第86話 前夜祭 ※ 後半 ハイリ―視点
「こ、これはカステラ! ま、まさか、王都でまた食べられるなんて!」
「コンペイトウですね。これ、私好きなんですよ。ビューロウでいっぱい食べたのを思い出すなぁ」
「お団子もおいしいわ。あれ? これ、あの時よりも口当たりが良くない? 前より明らかにおいしいんだけど」
談話室で、私たちは再び集まっていた。今回は、メリッサ様やハイリー様たちだけでなく、セブリアン様とデメトリオ様もいる。セブリアン様がいてエリザベート様が喜んでいるようだけど、デメトリオ様は沈んだままだった。多分彼は、この前私が言ったことを気にしているのだろう。
「でもこれ、なんだかみずみずしいよね? イーダ様が出征してかなり時間が経つのに、よくこんな状態で出せたよね?」
「多分、エイファルトの魔道具を使ったんじゃないか? バルトルド先生が開発した魔道具だが、親父がかなりほめてたぞ。今、安価に作れないか研究中なんだ。あれは闇魔法も使われているから量産が難しくてなぁ」
エーファの疑問に、ギオマー様が答えた。
彼の言うとおりだった。たくさんお菓子を作ってくれた叔母様は、私とグレーテたちがいつでも食べられるように魔道具を設置してくれたのよね。あの魔道具はおじいさまと叔母様が一緒に開発したもので、闇魔法があればどんな食品でも保存できる優れものだ。おじいさまはさっそくインゲニアー家に製法を伝えたらしく、あそこで研究が進められているとのこと。
もっとも、今は戦時中で短杖の開発なんかに時間がとられているらしいけど。
「アーダ君も食べなよ! これ、すんごくおいしいよ! ビューロウで食べたのよりもね。いやあ、さすがはイーダ様だな。こんなにおいしいのを作るなんて!」
「え? ああ。うん。これ、おいしいな」
カトリンに言われてコンペイトウを口に含むが、アーダ様はすぐに視線を落とした。そして没頭するかのように資料を読み続けている。
カトリンは溜息を吐いた。
「駄目だ。夢中になっちゃってる。アメリー。失敗だったんじゃない? あれを渡すの、試合の後のほうがよかったんじゃあ」
「え、ええ。まさかアーダ様がここまでのめり込むとは思いませんでした。その、失敗でしたかね?」
アーダ様を勇気づけるためにおじいさまの資料を渡したけど、こんなに熱中してしまうだなんて。
両親がおじいさまにアーダ様のことを伝えたらしく、おじいさまの指示であの資料をアーダ様に見せることになったのよね。どうやら、あの資料は図書室の中に隠されていたらしく、両親がそれを見つけて送ってくれたのだ。
「すみません。まさかこんなに熱中させちゃうなんて! もうすぐ、試合も始まっちゃうのに!」
「いや、実はもうプランはできているんだ。この間、審判になる人たちとも会うことができたし。本人の資質は授業中に見ているし、たぶん誤差もあんまりないと思う。でも、この資料は面白くてな」
答えてくれたけど、アーダ様の視線は資料に向けられたままだった。
「私はバルトルド様の本を何度も読んだけど、いくつか疑問点があってな。この資料にはそのことが突っ込んで記されているんだ。魔力の波動の話とか、闇魔法についての考察とかな。うん。とても勉強になる。この資料、本を出版した後の研究成果が記されているんだろう?」
「え? え、ええ。おじいさまは領地経営や私たちの育成にかなり忙しく動いていたようですけど、合間合間に研究を継続していたそうなんです。その資料、公表するにはまだ検討の余地があるようなんですけど、アーダ様なら大丈夫だろうって。その話を鵜吞みにせず、間違ったことは間違っていると判断できるだろうから」
アーダ様のこと、おじいさまも認めてるって自信を持ってもらうために渡したんだけど、逆効果だったみたいだ。ギオマー様とメリッサ様も資料をものほしそうな目で見ているし。
私にはよくわからなかったけど、あの資料は相当に貴重なものだったみたいだ。
エリザベート様はコホンと咳払いをした。
「士気高揚のための集まりなのに、私たちだけで食べちゃってるみたいね。イーダ様のお菓子を食べられる機会なんてあんまりないんだけど。でもどうなの? 決闘や賭けの様子に変わりはない?」
