第129話 逃亡劇と神託のアルセラ ※ シクスト視点
※ シクスト視点
王都を脱出し、アジトに戻る道を2人で走っていた。裏路地に差し掛かったとこで、思いつめたようにトリビオが話しかけてきた。
「シクスト様。すみません。俺のせいで」
「ほら。謝ってないと急ぐぞ。あの方だってお前のことを心配しているんだ。早く、元気な顔を見せてやるといい」
思わず振り返ってトリビオの顔を覗き込んだ。
こいつを助けられたのは本当によかった。
今アジトに多い犯罪者崩れのやつらは信頼できない。あの方の事情も知らず、好き勝手に狼藉を働いている奴も少なくないのだ。仲間ですらも手に掛ける残酷さを持つ奴だってたくさんいる。ちょっとドジだけど実直なトリビオの姿に、安心しているのは私だけではないはずだ。
「で、でも俺なんかの情報が、本当に役に立つのかな。その、情報を抜かれた可能性だってあるのに」
「お前が捕まった前後のことを、きちんとあの方に話してくれ。あの事件の、痕跡なんかは記録しているんだろう? ひょっとしたらひょっとするかもしれないんだ」
私たちが気にしているのは、学園の街に現れたという天災の少年のことだった。
トリビオが捕らえられる前、あの街に現れた異常な資質を持つ少年を追っていたのだ。彼は炎の魔力過多で、いつ暴走してもおかしくないほどの危険な存在だった。
天災の使い手は珍しい。連邦でも王国でも、何10年に一度しか現れない貴重な存在だ。いかに危険とはいえ、その力を利用したいという勢力が現れてもおかしくない。
でも、私たちには天災の少年に心当たりがあった。もしかしたらその人物はヴァレンティナ様の弟のペドロ様かもしれないのだ。
「もし、もしもだ。お前の得た記録とあの方の魔紋が近い立場にあるなら、これはとてもまずい事態ということになる。そうなると連邦は、私たちの意思を無視して計画を進めていることになるのだから」
トリビオは神妙な顔で頷いた。
「え、ええ。確証はないけど、ペドロ様がこっちに連れてこられた可能性があるんですよね? 俺が記録したこの痕跡とあの方の魔紋と一致したら確定だ」
そうなったら・・・。あまり考えたくはないが、あいつらがペドロ様の赤の資質を、何かに利用しようとしていることになる。そんなこと、あのヴァレンティナ様が認めるはずはないのだ。
なぜならそれは、ペドロ様の命を犠牲にすることに他ならないのだから。
「天災は危険だが、利用価値は大きい。自身が大爆発を起こす爆弾になるし、星持ち以上の魔法を放てるかもしれない。本人の、身の安全を考えないならな」
「え、ええ。そうですよね。しかも地脈と合わせると、地脈変動とか、かなりやばい事態を引き起こせるかもしれないですし」
トリビオの言う通り、本人の安全を度外視するのなら、天災を利用して様々なことができる。我が国や帝国では闇魔法が発達している。一度だけなら、本人を操ってなにかさせることも難しくないのだ。
「えっと、ペドロ様本人がいるのが分かったら、あの方はどうする」
「!! トリビオ! 避けろ!」
私の警告に、慌てて避けるトリビオ。だが突然の奇襲に対応しきれずに、飛び込んできた何かに右腕を深く斬られてしまう。
「あ、あああああ! いてえ! いてえよ!」
「トリビオ! 警戒しろ! 何かいる! 襲われているだ!」
かばうようにトリビオの前で構えた。トリビオは涙目になりながら傷口を押さえている。
トリビオを傷つけたのはブーメランのような武器か。私は思わず左後ろを見た。そこには黒づくめの何人もの男が笑みを浮かべていた。その中の一人が、血がべっとりとついたブーメランをこれ見よがしに見せてきた。
「導師。目的は達しました」
「うむ。よくやった。最低限の目的は果たしたようだな」
私は男たちを睨みつけながら導師と呼ばれた男を観察した。
白髪だらけの頭をした老人だった。やせた体に、枯れ木のような細い手足。今にも倒れそうな外見だが、左目を両断するような刺青が目立っている。私はその人物に、刺青に心当たりがあった。
「お前は! あの時の死霊使い!」
「はっはっは! 小僧! 久しぶりだな! 目的は達したが、まあ念のために死んでもらおうか。計画の、邪魔になってはいかんからの!」
こいつ! 何を言っている!
