第71話 強化されたイナグーシャ ※ 後半 ギオマー視点
私は魔物と対峙した。
敵はイナグーシャ。討伐任務の中で奇襲をしてきたのだけど、それは何とか防ぐことができた。でも気のせいだろうか、前に倒した個体よりも強そうな印象を受けた。
「体は、前の奴よりも一回り小さいかな。でも、甲殻の固さは前のそれとも比べられない。何しろ、両断するはずの私の一撃を簡単に防いでしまったのだから」
油断なく相手を観察した。
相変わらず、バッタのような外見に人間のように伸びた手足。だけど体を覆う甲殻はあの時とは比べ物にならないほど固かった。メラニー先生のあの魔法でも、こいつを切り裂くことはできないのではないだろうか。
「くっ! アメリー様、すみません!」
「フォルカー様は隊の守りを。アーダ様の指示に従ってください。セブリアン様と協力しながら、決してギオマー様のところに向かわせてはなりませんよ」
フォルカー様は歯を食いしばったが、一礼して後ろに下がっていく。慰めたい気持ちもあったが、正直それどころではなかった。
あのイナグーシャは危険だ。動きにもキレがあって、力も強い。私がフォルカー様と入れ替わらなければ、彼は深刻なダメージを負ってしまったんじゃないだろうか。
「こいつ、明らかに前に戦った奴よりも強い。申し訳ないけど、セブリアン様やフォルカー様では止めることはできないでしょう」
証拠は、さっきの一撃だ。私は全力で斬りかかったが、イナグーシャを傷つけることができなかった。単なる内部強化では、あいつにダメージを与えられなかった。私にできなかったということは、フォルカー様やセブリアン様ではなおのこと難しいだろう。相手を殺すどころか、傷つけることすらも難しい。
「げじゃじゃじゃじゃ!」
イナグーシャがおぞましい笑い声をあげた。
私は一瞬頭に血が上るが、何とか気持ちを抑えて刀を鞘に戻した。
「なんで前よりも固いのかわからないけど、闇魔並みの強度よね。お姉さまやグスタフなら何とかなるかもしれないけど、私が単純に内部強化しただけでは、あいつを斬れそうもない」
じゃあ、あれをするしかないということだ。
「はああああああああ!」
イナグーシャの攻撃を避けながら、私は半身になって構え、魔力を循環させた。
土の魔力を内部に通し、そして・・・。体の外側に火の魔力をまとわりつかせた。
「!! あれって! アメリー! だめ!」
ニナ様の制止するような声が聞こえたが、私は構わずに魔力をみなぎらせながら体を沈ませた。
痛みが体中を襲った。私の土の魔力は体の内部を傷つけ、火の魔力が外側を痛めつけた。あの時と同じ感覚。違うとすれば、メリッサ様から渡されたネックレスが外側の熱を吸収しているように思えることか。
「ぎょぎゃああああああ!」
イナグーシャが、私に向かって飛び掛かってきた。私は冷静にイナグーシャを観察した。そして、間合いに入った瞬間、私はイナグーシャに向かって一歩踏み出すと・・・。
「秘剣! 鴨走り!」
相手の動きに合わせて素早く刀を抜き放った!
ビューロウの3段階目の内部強化に、火の魔力による外部強化。2つの強化を組み合わせた居合切りなら、固いイナグーシャの甲殻だって切り裂けるなず!
私とイナグーシャはすれ違った。
宙を舞ったのは、イナグーシャの右手。
私の秘剣は、イナグーシャの右手を肘から斬り飛ばすことに成功したのだ。
「くっ」
私は振り返った。
悔しかった。私はイナグーシャの首を狙ったはずだった。でもあいつは体を巧みに動かして避けた。私は狙いを定めたつもりだったが、腕を斬ることしかできなかったのだ!
