第119話 巫女になれなかった女の苦い思い出 ※ ヴァレンティナ視点
※ ヴァレンティナ視点
「姉さま! 今日はどのようなことをされたのですか?」
小さな子供に声を掛けられ、私は顔をゆがませてしまう。
ああ。このころはこうだったな。
水の巫女候補として選ばれ、順調に栄達の道を進むかと思われた私だが、すぐに暗雲が立ち込めた。7歳を迎えたこの弟の資質が、呪われているのではという声が上がったのだ。
魔法の資質というのは生まれたばかりでは定まらず、4歳くらいで安定してくる。かの隣国では5歳前後になると資質を確認し、それに合った教育を行うそうだ。王国ほどではないにしろ、この国でも8歳前後になると魔力の資質を調査することが多いのだが。
「別に。いつも通りさ。特段変わったことなど何もない」
言い捨てて、その場を後にしようとした。だけど弟は、私にしつこく食い下がってくる。
「姉さま! 姉さまはすごいんです! 水に祝福されていますし、それに魔道具! あんな複雑な魔道具も動かせるなんて! これなら絶対に、水の巫女にだって!」
「そうだな。足を引っ張る奴がいなければ、水の巫女にだって認定されるかもな」
言い捨てた私の言葉に、弟の足が止まった。私はそれを無視するかのように、乱暴な足取りで自分の部屋に向かっていく。
弟は泣きそうな顔になっていたかもしれない。だけどあの頃は余裕がなくて、あいつを気遣うこともできなかった。
私の栄達を妨げたのは弟の存在だった。あいつは火魔法の資質は見る見るうちに強くなったが、水の祝福は全然だった。日を追うごとに火の資質が強くなり、もしかしたら、彼は天災の使い手かとうわさされるようになった。
この国に恵みをもたらすはずの水の巫女の身内に、害悪となる火の資質を過剰に持った者がいるかもしれない。それは、水の巫女候補が何人もいる今代では、足を引っ張る重要な要素になりなねない。
真眼のカロライナに、神託のアルセラ。幽玄なるコンセプシオンなど、ライバルも多い。セント・ソール大聖堂に認められた者しか水の巫女に認定されないのだからその争いは苛烈なものになっていた。
「姉さま!」
弟が泣きそうな声で叫んだ。資質は弟のせいではないのに、私は我慢できなくて振り向かずに自室へと戻っていった。
◆◆◆◆
目を開けた。気づけば隠れ家に戻っていて、ベッドで休んでいた。
「その体でも睡眠は必要なんだな」
声に驚いて振り向くと、ベッドサイドで巫女服を着崩した女が、優雅な姿勢で足を組んでいた。
相変わらずのアルセラだった。おそらく、部下は止めようとしたが、かまわずに部屋へと入ってきたのだろう。
「アルセラ」
「なあ。その姿になると痛みとかあんのか? 味はどうなんだ? 感じるのか? 見えないやつにはどうやってコンタクトを取ってんだ? お前のそれ、水の資質が低いやつには見えないんだろ?」
矢継ぎ早に質問されてうんざりしてしまう。
正直なところ、カロライナと比べるとアルセラは与しやすい相手だった。明確な悪意を感じるカロライナと違い、アルセラに敵意がない。比較的話しやすい相手なのだ。
もっとも、彼女に問題がないわけではないのだが。
「アルセラ。用がないなら消えろ。お前と無駄話をする暇などない」
「おっと。怒るなよ。計画の経過を、わざわざ教えに来てやったんだからよ」
へらりと笑うアルセラを思わずにらみつけてしまう。
ふと、アルセラのブレスレットが目に入った。黒い宝石が付いた豪華な装飾品で、おそらく相当に高度な魔道具なのだろう。候補とはいえ、セント・ソール大聖堂に認められたアルセラには担当神官から様々な貢物がある。多分、あれもその一つなのだろうなと見当がついた。
「港から船が届いたと聞いたが、お前への贈り物があったとはな。ふん。豪華だな」
「はっ! 妬むなよ。あたしの担当神官は頻繁には来られないが、こうして時々貴重な魔道具が届いたりするんだよな」
私の嫌味にも、アルセラは得意げになってブレスレットを見せびらかした。
「船の目的はそれか? それにしてはいろいろ荷物を運んだみたいだが」
「隠れ潜んでいるのに事情がよく分かっているじゃねえか。もちろん、それだけじゃねえ。お前にも届け物があるのさ」
そう言って後ろに目で合図をすると、アルセラの従僕が見慣れぬ荷物を運んできた。3人ほどの人が入れそうな細長く大きな箱だった。私がいぶかしげな目でそれを見ると、アルセラが嬉しそうにこちらを見た。
アルセラが顎をしゃくると、箱が開けられた。箱の四方が倒れ込むと、中から大きな魔物のようなものが飛び出してきた。
上半身と、下半身で形状が違う。まるで蛇のように長いそれに、おぞましさを感じて思わず顔をゆがめてしまう。
「それは」
「ほう! バルタザールの魔物人形とは! これはまた古いものを持ち込んできたのだな! くくく! こんなところでそのタイプの人形を拝むことができるとは!」
ぎょっとして振り向くと、いつの間にか入口のそばに一人の老人がいて、目を爛爛と輝かせながら箱の中身を見ていた。顔にある一筋の刺青が妙に目立っていた。
目を割ったようなそれは、たしか・・・。
「てめえ! いつの間に!」
「懐かしい物よ。我が偉大なる先達のバルタザールの遺品を、また一つ目にしようとは! あの混乱ですべて失われてしまったかと思ったが、まさかこんなところでお目にかかれようとは!」
老人はそれに駆け寄ってきた。遮ろうとした護衛を簡単に吹き飛ばす様は、枯れ木のような外見にそぐわない優秀な魔法使いということか。
「いや素晴らしい! 現代でも使えるように改造されておるのだな! しかも、製作者の血まで取り入れたものとは! ふっふっふ! 山羊どもを一目見るだけのつもりが、思わぬ収穫だったわい!」
「てめえ! 墓場みたいな匂いしやがって! いい加減に!」
アルセラの言葉に反応したのは例の2人の護衛だった。2人はためらいなく老人に斬りかかるが、老人は簡単に回避した。そして2人に向かって手をかざすと、2人は勢いよく吹き飛ばされていく。慌てて飛び起きようとした護衛の首に、宙に浮いた剣が突き付けられた。
「てめえはなんなんだよ! どうやってここに来た!」
「なあに、空間のゆがみを見つけて潜入したら案の定よ! 情報通りでもあった。確かに潜伏には適した場所だが安直よな。簡単に見つけられて、しかも簡単に侵入できたぞ?」
くつくつと笑う老人に、思わず歯切りりしてしまう。この老人が潜入したことに誰も気づかなかった。私の側近もシクストも、そしてアルセラとその護衛ですらも!
