第98話 イナグーシャの意思
私は一人、魔物と向き合っていた。
敵はイナグーシャ。帝国から連邦に移り住んだとされる、バッタのような甲殻を持つ魔物だ。イナグーシャには6本足の昆虫のような魔物とされているが、私が遭遇したのはすべて亜人のような2本足で立つタイプだった。
私たちは細かく移動しながらお互いの動きに備えた。襲い掛かってきたらすぐに斬り返すつもりだったが。そうはならなかった。真剣でも傷つけられない装甲を持つのに襲ってこないなんて、警戒しているとでもいうのだろうか。
来ないのなら、こちらから行くのみだ!
私は刀を鞘に納め、半身になって大きく息を吸い込んだ。
そして・・・。
「いやあああああああああああああ!」
私は腹の奥底から声を上げた。お姉さまは相手に斬りかかる前に叫ぶことで怯えを追い出すのだと言っていた。私も大声で叫ぶことで、なんの憂いもなく斬りかかってみせる!
「ぎょああああああああああああ!」
私の声に呼応するかのように、イナグーシャが叫び声を上げながら私に向かってきた。私もにらみながら、敵に向かって駆け込んでく。
イナグーシャが間合いに入った瞬間、私は素早く刀を抜き放った!
私とイナグーシャがすれ違う。そして、お互いが10歩ほど離れた位置で振り返った。
振り返ったイナグーシャを見て、私はついつい顔をゆがめてしまう。
私の居合いは魔物の攻撃を掻い潜り、その胸に傷を与えることに成功した。だけど、仕留めるには至らない。上半身を斬り飛ばすつもりだったのに、わずかな傷を与えるだけで終わってしまったのだ。
イナグーシャが興奮したように荒い息を吐いている。傷口が見る見るうちにふさがっていくなか、昆虫の目が驚愕に揺れているような気がした。そして――。
「ナンデコンナトコロニ。ココハ、ドコダ。ナンデキズヲオッテイルンダ!」
人語でそんなことをしゃべったのだ!
魔物と言われる種族には人語を理解するほどの知能を持っている種類はほとんどないはずだ。ゴブリンシャーマンなどの例外はあるものの、たいていは人間を見てもいきり立って襲ってくるだけなのに!
でもまさかこいつ! 私と会話しようとでもいうのか!
「お前! 人語を理解する魔物なのか!」
思わず叫び返すが、イナグーシャは驚いたようにこちらを見た。
「マ、マサカアナタハ! ナンテアナタガココニイル? アナタトタタカウイシハコチラニハ!」
驚き、戸惑ってしまう。
当然のことながら、私に魔物の知り合いなんていない。でも、あいつは私を知っているようだ。
「あなた! 私のことが分かるの?」
「シッテイルサ! ホシモチノヒメ! アナタノコトハミンナシッテイル! ユウメイダカラナ! デモナンデ!?」
魔物が答えた、次の瞬間だった。
「アア! アアアアアアアアアアアアアア!」
イナグーシャは頭を押さえて苦しみだした。いきなりの行動に、私は警戒して近づくことさえもできない。
「あ、あなた! どうしたというの!?」
私は思わず尋ねるが、イナグーシャは鋭く顔を上げると厳しい目で私を睨んできた。
「ギョジャアアアアアアアアア!」
さっきまでとは打って変わり、イナグーシャは鋭い爪を振るってきた。でも攻撃は単調で、簡単に身をかわすことができた。避けながら見たけど、あいつの隙は見つけられれた。だけど、私は戸惑って反撃することができない。
敵の攻撃は続いていた。次々と繰り出される爪に、私は受け止めるので精いっぱいだった。
ふいに、攻撃がやんだ。ぎょっとしてヤツを見ると、しゃがみこんでコマのように回ったところだった。
「ギョジャアアアアアア!」
「くっ!」
イナグーシャの強烈な回し蹴りが私を襲う。何とか刀で防御したが、あまりの威力に刀が吹き飛ばされてしまう。
隙をついて襲い掛かったイナグーシャを、前蹴りを放って突き飛ばす。それでも突っ込んでくるイナグーシャを、私は鞘を振りぬいて撃退した。
「なんなの? あなた、意思があるんじゃなかったの?」
「ぎいいいいいいいああああああああ!」
私の疑問をかき消すように、イナグーシャは叫び声を上げた。
正直、私は混乱していた。
イナグーシャとはゴブリンシャーマンのように言葉を話す魔物なの? それに、私のことを知っているようだった。でも今は、私を殺そうと襲ってきている。お姉さまからもらった刀も吹き飛ばされてしまった。
鞘でなぐりつけたが、これは本来殴打用の武器ではない。一発だけでもまずいのに、このまま使い続けたら壊れてしまうかもしれない。
連続して繰り出される攻撃を何とか躱していく。時折鞘で反撃したが、固い装甲を打ち破ることができない。
「あなたは」
「アメリー様! 大丈夫ですか?」
乱入してきたのはセブリアン様だった。
たしか彼は、私とアーダ様の後ろを追いかけてきていたはず。ファビアン様を援護していたと思ったが、私の危機に駆けつけてくれたらしい。
