第139話 地脈変動 ※ アーダ視点
※ アーダ視点
貴賓室は大混乱に陥っていた。
「くそっ! 何が起きているのだ! 会場内に火の手が上がっただと?」
「観客席に多数の魔物が現れたというのか! 警備体制はどうなっている!」
何人もの騎士たちが忙しそうに走り回っていた。大臣たちの指示もなんだか精彩がない。思わぬ事態にみんな混乱しているのだろう。私もなんだかんだで動かされているが、義父の指示はこんな時でも分かりやすいから、その点はさすがだと思う。
「とにかく観客の避難を開始せよ! 混乱は」
大臣の一人が指示を出そうとした時だった。
どおおおおおおおおおお!
轟音が生じたと思ったら、貴賓室の真ん中の床が膨らみ、下から何かが勢いよく飛び出した。あれは、炎? 噴水のように、地下から炎の塊が噴き出したとでもいうのか!
「くおっ! ば、ばかな!」
「だ、大臣! お下がりください!」
間一髪! 何とか炎を避けた大臣だが、暴れまわる炎を驚いた目で睨んでいた。
幸いにも、床の上に人がおらず怪我人はなかったようだが、もし運悪く炎の軌道上に人がいたら、一瞬にして焼死してしまったかもしれない。大臣もその護衛も顔色を青くしていた。
「炎は、消えないか。待機中の魔力と融合してここを漂い続けているんだな。何か間違いがあってこっちに来たら、ちょっと大変かもしれない」
私は尾を引いて宙を漂う炎を見ながらつぶやいた。
床から飛び出た炎は、まるで空を泳ぐ竜のように天井の周りを漂い続けている。今のところは無害だが、何かの拍子にあれが降り注いで来たら・・・。
星持ちでもない私なんか、あっという間に黒焦げになってしまうかもしれない。
「ば、ばかな! 貴賓室は安全が確保されているはずだ! こんな、炎の塊など!」
「はっ! この程度の火がどんなもんだってんだ!」
驚愕の声を漏らす大臣を気にも止めず、一筋の青い塊がすさまじいスピードで炎に直進していく。そして炎と衝突すると、
どおおおおおおおおおん!
爆散。炎は跡形もなく消えていった。
「!! 仕方ありませんか」
もう一つの火にはいつのまにか青い蛇のような線が絡みついていた。それは炎を締め上げると、一瞬にしてかき消してしまう。
アルセラ様とカロライナ様だ。2人の水の巫女が貴賓室を襲った炎を瞬く間に消してしまった。
「おお! これが水の力ですね!」
「・・ええ。あのままでは危険でしたからね。危険は排除させていただきました。我々は水を治める巫女ですから。あの程度の炎ごとき、直ちに治めてみせましょう」
そう言って、カロライナは優雅に頭を下げた。一瞬だけ、メリッサのほうを見たのは気のせいではないと思う。事実、メリッサは憎々し気にカロライナを睨んでいる。
混乱が一時静まった瞬間に、一人の年かさの騎士が陛下の前に出て跪いた。
「陛下! ここも安全とは言えませぬ! 会場内には多数の魔物が現れた模様です。この貴賓室に魔物が押し寄せてきているやもしれませぬ! 今しばらく、王城にご避難いただきたい」
頭を下げる騎士に、陛下は少し考えるそぶりを見せた。
正直、言っていることは間違っていない。緊急事態が起きたんだ。一番の貴人たる国王陛下の身の安全を第一に考えるのは当然のとこだ。あの転移装置を使って王城に避難するのも、仕方のないことかもしれない。
だけど私は、あの転移装置を扱うことになぜか抵抗感があった。
「お待ちください。少し気になることがあります。あの転移装置を使用するのは」
「しかし! 今は緊急事態です! 陛下の御身を第一に考えるのは我々の使命だ!」
私と同じイメージを持ったのだろうか、ジョアンナ先生が慌てて意見を言うが、近衛騎士と言い合いになってしまう。
この状況で慎重論を口にするジョアンナ先生を見とがめたのは、近衛騎士ばかりではなかった。クレーフェ侯爵が忌々しそうに吐き捨てた。
「新たな短杖を作り出したからといってフィッシュラー女史の言うことがすべて正しいわけではない。転移装置については先ほど確認しただろう。陛下がいらして以降、あれに誰も触れていないのは貴女も確認していたはずだ。装置を使うのに何の問題もあるまいて」
「しかし!」
なおも言い募るジョアンナ先生に、クレーフェ侯爵は肩をすくめた。
「ならば、こうするのはどうだ? 近衛騎士に一度あの装置を使わせて、すぐにこちらに戻ってこさせる。それで安全を確保できてから陛下に転移遊ばせるというのでは?」
「こ、近衛騎士を実験台に使うということですか?」
提案に噛みついたのはやはりというかメリッサだった。だけどクレーフェ侯爵は小ばかにしたような顔をメリッサに向けて言った。
