⑤おしょう
ここまでお気楽な患者は、めったにいない。
お役人は呆れた。
電話の相手は、男の母親だったようだ。
底抜けに明るくカミングアウトしている。
「だからネコ耳になっちゃったんだよ、オレ。会社もクビだし、嫁さんとも離婚するからさ。兄ちゃんと姉ちゃんと直尚達に言っといて」
すると、黒電話の受話器から、大きな声が漏れ出した。
「あれ、あんた直尚じゃなかったのかい?」
「ちがうよ母ちゃん、オレは乙尚!」
「なんだ、“おしょう”かい。まあ、電話じゃなんだし、今度一回帰っといで。あんたの好きな黒糖羊羹貰ったから」
母親も、劣らずお気楽だ。
「分かった。ネコ耳生えてっけど、母ちゃん、びっくりしないでくれよ」
ははは。屈託なく男が笑う。
「いや~、うちは六人も子供がいるんだもの。一人くらいネコ耳になったって、可笑しくないわよ」
あっはっは。
全て丸聞こえだ。
笑い声を終いに、がちゃりと通話が切れた。
患者の男も、黒電話の受話器を置いた。
向かいに座った役人に、礼を述べる。
「有難うございました。実家に連絡するの、すっかり忘れちまってて」
話の途中で、電話を借りたいと言い出したのである。手続きは中断していた。
「いえ。ええと、千里? 乙尚さん?」
「いえ、千里乙尚。ちり、が苗字です」
「珍しい苗字ですなあ」
「そ。ガキの頃、“チリチリパーマ”って囃されたもんです」
にかっと笑みを浮かべ、自分の頭を指す。
なるほど、天然パーマらしい。短い髪の毛は、くるくるカールしている。
その天辺に、猫の耳が生えていた。
茶色いトラネコ柄だ。
「おとひさ、も言いにくいでしょ。漢字の字面で、“おしょう”って呼ばれてて」
誰もそこまで聞いてない。
だが、背広姿の男はニコニコ笑っている。
結構がっしりとした体格だが、表情や仕草が、どことなく子供っぽい。
愛嬌者で、人に好かれるタイプだ。
役人も、思わず親切心を掻き立てられて言った。
「差し出がましいんですが、会社をクビになったとか。疾病を理由に解雇するのは、法律で禁じられています。反論してみては」
「ま~、しょうがないでしょ。ネコ耳生えてるだけならまだしも、子どもが営業先になんて行けないし」
寝て起きるたびに、身体年齢がコロコロ変化する。非制御型獣化症の、困った症状だ。
「では、せめて私から会社に“法律違反”と伝えます。解雇ではなく、退職にしてもらいますよ。それなら退職金が出るでしょう」
「そりゃあ有難いな! 嫁さんに慰謝料も払わなきゃならないんで、金が要るんですよ。よろしくお願いします!」
千里乙尚は、晴れ晴れと笑った。
「で、晴れて無職なもんですから、仕事が欲しい。さっき伺った採掘師ってのは、何を見つけるんで?」
初回の面談で、そこまで話が進むのも珍しい。
だが、役人は一枚だけ、いつも持ち歩いていた。仕事柄、説明することが多いからだ。
「こちらです」
背広のポケットから出して、応接テーブルの上に置く。
丸い、一枚のコインだ。
十円玉より二回りほど大きく、分厚い。
ピカピカの金色で、表にはバッテンの模様が浮き出ている。
乙尚は手に取った。
知ってはいるが、お目にかかったのは始めてだ。
ずっしりしている。見かけより重い。
コインをひっくり返す。すると、裏側には棒線の模様があった。
+と―なのだ。
「エネルギーチップ、ですよね」
「そうです。非制御型獣化症、いわゆるネコ耳にしか、これを見つけることはできないのです」
そう。見つけて、それから「一定の過程」をこなす必要があるのだ。
「これから購入されるシルキングは、その際の“戦闘服”としての機能を備えています。さあ、選びに参りましょうか」
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