第87話 パフォーマンス
決闘の当日になった。
私とエーファは、アーダ様の部屋の前に来ていた。ここで合流し、闘技場に向かうという流れになったのだ。
「アーダ。大丈夫かしらね。あの後ずっと資料を読み込んでたみたいだし。きちんと起きられたらいいんだけど」
「そうですね。まさかアーダ様があんなに熱中しちゃうなんて」
あの後、私たちは何度かアーダ様に声をかけたけど上の空だった。暇さえあれば資料を読んでいて、ときどき思い出したように何かをメモしていた。元気を出してくれたようで何よりだけど、その集中度合いに心配になってしまう。
「そういえば、アーダってどこの子になるのかな。西とか中央の貴族になると、この寮を出ていくってこと?」
「えっと、アーダ様がこれからどこで暮らすのかまでは分からないんですよね。でも、ここだけの話ですが、マユとシンザンに打診があったそうなんです。なんか彼女たちの働きは学園でも評価されているらしく、このままアーダ様に仕えられないかって。2人は応じたみたいで、少なくとも今後もあの2人はアーダ様に着くらしいんですよね」
エーファは納得したようにうなずいた。
「私としては、せっかく仲良くなったんだから、このまま一緒にいてほしいけどね。3人で登校するのも悪くないし」
そんな話をしている時だった。
「あ、2人とも、おはよう」
当のアーダ様が部屋から出てきた。
髪はぼさぼさで、目は充血している。おそらくだけど、夜遅くまで資料を読んでいたんじゃないだろうか。
「ああ! また徹夜したんでしょう! 駄目よ! 今日が何の日か、わかってるでしょう? あのドミニクと戦う日なのよ!?」
「あ、うん。ごめん。いろいろ思いついて。でも、大丈夫だよ? 徹夜明けで討伐に行くの、慣れているし」
アーダ様の返事に、エーファは思いっきり腹を立てていた。
そして闘技場に向かう道すがら、エーファのしかりつける声が響いたのだった。
◆◆◆◆
闘技場は超満員だった。
闘技場に入るまでもすごかったし、入ってからも人だらけだった。私はアーダ様を護衛するために控室にきたのだけれど、熱気がここまで伝わってくる。
「こ、こんなに人がいるなんて聞いていない」
「闘技場でのイベントは久しぶりだからね。以前は格闘技の試合や剣闘も頻繁に行われてたからなあ。久々の賭けられる戦いに、王都中の人で賑わっているのかもしないよ」
ダラダラと汗を流すアーダ様に、カトリンが笑って答えた。
ちなみに、闘技場のセコンドになったのは私とエーファとカトリンの3人だ。私とエーファは毎日アーダ様と登校していたし、そんな私たちと特に仲が良くて、護衛としても働けるのがカトリンだ。だから私たち3人が選ばれたのだけど・・・。
「アーダ様。そろそろ始まります。準備をお願いします」
「は、はい。すぐに準備します」
係員から呼ばれてしまった。慌てるアーダ様を見て、エーファが不満の声を漏らした。
「なんか、随分早くない? 決闘って、ぎりぎりまで選手が入場しないイメージがあったんだけど」
「よく知らないけど、戦う前になんかやるらしいよ。ユーリヒ公爵直々にお達しがあったってさ。多分、ヘッセン家とかの意向もあるみたいだけど」
そんな雑談をしながら会場に入ると、大歓声で迎えられた。アーダ様はあからさまに驚いた顔をして、うつむいて待機場所に進んでいく。私たちも慌てて彼女に続いた。
「おお! やっぱり観客席は超満員だったね! そんな試合を特等席で見られるなんてついてるねぇ!」
カトリンははしゃぎまわっている。決闘の前には簡単なテントが用意されていて、私隊護衛が待機するスペースまで用意されていた。
「まったくカトリンは! でも、こんな場所まで作られたのね。まあ、前の公開処刑ではあんなことがあったからね。それに、1対1の戦いだから、あまりスペースがいらないからかも知らないけど」