「目的ではないのに、私たちを殺すというのか!」
「たとえ1%でも計画を妨げる可能性があるなら対処すべきとは思わんか? くふふふ。世の中には念のためという考え方もある。悪いが死んでもらうぞ」
老人の言葉とともに、部下の魔法使いたちが歩み寄ってきた。数は10人ほどか。そいつらが徒党を組んで近づいてきたのだ。
「シクス・・・。大将! 逃げましょう! こんな奴ら、相手にする必要はない!」
「おっと! 逃がすなよ! 計画を防ぐ可能性があるなら確実に仕留めるのだ。くふふふふ。この道を選んだのが、いやヴァレンティナの奴についたのが運の尽きよ」
気が付けば、黒づくめに囲まれていた。
どうやら相手はこの機会に私たちを仕留めるつもりらしい。少しずつ、でも確実に私たちの包囲網を縮めてきた。私は歯ぎしりしながら一歩、2歩と下がってしまう。トリビオも引きつった顔で私に続いた。
逃げ道は、ない。後ろも前も、横もすべて黒づくめたちにさえぎられてしまった。薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる奴らを怨念の籠った眼で睨みつけるが、状況は変わらない。
「無駄だ。お前たちはここで死ぬ。抵抗しないなら楽に殺してやるぞ」
さっきの黒づくめがブーメランを振りかぶった、その時だった。
どおおおおおおん!
ブーメランを投げようとした男が、そのまま吹き飛んでいく。ぎょっとしてみると、鉄球が黒ローブを吹き飛ばしたようだった。
「あはははは! ほら! どんぴしゃだろう! 死ぬのはお前だったな! 戦場に安全地帯なんてねえんだよ!」
笑い声がしたほうを反射的に見た。そこには鉄球を引き上げたアルセラ様が、歪んだ笑みを浮かべていた。
「なっつ! 貴様! 山羊の分際で!」
「ああ! 誰が山羊だ! 殺すぞ!」
アルセラに追いつくように、2人の神殿騎士が彼女の左右に回った。
「巫女様! ったく、いきなり走り出すんだから!」
「いいじゃねえか! 同胞の危機ってやつだ! お前らも構えろよ!」
老人はアルセラ様を悔しそうな目で睨みつけた。
「貴様! ワシらの邪魔をするのか!」
「あ? お前らが先にこっちの仲間を攻撃したんだろうが! あたしは仲間の部下を守っただけだ! おまえこそ、あたしたちの仲間を襲って無事に帰れると思ってんのか?」
アルセラは再び鉄球を振り回している。
恐るべき、攻撃力だった。アルセラ様が攻撃した黒ずくめは動くそぶりもない。あの一撃で仕留めたのだろう。老人も黒づくめたちも、思わぬ難敵の出現に戸惑っているようだ。
「貴様! ワシは真眼のカロライナと同盟関係にあるのだぞ!」
「はっ! カロライナがどうかとか知るかよ! 相変わらず墓場くせえなりしやがって! お前たちはあたしの仲間を攻撃した! それなら、反撃される覚悟はあるよなぁ!」
会話の途中で黒づくめの一人が動き出した。だけどそれを察知したアルセラが鉄球を投げつけた。鉄球は黒づくめの胸に直撃し、後方に吹き飛ばされていく。
あれが、神器トライテュラーの力か。
連邦にはいくつかの特殊な魔道具がある。それは古代王国の遺跡から発掘された特別に強力な武具だが、相性があるらしく特定の人物にしか使えない。アルセラ様が持つトライテュラーはその一つで、破壊力と射程はすさまじいものがあると言われている。アルセラ様が水の巫女候補に選ばれた理由の一つに、あれを起動させられたことが挙げられるくらいだ。
「貴様! 後悔するぞ!」
「お前がな! 何の目的があるか知らねえが、うちのもんに手を出したのが運の尽きさ! その2人のようになりたくなかったらとっとと去りな!」