振り返るとイナグーシャと目が合った。あいつは私の視線を浴びると、怯えた顔のまま一目散に逃げだした。
「仕留め…損ねたのか! くっ! 逃がすわけには!」
「アメリー! ダメだ!」
アーダ様の声に、思わず足を止めた。そして声に導かれるように周りを見渡した。
周りにはまだ大量のコボルトたちが構えていた。今、イナグーシャを追っていったとしても、この場のクラスメイトに損害が出てしまうかもしれない。
何より、私の状態だった。
「アメリー! 火傷しちゃってるじゃない! すぐに手当てしないと!」
ニナ様の言葉に、私は歯を食いしばった。
前回ほどじゃないけど、私は全身にやけどをしてしまったようだった。メリッサ様からもらったネックレスも、粉々になってしまっていた。
「でも! あいつを追わないと!」
飛び出しそうになった私の横を、何かが通り過ぎていった。
「アメリーさん! この場は任せました! あのイナグーシャは私が!」
イナグーシャを追っていったのは、担任のハンネス先生だった。その後ろを、彼が指揮する大学生が追っていく。
「がるるるるる!」
私の前に、コボルトたちが立ちふさがった。私は歯噛みしながら、立ちふさがるコボルトたちを始末するために刀を構えるのだった。
※ ギオマー視点
ハンネス師が飛び出してから、30分が過ぎたころだった。
「ギオマーさん! メリッサさんも! いやあ、お待たせしました!」
ハンネス師が汗を流しながら歩み寄ってきた。そばにいる大学生は包みを持っている。もしかしたら、あそこにイナグーシャの死骸があるのかもしれない。
「ハンネス師も無事のようだな。さすがは師と、あなたが選んだ大学生だな」
「いえ。アメリーさんがイナグーシャに重傷を負わせてくれましたからね。手傷を負った魔物ごとき、倒すことなど造作もありませんよ」
そうは言うけどなぁ。
手負いの獣は恐ろしいというのに、あっさりと仕留めるとは。さすがは俺たち上位クラスをまとめる担任といったところか。
「こちのほうも終わったぞ。ビューロウ隊が頑張ってくれてな。ほどなく魔物は一掃された。まあ、俺たちはそれほど役には立たなかったがな」
「やっぱりアメリーやアーダにはかなわないなぁ。私たちは戦いの専門家ってわけじゃないですからね」
俺とメリッサは落ち込むが、ハンネス師はしょうがないといった具合に慰めてくれた。
「あなたたちの火力も素晴らしかったですよ。威力もタイミングもばっちりでした。アメリーさんは星持ちで、戦闘の専門家に他なりません。この場で彼女たちに一歩ゆするのは当然でしょう。その中でも、あなたたちはしっかり自分の仕事を果たしたと思います」
ハンネス先生は微笑みかけてくれた。そして、アメリーたちのほうを見た。
アメリーは指揮を執って撤収の準備を進めている。魔物を大量に倒したのも、あのイナグーシャを追い詰めたのも彼女だった。やはり、星持ちっていうのは相当な実力者なのだと実感できた。
そして、ノード隊のことも目に入った。彼らはぶつくさ文句を言いながらも、おとなしくアメリーの指示に従っている。ヘルムートは頑張っていたが、ほかのやつらは全然だった。せいぜいで、俺たちと同じくらいだろうか。アメリーたちと比べると、剣も魔法もまだまだだった。
「ああ。回収部隊はもう手配したぞ。今は後片付けをしながらそいつらを待っているところさ」
「ありがとうございます。魔物の死骸もまとめてくれたのですね。これは回収部隊も助かることでしょう。この分だと特別ボーナスも出るかもしれませんよ」
ハンネス師の言葉に、俺の周りから喜ぶ声が聞こえた。特別ボーナスが出るならちょっと助かる。俺も、ちょうど欲しい本があったところだしな。
「しかし、やはり星持ちと言うのはすごいものよな。あれだけの数に、イナグーシャもいたんだ。もっと苦戦してもおかしくはないのに、今までにないくらい簡単に討伐できたぞ」
