記録1。白い部屋
私の仕事は記録を録ること。
暗く狭い部屋に男がひとり。
名前は匿名。わかる事は性別のみ。
顔は見えず、姿もわからない。
私はいつも通りに仕事を行うだけだ。
男性の前へとお茶を運び、ゆっくりと置く。
「緊張なさらず、貴方のタイミングでお話を始めてください。」
男がふっ、と笑ったような気がした。
「ありがとう。」
そう言うと、お茶に口をつける。
「俺の担当が君で良かった。」
お茶を置くと、男は話を始めた。
ある日の事だった。
仕事帰りだ。
日付は覚えていない。
天気は…雨は降っていなかったな。
夕日が眩しかった事を覚えている。
黒猫が居たんだ。
着いてこいと言っているような気がした。
もちろん気の所為だと思って家へ帰った。
きっと疲れてるんだろうと思ったんだ。
そしていつも通りに軽く夜食を食べ眠りについた。
どのくらい寝ていただろう。
眠りは浅かったように思える。
目を覚ますと俺は、……真っ白な部屋に居たんだ。
ここまで話すと男は口を閉じた。
「この話し方で問題無いか?聞き取りにくい、詳細が思い浮かば無い等、何かあったら言ってくれ。」
男は不安そうにこちらの様子を伺う。
「……、そうですね。では、…黒猫を見た時貴方は何を感じましたか?」
男は少し考えた後再度口を開く。
「許し、安堵。そのような感情を感じたような気がする」
「そうですか。ありがとうございます。続きをお願いします。」
男は頷き、続きを話し始める。
そうだな。
その部屋は不思議な光り方をしていた。
まるで異空間のような。
光源は無いのに壁が明るいんだ。
壁に触れても熱くは無かった。
その部屋には、机と巨大なドアがあった。
見たことも無い大きさのドアだった。
白く大きな……。
机の上にはいくつかの鍵があった。
鍵には色がついており、赤、青、黄色、茶色、黒…だったかな。
その鍵はどれも扉の鍵穴に嵌るようだった。
鍵を回せば別の空間へと行ける。
そう言う仕組みだった。
不思議だよな。
俺も現状を理解するのが精一杯で、何とかしなければ、それしか考えられなかった。
鍵を回せば別の空間へ行けるとわかったのは、メモに書いてあったんだ。
それと、自分で試したからだな。
最初はとりあえず鍵に触れた。
すると、鍵に触れる事に様々な記憶が頭の中を過ぎるんだ。
暗い路地の記憶。海の中の記憶。花畑の記憶。
その記憶のどれもに意味があるように感じた。
そして、そのどれもが俺が体験した事なんだと思ったんだ。
そして、思ったんだ。鍵を使ってドアの中へと入り、新たな人生を得る為にここへと呼ばれたんだと。
とりあえずは赤の鍵を使い回してみた。
手に取った時と同じ情景が扉の先に広がっていた。
赤は行きたく無かったからな。
他にもっとまともな鍵は無いのかと考えたんだ。
そしたら、机の上には見覚えのない透明の鍵があった。
恐らくこの鍵が俺の未来を指し示す鍵なんだと思い、その鍵の先へと行く事にしたんだ。
鍵の先へと行くと、顔や体型、周りの人々、住んでいる場所。
全てが変わっていた。
そう、他人になったんだ!
男は興奮していた息を整える。
「話はここで終わりだ。今も当時の姿ではなく、変わった姿で生きている。不自由は無い。新たな人生を手に入れた気分だ」
男は嬉しそうに笑った。
ここで記録は終わりだ。