第84話 アーダの行きたい場所
教室での出来事から数時間後、私たちは談話室に集まっていた。
「いやあ。爽快爽快! うふふふふ。大金がかかっている勝負って、なんて楽しいんでしょう!」
「メリッサ・・・。いや、そうなんでしょうが、まさかあんな大金を賭けるなんて」
メリッサ様の横で、あのエリザベート様が顔を引きつらせてた。
そう。アーダ様に大金を賭けたのはメリッサ様だった。賭けやペナルティのことを知ってすぐさま大金を出したのだ。その結果、今もアーダ様の金額は上昇し続けている。
お金持ちって、やっぱりすごい。借りたネックレスが壊れたことを報告したときも、あっさりと次のをくれたし。なんか段々とネックレスが豪華になっている気がする。
「うし! これで卒業するまではお金に困ることはないね! うひゃひゃひゃ! 結果が出るのが楽しみよ!」
「ナデナ・・・。あなたまで・・・。止める暇もなかったわ」
ウハウハのナデナ様を見て、ハイリー様が眉間を抑えている。
彼女、メリッサ様が大金を賭けたのを見てすかさず自分もお金を賭けたのよね。それまでは静観していたのに、抜け目ないというかなんというか。
「もう勝った気になっているとは呆れたな。勝負は始まってすらいないのだぞ」
「なにいってんの! こういう勝負事でメリッサが負けるわけないじゃん! 私は知ってんだよ! メリッサが負ける勝負なんかしないことをさ!」
ナデナ様は自信満々だ。コルネリウス様の呆れ声にも怯む様子は微塵もない。
「私は自慢じゃないが賭け事には弱い! 絶対勝てると言われた勝負でも負けたりするからね! だから、勝ってるほうにつく! このクラスで、いや私が会った中で賭け事に一番強いのはメリッサだ! 負けるわけがないんだよ!」
ナデナ様は笑いださんばかりだった。
「な、なんか済まない。こんな大金を賭けさせてしまうなんて。ラッセ家にも迷惑が掛かってしまうのか。私が勝てるとは限らないのに・・・」
「え? 大丈夫ですよ? このお金は全部私の財布から出ていますので。うちの実家の力はないんです。万が一、アーダが負けたとしても私しか損をしないので」
メリッサ様がシュッと手を上げた。
「なん・・だと? 全校生徒の賭け金の総額を、たった一人で上回ったというのか!」
「ふふん。こんな学生の賭け事で実家の力を使うわけがないでしょう! これくらいの金額、私一人でも十分に賄えるんです! お金ならあるんです!」
みんなドン引きだった。
いえ、ラッセ家がこの国トップのお金持ちなのは知ってたけど、まさかメリッサ様の動かせるお金がこんなにすさまじいことになっているなんて!
「でもいいのか? ドミニクは決して弱くはない。アーダが負ける可能性だってあるんじゃないのか?」
「ないでしょう? アーダが勝ちますよ。一緒に旅行までしたのにそんなこともわからないの? これだから北のやせ犬は。見る目がないにもほどがある」
メリッサ様のため息に、コルネリウス様は青筋を浮かべている。
はしゃぎまわる私たちに、申し訳なさっそうな声が聞こえてきた。
「うんうん。アーダは勝つよね。で、僕ももうそっちに行っていいかな。なんだか足がしびれてきたんだけど」
「ダメ。無駄にドミニクを煽るなんて、何を考えているのよ。少しは反省しなさい」
カトリンの懇願を、エーファはあっさりと拒否した。カトリンはなんと、エーファに正座させられているのだ。とりなそうとするギオマー様だったが、エーファに睨まれてすごすごと引き下がっていく。
「あー。ギオマー。だめだよ。こういう時のエーファに逆らわない。普段おとなしい人が怒ると怖いんだからね。フォルカーも!」
「え、ええ。はい。まあ、僕なんかにエーファ様は止められないんですけどね」
ニナ様とフォルカー様の言葉に、カトリンが顔をひきつらせた。
みんな、笑顔を絶やさない。ここにいる全員が、アーダ様の勝利を確信しているのだ。
「あーあ。セブっちとデメデメもこっちに来ればよかったのに。今更遠慮することなんてないと思うけどなぁ」
「セブリアン様は留学生ですし、デメトリオ様の家は元とはいえユーリヒ家の旗下にあった。こっちに来るのは都合が悪いのかもしれませんね」
そうなのよね。2人のことも呼んだけど、何か用があるとかでこっちに来てくれなかった。ユーリヒ公爵に取り入ろうってわけじゃないと思うけど。