「ええ。これが星持ちのアメリーさんの力です。彼女の祖父はあのバルトルド様ですし、その薫陶を得たということでしょうね。1学年上のハイデマリー様に次いで星持ちに認められたのは伊達ではないということですよ」
やはり、アメリーは星持ちとしても優秀なのだろうな。あのフランメ家のハイデマリー様に次ぐ実力者とは。一緒にビューロウを旅した時も感じたが、アメリーの実力は俺が思っていた以上ということだろう。
「でも、あなたも気づいているでしょう? ビューロウ隊の優れている点はアメリーさんに率いられているだけではないということを」
思い当たることは、あった。
今回、ビューロウ隊の指揮を執っていたのはアメリーではなかった。フォルカーやニナやセブリアンが、効率的に動けるように指示を出していたのはアーダだった。
「ああ。俺も気づいたさ。多分ヘルムートもだ。アーダだろう。あいつが全体を見回していたおかげで、俺たちは的確に魔法を撃つことができたんだ」
「そうですね。アメリーさんやエリザベートさんが優れているのはそこにもあります。彼女たちは自分が活かすために必要な才能をいち早く取り込もうとしていました。資質に惑わされず、実力を見破るのはまさに優秀といって差し支えないでしょう」
そうよな。俺も実感している。
俺やメリッサはアーダのおかげでべリアンを失わずに済んだ。それに加えて、彼女は指揮能力も高い。今更だが、アーダを取り込んだアメリーたちの慧眼には驚かされる。このあたりが、戦闘の専門家とそうでない者との差ということだろう。
「アメリーがアーダを選んだ時点では、アーダがあそこまで優秀とは思わなかったからな。レベル3の資質もないようだし、アイツはてっきり学業とかで優秀な人材なのかと思ったぞ。どういうわけか、色の薄い魔法なのに簡単に魔物を屠っているしな」
「あれは、そうですね。彼女にしかできない技です。秘術というわけではないのですが、学園の教師にもまねできるものではないでしょう」
ハンネス師が困ったような顔で溜息を吐いた。教師がそこまで言うとは、アーダのあれは優秀は魔法使いから見ても突出しているということだろう。
「アーダさんのことは、入学時点でよく見ているように前の学園長から言われていたんですよ。飛び切り優秀だけど、資質のせいで後継と認められない生徒だとね。まあ、ここまで優秀なのは予想外でしたけど」
ハンネス先生は含み笑いを漏らすと、まじめな顔で俺を見つめてきた。
「ギオマーさんたちにもお願いがあります。アーダさんのこと、しっかり見ていてあげてはもらえませんか? 侯爵家の貴方が気にかけていることが広まれば、彼女の立場も少しは上がるはずですから」
やはりそうなのか。アーダが実家から疎まれているといううわさは、本当のことらしい。あの家は嫡男のアルバンが優遇されているらしいが、見る目がないというかなんというか・・・。少なくとも、アルバンがアーダよりも優秀だとは思えない。
「あら。アーダはもう南の恩人ですよ。何せあの子は、インゲニアーの信頼すべき戦士の命を救ったんですからね。これは、インゲニアー家とラッセ家の両方に恩を売ったのと同じです。闇魔法の腕もある。もしカーキ―家が手放すのなら、ラッセ家が引き取らせていただきます」
メリッサが笑いながら宣言した。
そうよな。もしアーダが放逐されて、ビューロウが動けなかったとしても、その時は俺たちが動くだろう。アーダが優秀なことはもううちの領にも広まっている。恩人の危機に動くのは、貴族家として当然のことなのだ。
「ああ。もちろんだとも。クラスの他の奴らにも周知しておこう。まあ、一緒にビューロウに行った面子は、もう動いているだろうけどな」
俺が言うと、ハンネス師はほっとしたような表情になった。
「ええ。あなたたちが見てくれるのなら私も安心です。そうか。皆さんも思いは同じということですね。あなたたちがビューロウに行ったのは無駄ではなかったということですか」
安心したように息を吐くハンネス先生に、俺たちもつられるように笑みを浮かべたのだった。




