【第5話】導かれしモフたち
──昨日は目まぐるしい一日だったな
朝日を浴びながら、モコは優雅にワイングラスを手に、窓の外を眺めていた。
「フサリマウンテンの雪解け水か…」
実に美味しい水だな……
恍惚の表情を浮かべるモコ。
おや?
大広間の扉が少し開いていて、三匹の猫が顔を少しのぞかせ、ヒソヒソと話していますよ?
「えっなんだって?」
「だから〜、間違えて水道の水を……」
「えぇぇぇっ!!!」
「しーっ!しーっ!聞こえるってば!」
そのとき扉がギィ〜ッと重い音を立ててゆっくり開いた。
三人はまるで漫画のように折り重なって大広間になだれ込んだ。
モコと目が合う……
……しん。
フサフサとした沈黙のあと、三匹の猫はそろって土下座した。
「し、、失礼しまーーーす!!」
慌ててくるりと背を向けたその瞬間、廊下からシロ姐の声が響いた。
「アンタたち、いつも楽しそうねぇ〜」
「わ〜〜ッ!!」
三匹は飛び上がるほど驚いて、勢いよく尻もちをついた。
シロ姐の後ろには、しっぽの先まできちんと整った執事服をまとった老猫。
「仕事に励んでおられますかな?」
フサフサ王家に長年仕える、この城の執事――バルフォン老である。
「はい〜ッ!!」
三匹は元気よく敬礼すると、そそくさと奥のキッチンへ走り去った。
「城が一気に賑やかになりましたな…」
モコはクスッと笑った。
こらえきれず、肩が震え――
「あははははは!」
ついに、大きな声で笑ってしまった。
「元気そうで良かったわ……」
シロ姐の声に、少しだけ安堵がにじんでいた。
「昨日は本当に色々あって疲れたでしょう?よく眠れた?」
モコは昨日の出来事をゆっくり思い返しながら、静かに頷いた。
────
酒場の隅、ひときわボサボサの毛並みで酒を舐めていた老猫……
名は、たろ爺。
その昔、国王の王冠すら修復したという、伝説のしっぽ装飾職人。
今では「触るな危険」のオーラを放つ気難しい常連として知られているが――
一度フサフサに反応すると、目の奥がギラリと光る。それは、職人としての血が、今なお燃えている証だった。
そんな彼が、シロ姐とモコのフサフサしっぽを見逃すはずはなかった。
「……その毛並み……」
たろ爺の目が、二人のしっぽに釘付けになる。
「まさか……王のしっぽの再来では…!」
酒場を出ようとする二人に、たまらず声をかけた。
「老いぼれの話を…聞いてくれるか?」
たろ爺が杯を置き、語り始めたのは――
あれは三年前のこと、ちょうど春毛の頃じゃった……
国王、フサフサ・ルミナス・ラグーン三世が、光を遺し、静かに旅立たれた。
その夜から、しっぽの泉は…音もなく泣き始めたのじゃ。
国王の最後の言葉……
「この王宮は……しばしの眠りにつかせてやってくれ。時が満ちるその日まで……“しっぽの泉”が目覚めを告げる、その時まで……」
そして王宮全体が「毛玉の沈黙」に包まれ、その門は静かに閉ざされた。
たろ爺は、チビチビと皿を舐めながら続けた。
「今なお、あの泉を守っておるヤツが、ひとりおるのじゃ。フサフサ・ルミナス様の右腕……老いぼれ猫じゃが、あれでも王のしっぽに触れた、ただひとりの猫よ」
「おぬしら、己のしっぽに命をかける覚悟はあるか? 」
モコとシロ姐が戸惑う間もなく、たろ爺はグイと顔を寄せた。
「ならば……城へ行くがよい。フサフサの運命が、再び動き出す時じゃ」
モコとシロ姐は、そっと顔を見合わせた。二人のしっぽが、まるで風に導かれるように、ふわりと揺れる。
――行くしか、ない。
城の門は、まるで時間すら忘れて眠りこけているようだった。錆びついた鎖の音が、一度だけ「からん」と響く。
その瞬間、空気が変わった。
モコのしっぽが、風もないのにふわりと揺れた。シロ姐も、思わず息をのむ。
奥へ、奥へ。
石畳の廊下はひび割れ、静かに苔むしている。
その中心――
しっぽの泉らしき祭壇、
水はほとんど干上がってしまっているが、石は綺麗に磨かれ、周囲には美しい草花が風に揺れている。
誰かが、念入りに手入れをしているのが、見てわかる。
モコとシロ姐が息を呑むように泉を眺めていると、かすかにポコっと、水の音が聞こえたような、気がした…
そのとき――
「……久しいな。泉が、揺れたのは」
