第六話 地球の朝と、未知との遭遇
朝。
地球に来て、初めての夜が明けた。
目覚めた我の意識は清涼で、魔力の循環もおおむね良好であった。
やはり入浴は効果がある。
あの儀式は単なる“文化”ではなく、身体再構築の“環境要因”として明確に機能している。
ベッドという柔らかすぎる寝台から起き上がると、壁際の鏡に映る自らの姿が目に入る。
──やや、寝癖がついているようだ。
「ふむ。整えておこうか」
指先を軽く弾くと、頭髪が風に撫でられるように整い、衣服の皺も自然に伸びた。
我流の“身嗜み調整術式”《グラセル=リファイン》。日々の観察活動を始める前に、最低限の威厳は整えておくべきだ。
「……ずるくないですか?」
後ろから、寝ぼけ声が飛んできた。
山岡が布団を抜け出しながら、我の背中をじっと見ている。
「魔法で支度完了って……俺、あと二十分は鏡と戦うのに」
「習慣と鍛錬の差だ。嘆くな、そなたにはそなたの流儀がある」
「慰めにもなってないですけど……」
それでも山岡は機嫌が悪いわけではなさそうだった。
いつもより少し身なりを整えて、鞄を肩にかけている。
──本日は、いよいよ“計画実行の日”だ。
準備を終え、我らは玄関を開ける。
扉を開いたその瞬間、我の中に微かな高揚が走った。
「……外、か」
地球に降り立ってから、初めてこの世界の“空気”に包まれる。
早朝の通り。
冷たく澄んだ風。
遠くで鳥が鳴き、車の音が連なる。
山岡のアパート周辺は、さして華やかでも便利でもない住宅地だったが──
「ふむ。静かで悪くない」
「まあ、築四十年の木造アパート密集地帯ですけどね……」
「構造密度はともかく、光と音のバランスがちょうど良い。観察対象としては面白い」
我は視線を忙しなく動かす。
道路に引かれた白線。電柱に絡まる電線。角に設置された不明な箱。
全てが未知で、全てが研究対象だった。
「とりあえず、朝飯買ってきましょうか。途中でコンビニ寄ります」
「コンビニ……?」
「コンビニエンスストア。何でもある便利な店です。たぶんラグナさん、好きなタイプの場所ですよ」
その言葉に導かれ、我は建物の角に立つ一つの明るい店舗に足を踏み入れた。
扉が自動で開く。
室内には一定の温度が保たれ、明るい光、整然と並ぶ棚、規則的に響く機械音──
「……なんだ、ここは」
まさに情報と物質が交差する“人造迷宮”。
食物、道具、紙、液体、映像──全てがこの小さな箱の中に詰まっている。
そして、明らかに異質な我の姿に、店内の人間たちが数秒ほど固まる。
──黒衣のローブ、異様な髪色、鋭い目付き。そりゃそうだ。
だが、我は一切気にしない。
「この空間、非常に興味深い。目的と非目的が同居している」
「いや、周りの視線……ちょっとは気にしてもらえませんか、ラグナさん」
我は棚を一つひとつ、丁寧に見て回った。
所狭しと並べられた、色とりどりの箱、袋、瓶、缶。
中には文字がびっしりと書かれているもの、可愛らしい絵が描かれたもの、やたらと煌びやかな装飾のもの──
「情報伝達と包装材を同時に兼ねる、か。選定と誘導を統一した設計……よく考えられている」
ラグナ=ミルハート、地球文化に夢中である。
その横で山岡はというと、無言で店内を一周し、おにぎりコーナーで二個をさっと取り、冷蔵棚から緑茶を一本。
「俺はこれでいいです。おにぎり二つとお茶。あんまり朝は重くしたくないんで」
「……山岡」
「はい?」
「この数百を超える物体の中から、どうやって即座に“朝食として適切なもの”を選び出した?」
「……慣れ、ですね」
「なるほど、文化による最適化か……実に羨ましい」
それから我は、自分用の飲料を選ぶため、山岡が手に取った冷蔵庫へと向かった。
その瞬間、胸が高鳴る。
「これは……!山岡の住居にあった冷蔵庫とは、形状も素材もまるで異なるではないか」
ガラス扉。内部照明。細かく仕切られた棚構造。
温度を保ちながらも、内容物を視認可能にする設計──
「魔力を使わず、冷却と観察を両立させる……!これを“保存と誘惑の両立装置”と呼ばずして何と呼ぶ!」
「だからラグナさん、冷蔵庫ごとにそんなにテンション上げないでくださいってば」
我は中段に並ぶ飲料を睨みつけるように吟味し、山岡の選んだものと同じ緑茶のボトルを手に取った。
「……これにしよう。茶と米、相性は悪くなさそうだ」
次は“おにぎり”と呼ばれる食物。
我が手に取ったのは、三角の奇妙な包装を施された物体。
他にも形状、色、名称が異なるものが並んでいる。
「……山岡。これは、全て同じ種の料理なのか?」
「はい。おにぎりっていって、中に具が入ってるんです。味はそれぞれ違いますけど」
「見分けがつかぬ。どう選べばよい」
「じゃあ、俺が代わりに選びます。ラグナさんには……エビマヨと、鮭でいきましょう。人気定番どころです」
「よかろう。任せる」
──それにしても、これほど多様性のある食物とは。地球人、相変わらずやりおる。
商品を手に、山岡がレジ横へ進む。
だが、そこにいたのは人ではなく、無表情の機械だった。
「この台座は?」
「セルフレジです。自分でスキャンして、自分でお金払います」
「……人を介さぬのか!?」
「人手足りないみたいで、こういうセルフのが多くなってるんですよ。店員さんの負担も減りますし」
山岡がバーコードをかざすと、「ピッ」と音が鳴る。
「……!?これは、“契約刻印による確認術式”の亜種か……?」
次にタッチパネルを操作し、支払い画面へ。
我も真似してボトルとおにぎりを台に置き、慎重にスキャンを試みた。
「ピッ」
「……ふむ。簡単だ」
「ね、便利でしょ」
我は財布代わりの袋から小銭を取り出し、指先で数えながら投入した。
モニターに数字が現れ、自動で釣銭が戻る。
「……機械による対価取引の自動化……地球、やはり観察しがいがあるな」
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