第143話 乱心 ※ 前半 ハドゥマー視点 後半 アルセラ視点
※ ハドゥマー視点
避難場所に戻る道すがら、この国の重鎮の一人が神妙な顔で私に声をかけてきた。
「ハドゥマー様。ご愁傷さまです」
クレーフェ侯爵だった。政敵ともいうべきこの男がそんな言葉を掛けてきたのだ。
「クレーフェ侯爵。嫁も娘も、死んだと決まったわけでも任務を果たせなかったわけでもない。あまり、迂闊なことは口にせぬよう」
「そう、ですな。たとえ絶望的な状況でも、あの者たちの死が決まったわけではありませぬし」
表面上はお悔やみのような言葉を掛けてきたが、内心はどう思っているか――。少なくとも彼と私は気さくに話ができる関係ではない。嫁と娘が死地に向かったことがうれしくてたまらないといった具合ではないだろうか。
「しかしベール家は」
「貴様! 何者だ!」
何やら続けようとしたクレーフェ侯爵の言葉を近衛騎士が遮った。そちらを見ると、我々の一団に怪しい男が歩み寄ってきている。男の首に掛けられた赤いネックレスがいやに印象的だった。
貴賓室の隠し通路を通り、避難場所まで向かう途中だった。陛下に加え、公開処刑を見に来た大臣たち。近衛騎士や大臣の護衛もいるからかなりの大所帯になっている。
我らの行く手を塞ぐのは何者なのか。おそらくは襲撃者か。我らが避難場所に行くのを遮るつもりだろう。
「持っているものを捨て、跪け! こちらがいいというまで動くな!」
「う・・・、ああああああ」
近衛騎士の若者が誰何するが、男は歩みを止めない。逆らい続ける男を見て、近衛騎士は慌てて短杖を抜き放った!
「ちっ! 止まらんと言うなら!」
近衛騎士の短杖から放たれたのは、風の弾だった。弾は男の胸をあっさりと貫いていく。非情とも思える行動だが、これは仕方がない。近衛騎士は最初に呼びかけを発している。それに歩みを止めないのなら、攻撃されても仕方のないことだろう。
しかし――。
「あ・・・・。あああああ」
胸を貫かれたはずなのに、男は歩みを止めることはなかった。そればかりか、急に俊敏になって近衛騎士に抱き着いたのだ!
男の目は黒い輝きを放っている。ということは、つまり!
「き、貴様! 離れ」
近衛騎士が叫んだ瞬間だった。胸のネックレスが赤い光が広がったと思ったら、
ずどおおおおおおおおおおおおん!
轟音を上げて、爆発したのだ。
一瞬にして燃え上がる炎。巻き込まれた近衛騎士は無事では済まなかっただろう。あの男によって、若い近衛騎士が命を失ってしまったのだ!
「なっ!? ばかな!?」
「あれは、フラウボベ! 抱き着いたと同時に起動させて近衛騎士をやったというの!?」
新たな近衛騎士の体調とラッセ家のご令嬢が吐き捨てた。そして気づく。いつの間にか、私たちを取り囲むように、赤いネックレスをした男たちが迫っていることを!
「く、くそ! う、うわあ!」
近衛騎士の一人が短杖を抜いて男たちのほうに打ち続けた。混乱しているようだが、一応は正解だ。近づいたら爆発するのであれば遠くから攻撃するほかない。遠距離に適した短杖を使うのは理にかなっていると思うが。
だが、その行動は敵を引き付けるという効果を上げてしまう。
近衛騎士が放った風の弾は、確かに男を貫いていった。腕、腹、そして足。普通の人間相手なら足止めはできていたはずだ。でも男は歩みを止めず、ついには近衛騎士に抱き着いた。
「うあ、やめ!」
「あああああああああ」
ずどおおおおおおおおおおおおん!
爆発音と同時に土煙が巻き起こった。そして、巻きあがる炎と何かが燃えるにおいだけが残った。あれでは、おそらく――。
「くそが! 自爆攻撃かよ! だけどあたしなら!」
「アルセラ! 待ちなさい!」
カロライナ様が止める間もなく、アルセラ様が鉄球を投げつけた。狙いたがわず鉄球は男の頭を破壊し、その息の根を止めていた。
さすがの、武闘派の水の巫女。アルセラ様のモーニングスターは、男を遠くから仕留めることに成功したのだ。そしてアルセラ様の鉄球が投げつけられるたびに数を減らしていく男たち。さすがの効果に、カロライナ様も制止するのをやめていた。
しかし――。
ずどおおおおおおおおおおおおん!
