第144話 王の守りと神殿騎士と ※ 前半 ハドゥマー視点 後半 アルセラ視点
※ ハドゥマー視点
血が飛び散った。パウル・クレーフェが振り下ろした剣は、その凶悪さを失わずにあたりを血で染めたのだ。
「ま、まさか」
陛下がつぶやきを漏らした。まさかの事態に、歴戦の戦士である陛下も事態を信じられない思いだったのだろう。
まさか、あのアダルハード・ユーリヒが、陛下をかばって斬られるとは!
「アダルハード様!」
「ふ、ふふふ。まさか、お主がそんな声を上げるとはな。ハドゥマーの叫び声など、思わぬ冥途の土産になったわい」
冗談交じりに言うと、アダルハード様は口から血を吐いた。倒れ込むアダルハード様を、陛下が慌てて抱き留めた。
なおも斬りかかろうとするパウルを、他の護衛騎士が慌てて抑え込んでいる。当のクレーフェ侯爵は、何が起こっているかわからない様子だった。
「アダル! そんな! お主がなぜ!」
「ふ、ふふふ。玉体を守るのは王国貴族の何よりの誇り。最後にこのように命を使えるのは、貴族の最高の誉れと言えるでしょうなぁ」
アダルハード様はそう言うと、ゴプリと血を吐いた。
パウルはあれでも近衛騎士に抜擢されるくらいには腕が立つ。白の素質もあって、身体強化も相当なものだ。そのパウルに斬られたとあっては、さすがのアダルハード様も・・・。
「パウル! 貴様!」
「おやめくだされ。闇魔法です。あ奴は、闇魔法の影響下にある」
激高する陛下を、アダルハード様がたしなめた。
やはり、パウルたち近衛騎士は闇魔法に操られていたのだな。だからこその乱心。近衛騎士ともあろう者が、闇魔法によって陛下を害そうとしたのだろう。
「くっ! こうならぬように近衛騎士には闇魔法対策が義務付けられていたはずだ! それを!」
「おそらく、配備を急いだからでしょうな。近衛の数が足りない今は絶好の機会。いち早く近衛騎士を埋めるために、闇魔法対策をおろそかにしたのでしょう」
アダルハード様の言葉に、クレーフェ侯爵が顔色を青くした。彼が強引な手で息子のパウルを推挙したのは有名な話だった。それがまさかこんな事態になるなんて、本人はとても思わなかったのだろう。
「しかし! お前が余の代わりに害されるなど!」
「なに。医師からはいつ終わりが来ても仕方がないと言われていたのです。それが、こんなことに命を使えるなど、人生とはわからぬものですなぁ」
そう言って、アダルハード様は笑った。陛下や私はその顔を愕然とした目で見つめることしかできなかった。
「アダルハード・・・。回復を! 霊薬は、なぜ効かぬ!」
「ふぉっふぉっふぉ。効いておりませぬな。霊薬は、老い先短い我らには効果が今一つですからな。それよりも、連邦にお気を付けくだされ。我を害し、陛下のお命を狙ったのは連邦の手に違いありませぬ」
アダルハード様の言葉に、思わず水の巫女に目を向けた。
アルセラ様は茫然としていたし、カロライナ様も表情を消して推移を見守っている。糾弾されても、この場で反論するのは避けているようだ。
「この事件も、おそらく30年前の一件も、連邦が裏で糸を引いているのは間違いありませぬ。どうか、くれぐれも油断成されるよう」
「ああ。分かっておる。決して油断はせぬように、アウグストにも必ず伝えよう」
そういうが、陛下は沈痛な表情でアダルハード様を見つめだした。
「だが、すまぬ。今は、決して」
「分かっております。闇魔に狙われている今は、連邦に戦いを挑むのは難しいでしょう。しかしこれで、国民も陛下も決して忘れぬでしょう。連邦が決して油断できない相手と言うことを。ええ。今は種をまいただけで十分にございますから」
そう言って、アダルハード様は笑った。それは見ているものすべてに彼の最後を感じさせるはかないものだった。
「しかし、アダルとは! ふふふ。本当に懐かしい。その名で呼ばれたのは、もう半世紀も前のことになりましょうか」
「・・・。ああ、そうだな。あれはまだ余が幼少のころだったな。幼馴染のお前を、そう呼んだのは」
陛下が言うと、アダルハード様は心底うれしそうに笑った。そして咳き込むと、何かが吹っ切れたような顔で陛下を静かに見つめていた。
「さて、思い出話をしたいところですが、時間切れのようです。これからのことは、ご安心召されよ。新たな星持ちがおります。そして、我が息子も。あ奴は不肖の息子ですが、必ず地脈変動を止めてくれることでしょう」
