第146話 ペドロとフロリアン
「くそっ! くそくそくそ!」
「何をやっているのですか。得意な水魔法でも私を傷つけられないとは。秀才の名が泣きますよ」
メラニー先生がウェンデルを挑発しながら次々と魔法を撃ちこんでいく。ウェンデルは防戦一方になっていて、避け続けることしかできていない。
「きさまこそ! これだけ打ってもまだ倒すことができんとは! 学園の教師など程度が知れる!」
「そうかもしれませんね。私などこの程度です。でも、あなたも私を倒すことができないようですが」
ウェンデルを挑発しながら巧みに移動するメラニー先生。ウェンデルはわずかな隙に先生を攻撃するが、先生は間一髪で躱してしまう。さすがにレベル4相当の攻撃で、ウェンデルの攻撃が当たりそうな、かなり惜しいシーンが何度もあるのだけど・・・。
私は2人を心配そうに見つめるフロリアン様に声を掛けた。
「フロリアン様。今のうちに」
「えっ。ああ、そういうことですか」
すぐに気づいたのだろう。心配そうに戦いを見ていたフロリアン様が慌てて階段を駆け上ってくる。きょとんとしたファビアン様だが、後ろのエリザに抜かされて慌てて後を追ってくる。
「せ、先輩! いいんですか?」
「大丈夫です。メラニー先生のあれ、たぶんわざとですから」
ファビアン様が目を見開いて先生たちを振り返った。
そう。おそらく演技なのだ。メラニー先生の苦戦も、攻撃が当たろそうなそぶりも、追い詰められているのを装っていることも。
ああ見えて、ウェンデルはレベル4相当の優れた魔法使いだ。たとえ教師のメラニー先生でも、すぐに倒すことはできない。だから。先生は切り替えたのだ。いち早くウェンデルを倒すのではなく、自分のほうに引き付けることを。
私たちが地脈のところへ行けるように、ウェンデルを引き付けることを優先してくれたのだ。
「そ、そうか。メラニー先生はウェンデルをこちらから引き離すために」
「そういうことです。先生の意思を無駄にしないためにも、一刻も早く地脈を安定させないと」
そう言って、私たちは階段を駆け上がっていく。私たちにやっと気づいたウェンデルだが、今度はメラニー先生に足を狙われ、その場につなぎとめられる。
メラニー先生と目が合った。先生は顎を振って早くいくように促した。私は軽く頭を下げて、階段の先にある地脈へど足を進めていく。
「くそっ! ま、待て!」
「先輩、つれないですね。もう少し私に付き合ってくださいよ」
メラニー先生の嘲笑を背に、私たちは制御装置へと向かうのだった。
◆◆◆◆
制御装置に近づくにつれ、周囲に漂う火の魔力は濃くなっていく。前に佇む小さな人影は相変わらず杖を高く上げて地脈に魔力を放出しているが、何かに抵抗するように震えていた。
小さな人影は震えながらゆっくりと顔だけをこちらに向けてきた。
その影の正体を見て、私はごくりと喉を鳴らした。
正直、予想はしていた。制御装置越しに地脈変動を起こせる人材など、限られていたのだから。
「ペドロ、くん・・・」
「お、おねえさん・・・」
目が合った。
ペドロ君は、目に涙を貯めながらこちらを振り返った。
「殺して」
後ろで息をのむ気配がした。
私はゆっくりと足を止めると、改めて彼の姿を見た。
黒いローブに、小さな体。まだ就学前の少年は、学園の街で出会ったペドロ君に違いなかった。
彼は震えながら、小さな声で、それでもはっきりと伝えてきた。
「あなたが、そんな」
「僕にだって、わかっているんだ。このままだと、大変なことになるって。嫌なんだ。誰かの言うことに従って、このまま、何かに操られたまま、ひどいことをしてしまうなんて」
はっきりと言うペドロ君に、何も言えなくなってしまう。まだ就学前の小さな子供なのに、覚悟を決めてしまっているのだ。
「あいつが何か魔法を掛けたら、僕は体の自由を奪われてしまった。自分じゃ止められないんだ。体が勝手に、魔力をここに流すのを止められないんだ。だから!」
ついには涙を流しながら、それでもペドロ君は必死で懇願してきた。
「ば、馬鹿なことを言うな! 子供が、何を言っているんだ。すぐに助けてやるからな」
「来ないで! きちゃ、駄目だ!」
ファビアン様が近づこうとした瞬間、彼の足元から巨大な火の手が上がった。人一人を跡形もなく焼き尽くすほどの火勢だった。間一髪でセブリアン様が止めなければ、ファビアン様は焼き尽くされていたかもしれない。
「近づいた者に、火を与えるというのか。なんて厄介な。でも」