男の死体が轟音を響かせて爆発した。
近衛騎士の一人が死骸の横をすり抜けようとした時のことで、その騎士は吹き飛ばされてそのまま動かなくなった。
「フラウボベさえ無事ならいつでも爆発させられるってか!」
インゲニアー家のご子息が叫ぶ。それを受けて、隣のラッセ家の令嬢が懐から何かを取り出した。
そうか。彼女はあの秘術をやるつもりか。我が家とは対になるような、あの秘術を。
「それでは! 失礼。いえ、その秘術では止められないのではなくて? 確か、その術は劣化品にしか効果がなかったかと。見たところ、やつらのフラウボベは正規品、ですわよね?」
「あら? それはいつの話をしているんです? そういう時代は、とっくの昔に終わっているんですよ?」
カロライナ様の嘲笑を気にも止めず、ラッセ家の令嬢が優しく微笑みかけた。彼女は鈴を取り出すと、前にかざして鳴らした。
りーーーーーーーん。
りーーーーーーーん。
りーーーーーーーん。
りーーーーーーーん。
りーーーーーーーん。
りーーーーーーーん。
都合6度だったか。鈴の音が、あたりに響いた。
しかし、水の巫女の予想通り、何も起こらない。やはりあの秘術は、おそらく正規品のあの首飾りには通用しないということか。
「やはり、その秘術では通じないのではなくて? 王国の魔術がすべてに通じるとは限らないと」
「ベフライウング」
カロライナ様の言葉と同時だった。鈴の音とともにラッセ侯爵令嬢がその秘術の名をつぶやいたのは。
ぱりーん!
効果は、劇的だった。男たちが首にかけていたネックレスが、音を立てて粉々になったのだ。
目をむくカロライナ様とは対照的に、新たな近衛騎士は喜色を上げた。
「おお! これで!」
近衛騎士隊長のパウルが喜び勇んで剣を振るう。フラウボベがないと分かり、短杖から剣での攻撃に切り替えたのだ。近衛騎士たちはパウルに続いた。おそらくこの分では、男たちを時間を掛けずに倒してしまうだろう。
だが、すべてが順調というわけではなかった。
「う、うわっ! なんだ!」
アルセラ様だった。水の巫女たるアルセラ様が、モーニングスターを振るうのも忘れて戸惑っている。
「アルセラ? くっ! なぜ!?」
カロライナ様からも戸惑ったような声が漏れた。
見ると、彼女から濃く青い魔力が漏れ出している。今までは完ぺきに制御していたはずの水の魔力を操れなくなってしまったようなのだ。
まさか! と思い、ラッセ侯爵令嬢のほうを見た。彼女は戸惑う水の巫女を嬉しそうに笑っていた。
「あら? どうしたんです? ほらっ! 水で守らないと! 敵はいますよ? 早く片付けないと、危険が迫ってしまいますよ!」
「あ、あなた! ま、まさか!」
そういう、ことか!
ラッセ家の秘術であるベフライウングは、魔道具を破壊するという恐ろしい効果を持つ。だが劣化品にこそ効果があったが、対策をしている正規品への効果はいま一つだった。
しかし、今回は違ったということか! かの家は秘術を改良し、正規品だけでなく発掘された高度な魔道具にも影響を及ぼすようにしたのか! そしてフラウボベだけでなく、水の巫女の魔道具をも無効化したのだ!