「アダル! この、愚か者め。本人にお前を信じていると言えばどれだけ喜ぶことだろうに」
陛下は悔しそうだった。おそらく、陛下も察しているのだろう。これが、アダルハード様との最後の語らいになることを。
「申し訳ないが、先に逝かせていただきます。陛下はなるべくゆっくりと、こちらにおいでください」
「アダル! アダル!」
陛下のご下問と言うのに、アダルハード様はそれ以上応えなかった。
あたりには慟哭する陛下の声だけが響いていた。
※ アルセラ視点
呆然としてしまった。
殺しても殺せないと思われたあのアダルハード・ユーリヒが、近衛騎士の手によって命を落としたのだ。
混乱する私の肩が、ふいに引き付けられた。その目の前を斬撃が通り過ぎた。
「な、なにが」
「巫女さん! くそ! どういうつもりだ! フアニート!」
あたしを引っ張ったのはヘロニモで、フアニートの攻撃から守ってくれたのだ。フアニートは更なる斬撃を繰り出すが、ヘロニモの剣によって受け止められた。
攻撃してくるフアニートと、それをなんとかしのいでくれるヘロニモ。護衛騎士2人が互いに争うのを見て、あたしの混乱は深まるばかりだった。
「なんだよ! なんでお前が!」
「その巫女くずれは闇魔法を使ってこの国の陛下を襲った。だから斬るのだ。その女の命を見せれば、多少の罪の軽減になるかもしれんからな」
フアニートは冷たい目であたしを見下ろしている。
「なんだよ! あたしは闇魔法なんて!」
「確かにお前には闇魔法の資質はないだろう。だが、高度な魔道具はある。かのセント・ソール大聖堂から贈られたそのブレスレットなら、一時的に闇魔法を使うことだってできるだろうな」
あたしは反射的に右腕のブレスレットを見つめてしまった。
確かにあたしはセント・ソール大聖堂の担当神官からブレスレットを送られた。あれを使えばトライテュラーの軌道を操作しやすくできたから喜んでいたのだが・・・。
でも、あれをあたしに送った狙いが別にあったとしたら? もしかして、あたしを国王襲撃の犯人に仕立て上げるつもりで、あれを送ったとしたら?
「なに。この国の捜査機関は優秀だ。近衛騎士を操った闇魔法がその腕輪の手によるものと一致することをすぐに証明してくれる。お前の罪は、すぐに証明されるだろうさ」
「あたしは闇魔法なんて知らない! 近衛騎士を操ったりなんかしていないんだ! それは、お前だって知っているはずだろう!」
私は言い募るが、フアニートは攻撃をやめない。そればかりか、ためらうヘロニモをあっという間に追い詰めてしまう。
「まさかアルセラがこんなことをしだすとは思わなかったわ。同胞の過ちは我らが正します。カルリトス」
カロライナが言うと、あいつの護衛が一歩踏み出した。
神殿騎士、カルリトス。
精強と言われる神殿騎士の中でひときわ強力な腕を持つ男だった。魔道具の適正はもちろん、身体能力も剣技も他の追随を許さないほど優れている。あいつを味方につけたことでカロライナの身は確実に守られたと思われるくらいだ。
カルリトスが私を襲ってきた。ヘロニモが慌ててかばってくれるが、隙を見せたヘロニモをほおっておくほど、フアニートは甘くない。フアニートはあっさりとヘロニモの胴を薙いでしまう。
「ヘロニモ!」
「み、巫女さん! 駄目だ! 身を、最優先にしてください!」
胴を薙がれ、口から血を流しても、ヘロニモは相変わらずあたしを守ってくれた。その献身に涙が流れそうになるが、あたしは何とか涙をこらえ、カロライナを睨んだ。
「そんな目をしてもだめですよ。あなたは国王陛下のお命を狙った罪人なのですから。おとなしくその首を差し出しなさい」
「はっ! 何を言っていやがる。うちの巫女さんが、この国の王の命を狙うわけがねえじゃねえか。そんなの、こっちに何のメリットもないんだからよ!」
息も絶え絶えになりながら、それでもヘロニモはあたしをかばってくれている。あたしはたまらなくなったが、口がふさがって何も言うことはできなかった。
「うふふふふ。その女の罪は明らかでしょう? その腕輪と近衛騎士に掛けられた魔法が一致すれば、すぐに犯行は明らかになる。その女が、腕輪を使って国王陛下を害そうとしたことをね」
「はっ! それは無理じゃねえか? うちの巫女さんに腕輪を使って人を操るなんてできないんだからな」
同じ主張を繰り返すヘロニモ。あいつを呆れた目で見ていたカロライナたちだが、次の一言で表情を凍り付かせた。