「お姉さんじゃなくてもいい! おじさんでも、そこから魔法を撃てるんでしょう? だったら早く! 僕の魔力が、暴走する前に!」
ペドロ君は必死になって訴えかけてくる。止められたフロリアン様も、思わず口ごもったようだ。
「子供を犠牲になんてできるはずがないだろう! 今助けて」
「今までだってそうだったんだ! 僕は“天災”なんでしょう? 周りに害を与える存在でしかないんでしょう!?」
ファビアン様が口ごもるような、強い言葉だった。ペドロ君は首を激しく振りながら、それでも必死で訴えかけてきた。
「僕だっていやなんだ! 周りを傷つけちゃうだけなんて! でも、このままだと多くの人を傷つけちゃうんでしょう? 僕のこの、いうことを聞かない魔力のせいで! そんなの、嫌なんだ! お姉さまの言う通り、僕なんかみんなに悪いことしちゃうだけの存在なんて! そんなの、フラウボベとかいう首飾りで吹き飛ばされたほうがましだよ!」
荒い息を吐きながら絞り出すように訴えかけてくる。
確かに、ペドロ君を止めれば魔力変動を抑えられるけど、そんなの論外だ。ペドロ君の魔力の流れを止めるには彼を跡形もなく消し去る必要があるけど、そんな残酷なこと、できるはずがない! 魔力変動を止めるためとはいえ、まだ就学年齢にも満たない少年を攻撃するだなんて!
動揺する私たちの中から、それでも一歩、ペドロ君に近づく人が現れた。フロリアン様だ。彼は懐を探りながら、ペドロ君に静かに話しかけていく。
「ペドロ君、なのかな。もう少しだけ、頑張ってくれ。今、そっちに行くから」
「おじさん! う、うん! おじさんが来るまでなら何とか頑張ってみる! だから!」
フロリアン様は近づきながら何かを探り当て、その懐から赤い宝石の付いたそれを取り出した。私ははっとしてしまう。なぜ彼があれを持っているのかわからない。でも、私はそれが何かを知っている。彼のやろうとしていることも、おのずと察せられた。
フロリアン様はそれを取り出しながら、ゆっくりとペドロ君に近づいていく。ゆるぎなく歩き続けるフロリアン様に、必死で何かに耐えている様子のペドロ君。フロリアン様の真意に気づいた私は、見守ることしかできない。
「フロリアン様!? そのネックレスは何ですか!? まさか!」
「もしかして、フラウボベで!? アメリー! 何をやっているのですか! フロリアン様を止めないと!」
ファビアン様とセブリアン様が私に訴えかけてきたが、私は黙ったままその光景を見続けていた。エリザも何か言おうとしたが、そのまま口を閉ざした。
「ファビアン様。おそらく、これが正しい。なぜフロリアン様がそれを持っているのかわかりませんけど。あんまりこっちで騒ぐと、ペドロ君の集中を乱してしまうかもしれません」
「アメリー先輩! 何を言っているんですか! あんなに小さな子供を犠牲にするなんて!」
「そ、そうだ! どうしたんですか!? こんなの、あなたが一番嫌うてでしょうに!」
私は静かに首を振った。2人は信じられないものを見るかのように私を見ている。
だけど、エリザだけは冷静に私の目を見つめてきた。
「アメリー。大丈夫なのね? フロリアン様の言うようにしたら、あなたの望みは叶うのね?」
「ええ。大丈夫です。あれなら、おそらく止められます」
きっぱりと言う私を見てエリザが2人を止める気配がした。
「セブ。そしてファビアン様。ここは、フロリアン様に任せましょう」
「で、ですが!」
エリザが、私を信じてくれた。その信頼に、少しだけこそばゆい思いがした。
「くそっ! 僕だけでも!」
「待ちなさい! 駄目です!」
私を超えてペドロ君に駆け寄ろうとするファビアン様の襟首を、エリザがつかんだ。セブリアン様は鋭い目で私を、そしてエリザを睨んだ。
「セブ。こんな時、一番怒るのはアメリーなこと、あなたも知っているでしょう? でも動かない。なら、フロリアン様のやるとおりにすれば、きっとうまくいくということよ」
「しかし!」
セブリアン様は信じられないものを見るかのようにエリザを睨むが、エリザは涼しい顔をしたままだ。ファビアン様はフロリアン様を何とか止めようともがくが、エリザに止められて駆け寄ることができない。
「アメリー様。いや、アメリー。あなたは、何をしているのか分かっているのですか!?」
「これでいいんです! 魔力変動を止めるには、この方法しか! フロリアン様! 急いで!」
私はフロリアン様を急かした。説得している時間はない。でも、あの方法なら!
