【第2話】伝説のモフ、はじめの一歩
一体どのくらいの時間、時空の狭間を漂っていたのだろうか。
気がつくと、そこは……
あたり一面、光の海だった。
風が優しく吹きぬけ、しっぽの先をくすぐり、金色の猫じゃらしたちが、ふわふわと揺れている。
空には、なんとも可愛らしい魚やネズミや、長四角の形をした雲が……
ん?長四角?
ちゅーる、かな……?
そうか、ここは猫の国なんだ!
シロ爺は、どこにいるんだろう?
モコはすくっと、立ち上がった。
ひらり、ひらり〜
何かが背中で風に揺れている。
ワインレッドにキラキラのラメがなんとも美しい、高級そうなマントだった。
カッコいい!!
モコはなんだか、ちょっと大人になったような気分になった。
いや、大人になっていたのである!
そしてなんと、二本の後ろ足で立っているではないか!
人間……になった?
恐る恐る頭の上を触ってみる……
ピョコピョコ!
可愛い耳が、ちゃんとあった。
後ろを見ると、自慢のフサフサしっぽも、フサ度1.5倍増しぐらいになって、ファッサ〜と風になびいている!
何が起きたのか、まだよくわからないけれど、モコはとりあえず、シロ爺を探さなくっちゃ!と思った。
ピンクのクローバーの小道が続く遥か先に、宮殿のような建物が見える。
あそこへ行ってみよう!
少し早足で歩き始める。
背中のマントが、風でひらひら揺れる。
モコはちょっと嬉しくなって、走り出した。
背中のマントは、ひゅるりと翻った!
ひょっとしたら、飛べるかも?
急にそんな気がしたモコは…
近くにあった大きな切り株に乗り、グーにした右手を前に、左手は脇を締めて、
ふぅ〜
深呼吸をひとつ。
トゥッ!!
前のめりに飛んだ。
ピョンッ
驚くほど普通の跳躍であったが、モコはすっかり楽しくなった。
今度は左手を腰に、右手をかっこよく、大きく回した!
決めポーズ!!
何に変身したのかわからないが、モコは猛ダッシュで走る走る走る!
かと思えば急にピタ、と止まり、しゃがみ込んだ。
道端のバッタにご挨拶だ。
鼻先を一匹の蝶がヒラヒラと飛んでいく。
モコは追いかけるように、また無邪気に走り出した。
なんて微笑ましい光景だろう。
だが皆さん、お忘れなく。
いい年をした大人の猫である。
しかも高貴なマントをまとう紳士、である。
彼の名誉のために、ここではあえて、誰とも出会わないシナリオにしておこう。
さて、ようやく宮殿の近くに辿り着く頃には、空は群青に染まりはじめていた。
小さな村には、屋台の灯がぽつぽつと灯りはじめ、夜の空気に浮かぶように淡く揺れている。
アコーディオンの音色が、光の粒とともに風に乗り、道端では、猫たちの玉乗りやジャグリングが、まるでおとぎの劇場のように輝いていた。
サーカス?!
モコは思わず駆け寄った。
シルクハットに黒い立派なヒゲ、片眼鏡にマントをまとった黒猫が、モコに目を留めた。
「実に、いいしっぽニャ〜!これは舞台映えするニャ〜」
黒猫はモコのまわりを、くるりと一周。
「おっと失礼!吾輩は、猫毛曲芸団ニャーカス・ニャーカスの団長、キャット・ミスチフ・オレオ四世なのニャ。
さて、君の名前は?」
モコは大きな声で答えた!
「モコだよ!!」
一瞬、場の空気が止まった……気がした。
はっ!!!
一番びっくりしたのはモコ本人である。
だって今の声、聞いたこともないような――
艷やかなイケボ。
あわてて後ろを向く。
ち、ちがう…今のは大失敗。
オホン、咳払いをひとつ、
そして小さな声で……
「モコです!」(……いや普通すぎ)
「モコと申します!」(まじめか!)
「モコでござる!」(もはや誰!?)
モコが一人でモコモコもごもごしていると、ニャーカス団の仲間たちが集まってきて、ヒソヒソ話し始めた。
「えっ?」「なに?」
ヒソヒソ……ヒソヒソ……
「白菜とイチゴがどうしたって?」
「シッ!声が大きい!聞こえるよ!」
……大丈夫。
モコは今、それどころではない。
そんな中、オレオ団長がそっと近づいてきて、低く問いかけた。
「その胸の紋章……もしや貴方様は……」
団長は、神妙な面持ちで言葉を継ぐ。
「千年に一度の厄災が訪れるとき……
伝説のマントとともに戻ってくると噂の、モフモフの救世主様では……?」
(モコ「……は?」)
「千年にイチゴの白菜とともに蘇る伝説のモフモフさま〜!」
愉快な団員たちは横一列に並び、
「ははぁ〜っ!!!」
深々とお辞儀をした。
いやちょっと待って。
お辞儀ってたしか……
背筋を伸ばして腰から上体を曲げる。
前に。
……なのに!
団員たちは、腰から上体を……
90度、横に!!
「ははぁ〜っ!!!」って、
…く、クセが強い……!(モコ心の声)
そんなモコの耳元で、オレオ団長がこっそり囁く。
「ところで…さっき見かけたのニャ。
この村の酒場に、貴方のしっぽによく似た、白くて立派なフサフサを持つ猫をね」
「ほんと?それってシロ爺かも!」
モコは大急ぎで村の広場を駆け抜け、看板の傾いた古びた酒場「ザ・ブラックニャイト」へ飛び込んだ。
中は少し薄暗く、ほのかに燻製チキンとマタタビの香りが漂う。
そして、その奥。
——いた!
一番奥の席、窓際に、見覚えのある立派な白いフサフサしっぽ。
こちらに背を向け、ゆったりとグラスを傾けている。
「シロ爺ーーーっ!!」
モコは嬉しさのあまり、椅子を蹴飛ばしながら一直線に飛びついた!
次の瞬間——
その猫がゆっくりと振り返る。
「あらまぁ……モコじゃないのォ!アンタ随分探したのよぉ〜!」
切れ長の美しい瞳、艶やかなアイライン、ゆるふわパーマ風の長い耳毛、すべてがキラキラと輝く妖艶な女性だった。
「……………………え?」
ねこ違い……だと…思うけど…
この人、ボクの名前を知ってる…
モコがオロオロしているのを見て、その女性はクスッと笑った。
おもむろに立ち上がり、モコの耳元で囁いた。
「色々あってな……こんなことに、なっちまった」
一瞬、いつもの鋭い目つきに戻った。
やっぱりシロ爺だ!
「まぁ安心しろ。俺について来い」
「それにしてもアンタ、いいオトコになったじゃないのォ!アタシをあんまりびっくりさせないでちょうだいねェ!」
酒場を出ると、夜空はどこまでも澄んでいた。
星々がきらめき、空の海に浮かぶ光の粒たちが、そっと世界を見守っている。
ふいに、一筋の流れ星が空を横切る。
音もなく、願いを運ぶようにスーッと。
モコは立ち止まり、空を見上げた。
この不思議な世界で、新しい一歩を踏み出したのだ。
シロ姐と一緒に!
しっぽがそっと風に揺れた。