第96話 1年生への救援 後半 ファビアン視点
前を走る背中は、どんどん遠くなった。
おそらく、一年生たちの隊からの救援依頼――。それに応えるために現場に向かったのだけど、先頭を走るゲラルト先生との距離は開くばかりだった。
私たちですらこれだから、後ろのほうはどうだろうか。
「大丈夫だ。ニナ様やフォルカーたちを守るように大学生が動いてくれている。私たちは、一刻も早く現場に向かおう」
アーダ様がそう言って私を先へと促した。
先頭を走るのはゲラルト先生で、その後ろを私とアーダ様が追い、セブリアン様が続いている。フォルカー様が遅れているのはさっきの戦闘でかなり消耗していたせいだろうか。そんな彼を、ニナ様が心配そうに何度も振り返っていた。
「それにしても、さすがはゲラルト先生ですね。必死で追いかけているのに、全然追いつけない」
「ああ。色もそんなに濃くはないのだがな。あのスピードなら、きっと間に合う。いや、間に合わせてみせる!」
アーダ様の言葉を聞き、私は口を閉ざして走り込むのに集中した。
アーダ様の言うとおりだった。私たちは、一刻も早く1年生たちを救援しなければならない。あのフェウェウェークは、不測の事態が起こった証しなのだから。
「エーファが言っていたよな。隠蔽に優れた魔物を何匹も見かけたって。もしかしたら、一年生たちはそいつらに襲われたのかもしれない」
「この国で見かけない魔物ですか。まるで、帝国のやり口をまねたようですね」
私たちが生まれる前に滅んだ帝国は、他国に魔物を解き放つことで侵略したとされている。その国で天敵になるような魔物を作り出し、それを解き放つことで多くの民を害してきたのだ。 今回の一件も、帝国の魔法使いが関わっているといううわさがある。
帝国の謀略に思いを馳せていると、戦闘中の部隊が見えてきた。
「見つけた! あれはフォンゾさ・・・とファビアン様だ! 負傷者もいるみたいだが、とりあえずは2人は無事みたいだ!」
「ええ! ! くっ! あの魔物は!」
私は動揺を隠せなかった。
ファビアン様たちの部隊が、大量の魔物に襲われている。ゴブリンやオークなど、見慣れた魔物も多いが、気になるのは小型の魔物だった。小型犬くらいの大きさだが、見るからに凶暴だった。リスのようにかわいらしいが、威嚇する姿はあいつらが一筋縄ではいかないことを感じさせた。
「!!!!」
私は全力で走り続けたが、前を走るあの人がさらに私たちを突き放した。目にもとまらぬとはこのことだろうか。一瞬にして移動したゲラルト先生はフォンゾ様を抜き去り、ファビアン様の前に躍り出たのだった・・・。
※ ファビアン視点
やられた、と思ったら一瞬にして前に盾を構えた戦士にかばわれていた。
正直、死を覚悟していた。なにしろ、気づいたらエキュルイユだけでなくゴブリンやオークまで現れていた。予想以上の数の魔物に囲まれていたのだ。
オリヴィア先生はまだ戻らず、サミュエルの動きも精彩を欠いている。その影響だろうか、ロミーばかりかテレサまでも負傷してしまった。僕たちは彼女たちを守るのに精いっぱいだった。フォンゾがいなかったら、僕らはとっくにやられていただろう。
「え・・・。あ、あ! ゲラルト先生!」
「ファビアン君。構えなさい。まだ戦いが終わったわけではない」
エキュルイユの攻撃を止めていた先生は、盾を突き出して魔物を突き飛ばした。そして、飛び掛かってきたエキュルイユを剣で斬り飛ばしていく。
「う、うそ・・・。あのエキュルイユが、あんなにあっさり!」
意気消沈していたはずのテレサが目を見開いていた。
「下級、貴族なのに、あんなことできるの? 色の濃さも魔力量も私よりも下のはずなのに、なんで!」
「魔力を使わない技術、らしい。あの先生は自分の技術を惜しみなく教えることで、平民出身の生徒を有能な戦士へと育てているらしいんだ」
テレサは驚いたような顔で僕を見た。
「姉様が前に言っていたんだ。ゲラルト先生は、あのダクマー・ビューロウが一番尊敬していた先生だと。君も、この国では特殊な技術を持った人が尊敬を集めているのは知っているだろう?」
「え、ええ。それは街に行ったときに気づきましたけど」
この国では、特殊な技術を持つ人は貴族に取り立てられるし、貴族にならなくても手厚く保護されている。その最たるものが学園のある街で、貴族であっても手が出せない技術者が何人もいるという。
「ゲラルト先生は下級貴族でありながらも特に優れた技術を持つ教師らしい。王族や公爵クラスの貴族でも気に掛けるくらいのね。だから、学園から道場を与えられているし、他の教員も一目置いている。専任武官にも、あの人にあこがれる人は多いんだ」
僕が説明すると、テレサはあっけにとられたように僕を見て、呆然とゲラルト先生に視線を戻した。
ゲラルト先生は相変わらず魔物を斬り続けている。時には雄たけびを発し、魔物の敵意を集めていた。その一挙手一投足を、テレサは食い入るように見つめだした。
だが、その時だった。
「ぐおおおおおおおおお!」
雄たけびが戦場に響き渡った。
ぎょっとしてそちらを見ると、毛むくじゃらの4歩くらいの大きな猿がすさまじい勢いでこちらに走り寄ってきた。
なんだ! このプレッシャーは! 見たことがないくらい、強い魔力だ。猿型の魔物と言えばキラーエイプだが、あれの属性は、確か火。こいつからは土の魔力を感じる。
ということは、まさかこいつは!