「アメリー様。ありがとうございます。ペドロ君。すまないが、少しだけ我慢してくれ」
「うん。おじさん。嫌な役目をやらせて、ごめんね」
ペドロ君の声が震えているのが分かった。2人を牽制しながら、フロリアン様がことを成すのを待ち構えた。
フロリアン様がペドロ君に何かを渡すのが見えた。セブリアン様とファビアン様が何かを叫んだが、私は何とか間に合ったことを確信してほっとしてしまう。
そしてすぐに、変化は訪れた。部屋を満たしていたはずの赤の魔力が、一瞬にして消え去ったのだ。
「あ、あれ? なんで?」
ペドロ君の、呆然としたような声が聞こえた。
私が考えた通りだった。フロリアン様は無事にやり遂げてくれた。誰も犠牲にすることなく、地脈に赤の魔力が注がれるのを止めてくれたのだ。
固まってしまったのはペドロ君だけじゃなかった。ファビアン様もエリザも、セブリアン様も戸惑っている。何が起こったのかわからない様子だ。
「ど、どうして・・・。フロリアン様は、フラウボベを使ってあの子を殺そうとしたんじゃないのか」
「フラウボベじゃないですよ。フロリアン様があの子の首に掛けたのは」
私は汗をぬぐいながら一息ついた。
「フラウボベじゃ、ない?」
「ええ。あれは所有者を害するための魔道具じゃない。所有者の赤い魔力を強制的抑えるための、フランメ家の秘術が使われたものなんです」
私は微笑んで、フロリアン様たちのほうを見つめた。呆然としているペドロ君を、フロリアン様が真剣な顔で体に傷がないのを確認している。あのネックレスの効果か、ペドロ君は自由を取り戻したようだが、自分が無事なことを信じられないようで、何も反応せずにフロリアン様のされるがままになっている。
「やっぱり、そうなのね。でもあれがフラウボベじゃないってこと、アメリーはどうしてわかったの?」
「まあ、私はあれを近くで見る機会が多かったですからね。何であれをフロリアン様が持っているのかはわからないんですけど」
私は頬を掻きながら答えた。そして3人の疑問が解消できるように説明を続けていく。
「実は、あのネックレスはラーレお姉様が使っていたものなんです。私、あれがラーレお姉様の赤の魔力を防いだのを見たことがあって、だからペドロ君に使えば彼の暴走を止められることが分かったんですよ」
「え? あ! そうか! 炎の巫女の魔力を抑えられるなら、あの子の暴走を静めるのは簡単ってことね!」
エリザが納得したような声を上げた。
「すみません。説明している時間がなくて、お2人を止めるようなことをして。セブリアン様も申し訳ない」
「い、いや。こっちこそすみません。そうですよね。アメリーが、子供を犠牲にするのを許すわけがない。短い付き合いですが、そんなことは分かっていたはずなのに」
セブリアン様が申し訳なさそうな顔で謝罪した。それを見て、ファビアン様も慌てたように頭を下げた。
「せ、先輩。その、申し訳ない。てっきり先輩が、あの子を犠牲にするのを見逃すのかと思ってしまいました」
「しょうがないですよ。説明も不十分でしたし、あんな便利な魔道具がここに都合よくあることなんて、誰も思わないでしょうからね」
私は苦笑しながら、あのネックレスについて説明していく。
「あれはおじい様が作った魔道具なんです。うちのおばあさまから伝えられたフランメ家の秘術を使い、歴代の炎の巫女の火気を抑えるためにラルス・フランメが開発したとされる魔道具。メリッサがくれたネックレスのように火を効率よく使うことはできませんが、火の魔力を封じることだけならどの魔道具にもない力があるんです」
「火の魔法家たるフランメ家に伝わった、炎の巫女の力を抑えるための魔道具ね。確かにあの家ならそんな魔道具があっても不思議じゃない。ラルス・フランメは魔道具作りの祖と言われているし」
エリザの納得したような顔に、私も笑顔を返した。そして、フロリアン様とペドロ君をもう一度見つめた。
呆然とするペドロ君に、フロリアン様が笑顔で何やら話しかけている。そして彼は、私を指さしながら何かを説明している。私は笑顔になって彼らの元へと近づいていくのだった。
※ フロリアン視点
目の前では少年が魂が抜けたような顔で、私を見つめていた。