となると。現在の水の巫女たちは水魔法が使えない。魔力過多で水魔法はもちろん、身体強化すらも満足に使うことができないのだろう。
「あら? もしかして、水魔法が使えなくなったのですか? え? 私のベフライウングが、あなたたちの魔道具にも影響を及ぼしたってことですか? すみません。私の家の未熟な秘術が、こんなことになるなんて!」
謝罪しているはずなのに、ラッセ侯爵令嬢はどこかはしゃいだ様子だった。おそらく、水の巫女に秘術をけなされたことをかなり根に持っていたのではないだろうか。
「くっ! こんな出来損ないの秘術ごときで!」
「すみません! 私の家の秘術が水を阻害したみたいで! でも大丈夫ですよ! 水以外の属性魔法は使えますから。それで安心して身を守ればいいんです」
アルセラ様もカロライナ様も、何も言えない。他の属性を使えばいいのに、それをしようとしないのだ。
これは、そういうことか。バルバラ様が言った通り、水の巫女は水以外の魔法を使えないということだな。水の素質を伸ばすために、それ以外の属性をささげているのは間違いのないことなのだろう。
「水以外の属性を使うことは恥ずかしいことではないのですよ。危機にあれば、火だって土だって風だって使うのはおかしくありません。さあどうぞ、他の属性をお使いください。おすすめは土で、身を守るのに最適ですよ」
どこかはしゃいだように言うラッセ侯爵令嬢に、水の巫女たちは黙ったままだった。こうして混迷を深めたまま、避難場所への移動は進むのだった。
※ アルセラ視点
「アルセラ。水の加護は使えますか」
はしゃぎまわるラッセの小娘を睨んでいると、カロライナが話しかけてきた。この女が叱責以外で私に話しかけてくるのは珍しい。それだけ異常事態が起こったのに違いないのだから。
「難しい。集中すれば身体強化は使えるが、気を抜いたらすぐに持っていかれちまう。レベル4ってのがここまで扱いずらいとは思わなかったぜ」
「そうですか」
そういうと、カロライナはそのまま私から離れていく。去り際に、フアニートの奴に目配せしたような気がした。
あいつも珍しく動揺しているのかもしれない。何しろ、あいつの水の資質はレベル5。あたしのレベル4よりも重いのだから、全く魔力を動かせなくても仕方のないことだ。
「水の巫女のお二人には申し訳ないわ。我が家の秘術のせいで魔法が使えなくなったようで。まさか、取るに足りないはずの秘術が、最新の魔道具を阻害するだなんてんね」
「お、おいメリッサ! すみません!」
さらに煽ってくるラッセ侯爵令嬢に代わって大柄なインゲニアー侯爵令息が頭を下げてきた。カロライナは鋭い目でラッセ侯爵令嬢を睨みつけているが、それだけだった。さすがにラッセ家の秘術を侮ってしまった手前、その責任を追及することもできない。
しばらく剣戟の音だけが響いた。近衛騎士たちは終始有利にことを進めている。フラウボベを使った自爆攻撃を防いだことが功を奏したのだ。襲撃者たちはすべて撃退されてしまった。
「皆様、曲者どもはすべて私たちが始末しました。どうぞ、こちらに」
「お、おおう。ふふふ。さすがは我が息子! 見事な采配だな」
まだ若い近衛騎士の体調らしき男を、この国の大臣の一人が褒め称えた。言葉からして親子だろうか。その働きを自画自賛する姿は正直見るに堪えない。
まあ、攻撃手段をほとんど封じられたあたしらに言えることはないのだけど。
「うむ。では皆様、避難場所に参ろうか。ここを過ぎればすぐ着くのだな」
「はい! 陛下! 避難場所はすぐでございます! まだ地脈変動は収まっていないようですがご安心を! このパウル・クレーフェがいる限り大丈夫です!」
あの若い近衛騎士が言った、その時だった。
きいいいいいいいいん。
耳鳴りのような音がその場に響いた。驚いて周りを見渡すが、誰も何も反応していない。ヘロニモと目が合うと、あいつは私を見て静かに首を振った。
「う・・あ・・・」
目の前に、ありえない光景が映っていた。若い近衛騎士がおもむろに剣を振り上げ、王の護衛めがけて振り下ろしたのだ! いきなりの蛮行にも関わらずその一撃は鋭かった。王の護衛はなすすべなく斬られてしまう。
「な、なにを! 乱心したか!」
あのハドゥマーとか言う老人が魔法を放つが、近衛騎士の一部を吹き飛ばしただけだった。そればかりか、他の近衛騎士に襲われて防戦一方になってしまう。魔法使いとしては肉弾戦にも対応できるようだが、さすがに近衛騎士には敵わないようだった。
気づけば他の護衛も近衛騎士に襲われていた。斬られることはなかったようだが、いきなり組み付かれて足止めされてしまっている。
「貴様・・・。どういうつもりだ?」
王の前にはパウルと言う近衛騎士が立ちふさがった。パウルは夢遊病のようにふらふらしていたが、剣を持って確実に王へと近づいていく。
「パ、パウル! やめよ! 王の御前だぞ! 何をやっている!」
会話からして、おそらく父親だな。クレーフェ侯爵が怒鳴りつけるが、パウルの動きは止まらない。そして王の間合いに入ると、その剣を勢いよく振り上げた。




