⑥おしょう
「一番安いやつで」
そのセリフを聞いた途端、宇賀神シルキング開発室長の顔に、くっきりと怒りが浮かんだ。
「あの、千里さん、まず性能等のお話を聞いてからのほうがいいかと」
付いてきた役人が、慌ててフォローする。
「ん~。こっちが男物か。うっへえ、なんだこりゃ、すげえ服だな。あ、値札はこれか。どれどれ」
全然話を聞いていない。勝手にガンガン見て回っている。
「だいたい、二つの価格帯があるな。250万円付近のと、300万円上限のと。この差は何?」
すっぱり聞いてきた。
お、と気難しい室長が目を瞠った。
頭の回転の速い男じゃないか。
「バージョンの差です。250万が2号機、300万が3号機で、この2つが現在の主流です」
「ああ、古いバージョンの方が安いわけだ。んじゃ、1号機は無いの?」
「もう製造していません」
「そいつは残念」
ぽんぽんと会話が進んで行く。
お役人が、おどおど割り込んだ。
「採掘の際には、シルキングの性能が問われますから、3号機にしといた方がいいですよ」
だが、千里乙尚は、ほりほりと頭を搔いた。
トラ猫の耳も、ぴるぴると揺れる。
「ん~。補償金を余らせて、嫁さんへの慰謝料にしたいんだよね。まさか旦那がネコ耳になるとは思ってなかったろうし」
そう零しながら、彼は陳列棚の一番端っこで足を止めた。
「あれ、こいつは何? 服のサンプルも貼ってないし、値札も無い」
シャーレの中に、干からびた白い虫が一つ入っているだけだ。
「その子は、シルキングの試作機です。記念すべき0号機ですので、展示しています」
誇らしげに、室長が胸を張る。
続けて、うんちくを垂れようとするのを、千里が遮った。
「じゃ、この子で」
「はあっ? 話聞いてましたか? 性能面が、」
喚く役人を、さらに室長が遮る。
「同期できるかが問題です。まずは試してみましょう。はい脱いで」
あっさりとメガネ男が促す。
だめだ。誰か、こいつらを止めろ。
常識人の役人だけが、頭を抱えて呻いた。
構わずに、乙尚が背広を脱ぎながら聞く。
「どこまで脱ぐの?」
「全部。それから、あなたの血を、このシルキングに垂らして下さい」
ふ~ん、と言いながら、彼は部屋の隅に置いてある応接ソファーに向かった。
衣服を椅子の背に掛けると、靴も脱いで、全裸でスタスタ戻って来る。
ここは銭湯か。羞恥の欠片も無い。
それにしても、サラリーマンにしては鍛えられた体だ。スポーツ選手でも通りそうである。
乙尚は、躊躇なく自分の指を口元に持っていくと、がぶりと噛んだ。
ぽたり ぽたり
白い虫に、赤い血が降り注ぐ。
反応は、激烈だった。
リーン、ぶわり!
音が聞こえた。
そして、白い糸の固まりが、あっという間に乙尚の体に巻き付く。
すべてが早い。
次の瞬間には、衣服に変じていた。
本来なら、患者の血液に反応した場合、シルキングの体色は透き通り、虹のような光を発する。
それから糸を吐き、患者のネコ耳から出た糸と結び合うことで、同期を果たすのだ。
確かに、その過程はあった。だが、早すぎて誰の目にも留まらなかった。
ちりん
乙尚のネコ耳で、勾玉が揺れた。
こちらも、いつの間にか装着されている。
ゴールドの耳飾りであった。トラ猫の柄に、よく似合っている。
「なんか、ばあちゃんちの箪笥みたいな匂いがするな……」
乙尚は、鼻をクンクンさせた。樟脳のスーッとする香り。加えて、どことなく埃っぽい。
お役人は、唖然として呟いた。
「……ものすごく相性がいいみたいですね」
宇賀神シルキング開発室長は、喜色満面である。
「素晴らしい! 千里さん、0ちゃんをよろしくお願いします。幸せにしてあげて下さいね!」
「お、おう。で、おいくら?」
「200万円です!」
「100万にならない?」
この野郎、シルキングを値切りやがった。
快諾しかねない研究バカを遮って、お役人はきっぱりと答えた。
「180万で!」
「ん~。まあいっか。ところで、この服変えらんないの?」
トラ猫耳の男が身に纏っているのは、時代劇でお目にかかるような、武士の正装。
裃であった。
★ ★ ★ ★
読んで下さって、有難うございました。
毎週土曜日に投稿していきます。ブックマークして頂けたら嬉しいです。
【次回予告】
⑦おしょう
⑧せんり