第93話 アダルハード・ユーリヒの追憶 ※ アダルハード視点
※ アダルハード視点
「先生は、どう思いますか?」
アロイジアが静かな目で尋ねてきた。細い目をさらに細くして、何気ない様子で聞いてくる。眠たそうに見えても彼女は本気だ。だから、教師として真剣に答えなければならない。
「そうですね。ヨルン・ロレーヌやラルス・フランメが魔力過多だったのは確かなのでしょう。彼らと同じような訓練をすれば、あなたもいずれは水魔法を使えるようになるかもしれませんね」
私が言うと、研究室は盛り上がった。
「アロイジア! だから言っただろう!? お前の水の資質も大成する可能性があるってことだよ! お前、うまく使えないのは水だけだったろ! これで水も使えるようになりゃ、魔法使いとして完璧になるじゃん!」
「そう簡単にはいきませんよ。今まで魔力過多の人間が何人いて、どれだけの人が同じような訓練をしたと思いますか? これまで、ヨルンのように優れた魔法使いになった者はいないんです」
ゲアトの言葉を、アロイジアが遮った。
ああ。確かそうだった。このころ、あの二人はまだ一緒になっていなかった。私の研究室であのようによく言い合いをしていたものだ。
懐かしくて、微笑ましくて。
見ていて涙が出そうな光景だった。あの頃がおそらく、人生で一番幸せな時間だったと思う。彼らとともに、毎日のように研究室に集まって議論を交わしていた。
「でも今は昔とは事情が変わったよね。効率的な魔力制御の鍛え方や、育成に役立つ魔道具なんかも生まれてきた。魔力板一つをとっても昔とは違う。技術が発展した今なら、君の水の資質だって鍛えられるかもしれないよ」
ジョアンナがくいっと眼鏡を押し上げた。
彼女は魔道具づくりで著名なインゲニアー家の分家でヴェスタープ家出身の才女だ。彼女は、ぶつくさというアロイジアをたしなめていた。
「で、でも! 水魔法なんて扱えなくてもいいんです! 土魔法の資質はあるんだから、それでいいんじゃない! この国では、土魔法の資質が高いと優遇されますからね」
アロイジアはそう言うが、そんな彼女をゲアトが嘲笑した。
「はっ! そんなこと言ってもあきらめちゃいないんだろう? お前、いまだに水の魔力の訓練を繰り返してるじゃないか!」
「う、うるさいわね! あれは習慣よ! 習慣! 私は水魔法が使えなくたって魔法使いとしてはやっていける! 王国で最も評価される土魔法も、自在に操れるから!」
むきになって言うアロイジア。そんな彼女に、諭すような声が掛けられた。
「だけど、土魔法でも著名な君に、水魔法まで加われば鬼に金棒という気はするね。僕らは後継にもなれない身だけど、そうして結果を出せれば、実家を見返せるかもしれないよ」
インゴがたしなめるように言うと、アロイジアは細い目を目一杯広げて押し黙った。
そうだった。いつも冷静なインゴの言葉には、誰もが無視することはできなかった。あの勝気なアロイジアですらも、その言葉には聞き入っていたのだ。
「闇魔との戦いも一段落して、今は魔法使いの力を貯めるときなんだ。今は魔法使いの力がものをいう時代だ。魔力過多の人も躍起になって魔法を扱う術を探っている。君も探索すれば、新たな道を示せるかもしれないよ」
「でも・・・」
アロイジアは押し黙った。そうだ。彼女も、最初は制御が難しい水の魔力を使うのに否定的だったのだ。
今代の聖女が命がけで結界を張ってくれたおかげで、闇魔の侵攻は食い止められた。アルプロラオウム島からの脅威は目に見えて減り、この国は一時的な平和を取り戻した。散発的な闇魔の進軍こそあるものの、闇魔に害される人材は確実に減少している。
