⑱それぞれの夜
旦那さんが電話に出ないといいな。
電話をかけるとき、いつもそう思ってしまう。
ちさとは、公衆電話ボックスに入った。
硬貨は必ず財布に入れておくようにしている。
「もしもし、小山さんのお宅でしょうか」
口にすると、いまだ違和感に囚われる。
ミイは小山じゃない。横井美恵。
高校で出来た、大切な友達。
「ちさと! よかった、さっき帰ってきたところなのよ。元気?」
名乗る前に、声で気付いてくれた。
ほっと息を着く。
「うん。急にごめんね、ミイ。あのね、これから会えないかな。ちょっと顔見るだけでいいんだけど」
受話器から、明るい返事が響いてきた。
「やだな、水臭い。ってことは、近くにいるんでしょ。うちにおいでよ」
相変わらず察しがよい。
ミイは頭の回転が速いのだ。
高校で、主席を争ったライバルでもある。
「え、旦那さんは?」
「今日は日曜出勤。忙しいんだって。ぶうぶう言いながら、朝出てったわ」
それはラッキーだ。旦那さんには悪いけど。
「じゃ、寄らせてもらうわ。15分くらいで着きそうだけど、いい?」
「オッケー。待ってるね」
今は7時過ぎ。お邪魔するには非常識な時刻だけど……。
今夜しかないんだから、会っておきたい。
電話ボックスを出ると、ミイが暮らす団地がすぐ先に見えた。
ちょうど、傍の停留所にバスが停まった。
何人かが降りてきて、みんな団地に向かって歩いて行く。5分と掛からない距離だ。
「ニゴちゃん、あれ買ってから行こう。時間潰さなくちゃ」
ちさとが小声で話しかけた。
「いいけど、なんで15分後にしたの?」
二号機も、ちさとに倣って小声で返事する。
帽子でネコ耳は隠している。でも、服が喋っちゃったら、バレバレだもんね。
「それもあるけど。急におうちに来られたら、困るでしょ」
答えているうちに、嬉しくなってきた。
ミイと一緒に食べれるかもしれない。
たんっ
人波が切れたのを見計らって、空へと飛び上がった。
どうか、売り切れてませんように。
知る人ぞ知る、地元の人気店。それでも、売れ行きには波があるらしい。
やっぱり今夜は運がいい。
「はい、これ」
玄関で紙袋を差し出すと、友人の顔が輝いた。
「わあ! バンビのコッペパン! ありがと、ちさと。いちごジャム?」
「もちろん」
ちさとが、澄まして頷いた。
そして、二人で声を揃える。
「「絶対に、いちごジャム!!」」
あははは
高校生の頃から、何度このセリフを唱和したことだろう。
定期テストが終わったら、一緒に食べようね。
やった! お祝いしようよ、コッペで!
ねえ、バンビに寄って行こ。ジャムコッペ食べたらさ、元気でるよ、きっと……。
制服の日々が、遠くでキラキラと輝いている。
もう戻れない、宝物の思い出。
高校を卒業した後、自分は本家へ引き取られた。攫われたようなものだ。
だが、ちさとも当初はまだ甘く見ていた。
それまでの付き合いを、全て禁じられてしまうだなんて、思いもしなかったのだ。
だが、連絡を絶たれたミイは、ある日、ちさとの元の家に乗り込んだ。
「もう、あの娘に関わらないで頂戴」
電話でそう言われたからって、引っ込むミイさんじゃないわよ。
さすが、並み居る男子学生を押しのけて、生徒会長に当選した強者なだけある。
ミイは、渋る母から、ちさとが通わされている短大をむりやり聞き出したそうだ。
だが、その時点では、ちさとも学んでいた。
監視の目を盗んで、記憶にあったミイの住所あてに、手紙を送っていた。
そして、文通が始まった。
ただし、ミイの手紙は初手から握りつぶされてしまったので、一計を案じた。
ちさとは、短大の教授に何もかも事情をぶちまけて、宛先になってもらったのだ。
お嬢様名門短大にいるのが不思議なくらいの、変人。この人ならばと、閑古鳥の鳴いている教授室に飛び込んだのだから、ちさともいい度胸をしている。
ぼさぼさの白髪に、イギリス紳士もかくやという立派な背広がトレードマークだった。
「あっそう。いいでしょう」
教授は快諾し、飄々と手紙の中継点になってくれた。恩人だ。
「あなたは、必ず自分で道を切り開ける人です。大丈夫ですよ」
卒業式で言われた言葉が、蘇る。
「これからは、もっと女性が活躍していく時代になりますからね」
そうかな……。
だって、自分の父親みたいな輩が、のさばっているじゃない。
女は黙って家の道具となれ。
そう強いる奴と、諂い従う奴らがいる限り、まだまだだ。
ねえ、ミイは活躍できてる?
ちさとは、胸の中で親友に問いかけた。
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【次回予告】
⑲それぞれの夜
⑳それぞれの決意