「う、うそ・・・。ウェディンゴ! なんで、こんなところに!」
「戦場の気配に引き寄せられたのか! くそっ! なんてことだ!」
キラーエイプとは比べ物にならない大きさのそれは、ウェディンゴに違いなかった。
「おいおいおいおい! マジかよ! なんて魔力だよ! 本当に魔物かよ! 貴族なみじゃねえか!」
フォンゾが焦ったような声を上げた。僕も同感だった。ウェディンゴはキラーエイプと比べると明らかに筋肉質で、下手な攻撃など通りそうにない。何より注意を引くのは、濃い土の魔力だ。魔法陣こそ使えないようだが、あれで身体強化をしたなら相当な動きになるはずだ。
ウェディンゴはぎょろりとした目でこちらを睨んだ。そしてサミュエルを見つめると、笑いながら突進してきた。
「え? な、なんで! 来るな! 来るなぁ!」
逃げ腰のサミュエルに。ウェディンゴはおぞましく笑いながらこぶしを振り上げた!
こちらからもわかるほどの、濃密な黄色の魔力! ウェディンゴは風をなびかせながら、サミュエルめがけて拳を振り下ろした!
多分、その場にいる誰もがサミュエルの死を想像しただろう。あの魔力と剛腕を見れば、肉塊になるサミュエルを想像するのも難しくはない。
だけど、そうはならなかった。
がつん!!
拳と盾がぶつかる音が響いた。ゲラルト先生がいつの間にかサミュエルの前に出て、盾でこぶしを受け止めていたのだ。
「くっ! さすがに重いな」
ゲラルト先生がうめくが、ウェディンゴの渾身の一撃にもびくともしない。不快そうに顔をゆがめたウェディンゴは拳を振るい続けるが、ゲラルト先生はそのすべてを盾で捌き続けている。
「う、うそ・・・。あの猛攻を、盾で防ぎ続けている! なんで!? そんなことできるの!?」
テレサが我を忘れて叫んでいる。
ウェディンゴとゲラルト先生の体格差は3倍近くもある。それなのに、ウェディンゴがどんなに拳を繰り出しても、ゲラルト先生はびくともしない。そればかりか、時折剣を振るってウェディンゴを傷つけ続けているのだ。
圧倒的な、技量の差。ウェディンゴの攻撃を簡単にさばいているゲラルト先生だったが、その顔は苦渋に満ちているように見えた。
「やはり、固いな。私の攻撃では碌なダメージにもならんか。ファビアン君。離脱の準備だ。隙を見つけたら、すぐにここを離れるぞ」
「ぐおおおおおおおおおおおお!」
先生が言い終わる直前だった。ウェディンゴが背をのけぞらせて振りかぶり、厚い土の魔力に覆われた拳を突き出してきたのだ!
どおおおおおおおおおん!
激突音があたりに響いた。ウェディンゴの拳が、ゲラルト先生めがけて振りぬかれた。そのすさまじい勢いに先生の足元から土煙が起こり、その姿を覆い隠した。
先生は盾で守ったように見えたけど、あの勢いでは・・・。
でも、次の瞬間には土煙から鋭い声が上がった。
「ファビアン君! いまだ!」
僕は反射的にテレサの腕をつかみ、その場を駆けだしていく。本能的に、逃げるなら今だと感じたのだ。ロミーの襟首をつかんだフォンゾが笑い声を上げながら僕に続いていた。
だけど・・・。
「え・・・。あ・・・ああ!」
サミュエルは動けない。事態に反応できなかったのだろうか。呆然と立ち尽くしている。
「サ、サミュエル! 早くこっちへ!」
「あ・・。ああ! 待っていてくだされ! 足がもつれて・・・」
サミュエルはよろよろとこちらに歩いてくるが、足がもつれて転んでしまう。何とか立ち上がり、こちらに近づこうとするが、力が入らないのか、その隙を魔物たちは逃さない。ゴブリンとオークが、サミュエルめがけて飛び掛かってきた。
「ごあああああああ!」
「ひ、ひぃぃぃ!」
サミュエルの引きつったような声。だけど僕らにはどうすることもできない。このまま、サミュエルを見捨てることしかできないのか・・・。
「ウォーターボール! ウィンド!」
放たれたのは、2発の下位魔法。普通なら足止めすらもできないはずのその魔法は、サミュエルに襲い掛かろうとしたゴブリンとオークを瞬く間に仕留めてしまう。
「間に合った、みたいだな」
肩で息をしながらつぶやいたのは、アーダ先輩だった。
「叔母さん! うひょー! すっげえ! 魔力障壁持ちの魔物が一撃かよ!」
「フォンゾ! まだだ! まだ油断するな!」
フォンゾは感嘆の言葉をかけたが、当然のようにアーダ先輩にたしなめられた。
「うわあああああああ!」
サミュエルの叫び声に思わず振り返ると、彼めがけて新たな魔物が飛び掛かってきたところだった。どういうわけか知らないが、魔物たちはサミュエルを集中的に狙っている。
「あれは、イナグーシャ? そんな! やべえ!」
フォンゾが顔をしかめていた。僕もサミュエルを見つめることしかできなかった。
でも、次の瞬間だった。
「秘剣! 鴨流れぇぇぇ!」
滑り込むようにイナグーシャに斬りかかったのは、アメリー先輩だった。腰に佩いた刀で斬られ、イナグーシャは勢いよく吹き飛ばされていく。
バウンドして倒れ込んだイナグーシャは、しかしすぐに立ち上がると、頭を振ってアメリー先輩を睨んだ。
「固い! この前斬った奴よりも、装甲が厚いということ!?」
先輩はそっとイナグーシャを見つめると、ゆったりと刀を鞘に納めるのだった。




