呼ぶ声が聞こえるが……今は名前なんて如何でもいい。もうすぐ全てが終わるのだから。
ギルベルトが残党を片付けて剣を地面に投げ捨てて此方に駆け寄ってくる。剣が石畳の地面につき、ガランという音が反響する。自分の右耳にも伝わってきて、ほんと五月蝿い。
でも駄目みたい。耳の聴力も、もう上手く機能しないみたいだ。
「ルシア!!僕は君を………」
最後の最後。ギルベルトの言葉を聴き終えることなく、深淵から伸びた手にすっと意識が持って行かれた。
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どれくらい眠っていただろう。
深い深い海の底で、光も誰も居ない場所を漂っていたような。恐怖と孤独の中、一人ぼっちだったような。変な夢を見た。ほんと目が乾く。
ただ、目を開けても夢と大差のない世界が広がっていたら。自分は何をするのだろうか。
結局、頭痛と激しい痛みの中で目が覚めた。辺りは火が収まっていたが、やはり自分が生まれ育った街の成れの果ての姿。血と尸と全壊の街が眼前に広がっていた。
ただ一つだけ、いや、一人だけ。生命がルシアの前に立っている。彼は自分が見慣れた人物、エスティマの丘にいた男だった。まさかこんな場面で出くわすことになろうとは。
男はフードをつけたまま、此方に一歩、また一歩と近付いてくる。
「生きてたか」
敵だろうか。
殺される、と思った。
男の存在感は今まで会ったどの騎士よりも濃い。上から羽織ったマントに染み付いた濃く赤い返り血のようなもの。足元は尸を踏み越えてきたように、血の染みがべっとりと付着していた。
間違いない。彼が賊軍の統率者だ。
直感がそう判断した。
ただこんな状態だというのに、不謹慎にも彼から匂う金木犀の匂いがどこか懐かしく感じるということだった。
男は自分まであと3歩というところで立ち止まる。
自分はとっさに声を張り上げる。その声が裏返っているともしれず。
「何故、こんなことした」
予想は大方合っていた。
目の前の男は賊軍の統率者。もしくは、その関係者。
そして心底残念そうな顔をして、地の底から出ているであろう声で言葉を吐き捨てた。
「今のお前には、分からないことだ」
頭の血が沸騰するように、かっとなった。そんな訳の分からない理由で、街がこんな状態になったんだ。納得出来る訳がない。
ズキズキと痛む左肩と頭を振るい起こして、剣を握る。残った力をこれが最後だと言わんばかしに集中させ、男の喉に斬りかかった。
男は予想していなかったらしく、間一髪のところを避けたが、そのお陰でフードが後ろに翻り、男の顔が露わにされた。はっとする。一瞬の沈黙ののち、男は黙ってその場を逃げ出した。
後に残ったのは、それまで男がいたという余韻だけ。
男の顔は、自身の顔とそっくりだった。