待機場所は結構整えられていて、ここからは試合の様子がよく見えた。ここでラーレお姉様はダクマーお姉さまの戦いを見ていたんだなぁ。私もここに来るとは、なんだか感慨深いものがある。
そしてすぐに、また大歓声が起こった。あのドミニクが闘技場の会場に現れたのだ。
魔鉄の鎧に、お得意の十字槍。完全武装のアイツは私たちを見てニヤリと笑うと、テントの中の待機場所を通り過ぎてそのまま試合会場へと向かった。なぜか、審判の第2騎士団の団員は彼をそのまま通していく。
「あれ? 時間が早いのに、もう試合会場に入るの? でもアーダはここにいるように指示されたけど?」
「試合前に何かやるみたいだよ。箝口令が敷かれているらしく、僕にも詳しいことは分からないけど、見なよ」
どうやら、カトリンには思い当たることがあるようらしく、私たちとドミニクが入ってきたのとは別の、真ん中の出入り口を指さした。
「僕らが出てきたのとは別の入り口があるだろう? あそこは魔物が出入りするための入り口なんだ。ほら! 出入り口が開いた! 魔物が出てくるよ」
カトリンの言葉どおりだった。
闘技場の通用口から、一体のオーガが飛び出してきた。オーガは鎖につながれているようで、ドミニクに向かう途中で引っ張られた。攻撃が届かない位置で、豪快に腕を振り回しているのだ。無意味な行動に見えるけど、ドミニクを威嚇する様は迫力満点だった。
「え? 何でオーガが? 確かに、闘技場では魔物と人が戦うようなイベントもあると思いますけど?」
「うん。多分パフォーマンスだね。決闘の前に、ドミニクの強さをわかりやすく示そうってのさ。ほらっ。戦いが始まるよ」
カトリンの言葉に振り向くと、ドミニクとオーガの戦いが始まるところだった。
オーガを縛っていた鎖が、いきなり外れた。戒めるものが無くなったオーガは、咆哮を上げながらドミニクに襲い掛かっていった。
「はっ! この程度かよ!」
オーガの剛腕をひらりと躱す。そしてすれ違いざまに槍を一突き。穂先は外れたものの、側面の刃がオーガを激しく傷つけた。
血が噴き出るような凄惨なシーンだけど、私もエーファもカトリンも平然としていた。多分、討伐任務で慣れていたせいだろう。
「あれが十字槍の特性だね。本命の突きを躱しても側面の刃まで避けないとダメージを負っちゃう。想定より大きく躱さないといけないんだよなぁ」
クルーゲ流を学んだカトリンらしく、冷静に分析していた。私にとってもあの武器は脅威なのよね。盾を使う彼女以上に、ちゃんと間合いを外さないと思わぬ怪我をしてしまうことになる。
ドミニクは勢いあまって突き進むオーガを追いかけ、その背中に十字槍を一突き。今度こそ穂先は狙いたがわずオーガを背中から突き刺していく。
「やっぱり突進のスピードはかなりのものね。あれだけは見事だと思うわ。武器の特性と合わせると回避しずらいったらありゃしない」
「ああ。他はともかく、あれだけは見事なものさ。初撃においてはコルネリウスも舌を巻くんじゃない? まあ、ハイリーならあっさりよけそうな気もするけど」
3人がそんなことを漏らしている間も、戦いは続いていた。ドミニクの槍はオーガを傷つけていたが、まだ倒すには至っていない。それでも、オーガの攻撃はドミニクには当たらないようだけど。
「やっぱり、あのオーガは相当弱っているね。突進に勢いがないし、追加の攻撃だって精彩を欠いているように見えるよ。僕だったら首を斬りつけて終わりさ。アメリーもそうだろう?」
「そうですね。あの程度なら苦も無く倒せるでしょう。ちょっと相手が弱すぎる気が。拘留期間が長かったのかしら?」
正直な話、私やカトリンだったらもう戦いは終わっている。すれ違いざまに急所を斬りつけて、たぶんそれで終わりだ。
「ああ。パフォーマンスってそういうこと。瞬殺して見せるのではなく、長く戦って力の差を示そうってわけね。まあ、半分くらい本気で倒せなかったんでしょうけど」
エーファが納得したようだった。