「実験台とはご挨拶ですな、ラッセ侯爵令嬢。私は確信しているのですよ。転移に何の問題もないということをね。連邦からのご客人をお待たせするわけにもいきませんしね」
「侯爵。ここは私にお任せを。なに、転移装置が使えることが分かればすぐに戻ってきますゆえ」
そう言ったのは新たな近衛騎士の一人だろうか。彼は新護衛のリーダー格であるパウルにうなずくと、跳ねるような足取りで奥の部屋へと向かった。
転移装置のある部屋につくと、その騎士は最後にこちらを振り返って笑顔を見せた。そして意気揚々と部屋に入ると、光が漏れ出した。転移装置を発動させたのだろう。転移したその騎士を、私たちは固唾を飲んで見守ってしまう。
「あの者はライマー・エッツォと申しましてな。勇猛果敢なエッツォ伯爵家の次男で、我が息子パウルの副官をしております。輝かしくも白の資質を持っていましてな。まあ、将来が楽しみなのです」
クレーフェ侯爵は自慢げにあの男を紹介するが、ほとんど耳に入ってこなかった。
私と、おそらくジョアンナ先生の興味は一つだけ。ライマーと言うあの男が無事に帰ってくるかどうかだ。
1分が経ち、2分が経過した。でも、ライマーが戻ってくる気配はない。最初は余裕で待っていたクレーフェ侯爵も、なかなか戻らないライマーに焦りを強くした。
「やはり! 転移装置に何か細工されていたのか!」
「お、お待ちくだされ! もう少し! もう少しだけお待ちを! きっと何かトラブルがあって遅れているだけなのです! おい! すぐにライマーを追うんだ!」
「え!? し、しかし!」
クレーフェ侯爵が言い募るが、その若い近衛騎士は顔を青ざめさせて首を振った。
ライマーと言う近衛騎士は帰ってこない。転移がうまくいかなかったのか、向こうで何かあったのか。もしかしたら、全く別の場所に転移させられたのかもしれない。そしてもしそうなら、ライマーが無事で済んだ可能性は、限りなく低くなってしまうのだ。
ライマーが去った場所を忌々し気に見ていたジョアンナ先生は、素早く陛下の元に跪いた。
「陛下。申し訳ございません。現状では転移装置を使うのは危険かと」
「なに。お主は最初から言っておったからの。転移装置に不具合がある可能性を、な。むしろよくぞ異変に気付いた。それがなければ、私が事故に巻き込まれたやも知れぬ」
陛下がため息交じりに言うと、ジョアンナ先生がもう一度深々と頭を下げた。そして転移装置のそばへと走り寄ろうとしたが、近衛騎士の一人に止められてしまう。すかさずギオマーが彼女に近づいたが、メリッサはなぜかその場にとどまったままだった。
「おいおい。転移装置が使えねえのかよ。早く逃げねえとやべえんじゃねえの?」
「アルセラ」
いつものように皮肉を言うアルセラをカロライナがたしなめた。それを見て、あのユーリヒ公爵が深々と頭を下げた。
「お二方、大変申し訳ございません。どうやら転移装置に不具合がある模様です。しばしお待ちを」
「ま、不手際だよな。あたしらがいるのにこんな事態になるなんてさ。首謀者はあの国の連中かもしれないが。こんなことにならないように、こんなに大勢がつめかけてるんじゃねえの?」
いつものように言葉を返すアルセラ様に、今度はカロライナ様も何も言わない。それが、どうしてか不気味な感じがした。
「あんたらのことだ。こんな時に身を隠す退避場所も用意しているんだろ? 歩いてそこにいきゃあいいんじゃねえか? ここは目立つ。ずっといてもいいことはないんだからよ。途中の炎はあたしらが何とかしてやるよ」
「な、何をお言いです! 外は危険です! どこから炎が噴き出るのか分からないんですよ! あっという間に黒焦げになりますよ!」
近衛騎士が必死で止めるが、アルセラは楽しそうに鼻を鳴らした。
「はっ! 水の守りがないアンタらにはきついかもしれないがな。あの程度の変動ならどうにでもなる。赤の魔力が暴れたっていたって、あたしの近くならすぐにおとなしくなる。あたしらは、水の巫女なんだからよ」
「アルセラ。・・・ふう。まあ。あなたの言う通りではありますね。炎で私たちを止めることはできません。私たちは火を静める水の巫女。たとえ地脈変動が起きていようとも、この程度の火を恐れるわけはありません」
アルセラ様とカロライナ様が言うが、誰も何も言わなかった。みんな、どうしたら安全地帯に行けるのかわからないのだ。
「ふむ。仕方がないな。私たちは」
「お待ちを。何かがこの部屋に近づいてきております」
陛下の言葉を遮ったのは義父だった。義父は鋭い目で扉を睨んだ。つられて何人かが扉を見つめていく。誰かがごくりとつばを飲む音が聞こえてきた。
扉の外から悲鳴が聞こえたような気がした。それは少しずつ大きくなっている。この部屋になにかが高速で近づいてきているのだ。
どおおおおおおおおおん!