「だってよ。今巫女さんが装備している腕輪には、闇魔法を使う機能なんてないんだからよ」
はっとした目で、その場にいた全員があたしの腕輪に目を向けた。腕輪を凝視するあいつらを、ヘロニモが大笑いしてしまう。
「イミテーションなんだよ! 形はおんなじだが、そいつには闇魔法を使う機能も、ただの魔法だって使えない! 今の巫女さんの腕輪は、闇魔法を扱う機能なんてない偽物なんだ! 調べりゃすぐにわかるさ! なんせこの国の捜査機関は優秀だそうだからな!」
「なっ! き、貴様!」
そうなのだ。今日つけてきた腕輪はヘロニモからもらったイミテーションだった。最初はヘロニモがどうしてそういうのか分からなかったけど、あたしはあいつのことを信用している。だから、あいつの言うとおりにこの場にイミテーションをつけてきたのだけど・・・。
まさか、こんなことになるとは思わなかった。
「カロライナ。お前なんだろ? 近衛騎士を操って陛下を襲わせたのは。ふっ。闇魔法を使えないよう偽装したつもりみたいだが、俺の目にはバレバレなんだよ。お前がやったことはすぐに判明するさ。ははっ! 残念だったな!」
「貴様!」
カルリトスが怒りのままに剣を振るう。ヘロニモはその胸を切り裂かれてしまうが、笑いを止めることはなかった。私は茫然として、その光景を見ていることしかできなかった。
そしてカルリトスがヘロニモに更なる斬撃を繰り出そうとした時だった。不意に沸き起こった突風にカルリトスは吹き飛ばされてしまう。
「はっ! 学生の、しかも戦闘経験の少ない俺なんかに吹き飛ばされるとはな! 相当動揺したんだな!」
いつの間に現れたのか、インゲニアー侯爵の子息、ギオマー・インゲニアーがカロライナたちに短杖を向けていた。
全員が動けなくなる。カロライナもカルリトスもフアニートも、筋骨隆々のギオマーの迫力に押されて動けなくなってしまう。
「さて、詳しい事情を聞かせて」
「メターステイシス」
ギオマーが、何か言うのと同時だった。カロライナが呪文を唱えると、あいつとカルトリスの全身がまばゆく光り出す。ギオマーが焦りを見せるが、次の瞬間には2人が跡形もなく消えてしまった。
「転移の魔道具か。あんなものを持っているとは。というか、転移が適正に作動したってことは貴賓室での騒ぎもあいつらの仕業ってことか」
「なっ! カロライナ様!」
おいて行かれたフアニートはギオマーを守る護衛に剣を突き付けられた。フアニートは悔しそうに両手を上げて投降の意を現した。
「へ、へ・・・。しっぽを巻いて逃げやがったか。さすがに、逃げ足だけは速いな」
放心したように言うヘロニモだったが、その姿を見て驚愕してしまう。
ヘロニモの足元には血だまりができていた。フアニートやカルトリスから何度も斬られていた。あたしは思わず首を振った。普通に考えればあの傷と出血量なら・・・。
「くっ。この傷はいかんな。早く、治療を始めねば」
ギオマーは言うと、素早くヘロニモに駆け寄って短杖を振るった。杖から出された青い光が、ヘロニモを癒した。でも、あの出血量と傷なら、おそらくは・・・。
ギオマーは焦ったようにヘロニモに向かって液体を掛けてしまう。
無駄なことを、と思わないでもないが、必死で治療してくれる彼に、さすがに拒否する言葉は掛けられなかった。
「坊主。ありがとな。でも、自分のことは自分でわかるさ。これだけ斬られて血を流したら」
「まあ、連邦の常識ならそうかもしれんがな。ここは王国だ。魔法と霊薬を組み合わせれば、お前の命は助かるやもしれんぞ」
あたしは目を見張った。そして見た。ギオマーが振りかけた薬により、ヘロニモの傷が見る見るうちにふさがっていくことに!
「ま、まさか!」
「そのままだ! そのまま少し耐えてくれ。このヴァッサー秘伝の短杖と霊薬で何とかお前の命を引き留めているからな。これなら、光の魔法を追加すれば命をつなぎとめられる。ニナか、あいつクラスの光魔法を使える癒し手がいればな。負けるなよ! お前の巫女を、一人にするんじゃないぞ!」
そう言うと、ギオマーは真剣な目で私を見つめてきた。
「お前たちの命は、できる限り我らが助けてやる。だが、その代わりに事情は聞かせてもらうぞ。なに、悪いようにはせんよ。事情を、詳しく教えてくれるだけでいいからな」
ギオマーの言葉が、天から降ってきたように聞こえたのだった。