「ふっ。そろそろいいんじゃないか? ここに俺たちを集めた理由があるのだろう? 説明してくれてもいいだろう」
「そうね。カトリンが落ち込んでいるのは面白いけど、手早く話を進めましょうか」
正座させられているカトリンがムッとしたが、それに取り合うこともなくエリザベート様が話し出した。
「さて。ここにいるメンバーは、全員がアーダの勝ちを確信していると思う。コルネリウスは異論があるかもしれないけど面倒だから黙っててね。でも、ドミニクがアーダを上回る可能性がないわけではない」
エリザベート様が全員の顔を見回した。アーダ様が申し訳なさそうに下を向いている。
「前にも話したけど、問題はユーリヒ公爵の権力よ。あの人は公爵位を持つという身分の高さがある。現役の当主だし、政治的に力を使ってきたらまずいと思う」
全員が押し黙った。
「そうだな。陛下や学園長が味方ではあるが、油断はできんだろう。ユーリヒ家の権力は侮れない。一人で行動するのはまずいかもな」
「ええ。王家と組んでも負けたのはついこの間のことだけどね。だから、この機会にしっかりルールを決めておきたいのよ。特にアーダとアメリーは単独行動は避けてもらうわ。無論、私たちもね。人質に取られてしまう可能性があるから。使用人にもそのことをこれまで以上に徹底させてほしいの」
頷かざるを得なかった。
子爵家の私がユーリヒ公爵に絡まれたら従わされることもある。アーダ様も同様だ。彼女が実家から冷遇されているのは周知の事実だ。身分という意味では、私以上にきついのかもしれない。
「決闘が始まるまで単独行動は避けること。必ず侯爵家の出身者と行動なさい。ニナもフォルカーもね。多分、決闘が始まればこっちのものよ」
「はい。気を付けます」
私はうなずいた。
確かに、侯爵家出身の人たちなら、ある程度はユーリヒ公爵に太刀打ちできるかもしれない。コルネリウス様・・・はあれだけど、エリザベート様やギオマー様、メリッサ様なら頼ることができそうだ。
「じゃあそう言うことで。これからは」
「待ってくれ!」
止めたのは、アーダ様だった。
みんなの視線が集まると、アーダ様は申し訳なさそうにスカートのすそをぎゅっと握った。
「まずは、ありがとう。こんな私を信じてくれて。でも戦いは水ものだ。確実に勝てるとは言えない」
私たちはアーダ様が勝つと確信しているが、本人はそうではないということか。
「でも私は勝ちたい。みんなが信じてくれた私の強さを、勝って証明したいんだ。こんなこと、今まではなかったから」
メリッサ様はにっこりと、エリザベート様は不敵に、ギオマー様も満足そうに笑っていた。ニナ様はなんだか楽しそうだ。あのコルネリウス様すらも皮肉気だけど笑顔を見せていた。
「だから、私は1%でも勝率を上げる努力をしたい。決闘が始まるのは次の連休だろう。それまでに、できることをしておきたいんだ。だから、お願いします。今のうちに、行っておきたい場所があるんだ」
アーダ様が静かに頭を下げた。
「いいですよ! なんでも言ってください! 地の果てでも空の向こうでも海の中でも! どんな場所でも案内します! お金ならあるんです!」
メリッサ様が胸を張ると、誰からともなく笑い声が上がった。アーダ様自身も苦笑していた。
「う、うん。メリッサ様、ありがとう。でも地の果てとか空の向こうとかじゃないんだ。すぐ近くでいい。私は、試合が始まる前に、第2騎士団の詰め所に行きたいんだ。決闘で審判を務める人たちを見ておかなきゃいけないから」
◆◆◆◆
2日後のことだった。
私たちは第2騎士団の詰め所へと向かった。随行してくれたのは、エリザベート様とコルネリウス様だ。護衛たちもいてくれてずいぶん大所帯になってしまった
「決闘前に審判の顔を見たいとはさすがだな。確かに次の試合は中央騎士団が取り仕切ることになる。今のうちに取り込んでしまおうとは、やるではないか」
「コルネリウス! まったく! アーダがそんなことするわけないでしょう! でも、今のうちに会いたいってどういうこと? まあ、私たちなら何でも手伝うんだけどね」
エリザベート様はコルネリウス様をたしなめながらも、アーダ様に尋ねた。
「いや、う、うん。ちょっと審判を見てみたくてな。誰が審判してくれるかはまだ決まってないようだけど、うん。一目見ればわかることもあるからな」