老人は憎々し気な目でアルセラ様を睨むと、顎をしゃくった。そして、倒れた2人を持ってその場から消えていった。
路地裏には、私たちだけが残された。
「アルセラ様。ありがとうございます。おかげで、助かりま」
「なあ。あたしの顔、山羊に似ているのか?」
アルセラはなぜか、トリビオにそう問いかけた。
「え? いやあの」
「あいつがあたしを山羊と呼んだのは2回目だ。何つーか、よく分かんねえけど気になんだよな。なにしろ、山羊に似ているなんて言われたことはねえからな」
トリビオが怪我をした腕を押さえながら首を傾げた。
「いや。あ、あんまり山羊っぽくはないですね。どっちかというと猫っぽいというか」
「だよな! あたしも小さいころは猫に似てるって言われたことがあったんだ! でも山羊に似てるって言われたことはねえからよ。似ているなら言われるのは分かんだけどよ。なんなんだろうな? 何のつもりで、山羊だなんて言ったんだろうな」
トリビオが聞きようによっては失礼なことを言ったが、アルセラ様は嬉しそうに頷いた。他の巫女候補様なら怒り出しそうなものだけど、アルセラ様の場合は出自もあって、あんまりそういうことを気にしないようだった。
アルセラ様は首をかしげながら考え込んでいる。何か答えを出そうとしたのか、トリビオも腕を組んで記憶を探っている。
「あ、もしかして」
「おっ? 何か思いついたのか?」
アルセラ様がワクワクした様子でトリビオに笑いかけた。トリビオが若干顔を引きつらせながら慌てた様子で答えた。
「いえ。学生時代の友人が言ってたんです。異世界の悪魔ってやつは山羊の頭をしているって。もしかしたらそれじゃないですか? 帝国の奴らのことだ。こっちのことを悪魔と思っているとか」
「バカ! ちげえよ! 悪魔ってのは強大で恐怖を与えるような存在だろ? あいつの発言はそうじゃなかった。まるで取るに足りないものを呼ぶように、あたしらを山羊と呼んだんだ」
もういいよ、というようにアルセラ様はそっぽを向いて歩いていく。神殿騎士の一人が彼女に駆け寄っていくのが見えた。
もう一人の護衛は、申し訳なさそうな顔で私たちに近づいてきた。
「うちの巫女さんが悪いな。ほれ。薬だ。あんまり放置しておくなよ。化膿したら大変だからな」
眼帯をした30代半ばくらいの神殿騎士がポーションをよこしてくれた。アルセラ様の護衛のヘロニモ様だ。
「ヘロニモ様。すみません。そして、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「驚いたぜ。うちの巫女様が急に走り出して、向かった先でお前らが襲われてんだからよ。まあラッキーだったと思いな。俺も、若いやつらが死ぬのを見ずに済んだからな」
そう言ってヘロニモ様はへらりと笑った。
この人、神殿騎士だけど本当に話しやすいんだよな。私たちが神殿騎士の認定をもれた落ちこぼれなの知っているはずなのに気さくに話しかけてくれる。たびたび差し入れなんかもしてくれて、評判はかなりいいのだ。
同じアルセラ様の護衛のフアニート様とは大違いだった。
「えっと、私たちは助かりましたが、アルセラ様のいつものあれですか」
「ああ。多分行かなきゃいけない気がしたんじゃねえか? どうなっているのか分かんねえけどな。フアニートなんて、『また無駄なことを』って愚痴るんだぜ?」
フアニート様の口真似をするヘロニモ様に、思わず微笑みを零してしまう。そして反射的に、アルセラ様が去っていったほうを見つめてしまった。アルセラ様は、もう一人の護衛のファニート様と何やら会話しているようだった。