「ああ。あの金額、かなり増え続けているぞ。何でも、ヘッセン家の奴ら、旗下の貴族に自分とこに賭けるよう強要しているらしくてな。金額がすごい額になっている。当日のチケットの金額もかなり高騰しているらしい」
どうやらコルネリウス様は決闘の状況に気を配っているらしく、そんなことを報告してくれた。こういった情報は、上位貴族なら独自に集めているのが当たり前なのよね。カトリンのところみたいに、情報収集をメインとする貴族家もいるくらいだし。
「アーダに賭ける奴は平民が多いんだが、貴族の、それも優秀な魔法使いはアーダの実力に懐疑的らしい。近接で、レベル3の資質を持つドミニクに、資質のない魔法使いのアーダが勝てるわけがないとな。短杖を使ったって、あいつの防御障壁を破ることは難しい。それに、あれもあるからな」
「え、ええ。決闘の前に、お互いの身を守るために審判が防御障壁を使うんですよね。アーダが勝つには、あれを破ってダメージを与える必要があるのですが」
ハイリ―様がちらりとアーダ様を見た。当のアーダ様は、今も資料を読み続けている。
みんなの様子を伺いながら、フォルカー様がおずおずと尋ねてきた。
「えっと。近接の専門家から見たらどうなんです? やはり、決闘で魔法使いが戦士に勝つのは難しいのでしょうか」
「いえ、そうとは限りません。ダクマーお姉さまはよくラーレお姉様と模擬戦をしていますが、かなりの確率で負けていました。あと、お兄さまにはかなりの確率で勝利していましたが、たまに負けちゃうこともあった。最強の近接たるお姉さまですらそうなのですから、アーダ様が不利とは言えないと思います」
私の答えに、やはりというかメリッサ様が目を輝かせた。彼女が叫び出す前に、ニナ様がため息交じりに答えた。
「あの白の剣姫ですら負けることがあるんだね」
「ええ。まあ、あくまで模擬戦ですけどね。でも戦いは距離の取り合いになっていましたね。どの距離で戦うか、お互いに調整している感じでした。ラーレお姉様にはあの魔法がありますから、発動さえしちゃえば勝負はほとんど決まりでした。肝心なのはお兄さまですが、あの手この手でお姉さまと距離を取っていましたね。そのまま押し切っちゃうことも、なくはないんです」
みんな興味深そうに聞いていた。
「では、アーダ様が勝てないわけはないんですね。聞いた感じだと、ドミニクとダクマー様には大きな差があるようですし」
「すみません。ドミニクではお姉さまに触れることもできないでしょう。彼とお姉さまでは戦闘スタイルが嚙み合いすぎる。どちらも近接で、近い距離での戦いになるでしょうから。お姉さまの得意分野で勝てるはずがない。私でも、お姉さまに攻撃を当てたことはないんです」
全員が苦笑している。みんな予想していたことだろうけど、ドミニクではお姉さまに勝てないのだ。
「ダクマー・ビューロウ様のことは見たことがありませんが、アメリー様のことは多少は知っているつもりです。そもそも、アメリー様とドミニクでは技量に大きな開きがあるように見えました。ドミニクはせいぜい私より少し上くらいでしょうが、アメリー様は・・・」
「ふふふ。謙遜なさるんですね。今のセブリアン様ならドミニクなんて目じゃないですよ。確かに、入学時点では差がありましたが、今は・・・。学園に来ているのにあいつは伸び悩んでいるようなんですよね」
私の見立てでは、セブリアン様とドミニクが戦ったら高確率でセブリアン様に軍配が上がると思う。学び続け、強くなり続けているセブリアン様に、歩みを止めたドミニクが勝てるわけがないのだ。横のエリザベート様が、うれしそうに顔をほころばせたのが目に入った。
「距離を取れば魔法使いでも勝てるのは分かったけど、問題は防御障壁だよね。アメリーっちやエリエリならともかく、アーダっちであれを破るのは大変じゃないかなぁ。確か、水魔法で障壁を作るんだよね? 色の濃い魔法なら敗れると思うけど、アーダの魔法で敗れんの? 確か、ドミニク本人の魔力障壁もあるんだよね」
ニナ様の疑問はもっともだった。お姉さまは無属性魔法で相手の障壁をかき消していたけど、アーダ様にそれができるのだろうか。
でもアーダ様は自信ありげに頷いた。
「大丈夫だ。勝算はある。おそらく、防御障壁をかけるのはオットーになるだろう。彼は、水魔法の本場である連邦に留学経験もあって、水魔法にはかなりの自信があるそうだ。保安上の関係で審判が誰になるかは周知されていないけど、たぶんそうなると思う。ユーリヒ公爵にも近いしな」
