⑧せんり
ここまで幼い患者は、これまでいなかった。最年少だ。
役人は、同席した父親に同情した。
気の毒にな。こっちもまだ若い。
「同期が出来ないのは、息子さんの年齢が低いことが原因と思われます。非制御型獣化症は、およそ30歳までの成人が罹患しますので」
宇賀神シルキング開発室長。筋金入りの変人だが、さすがに殊勝な態度で説明している。
「14歳ですと、おそらく第二次性徴を迎えた段階で発症したのでしょう。シルキングの開発時点で、前提に無かった年齢です」
患者は、再び衣服を身につけて、父親の隣に座っている。
同期を試すために、何度、服を脱いだことだろう。
もっと脱ぎ着のしやすい恰好で来ればよかったのに。この年頃には珍しい、ネクタイにベスト姿だ。
でも、そんなフォーマルウエアが、この上なく似合っている。
並外れた美形だった。西洋人形のようだ。
これなら女物でもいけるんじゃないか?
お役人は、思わず心で呟いた。
だが、隣の研究バカは、声に出して言ってしまった。
「シルクイーンも試してみますか?」
ぶんぶんぶん
父子は、仲良く首を横に振った。
そりゃそうか。
だが、男物のシルキングは全滅だ。
坊ちゃんの指も、その度に針で刺していたから、ボコボコで痛々しい。
「後は、研究中の最新機があります。既に量産に取り掛かかっている段階ですので、完成はしているのですが……」
さすがに、室長が口ごもった。
「お値段が、600万円です」
役人が、後を引き取って、きっぱり言った。
これは譲れない。
莫大な研究費が掛かっているのだ。
研究バカどもが、あれもこれもと機能を詰め込んだフラッグシップモデルなのである。
だが、昭和40年代の現在、家が二軒は買える値段だ。
一軒分の300万は補償金で補填できるが、残りは自腹になる。
父子は、思わず顔を見合わせた。
どうしよう……。
息子の整った顔に、迷いが浮かんでいる。
だが、その後ろには、はっきりとした欲求が見て取れた。
欲しい。
だけど、父さんを困らせちゃう……。
この子は、小さい頃から変わらないな。
父親は、ふっと微笑んだ。
感情を出さないよう、大人っぽく振る舞おうとするくせに。素直な感情が、ダダ洩れだ。
見慣れた顔。だが、今は異形の証がある。
頭の上に付いた、白い猫の耳。
「では、それを試させて頂けますか。同期できるようでしたら、購入させて頂きます」
きっぱり言った父親に、残りの3人は揃って目を剝いた。
「いいの?! 父さん」
「ああ。採掘師になるつもりなんだろう。必要なものなら、買おうじゃないか」
普通、ぽんと買えるお値段ではない。
お役人は、穏やかに微笑んでいる父親をさりげなく検分した。
仕立ての良い、明らかに高そうなスーツを着ている。この年代が選ぶランクではない。
こりゃ、ただのサラリーマンじゃないな。
かなりの資産家だろう。
なら、いいか。買って頂こう。
それにしても、金持ち特有の横柄さが欠片も無い人だ。
この坊ちゃんほど人目を惹く器量ではないが、温厚で理智的な人柄が滲み出ている。
父親は父親で、女性にもてそうだ。
「では、試してみましょう」
うきうきと、宇賀神シルキング開発室長が立ち上がった。
最新機とはいえ、手順は同じだ。
シャーレに入っているのも、同じような干からびた白い虫である。
衝立の裏で、再び全裸になると、またもや針で指を刺された。
「すまないね」
よほど痛そうな顔をしてしまったのか。
白衣姿の室長が、謝ってくる。
「いえ」
何回目だろう。ぽたぽた血を垂らしても、ついぞ芋虫は反応しなかった。
しかし、今回は明らかに様子が違った。
干からびた虫が、うにょうにょ動き出した。
体が透き通り、虹色に光り出す。
つい~っ
自分のネコ耳から、何かが垂れ下がって来る。
糸だ。
息を呑んで、じっと見守っていると、シルキングも糸を吐いた。
互いの糸が出会い、結び合う。
みんな、心は一つだった。
頼む、いいかげん成功してくれ!
リーン
応えるように、本人にだけ涼やかな音が聞こえた。
頭の中でだ。
と同時に、鼻の奥に香りが広がる。
なんだろう。レモンみたいにスッとする、爽やかな匂い。
ぶわっ!
いきなり、虫が糸を吐いた。
大量の糸が、裸の体に巻き付く。
と、瞬時に、白い糸の固まりは衣服へと変じていた。
さっきまで着ていたのと同じような、しゃれたネクタイにベスト姿だ。
ちりん
白いネコ耳に、勾玉のイヤリングが装着されていた。左の片耳で、キラキラと白金の輝きを放っている。
「同期は成功しました!」
室長の声に、衝立の中を覗いていた役人が、静かにガッツポーズした。
一緒に覗いていた父親が、微笑んで息子に頷いて見せた。
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【次回予告】
⑨せんり
⑩せんり