「こいつ! 変なんです! まるで意思があるかのよ」
「ぎょじゃああああああああ!」
私の言葉を遮ってイナグーシャが突撃してきた。私は鞘を使って何とかしのぐが、鉄ごしらえとはいえ魔鉄の刀とは違う。攻撃を凌ぐので精いっぱいだった。
「くっ! させるか!」
セブリアン様が横から鋭い突きを放った。イナグーシャは体を反らして何とか躱すが、セブリアン様の刺突剣がその胸を一文字に切り裂かれていた。
セブリアン様がまとっているのは白の魔力だ。光属性の魔力は身体強化に最も優れているとされている。私の内部強化に匹敵するくらい筋力も高まっているだろう。
「アメリー様! 下がって! 前衛は私が」
「あのイナグーシャ、人語をしゃべったのです! イナグーシャとは、人語を扱う魔物なのですか?」
かばうようにしていたセブリアンが一瞬だけフリーズした。
油断なくイナグーシャと向き合いながら、静かな声で語りだした。
「私が知る限り、イナグーシャがゴブリンシャーマンと同じようにしゃべった例はありません。ですが、あの魔物は私が知るイナグーシャとは違う種かもしれません。いかに姿かたちや装甲が似通っているとはいえ、連邦では6本足でしたから。この国で現れたこいつは、厳密には連邦のそれ同種と言っていいのか」
「ギョジャアアアアア!」
イナグーシャが襲い掛かってくるが、セブリアン様は刺突剣を振るってなんとか撃退していく。セブリアン様が与えた傷がみるみるふさがっていくが、セブリアン様はその様子を冷静に見ているだけだった。
「微細な傷ならすぐに回復されるのですね。だったら」
セブリアン様の魔力がイナグーシャを圧倒しているように見えた。光とはいえ、ここまで作用するということは・・・!
「レイ!」
右手から放った火魔法はイナグーシャに直撃して吹き飛ばした。仕留めるには至らないようだけど、あいつと私たちの間に距離が開いたようだった。
私は星持ちで火の魔法の威力は高いはずだった。隙だらけの魔物なら確実に仕留められたはずだが、イナグーシャは火傷を負っただけでぴんぴんしている。
「火が弱点でも強いわけでもない。火の広がりから見て水でもない。とすると、この魔物の属性は、火か土・・・。それと、私の光を弱点とするなら、闇も持っている。土と闇の属性を持つイナグーシャである可能性は高いということですね」
「ええ! でもこいつは、今までのイナグーシャと違って人語をしゃべれる知能があるかもしれないんです!」
セブリアン様は魔物の攻撃をかわしながら一人ごちだ。
「この魔物は、この国に現れたイナグーシャは、連邦のそれとは少し違うのでしょう。おそらく、素材はイナグーシャと、オーク・・・。または」
「ぎょじゃああああああ!」
イナグーシャの渾身の一撃も、セブリアン様には届かない。やはりセブリアン様は、この国に来てからの一年あまりでかなり力量を上げたようだった。
「人を素材にした、合成獣なのかもしれない」
おぞけが走った。
私は何度もイナグーシャと相対している。ほとんどは教師が仕留めていたが、斬り捨てたこともあった。
「見知らぬうちに、人と斬り合っていたかもしれないということですか?」
もしかしたら、私は知らないうちに人と戦っていたのかもしれない。そして、人を殺していた可能性だってある。
セブリアン様の返事はない。何かを考えるようにしながら、イナグーシャの攻撃を避け続けていた。
「アメリー様。落ち着いてください。ちょっと無神経でしたね。すみません」
セブリアン様は戦いながら続けた。
「人と魔物を掛け合わせる術などまだ確立されていない。ギオマー様が言っておられましたが、属性をいくつも持つ人間と魔物を掛け合わせる技術はまだ確立されていないそうです。あの帝国だって、闇魔法を使ってもできなかったはず。連邦は当時の帝国にも及ばないのに、そんな魔物を作り出せるはずはありません」
「でも!」
私は思わず叫んだが、セブリアン様は冷静さを失わない。静かな様子でイナグーシャの攻撃をさばき続けている。
「たとえ人間であっても、私たちに害をなす魔物であるのは変わりません。私たちが仕留めないと、被害を受けるのは立場の弱い人々です。私たちは貴族ですから、どんな事情であれ討伐を依頼されたら倒さなければならない」
セブリアン様が繰り出す刺突に、イナグーシャは対応できない。体を貫くことはなかったものの、すさまじい勢いで吹き飛ばされていく。
セブリアン様は姿勢を正して再び刺突剣を構えた。その姿勢にブレはない。まるで当然のことをするかのように、ゆるぎない態度でイナグーシャと向き合っている。
「・・・そうですね。セブリアン様の言う通りです。イナグーシャは何人もの領民を手にかけたとされています。討伐に出た冒険者も、行方不明の人間が何人もいる。人間を合成した可能性があるからって、私がためらうわけにはいかないんですよね」