「おっと。フアニートのことを悪く思うなよ。いつもしかめっ面をしているが腕は確かだし魔法もうまい。も少し経験を積めばいい感じになると思うぜ」
ヘロニモ様はそういうがーー。私は苦笑を返すことしかできなかった。
気さくに話ができるヘロニモ様と違い、フアニート様には話しかけづらい雰囲気がある。ヘロニモ様はアルセラ様への好意が見え隠れするが、同じ護衛のはずなのに、フアニート様からはそんな雰囲気が見えないのだ。2人はあのアルセラ様からあの儀式を受けているというのに、その意識は正反対の気がする。
「でも、なんなんでしょうね、これ。私たちを助けることがアルセラ様のためになるということでしょうか」
「ん? そうかもな。あの巫女さん、中央神殿から神託の名が与えられているのは伊達じゃないからなぁ。オレもフアニートもそのおかげで何度も助けられているし」
アルセラ様は、「神託」の名を関するほどの巫女だ。その名の由来は有名で、異常なほどに勘がいいことで知られている。よく分からない理屈で動き、それが後々になって本人のためになることが多いのだ。大半は意味のない行動になるが、たまに予期せぬ結果を生むから侮れない。カロライナ様やコンセプシオン様ほど水の資質が高くはないのに候補に選ばれたのはそういう事情もあった。
今回私たちを助けたのも、トリビオに質問したのもそういう事情があるのかもしれない。
「あ、スケープゴート」
トリビオの発言だった。
聞きなれない言葉だった。アルセラ様に応えるべく考え込んでいたトリビオが、そんな言葉を漏らしたのだ。
ヘロニモ様の表情が一瞬にして引き締まった。
「なんだ。その不吉な言葉は?」
「いや、同級生のフロリアンが言っていたんです。異世界で、山羊を表す言葉にそういうのがあるって」
そういえば、トリビオは昔、学園に通っていたんだよな? あんまり話をしてくれなかったが、仲の良かった友達がいたとは聞いている。
そいつはなんと公爵家の出身だったけど兄たちと比べて才能がなかいことを悩んでいたらしい。同じように、両親とうまくいっていなかったトリビオとよく一緒に過ごしていたようだった。
あまり多くはない、学生時代の楽しい思い出として語っていた。
「スケープ、ゴート・・・」
「ええ。あんまり恐れのない、蔑むような言葉と聞いて、これじゃないかと思って。これも確か、山羊を意味する言葉だったはず。その意味は」
トリビオはそこで言葉を斬ると、一瞬だけためらいを見せた。でもすぐに決意したように、ヘロニモ様の目を覗き込んだ。
「いけにえ」
おぞけが走った。
あの老人は、ヴァレンティナ様だけでなく、アルセラ様までそう呼んだというのか!
「いけにえ・・・。確か、神にささげる供物のことだよな? その供物は、生きている動物とか、人間を意味するっていう! うちの巫女さんが、なんかのいけにえになるっていうのかよ!」
「す、すみません。でも意世界ではそういう意味の言葉があるって! その老人ってやつが、そういう意味で山羊って呼んだのかどうかはわからないですけど!」
思わずつかみかかってきたヘロニモ様に、トリビオが慌てて言い訳していた。ヘロニモ様は「すまねえ」とつぶやいてトリビオを放すと。何か考え込む表情になった。
「おまえら。このことは他言無用だ。誰にも言うんじゃねえぞ。俺はちょっと準備しなきゃいけないことがある。お前らも十分に気を付けるんだぞ! 同じ連邦の仲間でも油断するなよ! 絶対に、ヴァレンティナを守ってやれ! それがお前らを守ることにもつながるからな! 絶対だからな!」
そう言うと、ヘロニモ様は駆け出していく。私たちはその様子を、あっけにとられながら見ていることしかできなかった。




