⑳それぞれの決意
しゅたっ
玄関を出ると、ちさとは、すぐさま手摺りを飛び越えた。
「いいの? ちさと」
着ている服が、声を掛けて来た。
胸元に、目の模様が戻っている。
もう隠れなくてもいいから、出て来たのだ。
構わず、ちさとはそのまま上昇した。
この団地は、14階建てだ。
かなり高い。そのまま飛んで、頂上に降り立った。
忍者も顔負けだ。だが、さんざん訓練もしたし、実践も積んだ。もはや、お手の物だ。
屋上は、殺風景だった。
利用するように整備はされていない様子だ。
これなら、誰も来ないだろう。
ちさとは、ぺたんと建物の縁に腰かけた。
全然、恐怖心はない。
ふうと息をついた。
初夏の夜風が気持ちいい。
ぽつり、ぽつり、眼下に街灯が見える。
シルクイーン2号機も、じっと黙っていたが、やがておそるおそる口を開いた。
「大丈夫、ちさと?」
下界を見下ろす顔が、いつもと違った。
置いて行かれた子どもみたいだ。
寂しそうな眼差し。我慢して引き結んだ口元。
「ん」
生返事だ。
「……やるつもりなんでしょ、ちさと」
遠くを見渡したまま、彼女は頷いた。
「うん」
今度は、しっかりとした返事だ。
美人すぎるのも、善し悪しだよね。
大抵の人間は、ちさとの内面を理解しようとしない。
ボクは同期して以来の付き合いだけど、誰よりも分かってる。
そう自負している、シルクイーンのニゴちゃんである。
「エネルギーチップは、石炭なんかよりも、安くて使いやすいもんね。もっと採掘されて市場に出回るようになれば、きっと便利になる。前にそう言ってたよね。だからでしょ」
言い当てられて、黒猫の耳がピンと立った。
驚きで、ぱっちりと眼が見開く。
まさに、その通りだ。
沈んだ顔つきに、徐々に光が差してきた。
「うん、そう。チップの供給量が増えれば、対応機器の開発も進むわ。そうすれば、便利な家電も、もっと普及するでしょう」
ほらね。ジャンプスーツに浮かんだ目が、得意気にパチパチ動く。
ちさとは頭がいいんだ。
実は真面目で、努力家で。
それでもってさ、すごく友達想いなんだ。
「家事労働に縛られていた時間が自由になれば、人の暮らし方や生き方も変わっていくと思うの」
他にやりたいことがあっても、これまでは無理だった人たちがいる。
でも、それが大丈夫になれば。
「世界を変えられるかもしれない」
だったら、賭けてみたい。
見渡す夜景。そこに暮らす人たち。
私は、もう混じれないけれど、大切な友達は、そこでこれからも生きていく。
「ちさと、大好き」
きゅっと、ジャンプスーツが締まった。
シルクイーン流のハグだ。
「ボク、全力で守るからね。ボクを信じて」
にっこりと、ちさとは微笑んだ。
百花繚乱の笑顔だ。
「うん。私、ニゴちゃんを信じてる」
明日のために、もう寝よう。
今できる最良の準備は、充分な休養を取ることだ。
ミイが貸してくれた鍵で、そっと集会室に入った。
同じ建物の一階だ。自治会の集まりなどで使うと聞いている。
畳敷きの部屋に、細長い座卓テーブル、座布団が敷いてあった。綺麗に片付いている。
ミイは、言い切ったものだ。
ここの掃除も私がやってるんだから、ちょっとくらい使ったっていいのよ。
ちさとは、窓際のカーテンをほんの少しだけ開けた。外から近づいて覗きこんだら、中が見える程度に。
灯りも、かろうじて室内が見えるくらいに小さくする。
この辺りかな。
ごろり、と畳に寝転がった。
疲れた。すぐに、瞼が自然と落ちた。
「おやすみ、ちさと」
「ん」
返事をした瞬間、すっと意識が途切れた。
ぴるる……
小さな音が、夜の集会室に響いた。
途切れずに続く。
ぴるる……
黒猫の耳からだ。
透明な糸が、吐き出されていく。絶え間なく。
すると、呼応するように、着ていた服が解け始めた。
みるみるうちに、色を失って、ただの白い布地に戻っていく……。
ふわふわ ふわふわ
糸だ。布地は、さらに解れて、白い糸の固まりに戻った。
綿菓子みたいだ。ちさとの体を、ふわりと薄く覆う。
豊満な裸体が、透けて見えた。
だが、ネコ耳から吐き出された糸が、体に巻き付き出した。透明な糸が、重なり重なり、白く見えていく。
シルクイーンの繊維も、同調し出した。
ぐるぐる、体を包んでいく。
まるで、ちさとを隠し、守るかのように。
ぴるる……。
猫耳から出ていた糸が、止まった。
もう、中は見えない。
真っ白な糸が、完全に彼女を閉じ込めた形だ。
その、巨大な繭の中に。
裸のちさとは、深い眠りにつく。
作られた、安全な母体の中で。
もう何者も、中にいる彼女を害することはできない。鉄壁の守りなのだ。
非制御型獣化症の患者。通称ネコ耳は、寝るたびに、この姿になってしまう。
普通の宿になんて、泊まれるわけがない。
「……ち、ちさと」
震える声が、窓の外から小さく漏れた。
ミイだった。
ちさとに言われた通り、寝間着姿でサンダルをつっかけて、覗きに来たのだ。
「なんてこと……」
自分の口を押える。
知らなかった。
ネコ耳になった、それは理解しているつもりだった。
よかったじゃない。政略結婚の駒にならないで済んで。
慰め、励ましたつもりだった。
でも知らなかった。こんな姿になってしまうなんて。
その辛さ。孤独。
私は、なんにも分かっていなかった。
友達なのに。大切な、私の親友なのに。
「ごめん……。ごめんね、ちさと……」
嗚咽が、食いしばった口元から漏れる。
耐えきれず、しゃがみこんだ。
ミイの目に涙が盛り上がり、溢れ出した。
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【次回予告】
㉑それぞれの決意
㉒それぞれの決意