多分、そうなんだろうな。オーガの状態に気づいていない観客もいそうだ。普段は戦いに縁のない人はオーガの体調まで気が回らないのも仕方ないかもしれない。
「なんか、あんまり気分のいいものではありませんね。ドミニクの奴、まるでオーガをなぶっているよう。魔物が相手とは言え、ちょっと見ていられないわ」
私は溜息を吐くと、友人たちを見た。カトリンは面白がっているようだが、エーファは私と同じように、嫌なものを見るかのようだった。
意外だったのは、アーダ様だ。
こんな戦い、見慣れているだろうに、やけに真剣なまなざしで戦いを見ている。なんだか、ドミニクの戦いを目に焼き付けているようだった。
不思議に思いながらアーダ様を見ていると、歓声が沸き起こった。ドミニクの十字槍が、オーガの首を貫いたのだ。
倒れ込んだオーガを踏みつけながら、ドミニクが天高く十字槍を突き上げた。
会場は大盛り上がりだった。目の前でオーガほどの強力な魔物が倒される姿は珍しいのかもしれない。冷めた目で小の光景を目にする人も多いのだけど。
「僕らにとっては当たり前の光景なんだけどね。見なよ。まだ討伐に参加していない下級生には興味深い戦いだったみたいよ」
カトリンの言葉に、観客席の一角を見上げた。1年生たちは興奮しているらしく、大声で話している。でも、上位クラスの生徒だろうか。冷めた目で結果を見ている人も多い印象を受けた。
私は視線を試合場に戻し、そこを真剣な目で見つめた。
「アメリー?」
私の様子に気づいたようで、エーファが気づかわし気な声をかけてきた。私は視線はそのままに、エーファに返事をすることにした。
「カトリンの言う通りでしたけど、それにしてもあのオーガ、弱りすぎって気がしましたね。もう少し、生きのいい魔物のほうがパフォーマンスとして優れているのではないでしょうか」
カトリンが真剣なまなざしで、でも笑いながら答えてくれた。
「まあねえ。弱らせるにしろ、あれはやりすぎだってのは分かる気がする。でもね。あれが限界なんだ。逃げ出さないように闘技場に魔物を連れてくるには、あの状態まで魔物を弱らせる必要がある」
カトリンの言葉にそっとうなずいた。
「ええ。でも、あれが限界としたら、召喚魔法という分野では、うちと連邦には随分と差がある感じになりますね」
私の言葉に、2人はそっとドミニクに視線を戻した。
「私の領に魔物が現れたのはみんな見ましたよね? あの時出た魔物は、あれと違ってかなり凶悪だったと思います。リザードマンですらも、あのオーガより厄介だったんじゃないでしょうか」
「確かに、そうかもしれないわね。あの時召喚された魔物に比べれば、あのオーガは本当にたいしたことないかも。まあ、パフォーマンスのために必要以上に弱らせているのかもしれないけど」
確かに、その可能性もあるのか。あのドミニクが一人で倒せるくらい弱らせているのだとしたら、この戦いにもちょっと納得だ。
「いや、アメリーの懸念はもっともなんだよね。確かに、王国にはあの時のような召喚門を作り出す技術なんてない。今回みたいに、魔物を捕まえて弱らせるしか、一般庶民が魔物を見ることなんてできないんじゃないかなぁ」
カトリンが、いつものように面白がるような声を上げていた。
「うちの召喚魔法が未熟なのは事実なんだよね。何しろ、地脈を利用した魔法でも移動用の騎獣くらいしか召喚してないからさ。戦闘用の魔物を呼び出す技なんてほとんど伝わっていない。連邦などの外国と違ってね」
連邦、か。やはり、その名前が出るのね。
「召喚魔法で栄えた国と言えば、あの帝国を思い浮かべるよね。あの国は魔物を使って他国を侵略していたし、農耕用とか奴隷としても魔物を使役していた。僕たち王国民はそれに拒否感があるせいで、闇魔法と同じように、あんまり召喚魔法に好意を持っていないんだ」
私はうなずいた。召喚魔法がこの国に根付かなかったのはそういう事情もある。私たちの国は、帝国から離反する形で成立している。だから、帝国と同じような行動をすることにどうしても拒否感があるのだ。
