第75話 劣等感と矜持と
「そうと決まればこちらも準備がありますからな。では陛下、良しなに」
「アダルハード! 待て!」
国王陛下の制止を気にも止めず、ユーリヒ公爵は一礼してこの場を去っていく。2人の女性とその護衛も彼の後に続いた。
「え・・・。あ・・・。い、いや! 僕はそんなつもりは・・・」
「ファビアン。もう遅い」
エーレンフリート様が無表情にぴしゃりと言った。ファビアン様は今頃になって顔を青ざめさせた。
「陛下。申し訳ございません。みすみす連邦の巫女の言に惑わされてしまいました」
「いや、私もアダルハードの奴にはもっと強く言うべきだった。あ奴は普段は穏やかだが、ここぞというときには策も使うし強気にもなる。あ奴がその気になったのであれば、いつかは言質をとられていただろうさ。しかし、いまだに闇魔との戦いは続いているというのに、頭の痛い問題だな」
陛下が一人ごちだった。ファビアン様の顔は青を通り越して白くなっていた。
「も、申し訳ありません! 私が余計なことを言ったばかりに!」
「ファビアン。これは私のミスだ。やはり、お前をここに連れてくるのはまだ早かった。問題がないだろうと思った私の失策だ」
そう言うと、エーレンフリート様は陛下に深々と頭を下げた。陛下は構わないというように手を振っていた。
「申し訳ございません。貴重な任務を果たしたことで気が緩んでいたようです。お叱りはいかようにも」
「なに。ここから挽回できぬほど人材が不足しているわけではないさ。先手は奴らに譲るが、巻き返しの手がないわけではない」
陛下がため息交じりに言うと、エーレンフリート様に向きなおった。
「それよりも、こちらのほうが重要だ。なにしろ、100年ぶりの戦果だからな。エーレンフリートよ。アウグストを頼んだ。そして、神鉄の弓を無事にここまで運んでくれ。お主ならば心配はいらぬと思うが、くれぐれも気を付けるのだぞ」
陛下の言葉に、エーレンフリート様はもう一度深々と頭を下げた。
「エーレンフリート様。過ちは誰にでもあります。あまり、気を落としすぎないよう」
老紳士が優しく声をかけた。エーレンフリート様に軽くうなずくと、立ち去っていく陛下に続いた。帰り際、あの若手の側近がこちらを見て鼻を鳴らし、そしてデレっとした顔でこちらに手を振っていた。叔父様も叔母様も、無言でそちらを睨んでいた。
「あ、兄上・・・」
「ファビアン。これで分かっただろう? 私たち公爵家の者は、常にその言動には気を付けなければならない。私たちの言葉は重い。迂闊なことを言うと、今回のように言質を取られてしまうのだから」
エーレンフリート様は優しくファビアン様の頭に手を乗せた。ファビアン様はびくりと肩を震わせると、涙をこらえるように肩を震わせた。
エーレンフリート様は悲し気にこちらを振り返ると、エリザベート様に頭を下げた。
「エリザベート様。申し訳ございません。私のミスで公開処刑が始まる公算が高くなってしまいました。ノードのご子息にも申し訳が立ちません。この過ちは我らの手で果たしたいのですが、私は至急北へ戻らねばならないのです」
「いえ。闇魔討伐は王国の悲願です。ランドルフをビューロウ家のダクマー様が仕留めたのなら、神鉄の武器を一刻も早く王都に運び込まねばなりません。こちらのことは、私たちが何とかしますのでエーレンフリート様はお役目を第一にお考えください」
エリザベート様が頭を下げると、エーレンフリート様は悔しそうな顔をした。
「本当に申し訳ございません。エリザベート様、そしてアメリー様。お気を付けください。連邦はこの機会を逃すつもりはないようです。何しろ、カロライナとアルセラ、神殿を代表する水の巫女とその腹心を派遣してきたのですから」
カロライナとアルセラ、か。その名前は聞いたことがある。
カロライナは確か今代の水の巫女だったはず。王国でもその名はよく耳にする。かなり優秀で、向こうでは相当な支持を集めているようだ。アルセラの名前も聞いたことがあった。カロライナの右腕で、巫女候補ながらかなりの近接の使い手らしい。
「あれが、連邦が誇る水の巫女なのですね。まさか、この国に来ていたとは。私でも感じられるくらい、すさまじい水の魔力でしたわ」
「え、ええ。連邦が水に祝福されていることが肌で感じられました。すごく貴重な装飾品を身にまとっていたし、何よりあれほどの魔力を、隠そうともしないとは」
私はぎょっと目を見開いた。エリアベート様とメリッサ様、2人の優秀なクラスメイトが本気で驚愕していたようだったから。