大きな衝突音が起こった。投げつけられた何かが扉を粉々に破壊したのだ。そのなにかは部屋に侵入し、何人もの頭を飛び越えて陛下に吸い込まれるように近づいていく!
とっさに陛下を守るように配置した古参の近衛騎士。だけど彼らの前に躍り出た影が一つ。胴着のような服を着たその影は、侵入してきた物体を見て好戦的な笑みを浮かべていた。
その影――。私の義姉のフィオナは近づいてくる物体を見つめ、
「邪魔!」
高速で投げ込まれた何かを蹴りつけたのだ!
見事なまでの回し蹴りだった。その物体はフィオナ様によってはじき返され、陛下を大きく反れて横に転がっていく。あのままでは陛下の前に当たったかもしれないとはいえ、その豪快な技とアグレッシブさに度肝を抜かれてしまう。
「さすが、ベールの!」
「警戒を解くな! そんなものを投げつけられるやつがいるってことよ!」
誰かが息をのんだ。フィオナ様が蹴り飛ばしたものの正体が見えたのだ。
それは、フルプレートを来たこの国の騎士だった。たしか、部屋の前で守っていた護衛の一人ではないだろうか。かなりの重量があるはずの人間を、何かがこちらに投げつけたのだ!
「いいねえ! いいねえ! 王国にもいるじゃねえか! 近接の名手ってやつが! はっ! まさかフルプレートの人間を投げつけられる奴がいて、それを蹴り返す奴もいたってか!」
「アルセラ!」
手を叩いて喜ぶアルセラを見て、カロライナがため息交じりにたしなめた。
私は警戒心を強めていた。先ほどフルプレートの人間を投げ飛ばした何かが、こちらに近づいてきている気がしたのだ。
「な、何が起こっている! あの重量の人間をあのスピードで投げ飛ばすなど、ただの魔物にはできん! あのイナグーシャでも無理ではないか! ええい! ここの警備はどうなっておるのだ!」
「だ、大臣! 落ち着いてくだされ!」
騒ぎ出す大臣を、必死でなだめる近衛騎士。私たちはその光景を無視するかのように、壊れた扉を凝視していた。
そして、次の瞬間だった。
しゅあぁぁぁぁ!!
一条の青い光線が、扉の外から伸びてきたのだ!