アーダ様が誰にともなくつぶやいた。
「うん。大丈夫だ。たとえ魔法を使うのが彼にならなくても問題はない。審判候補には全員会うことができたから。うん。多分問題がないと思う。ドミニクのそれは、授業でたくさん知っているし」
そこまで言って、アーダ様ははっとしたように顔を上げた。
「な、なんかすまないな。私のためにこんな催しを開いてもらったのに。お菓子は本当においしかったし。それに・・・。うん。バルトルド様が私なんかのことを気にかけてくれたのが分かったから」
アーダ様は微笑むと、再び資料に目を落とした。
「うん。大丈夫。私、勝つよ。みんなが信じてくれたんだ。ここで勝たなきゃ、女が廃るってもんだよね。うん。大丈夫だ。色が薄くたって、勝てる手段は無限にあるってこと、みんなに証明してみせるから」
アーダ様の顔は、決意に燃えていた。そんな彼女を見て、私たちはほっとして絵外になるのだった。
※ ハイリ―視点
談話室を出てコルネリウスと歩く。アーダはやる気を出したようで、意気揚々と帰っていった。むしろ、アメリーたちのほうが心配そうで、はらはらしながらアーダを見つめていた。
「アーダの奴、珍しく宣言していたな。いつもは自信なさげにうつむいていたのに。やはり、バルトルド様に資料を渡されたのが相当にうれしかったのだろう」
「そうですね。私も安心しました。実力はあるのに本番では力を出し切れない、そういう人、たくさん見てきましたし」
私はそっと一息ついた。
正直、ここに集まったメンバーでアーダの実力を認めていない人はほどんどいなかったが、試合となるとどうなるかわからなかったというのが私の感想だ。アーダには自信も意地もない。そんな彼女なら、実力では勝っていても負けてしまうこともあり得るだろうから。
でも、今日の宣言を聞いて期待は確信に変わった。彼女が自分の力を信じるなら、ドミニクなんて相手にならない。どんな手を使うのか予想もできないが、彼女が勝つといったからには勝つのだろう。
「そうだな。ドミニクの奴が勝つとしたらそれは本人の力ではないだろう。ユーリヒ家の力を使うか、アーダの実家を利用するかのどちらかだと思う。まあ、実家の路線は俺たちや学園がつぶしたがな」
そうね。確かに学園もアーダの味方をしているようだし、油断はできないがそちらの線からアーダを攻撃するのは難しいだろう。
カーキー家はユーリヒ家やヘッセン家と組んでいるらしいが、それも微妙になっていると思う。カーキー夫妻の希望通り、アルバンが次期当主になるようだけど、カーキー家に未来なんてないのだが。
正直、カーキー家の展望は厳しい。
上位クラスに選ばれたアーダを差し置いてアルバンを後継に任命したのだから、当然学園の目は厳しくなるし、王家からも冷遇されるだろう。東を統べるロレーヌ家も、離反した家にいい顔をするとは思えない。
北のメレンドルフはビューロウと仲が良いと聞く。アメリーの副官になったアーダを冷遇したら、結果は火を見るよりも明らかだ。土の魔法家たるラント家の様子は分からないが、ヘッセン家と仲が良いという話は聞かない。
「愚かなことよな。ヘッセン家にどれだけの力があるというのだ。それに、公爵とは言え、ユーリヒ家が信頼のおける貴族だと思っているのか? 昔はよかったかもしれんが、今は全然だろう」
コルネリウスが冷笑した。その顔は少し気に入らないけど、言いたいことは分かる。
ユーリヒ家だって、カーキー家を優遇するとは思えない。ヘッセン家も同様だ。カーキー家が危機に陥ったらすぐに見捨てることなど目に見えている。それは、これまでの行いが証明しているものだから。
「まあ、未来のことはともかく、今度の決闘のことだ。どうやらヘッセン家の連中、闘技場に何か大掛かりなものを運ぶらしいぞ。ヘッセン家の武威を見せるとのことだが笑わせる。決闘に勝つこと以外、どうやって力を見せるというのだ」
私はうなずくと、そっとアメリーたちが去っていった方向を見つめた。
彼女たちは、寮に帰っていった。エーファたちと3人、まるで古くからの友人のように、楽しそうに帰っていった。
「あの笑顔が、曇らなければいいんですけどね」
私がつぶやくと、コルネリウスは同意するように頷いたのだった。