挙動不審になった私を、エーレンフリート様が見とがめた。
「アメリー様。本当にすみません。あれが、水の巫女です。星持ちの貴女よりも色は濃いのかもしれません。色に関しては、決して侮れる相手ではない」
いや、そんなこと言われても・・・。微妙な言い方だけど、エーレンフリート様はあの2人を高く評価しているみたいだった。
私には、2人よりもむしろその護衛のほうが気になった。少なくとも、ヘルムート様のお父上以外に3人はかなり使える。おそらく、相当な水の魔力の使い手だろう。決して油断できない技量を持っているように見えたのだ。
「えっと。あれが、水の巫女なのですね。さすがに魔力の色は私以上に濃いのかもしれませんね」
神妙な顔で言う彼らに、私はとりあえず同意することにした。
「アメリー。ショックなのはわかるけど、そんなに落ち込むことはないわ。星持ちの貴方よりも色が濃いものは存在する。それを理解しておくことも大切なことだと思う」
エリザベート様が慰めてくれるけど・・・。
正直、よくわからなかった。えっと、護衛の人はともかく、巫女本人は特筆すべきほどのことはなかったように見えた。それとも、私が気づかなかったことで何か力があったのだろうか。
「えっと・・・。あの、すみません。確かに水の巫女だけあって資質は素晴らしいものがありましたし、おそらくかなり貴重な魔道具を持っているようですが・・・。何か他に隠し玉があったんですか?」
私が言うと、みんな絶句したようだった。みんなが何を驚いているのかわからないけど、とりあえず私は説明を続けることにした。
「えっと、あの2人は青の色が濃いだけですよね? 確かに巫女の女性はかなりの資質があるようでしたし、候補の人は私と同じくらいの濃さがあったようですね。他の色が見えなかったのは気になりますけど。でも隠ぺいがうまいわけでもないし、魔力量が極めて多いわけでもない。戦闘力が高そうなわけじゃないですよね?」
私が言うと、みんな驚いたような顔をした。
「す、すみません。確かに色の濃さはかなりのものでしたね! 全然制御できていないようですけど、それはあの魔道具とかで何とかしているのかな? あのアクアマリン、かなり貴重な魔道具のようでしたし」
「ア、アメリー? ど、どうしたの? あの2人、私にもわかるくらい、とんでもないプレッシャーがあったけど?」
エリザベートに言われて気づいた。もしかしたら、みんなはあれほどの資質の持ち主には初めて会うのかもしれないと。
「い、いえ。すみません! 確かに私と比べると魔力の色は濃ゆいようですけど、ラーレお姉様と比べると・・・。その、想像できる範疇にいるというかなんというか」
私はちらりと叔父夫婦を見た。彼らも私の言わんとしたことが分かったのか、溜息混じりに説明してくれた。
「まあ、確かに。うちの娘に比べると全然だったな。隠ぺい技術も未熟だし、色の濃さも、な。あえて色の濃さを見せびらかしているのかもしれないが、あの程度じゃダメだろう」
「そうね。ラーレと比べると、ねえ。土魔法を使えば案外簡単に崩せるんじゃないかしら。魔法使いとしての力量では、特筆すべきものではない。お義父様や、娘を見た後だと、ねえ。正直、いかに色が濃いとはいえ・・・」
うんうん。そうよね。
やっぱりラーレお姉様と比べると、未熟としか言えないんだけど・・・。色の濃さも比べ物にならないし、魔力制御も全然だ。幼いころはともかく、今のラーレお姉様は熟練者でもない限り色の濃さを見破れないほど、完全に魔力を制御しているのだから。
「確かにそうですね。何か物足りないと思ったのは、そうか。無意識にラーレ嬢と比べていたのか。指輪を外した彼女を見たのですが、正直恐ろしいものでした。彼女に比べると、確かにあまり脅威には感じませんね」
エーレンフリート様も納得した様子だった。ああ。この人もラーレお姉様の色に気づいていたのね。しかし、熟練者のこの人の前で指輪を外すなんて、迂闊というかお姉様らしいというか。
ラーレお姉様は弱点であるはずの水の高位闇魔が泣いて逃げ回るほどの、火魔法を扱っている。それでいて隠蔽技術も相当なもので、それと比べると今の2人は未熟としか言えない。
「さすが巫女様! あんなに色の濃い2人が敵じゃないということですね! 巫女様の子供のころはどんなだったんですか? やはり今みたいにおきれいだったんですか? どんな些細なことでも構わないので教えてください! お金ならあるんです!」
案の定暴走したメリッサを、私たちは溜息を吐きながら見つめたのだった。