「かの帝国が滅んだとき、多くの亡命者が出た。この国にも大量に来たけど、すぐに出て行ってしまった。召喚魔法や闇魔法が、この国で冷遇されていることを知ってね。そうした人たちが行きついた先が、ビレイル連邦さ」
私も、そう聞いている。召喚魔法がこの国に根付かなかったのは、そういう事情もあるのだ。
あの帝国が滅んだ要因の一つが召喚魔法の暴走だったと聞いている。ある日を境に、それまで従順だった召喚獣が急に言うことを聞かなくなったらしい。それどころか、無差別に人を襲いだした。魔物を使役していたはずの闇魔法が急に無効化されたのが原因と言われているけど、本当のところはどうだかわからない。
「連邦の召喚魔法に対するアレルギーはこの国ほどじゃない。しかも、ね。あの国で発掘された魔道具の中には魔物を操れるものもあるそうだよ。結構数も出ているらしく」
「はいはい。講釈はもういいわ。それより、試合は予想通りだったわね。私たちにはあれでドミニクの強さを示せたかなんて疑問だけど、王都の民へのパフォーマンスは十分なんじゃない? ドミニクへの賭け金がさらに上がりそうよ」
ドミニクの奴の、得意げな顔。最初は調子が悪そうだけど、オーガと戦う中で少しずつ調子を取り戻していったのだろう。オーガを倒す時にはすっかり敏捷な動きに戻っていた。
「ふう。やっと終わったか。でもこの後すぐに、決闘を始めるわけじゃないんでしょう?」
「ええ。疲労もあるし、休憩をはさんでから決闘を始めるんじゃないかしら。まあ、あいつはすぐにでも決闘を始めたいようだけど」
エーファがドミニクを睨んだ。あいつは興奮しているのだろうか、このまま戦いを始めることを要求している。でも、向こうのセコンドにとめられたのだろうか、ずごずごと待機室へと戻っていく。
「ま、このパフォーマンスの目的は賭けを盛り上げさせるためだろうね。ドミニクの賭け金が上がっている。さっきの試合を見て、あいつに賭ける人が多かったみたいよ」
慌てて会場内の数字を見上げた。そこには、教室と同じように2人の掛け金の合計が記されているけど、ドミニクの数字が見る見るうちに上がっていた。ブックメーカーは大喜びだろうなとなんとなく思った。
「ああ! アーダ君の数値が追い抜かされちゃった! 正直、ドミニクの奴よりも上だと思ったんだけどなぁ」
カトリンが残念そうにつぶやいた。私は苦笑しながら彼女の顔を見つめてしまった。賭け事に参加していない私としてはどちらでもいいのだけど、カトリンにとって、ドミニクに負けるのは気に入らないらしい。
「いいんじゃない? どっちに賭けられてもあんまり問題ないんだし。まあ、ドミニクの奴を喜ばせるのは気に入らないけどね。・・・って、え?」
エーファが驚きの声を上げた。
つられて、数字のほうを見た。そして、彼女が驚きの声を上げた理由に気づいた。アーダ様の数字が、再びすごい勢いで上がりだしているのだ!
「おいおいおい! 本当かよ! ドミニクが優勢かと思われたが、アーダくんのが逆転して、さらに伸びていくじゃないか! この数割をペナルティとして支払わなきゃいけないんだろう? ドミニクの奴、これ支払えんの? やばいんじゃない?」
カトリンの面白がるような声に、私は再びドミニクのほうを見た。
あいつは増えていくアーダ様の数字を、呆然としたように見つめていた。向こうの陣営は何やら騒がしくなっている。怒号が飛び交っているようで、ドミニク側にとってもこれは予想外の出来事だったらしい。
「ははっ! 見なよ! この上がり具合! 僕が調べたところによると、ヘッセン家はドミニクのペナルティを肩代わりする契約を結んだらしい。でも、これ支払えるの? ヘッセン家ごと、つぶされちゃうんじゃない? あの秘術って、負けたほうに強制的にペナルティを払わせる効果があったよね?」
カトリンの言葉を聞きながら、増えていく数字を呆然と眺めることしかできないのだった。