声がした。
柔らかいが、芯のある、毛並みに染み込むような声。
振り向くと、祭壇の影から一匹の老猫が、すう……っと現れた。
白銀の毛並み。
太く、静かに垂れたそのしっぽは、まるで時を重ねた樹の根のようだった。
両目は、琥珀色に光を宿している。
「バルフォン老……」
モコが小さく呟いたその名は、たろ爺が語っていた“しっぽの賢者”の名だった。
「あの……」
「あのぅ〜〜〜……」
モコの声とほぼ同時に、後ろの方から、静けさを容赦なく破る声がした。
モコとバルフォン老は一瞬びっくりして振り向いた。
しん………。
しばしの沈黙のあと、
「い、今じゃなかった!?……ですよね!?あはっ、あはははは……」
茶トラ猫が、震えながらペコペコ。
「ま、まぁまぁ!空気、洗っときましたからッ!」
白猫は、ホウキをぶんぶん振り回している。
「あたしたち……その、王宮で働きたくて……ついてきちゃった!」
サバトラ猫は、衣装バッグを引きずりながらしっぽでカンペを出している。
そしてみんな一斉に、ぺたんとお辞儀をした。
「ここで働かせてくださいっ!!」
ずらりと並んだ猫たちは、ざっと十数匹ほど。見覚えのある顔もいれば、初めて見るしっぽもいる。
そう、彼らは――
ニャーカス団の団員たちだった。
聞けば、彼らのサーカス興行は、ただのショーではないという。
「元気をなくした国のみんなに、少しでも笑顔と希望を届けたくて……」
そのために、日々フサフサ芸を磨き続けているのだそうだ。
「しかしながら、このご時世。団員たちに満足なお給料を払えなくなってきておりますのニャ……」
オレオ団長は神妙な面持ちで、うなだれた。
「王の毛並みが蘇る日を夢見て……!
今日も、しっぽに魂を込めておりますッ!!」
こんな状況でも明るく元気な団員たちを見て、バルフォン老が、おもむろに口を開いた。
「…ふむ、賑やかなのも悪くないかもしれませんな。」
団員たちのしっぽが、ぴーんと跳ね上がる。
「ありがとうございますッ!!!」
みんな揃って、お辞儀は、前に!!
やれば出来る!!
しっぽの泉が、かすかにポコポコ……
音を立てた気がした。
「しっぽの泉って、思ったより陽キャなの?」
シロ姐が笑う。
そんなこんなの経緯で、城で働くことになったニャーカス・ニャーカスの団員たちであった。
──なんだか庭が騒がしいな……
モコはワイングラスをそっとテーブルに置き、バルコニーに出る。
下を覗くと、ニャーカス団の仲間たちが輪になって、賑やかに笑い合っている。
ガオウ、ビャッコ、ミケランジェラ──猛獣ショーの三匹も、いつになく穏やかな顔でその輪の中にいる。
……いいな、ああいう雰囲気。
にぎやかで、あったかくて。
そういえばオレオ団長には、いつも言われるんだ。
「モコ様のしっぽは、実に素晴らしいしっぽなのニャ! いつでも入団、お待ちしてますのニャ!」
まったく、しっぽしか褒められてない気もするけど……
サーカスって、ちょっと楽しそうだな。
猛獣使いって、カッコいいよね!
僕には……無理かな。
──ん?
あれ……あの二人、誰だろう。
見たことのない三毛猫とハチワレ猫、ニャーカス団員じゃない。でも、なんだろう……不思議と目が離せないな。
三毛猫のマントの裾からは、きらりと光る杖。ハチワレ猫の耳には、朝露みたいな草の飾りが揺れてる。
……どこかで……
会ったこと、あったっけ?
ふと、二人がこちらを見上げた。
目が合う三人。
その瞬間、胸の奥で何かがふるえた。
風も吹いていないのに──
空気が……揺れた?
ふぁさぁ……
三つのしっぽが、音もなく、そっと広がる。まるで見えない糸に引かれるように、静かに、同じ軌道を描いて。
……しっぽが、呼び合ってる。
なんだこれ……
どうして、涙が出そうなんだろう。
初めてなのに、懐かしい、みたいな……
温かくて、切なくて、心がぎゅうっとなる。
まるで遠い昔、まだ名前も持たなかった頃の、約束を思い出したみたいだ。
「ようやく……出会えた」
声に出していないのに、そう聞こえた気がした。
……気のせい、かな?
でも、たしかに感じたんだ。
今、この瞬間。
世界のどこか深いところで、ひとつの扉が……
静かに、静かに、開いたような──