そんな話をしながら受付にたどり着く。エリザベート様が何か話をして、受付の人が一礼して駆け去っていった。そして戻ってエリザベート様に何か話すと、エリザベート様は私たちを呼んでくれた。
「ここに貴族の人が何人か来ているらしいわ。念のため、私たちから離れないようにしてね」
「むう。ユーリヒ公爵側ではないといいんだがな」
コルネリウス様がうめいた。
まあ、ここは第2騎士団の詰め所だから、私たち学生が頻繁に立ち寄る場所ではない。ここに来るのだからおそらく中央の貴族だと思うが、ユーリヒ公爵の関係者じゃないといいのだけど。
しばらく雑談しながら進む。私とアーダ様だけだったらちょっと不安だったけど、今はエリザベート様とコルネリウス様がいる。上位貴族がいるから心強くはある。
「あ、そういえば。実家から荷物が届いたんですよ。叔母様もお菓子をかなり作り置きしてくれたし、試合前にみんなで食べませんか? 前夜祭みたいになりますし。私としてはかなりおいしいんでおすすめなんです」
「お菓子・・・。イーダ様が作ってくださったお菓子ですって!? あの、ダクマー様の専属料理人と双璧を成すと、王都でも有名な!?」
エリザベート様が急に大声を上げた。いつもは静かなのに、急に大きな声を上げてちょっと驚いてしまう。
「な、なんだ! 急に! 確かに、あの炎の巫女の母親には興味があるが」
「あなた! 知らないの? ダクマー様の専属料理人のお菓子は王都で有名なんだから! なんでも、王族にも熱烈なファンがいたくらいだし! イーダ様はその料理人と同じくらい評価されているのよ! 専属料理人はダクマー様に着いていったし、イーダ様も出征していたからめったに食べられないものなのよ!」
エルリザベート様の剣幕に、思わず周りをきょろきょろとしてしまった。周りの騎士たちが何事かと私たちのほうを見ている。私たちは見学に来た身なのに、思わぬところで目立ってしまったようだ。
その時、一人の貴族と目が合った。
おそらくは、中央の貴族だろうか。20~30代くらいのきれいな貴婦人で、やけに真剣な目で私を見ている。ドレスも装飾品もこの場にふさわしくないくらい美麗で、まだ学生の私は思わず圧倒されてしまう。
その人は、頭のてっぺんから足元まで私を見ると、不敵な笑みを浮かべだした。
「アメリー?」
「いえ、その」
私がアーダ様を振り返ると、何かが近づいた気配がした。慌てて前を向くと、あの貴婦人が至近距離で私のそばに立っていた。彼女は無表情に私の目を臍き込んでいた。
「え? い、いや! なんですか!?」
「お、お嬢様!」
グレーテやシンザンが割って入る隙もなかった。コルネリウス様も他の護衛もぎょっとしたように私たちを見ている。
左手に風が通り過ぎた。何かが過ったのだ、慌てて手首を確認すると、叔母様からもらったブレスレットが無くなっていた。
「! な、なにを!」
「これ、イーダ先輩のお守りよね? なんであなたが持っているの?」
何の感情も籠っていないような声だった。でも、彼女が私を非難しているのは分かった。彼女は瞬きもせず、冷たい目で私を見ていたのだから。
「か、返してください! それはイーダ叔母さんにもらった大事なものです! 私の刻印だってあるんです!」
「嫁いだ先の娘に、嫁に行った人がいじめられるって話はよく聞くわ。刻印だってあなたが命令して作らせたんじゃないの? これは、先輩の大切なもののはずなのに」
そして、彼女はブレスレットの内側を確認したようだ。その間も、目だけは私を無感情に見つめている。
私は圧倒されて、思わず口ごもってしまった。
「確かに刻印はある。アメリー・ビューロウ、か。それにこれ、所有者も変わってる? まさか、本当に先輩が」
「い、いい加減に!」
私はブレスレットに飛びつくが、間一髪のところで避けられた。貴婦人はブレスレットを垂らしながらぶつぶつとつぶやいた。
「後ろに、線が3つ。!! これ! 先輩の跡!! そして一人は、先輩と同じくらいの闇の資質の持ち主! もう一人はレベル2くらいか。短期間に3人も闇魔法の使い手と出会うなんて」
「くっ! いい加減に!」
私は飛びつくが、貴婦人は簡単に避けてしまう。この人! お姉さま並みの回避力とでもいうの!?