彼の胸には赤い宝石の付いたネックレスがゆらゆらと揺れていた。父から預かったあのネックレスは見事にその任を果たしてくれた。父の悪い予測通りのことが起こったのは気に入らないが、おかげで少年の命が助かったのだから良しとしようか。
「あの・・・。おじさん・・・」
少年は言うと、頭を下げて両手をつきだした。
「投降、します。僕のせいで、大変なことが起こったようです。抵抗なんてしないし、罪は認めます。だから・・・」
「何を言っているんだ。君を捕まえるなんて、そんなことをするわけがないだろう?」
慌てて言うが、少年は泣きそうな顔になった。目に涙をためた少年は、それをぬぐうとしゃくりあげながら言葉を続けた。
「僕が、魔力を制御できなかったせいで、またたくさんの人に迷惑を掛けたんでしょう? 僕なんか、生まれて、こなきゃよかったのに。たくさんの人に、迷惑をかけるだけの人生なんて」
「違うだろう? 悪いのは君じゃない。君をこんなところに連れてきた人だ。君は、何もわからずここに来ただけだろう」
私は慌てて慰めるが。少年は首を激しく振るだけだった。
「僕が、うまくできなかったせいで、またたくさんの人を傷つけてしまった。もしかしたら、死んじゃった人もいるかもしれない」
「違う! そうじゃない! 君は悪くない! 悪くないんだ!」
私は必死で否定した。
確かに天災たる少年がここに来たせいで闘技場は危機に晒されてしまった。でも、彼に私たちを傷つけようとした意思がないのは明らかだ。彼は悪意のある誰かに利用されてここに来たにすぎないんだ。
「でも! でも!」
「違うんだよ、ペドロ君。私たちは、少なくとも私は君に感謝しているんだ。君が頑張ってくれたおかげで、私たちは命を生きながらえたのだから」
おそらくは私の言葉は慰めだと思われるかもしれない。だけど、私たちが彼のおかげで生きながらえたのは確かなことだ。
泣き続ける彼に、私は言葉を尽くしていく。
「この闘技場は過去にも地脈変動を起こしたことがある。その時は、私の祖父を含めた大勢が命を奪われるという被害があったらしい。私の生まれる前のことだけどね」
歯を食いしばる少年に、私は過去に起きた事件について話していった。
「その時の原因になった青年は、火の資質がレベル3だったらしい。レベル3は確かに大きな資質だが、魔力過多の君には及ばない。なのに、その時の被害は今回とは比べ物にならないくらい大きかった。なぜ、今回はそうならなかったと思う?」
「この部屋の守りを、強くしたから?」
しゃくりあげながら、それでも少年は答えてくれた。私は返事があったことを内心喜びながら、説明を続けていく。
「もちろん、それもある。前回の乱を受けて、制御装置の間の結界は強化された。でもそれだけじゃない。君の頑張りが、私たちの力になったんだ」
少年は泣きながら、それでも私の言葉を聞いてくれた。
「君の呼吸音で分かったよ。すっと、抑えていてくれたんだろう? 君の魔力の本質が、地脈の奥に届かないように。闇魔法に侵されながらも、それでも自分の魔力を制御しようと頑張ってくれた。そうじゃなければ、おそらく闘技場はもっとひどいことになっていたはずだからね」
私は微笑むと、少年に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとう。君の献身のおかげで、闘技場の被害は最低限で済まされた。この感謝を、フロリアン・ユーリヒは・・・。ユーリヒ家は忘れないだろう。恩は必ず返すのが、この国の貴族の在り方だからね」
そう言って少年の涙をぬぐうと、私は彼の肩を叩いた。
「魔法使いにとって魔力の制御は重要なものだ。天災とも呼ばれる魔力を制したことは十分に誇れることさ。何しろこの国の巫女は、たぐいまれなる魔力制御の腕で多くの人を魅了しているのだからね」
少年と手をつなぎ、私は制御装置を離れていく。
泣き続ける少年は、おとなしく私について来てくれている。それはさっきまでの投げやりじゃなくて、少しは私の言葉が届いたからだと信じたい。
「君が望むのなら、一流の魔法使いになるための支援はユーリヒ家が請け負う。だから、君は罪のことなんて考える必要はないんだ。君はこれからのことをゆっくりと考えるといい。私たちは、君がどんな選択をしても必ず力になる。この国の貴族は、受けた恩は必ず返すものだからね」
泣き続ける少年とともに、私はアメリー様達の元に向かうのだった。




