⑰それぞれの夜
「こんばんは~。泊まっていいっスか~」
間延びした声が、入口から聞こえた。
書類仕事をしていた警官は、顔を上げた。
彼の姿を認めると、親し気に笑いかける。
「なんだ、和尚さんか。いいよいいよ。なに、こっちに戻って来てたの」
非常識な訪いに、同勤の警官も奥から出て来た。
不審な目をして、ずかずか交番に入って来る男を見ている。
「ああ、こちらは新入りさんかな。ど~も~。俺は、こーゆー者でっす」
気にせず、和尚は頭に被せた手ぬぐいを無造作に取った。
ぴょこん
立派なトラ猫の耳が、お目見えした。
度肝を抜かれ、新人警官が目を剥く。
それを見て、さっきの先輩警官は苦笑した。
化け猫でもあるまいし。
「ネコ耳さんは、頼まれたら交番に泊めてあげるようにって、上から言われてるんだよ。なかなか宿に泊めてもらえないからねえ」
そうなのか。ネコ耳、初めて見た。
時代遅れの裃姿だ。チンドン屋かと思った。
両胸に着いた家紋が、眼みたいな柄だ。
動いた? いや、きっと気のせいだ。
にかっとトラ猫男は笑いかけて来た。
物怖じしない性格のようだ。
「夕飯食った?」
「いや、これから出前取ろうとしてたんだよ」
「お! じゃあ一番館でラーメン取ろうよ」
「あ~、いいね~」
先輩とも、ずいぶん打ち解けた様子だ。
「えっと、90円だっけ」
ごそごそと財布を探っている。
思わず、新人警官も男に話しかけた。
「こないだ値上がりしたんすよ。今は100円です」
「げ! また値上げかよ。まあ、旨いからいっか」
全て同感だ。一番館は旨い。値上げは辛い。
ちゃりん
ネコ耳さんは、ガラス瓶に硬貨を入れた。
そこに出前用の金を貯めていると知っているのだ。なるほど、常連さんなんだな。
「まいど~」
ほどなく、銀色の岡持ちを下げた自転車が、交番に横づけした。
奥の小部屋に入って、どんぶりを置くと、代金を受け取らずに出て行く。月末に掛け払いだ。
交番ほど支払いが確かなお得意先はあるまい。
「んで、和尚さんよ、最近どうだい?」
男三人、交番奥の土間で、ずるずるとラーメンを啜る晩餐となった。
誰か来たら、出りゃいいのだ。
「おう、今日は成功したぜ。けっこう採掘できた」
「採掘?」
尋ねた新人警官に、和尚は袂から一枚のコインを左手で取り出してみせた。
右手は箸を持ってラーメンを食いながらだ。
褒められたお行儀ではない。
「ほら、こいつだ。エネルギーチップ」
キラキラと金色に光っている。
100円硬貨よりも二回り以上大きい。
「へえ~」
感心すると、お客人は割り箸をどんぶりの縁に置いた。
手のひらにチップを載せて、ちゃんと見せてくれる。
「確か、乾電池みたいに使うんだよな。一般には、あんまり見ないけど」
先輩警官は、さすがによく知っている。
和尚は、金色のコインをひっくり返して見せた。
表面にバッテン、裏面には棒線の模様が浮かんでいる。
プラスとマイナス。確かに電池だ。
「収穫量が少ないからなあ。大工場の機械とかにしか使われてない。乾電池なんかより、遥かにパワーがあって長持ちするそうだ」
ネコ耳さんがレクチャーする。
先輩が、横から補足した。
「ちなみに、一枚で、だいたいお前さんの月給と同じだ。貴重品だぜ。覚えとけよ」
「げっ」
むせそうになった新米に、トラ猫男は笑い声を立てた。
「まあ、それを採掘する山師やってんだよ、俺は。なんにも出なかったり、当たりを引いたり。丁と出るか、半と出るかの渡世でござんす」
芝居がかった口上を述べて、親指でチップを弾く。
ぽーん
ぱしり、と左の甲で受けた。右手を被せる。
表になったのは、プラスの面か。それともマイナスか。
「どっちに賭ける?」
目を細めて、トラ猫が唆した。
「あ~、えっと」
「賭け事禁止。しょっぴくぞ。のびるから早く食え」
堅物の先輩に諫められて、はっと我に返った新米である。
あぶねえ。思わず、のってしまうところだった。
いい年したおっさんのくせに、いたずら坊主みたいな男だ。愛嬌者で憎めない。
ネコ耳ってのは、みんなこうなのかね。
「冗談、冗談」
チップを袂に仕舞うと、また割り箸を握る。
「あ~やっぱり一番館のラーメンは旨えなあ」
そこまで、しみじみ言うほどか?
澄んだ醤油スープに、申し訳程度のネギが浮かんでいる。
メンマが数本、味が濃い目の固いやつ。
チャーシューは一枚だけ。もっと入れてくれ。物足りない。
「俺、人生最後の食事は、こいつがいいや。川田サンは?」
「いやあ、俺ァもっと高いやつ食いたいよ。うな重とかかな。山本はどうだ?」
「肉っスね。あ、一番館のチャーシューメン大盛とか!」
「お~、そっちのがいいな!」
くだらない雑談で笑い合っていると、ネコ耳さんが山本新米警官に向かって言った。
「あ、そうだ。俺、休息室で寝かしてもらうんだけどさ、」
言葉を切ると、突然しなを作った。
「決して覗かないでね~ん」
がははは
意味が分かっている川田警官が、大笑いした。
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