「これはね。デグタチェンと言って、先輩の実家のバル家の秘術を使って作られた貴重な魔道具なの。先輩の汗が染みこんでいるだけでなく、闇魔法の気配や闇の資質を持つ者を教えてくれるという優れもの。その分、消費魔力は多いはずだけど・・・!」
そこで貴婦人は再び私を見た。その目はあまりに鋭くて、私は思わずおののいてしまう。
というか、この人の言うことが本当なら、すごく貴重な魔道具ってことになるんだけど! このサイズで相手の資質を測定するだなんて、聞いたことがないし!
「そうか! アメリー・ビューロウは火の星持ち! 自然に排出される火の魔力のみでも十分にチャージできるということ! なんという永久機関! さすが先輩!」
貴婦人はうっとりとほほ笑んだ。こんな状況なのに、女の私が見ほれるほど、色っぽい表情だった。
だけど次の瞬間、貴婦人は再び鋭い目で私を睨んだ。
「でも! ちょっと調子に乗りすぎじゃない!? これ見よがしにブレスレットを見せびらかすだなんて! このブレスレット、私がもらうはずだったのに!」
貴婦人が私に噛みつこうとしたそのときだった。貴婦人と私の間に再び風が起こった。私も貴婦人も全く動けなかった。
そして次の瞬間、彼女の手にブレスレットはなかった。彼女は即座に隣を見るが、はっとしたように口に手を当てた。
「お、お義父様・・・」
私はおっかなびっくりでそちらのほうを見ると、いつのまにか老紳士がいて、取り戻したブレスレットを見て溜息を吐いていた。
「まったく。仮にもベールに嫁入りした者が、なんという体たらくだ。まさか、他人の物を奪おうとするなど」
「お、お義父様! 違うのです! これはイーダ先輩のもののはずなのに、そこのビューロウの小娘が!」
慌てて言い訳する貴婦人に、老紳士がため息をついた。この人のことは知っている。王城で会った、ベール家当主のハドゥマー・ベール様だ。彼は厳しい顔で貴婦人を睨みつけた。
そしてハドゥマー様は深い溜息を吐くと、私に向きなおった。
「ビューロウの子よ。すまぬな。まさかうちの嫁がこんなことをしでかすとは。後ほど、正式に謝罪させてもらう。こいつはいつもは有能なのに、あの者が絡むとこのざまでな。まあ、うちにも関係がない話ではないのだが」
まさか、侯爵の立場にあるこの人から頭を下げられるとは思わなかった。
この老紳士——ハドゥマー・ベールは国王陛下の側近をするほど、有能な人だと聞いている。それにベール家は侯爵家で中央貴族の中でも随一の信頼を誇っているはずだ。そんな侯爵様自らが謝罪するだなんて、ちょっといたたまれないんですけど!
ハドゥマー様は私にブレスレットをかえすと、改めて深く頭を下げた。
「嫁のフィオナが失礼をした。ベール家当主のハドゥマーが謝罪させていただく」
そしてハドゥマー様は強引にフィオナ様に頭を下げさせた。
「い、いえ! そんな恐れ多い! ブレスレットが無事なら十分です! 叔母様には一応報告しますが、それくらいで」
「え? イーダ先輩に言っちゃうの? ちょ、ちょっと待ちなさい! 先輩の鞭はファッションじゃないから! シャレにならないくらい響くから! ねえ! ちょっと聞いてるの?」
フィオナ様は何かわめいているが、ハドゥマーは気にせず彼女の襟首をつかんで立ち去っていく。
しばらく、沈黙だけがあたりに響いた。エリザベート様も、コルネリウス様も、アーダ様さえも。そして様子をうかがっていた中央の騎士すらも何も言えなかった。
フィオナ・ベールは嵐のように来て嵐のように去っていったのだ。
「こ、これがベール家の力とでもいうのか。俺は、何もできなかった・・・」
コルネリウス様の言葉に、私は同意せざるを得なかった。
グレーテとシンザンが構えを解いた気配がした。気づいたら、彼女たちの立ち位置が変わっている。おそらく私が害されそうになったら飛び出してくれるはずだったが、何事もなくてほっとしている様子だった。
「わ、私も動けなかった。これが、実戦を得た貴族の力ということ・・・」
「ベール家が力のある魔法使いとは聞いていたけどここまでとはね。あの家はユーリヒ公爵派ではないみたいだから、敵対しないのはよかったのかもしれないけど。さあ、私たちも用を済ませちゃいましょう」
私はエリザベート様の言葉にうなずくと、ブレスレットをつけながら騎士団長が待つ執務室へと歩みを進めるのだった。