「一昔前なら私たちも北へと向かわされたかもしれないが、幸運なことに私たちには時間が与えられた。カールマン王太子やカールハインツ伯爵の尽力のおかげでね。少なくとも、君が考える時間はあるはずだ。ゆっくり考えて、自分に合った道を選びなさい。君たちはまだ若い。検討する時間が、まだあるのだからね」
「は、はい・・・」
素直に頷くアロイジアを、微笑ましいものを見るかのように見つめていた。
ああ。あの頃は幸せだった。
私の教室には将来有望な学生たちが集まって、時間を忘れて議論したものだ。あの忌まわしい出来事が起こるまで、アロイジアは水の魔力を頑なに操ろうとはしなかったのだ。
誰かがこの部屋に駆け込んでくる足音が聞こえた。
あの音を聞いてはならない。あれは、私たちの平和を壊す知らせに他ならないのだから。
止めたいと心から思うが、体は動いてくれない。
足音が私の研究室に近づいてきた。生徒たちが熱い議論を交わす傍らで、あの足音は着実に大きくなったのだ。
研究室の扉が乱暴に開かれた。同僚のルイボルト教師が荒い息を吐きながら駆け込んできた。
「アダルハード先生! 大変です!」
息を整えながら叫ぶルイボルト先生の声に、私は平和な時間が過ぎ去ってしまったことを、嫌が応にも実感したのだった。
◆◆◆◆
「やめよ! やめるのだ!」
私は宙に手を伸ばした。
気づけばそこは、見慣れた景色だった。
大きなベッドに、豪華なクローゼット。机があり、椅子があって、高価なブランド物の家具が整えられていた。
ここは、王都にある我が領のタウンハウスだ。どうやらいつの間にか、ここで寝かされていたらしい。ついさっきまで闘技場に言っていたと思ったら、ここに戻ってきたのか。
誰かが近づいてくる気配がした。ベッドサイドに息を切らして駆け寄ってきたのは、執事のロボスだった。彼は古くから私に仕えてくれている信頼のおける執事で、私が起きたのに気づいて来てくれたのだろう。
「ア、アダルハード様! お目覚めになられたのですね! よかった! 本当によかった!」
「ロボスか。ここは・・・。いや、私はどれくらい寝ていた?」
ロボスは泣きそうになりながら、それでも私の問いに答えてくれた。
「4日になります。アダルハード様は、闘技場から帰る途中で倒れられたのです。私めだけでなく、この屋敷の使用人は皆心配していたのですよ! フロリアン坊ちゃんなど、眠らずに看病し出す始末で・・・」
「4日か。公開処刑の日程が決まったわけではないのだな」
慌てて説明してくれるロボスに、私はほっと溜息を吐いた。
どうやら、まだ命を失わずに済んだようだ。
医師からは、もう安静にしていろと言われている。しかし、まだ終われない。この命が終わるまでに、まだやらねばならぬことはあるのだ。
「連邦の巫女は、どうしている?」
「!! ・・・は、はい。カロライナ様もアルセラ様も出かけられております。なにやら準備を進めているらしく、こちらでは居場所をつかめぬようで・・・。ただ、どなたかを迎えにいくようでして」
私は目をつむった。彼女たちも使命を果たすために動いているようだが、私も眠っている場合ではないのだ。
思い起こされるのは、深く赤い、魔力の塊だった。カロライナにも勝るとも劣らない濃さのそれは、私の印象に強く残っていた。
私は認めない。認められるはずがない。あの子の、アロイジアの成果を認めない魔力など、存在さえも許すわけにはいかぬのだ!
「出かけるぞ。あの2人が準備を進めたからには、私も動かねばならぬ。フロリアンの動きにも注意を払わねばならぬな。奴は、この件に関して完全な味方ではないのだから」
使用人に目配せして、上着を用意させた。
着替えながら、これからやるべきことをまとめた。
まだ、動かねばならぬことは多い。奴らの準備が進む前に、こちらも万全の状態にしなければならぬ。
心配そうに見つめるロボスに気づかぬふりをしながら、私は頭の中でやるべきことをまとめたのだった。