私は決意してイナグーシャと向きなおった。顔色はかなり悪くなったと思うが、決意を込めて魔物を睨みつけた。
「前衛は、私がやります。どうやらあいつは私の白の魔力を弱点としているようです。おそらく奴は、闇の魔力と土の魔力で体を強化しているはず。白と黒の上下二属性は、お互いに最も影響を与えるはずですから」
私は思わすセブリアン様を見返してしまった。
正直、悔しくはある。討伐任務ではずっと私が近接者として戦ってきた。たとえオーガやヴァルティガーだって戦ってきたんだ。
でも、今回のイナグーシャには私の刀が通じない。切断するつもりの渾身の一撃でも傷をつけることしかできなかった。刀は吹き飛ばされたままだし、丸腰ではさすがに前衛をこなすことはできないだろう。
セブリアン様が私をかばうように前に出た。
そういえば、この人を一人で戦わせないためにいろいろやったなぁ。それが今ではイナグーシャと戦えるようになるとは。
「ギョジャアアアアアアアア!」
イナグーシャが私に向かって突撃してきた。しかし横合いから刺突を繰り出したセブリアン様に止められ、そのままもつれ合って一騎打ちの様相を示していく。
正直、人語を話すイナグーシャが、気にならないかと言われるとうそになる。でも、ここで引くわけにはいかない。私たちが躊躇すれば、犠牲になるのは平民や冒険者だ。
「お姉さまや教師の皆さんほど強ければ捕獲も可能だったかもしれませんが」
「ええ。でも私たちにはそれをするほどの実力はない。だったら! 貴族としての義務をはたすのみです!」
私は決意を込めてイナグーシャを睨んだ。そして素早く赤の魔法陣を構築し、戦い続けるイナグーシャに向かって魔法を解き放つ!
「食らいなさい!フラ・ベスチ!」
私の右手から、炎がまるで鞭のように伸びていく。叔父様が得意とするフラ・ベスチの魔法だ。威力はもとより、当てた相手をしびれさせる効果もある。技巧派向けの魔法だけど、未熟な私が使っても牽制にはなるなずだ。
「ギョジャッ!」
炎の鞭がイナグーシャを打ち据えると、魔物は一瞬その動きを止めた。私程度でも、一瞬だけならあいつの動きを防ぐことができたのだ。
「これで仕舞です!」
セブリアン様の白の魔力が急速に高まっていくのを感じた。大技でイナグーシャを仕留めるつもりなのだろう。イナグーシャが焦ったようにセブリアン様に襲い掛かっていく。
イナグーシャの渾身の動きは、私にとっても脅威だったはずだ。でもセブリアン様は落ち着いていて、イナグーシャの動きにかぶせるように渾身の刺突を放った。
「ルス・オレアーダ!」
セブリアン様の魔鉄の刺突剣が輝きを放っていた。刺突剣には何重もの光の魔力が巻き付いていて、イナグーシャを貫くと一瞬にして魔物の全身に纏わりついた。
「ギョジャ! ギョジャアアアアア!」
あたりに響き渡る、イナグーシャの断末魔。光の魔力がイナグーシャに纏わりついて装甲を粉々に砕いていった。刺突剣に貫かれたイナグーシャは、何かを探すように右手を突き出し、そして全身に光を放っていく。
イナグーシャの右手が何度も握りしめられた。それはまるで見えない何かをつかもうとするかのようだった。
光が収まると同時に、糸の切れた人形のようにイナグーシャは膝をつき、倒れ込んでいく。
「やった・・・、のね」
「え、ええ・・・。なんとか、倒せたようです」
私のつぶやきに、セブリアン様が茫然としたように答えた。
難敵を倒したはずなのに、気分は優れない。私もセブリアン様も、悪いものでも食べたかのように下を向いていた。
「あれ? これは?」
イナグーシャのそばに、何かが落ちているのを見つけた。セブリアン様の一撃はイナグーシャの甲殻を打ち砕き、その破片が散らばっていたが、それとは違う何かが落ちていたのだ。
「魔石の、かけら? イナグーシャのものかしら?」
「こっちにもあります。同じ黒の魔石のようですが、そちらとはちょっと種類が違うようですね」
思わずセブリアン様と見つめ合った。
魔石を加工した宝飾品はあるけど、お店でこんな魔石は取り扱っていないはずだ。けど、私はこの欠片を最近どこかで見たような気がした。
「それは」
セブリアン様が何か言おうとしたした瞬間だった。
どおおおおおん!
あたりに爆音が響いた。
ぎょっとしてそちらを振り返ると、ファビアン様が魔物の群れに大規模な風魔法を放ったところだった。特別製らしき大杖を持っていたが、それと合わさって星持ちに近い威力だと思う。
「こんなことしている場合じゃないわね! 一年生たちを援護しないと!」
「はい! 急ぎましょう!」
そうして私たちは、一年生たちを援護するための戦いを始めたのだった。




