①ちさと
こんなに美人で色っぽい患者には、会ったことがない。
お役人は、顔を引き締めた。ともすれば、鼻の下がビロンと伸びて来る。
「ええと、倉門千里さん、ですな」
わざと偉そうな態度で確認する。
すると、同席した弁護士が、より偉そうに言った。
「いや、鳥海の姓に戻ります。倉門家とは、今後一切関わりが無い。先方から、この縁組は断られましたからな」
眇めた目で、吐き捨てる。
「ネコ耳の嫁など、とんでもないと」
気まずい空気が、室内に漂った。
振袖姿の美女は、座ったまま俯いている。
ぴくん
黒髪から覗いた耳だけが、動いた。
そう。頭頂部に付いた、まごうことなき「猫の耳」が。
「ネコ耳、ではありません。正式な病名は、非制御型獣化症です」
役人っぽい言いようだ。
お抱え弁護士は、鼻で笑った。
どこの誰が、そんな七面倒くさい名前で呼んでいるというのだ。
突然、自分の耳とは別に、猫の耳が生えてしまう。
昭和40年代に入ってから、この日本で初めて症例が確認された奇病だ。
それから数年たった今。
患者総数は500人ほど。
20万人に一人、という極めて稀な発症率だ。
原因は不明。
そして、なぜか日本国内でしか確認されていない。
風土病か。新たな公害か。
政府は、もちろん様々な対応を取っていた。
ひとまず、発症した人は、ここに連れて来られることになっている。
国立非制御型獣化症研究所だ。
マッハの速さで新規患者を引っ立てて来たらしい弁護士は、語気荒く吐き捨てた。
「えらい迷惑だ、大損だと、社長も嘆いておられた。よりにもよって、見合いの席だったんですよ、発症したのは!」
完璧に結い上げた黒髪を突き抜けて、ぴょこんと黒猫の耳が出て来たのだそうだ。
誤魔化しようがない。
度肝を抜かれた見合い相手の坊ちゃんは、フランス料理の皿を引っくり返して逃走。
双方の奥様は、仲良く腰を抜かしてしまって、店側は対応におおわらわ。
急遽呼び出されて後始末を押し付けられた弁護士にしてみれば、憤懣やるかたないわけだ。
「だいたい、妾腹の娘を引き取ってやったのに、役立たずにもほどがある。見合い相手は、重要な取引先の御曹司だったんですぞ!」
なるほどね。
役人は納得した。
職務柄、色んなケースを見聞きしているが、これは一二を争う悲惨さだ。
美女は、一言も発せずに俯いている。
この華やかな振袖は、お家の浮沈を掛けた勝負服だったわけだ。
よく似合っている。
清楚というより、ぱっと人目に付く艶やかな容貌だ。
だが、着物より洋装の方がいいかもな。
主に胸部部分が、豊かすぎて窮屈そうだ。
またもや鼻の下が伸びていた役人は、弁護士の声で我に返った。
「ネコ耳になれば、補償金が出るんでしょう? 恩給も支給される筈だ。女一人だって暮らしていけるでしょう」
さすが、職業柄よくご存じだ。
だからって、即、縁切りとは。
可哀そうになあ……。
憐憫の眼差しを向けている中年官吏に、弁護士は咳払いして続けた。
「罹患証明書を頂戴したい。急いで頂けませんかな。こちらも忙しいのでね」
やれやれ。
役人は、断りを言って腰を上げた。
スーツ姿の男二人が、部屋を出て行く。
一人、美女は面談室に残された。
出されたお茶は、すっかり冷めている。
彼女は、すっと手を伸ばし、ごくごく一気に干した。いい飲みっぷりだ。
「……ラッキー」
小声だが、確かにそう言った。
黒猫の耳を備えた美女。ちさとは、晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。
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