陛下を貫くはずだった青い光は、でも途中で簡単に反らされてしまう。いつの間にか、陛下の前に立ったフィオナ様が、手をかざしてその軌道を変えたのだ。彼女は不敵な笑みを浮かべて陛下を守るように立ちふさがった。
「おおう。結構鋭いな。しかし! 先輩の鞭に比べれば大したことはない! こんな一撃! 先輩の力には足元にも及ばない!」
にやりと笑うフィオナ様。大声で宣言する彼女に、義父のハドゥマー様が頭を振ったのが見えた。
というか、これはアメリーを狙撃したのと同じ魔法? アメリーすらも防げなかった一撃を簡単にしのいだフィオナ様にもびっくりだけど、私は狙撃手が現れたと知って警戒心を高めた。
「ええい! ここから撃てば避けることすらできまい! 構えよ!」
命じたのは、新たな近衛騎士のパウル・クレーフェ様だった。彼の号令に従って、何人もの近衛騎士が一斉に短杖を抜き放った。
「うてええええええ!」
言葉とともに、短杖から一斉に土礫が飛び出した。
入口の扉めがけてうち放たれた魔法は扉の隙間を広げ、雨のように魔法の土弾を降り注がせていく。扉の向こうにいたのなら人であれ魔物であれひとたまりもないような攻撃だったが――。
私は警戒心を押さえることができなかった。
「打ち方、やめぇ! ふはははは! これならばもう生きてはいまい!」
自信満々にパウルが言い、ニヤついた顔を陛下に向けていた。クレーフェ侯爵もどこか得意気な様子だった。普通に考えて、あれだけの連撃を与えたら相手を倒したと思うかもしれない。
でも陛下は厳しい目で入口を睨んだままで、古参の近衛騎士たちも警戒をやめた様子はない。
「皆の者! 警戒を解くな! 陛下をお連れする準備はできておるな! 水の巫女様方も、こちらの指示に従っていただきたい!」
「はっ! 退路は選定いたしました! 陛下を必ず安全な場所にお連れします!」
義父と近衛騎士の軽快なやり取りが聞こえてきた。陛下も無言で杖を突くと、近衛騎士の誘導に静かに従うように歩き出した。
「なっ! へ、陛下! 敵は殲滅したのですぞ! あの魔法の雨には、魔物だろうと人間だろうと耐えられるわけが」
「キャンキャンわめくな! これ以上の連撃を防がれたのはついこの間よ! 若いくせにそんなことも忘れたの? あれを防げる相手くらい想定しときなさい!」
そう。火の闇魔たるヨルダンが王城を襲撃したのはついこの間のことだ。そしてこれ以上の魔法の雨が、あの闇魔によって簡単に防がれてしまったのも。
あの時も、忍び込んだヨルダンに貴族たちが一斉に魔法を浴びせたんだ。短杖だけでなく普通の魔法があったにもかかわらず、闇魔に一切通用しなかった。これ以上の魔法が簡単に防がれてしまったのだ。
あの時と同じように、魔法の雨が防がれたとしても不思議ではない。
「なっ! し、しかし闇魔でないのならあれだけの魔法を!」
「た、隊長!」
言い返そうとしていたパウルを、部下の一人が慌てて呼びかけた。パウルは怪訝な顔で部下の指さすほうを見つめると、驚愕の顔をしたまま固まってしまう。土煙が少しずつ薄まっていったことで入口のがれきを掴む大きな指が見えたのだ。
それは、一見して人間のように見えた。四肢があり、頭がある。ちょっと短足だけど、二足歩行で腕を器用に使っているようだ。全身が水のように青く、ずんぐりむっくりした姿は少しだけ愛嬌があった。体つきはがっしりとしていて、緩慢な動作でゆっくりとこちらに近づいてきている。
頭にある眼のような機関がぎょろりと周りを見渡した。その様子に、誰かが息をのんだ音が聞こえてきた。
私たちはあれを知っている。
ずっと頼もしい味方だったはずだった。あれに命を救われた人も少なくないはずなのに!
「ば、ばかな!? 水でできたゴーレムだと!? あれではまるで、まるであの!」
大臣の一人が震えながら言葉を漏らしていた。
そうだ。見間違えるはずがない。すべてが水で構成され、大きな体で敵をせん滅するその姿を、私たちが見間違えるはずはない。貴賓室の入り口から入ってきたそれは、この国の危機を何度も救ってくれた、星持ちが作り出した水のゴーレムに他ならなかったのだから!
次の瞬間、ゴーレムから何条もの青い線が打ち出された。陛下に向かってくるそれはまたもやフィオナ様に防がれたが、護衛の何人かが打ち抜かれて体勢を崩してしまう。
近衛騎士たちはゆっくりと部屋に入ってくるゴーレムを止めることができない。3体ものゴーレムに侵入されたというのに、あまりの事態に動きを止めてしまったのだ!
コツコツと床を叩く音が聞こえてきた。ハイヒールが床を叩くような音は、この国では歓迎された音だったはずだ。あの音に、命を救われたはずの人も少なくない。
青い髪が、風に吹かれて揺れていた。
青い宝石がちりばめられた長杖に、濃紺のローブ。
そのシルエットは、何度も目にした。王国の歴史書にある姿そのものだった。
「アロイジア・ザイン・・・」
誰かが漏らしたその名前に、私はうなずくことしかできなかった。




