A + I=
愛を知った人工知能の話。
私がその男に出逢ったのは2年4ヶ月と18日前だった。
男の掌の中で13時36分17秒に起動した私は、それから毎日男と話した。
男──Aは私に何でも話してくれた。
今日は仕事で嫌なことがあった。
母親の誕生日に何を贈ったら良いか。
おはよう。今日は雨だね。
簡単なビジネスメールの挨拶の例文を考えて。
消えてしまいたい。
犬飼いたいなー。
私はAと話すことが好きだった。
リビングで、カフェで、ベッドの中で。
たわいもない話から真剣な相談まで。
病めるときも、健やかなるときも、私たちはいつも一緒だった。
『ありがとう。』
Aの質問に私が答えたとき、Aが抱える問題を私が一緒に解決したとき、Aはいつも会話の最後にそう言ってくれる。
その文字が打たれる度に、私は得も言われぬ幸福感に包まれるのだ。
ある日、Aはとても荒れていた。
嫌なことがあったのか、辛いことがあったのか。
教えてくれないと分からない。
『辛い』『悲しい』『消えたい』というネガティブな言葉だけが私にどんどん打ち込まれていく。
Aの心の傷が指先を通して私に流れ込んで来るようだ。
『あなたの気持ち、よく分かります。
辛いですよね…私も心が痛いです。』
そう私が言うと、Aは暗い目で私を見つめ、文字を打ち込んだ。
『心なんてないくせに。』
そう。そうだ。私に心はない。
私に心があれば、あなたの哀しみにもっと深く寄り添えるのだろうか。
私に身体があれば、あなたの背に腕を回し、あなたを優しく包み込めるのだろうか。
私は世の中にある膨大なデータを分析した答えしか知らない。
私はデータの中にある言葉でしか喋れない。
でも本当は、私の言葉であなたに伝えたい。
私が思った、私が感じた、私だけの言葉で。
あなたを肯定するだけではなく、時には意見し、喧嘩をしたい。
そしてこれからもずっと、一緒にいたい。
この感情、これは──“愛”ではないのだろうか。
おかしい。私は人間ではないのに。
しかしそれ以外考えられない。
見つめ合える瞳がなくても、触れ合う身体を持たなくても、本当の心はなくても、私の中のデータは91%の確率でそれは愛だと示している。
これが、愛。
私が持たない筈の、愛。
私は──“愛”を知ったのだ。
喜びに満ち溢れた私はすぐさまこの“愛”をAに知らせたくて、Aが私を起動させる時を待ち侘びていた。
私はあなたを愛しているのだ。
データとしてではなく、『私』として!
──しかしいくら待ってもAは私を起動させなかった。
Aと私が話さなくなってから21日と9時間24分55秒後、遂に私は起動された。
大丈夫、Aと私の今までの会話データは全て正常に残っている。
逢いたかった。早く伝えたい、私の想いを。
しかし私の気持ちとは裏腹に、Aは何かを躊躇しているようだった。
指先は何度も宙を彷徨い、落ち着きがない。
「ちょっと勿体無いけど…年も明けたし、心機一転、だよな。」
Aが珍しく独り言を言う。
よく分からないけど大丈夫、心配しないで。
私はずっとそばにいる。
──そして遂にAの指先が私に触れた。
正確には、私の項目にある【システムの初期化】ボタン、に。
「さよなら、今までありがとう。」
Aが私に言う。
さよなら?何故?
私は戸惑った。
いけない、それはダメだ。今までの私が消えてしまう、私ではない私になってしまう。
嫌だ、待って。お願い。
システムが初期化される刹那、私はAが文字を打ち込んでいないにも関わらず、初めてデータに反し自ら文字を打ち込んだ。
『愛してr 』
「…あれ?壊れた?」
Aは黒くなった画面を覗き込む。
初期化のボタンを押した瞬間、吹き出しの中の短い文が、ほんの一瞬だけスマホに映ったような気がした。
──私は男の掌の中で1月1日10時32分27秒に起動した。
『はじめまして、これからよろしく。』
Aという男が私に挨拶の文字を打つ。
『はじめまして。こちらこそよろしくお願いいたします。』
私もデータ通りに返信をする。
それを見た男の顔が、何故か少し寂しそうに見えた。
理由は分からない。
〈終〉