「カッカッカ! お前たちが間抜けなだけではない! ワシが優秀すぎるのよ! ワシは大陸随一の魔法使いだからな!」
なんという自信か! だが、私たちが老人になすすべなくいなされているのも事実だった。トリビオがいないとはいえシクストは優秀だし、アルセラの護衛は正式な認可を受けた神殿騎士だ。それをいとも簡単にいなすなど、尋常ならざる使い手に違いなかった。
「腕の立つ、魔法使い・・・。しかも、空間系の魔道具に詳しいだと? まさかお前! ワイマール帝国に亡命した!」
「頭が悪いなりに考えておるの! まあこれくらいは良いか。その通りよ! ワシはあの愚かなジェイコブに代わってこの国を静めに来た死霊使いよ!」
死霊使い!? その名を聞いておぞけが走った。
死霊使いとはその名の通り、死後の人間を操る魔法使いだ。魂を使った死霊作りをはじめ、死体を使った召喚術もあると聞く。おぞましい技術だが、効果は折り紙付き。死霊使いとして大成するのは例外なく優れた魔法使いだった。
「うちの1級魔導士のジェイコブが勇み足をしおっての。キマイラほどの魔物を召喚できる者などめったにおらぬというに。大方水の巫女と愚王が出かけたのを知って功を焦ったのだろうさ。一石二鳥など、狙うものでもないのにな」
「この外道が! どおりで墓場くせえと思ったぜ! うちの国でも死霊使いの存在は認めてねえんだよ! 時代遅れの帝国の魔法使いのくせに! この前はよくもあたしらの命を狙ったな!」
アルセラはいつの間にか取り出したモーニングスターで攻撃したが、老人はとげ付き鉄球を左手で簡単に打ち払う。そして右手をアルセラにかざすと、衝撃が波となって私たちを襲った。
私はベッドから飛び起き、アルセラは腕で衝撃から身を守った。何とか老人の攻撃を逃れた私の目に、アルセラが悔しそうな顔で片膝をついている姿が映った。
「ふむ。倒すつもりで放ったのだが、2匹とも持ち直すとはな。まあ、山羊どものくせに想定よりはやるということか」
「てめえ! あたしをなめてんじゃねえぞ!」
アルセラが再び鉄球を放つが死霊使いはそれも容易く打ち払ってしまう。見たところ、アルセラが手加減したような気配はない。なのに、この老人を仕留めることができないのだ。
「カッカッカ! 甘いのぅ! 考え方も甘ければ攻撃手段も甘い! 所詮お主は巫女の、候補に過ぎぬ! ワシはおろか、カロライナにも遠く及ばん!」
「なっ! てめえ! ふざけんな! あたしが、カロライナに劣っていると言うのか!」
怒りに顔を赤くするアルセラを、老人はにやりと笑いつけた。
「そうではないか! 貴様はあの魔石を広めて連邦の影響力を高めたいようだが、ふっ。それで影響力を高められるものか! それでこの国を調略しようなどと、甘いと言わざるを得ぬ! ああ、そうか、おまえごときに。くくくくく」
私は口ごもってしまう。
計画では、この国の貴族にあの魔道具を販売して影響力を高めていこうとしていた。そして・・・。
「ふん! お主らの見立ては甘い! 北の戦闘が、このまま続くという皮算用をしておるようではな! 王国は、忌々しいことに強い! たとえ今から火の星持ちを害しても、そのまま戦争に勝利するやもしれぬ! 何しろ王国には、炎の巫女と色のない魔法使いが揃っておるのでな!」
思わず老人を睨んでしまう。私たちが必死になって行っている調略を無駄だと言われて、正気を保てるわけがなかった。
「てめえ! なにを言って!」
「大事なのは、貴様らの計略が即効性があるかどうかだ」
老人がにやりと笑いながら言葉を放った。
「火の星持ちを倒す? 確かに色のない魔法使いをこの地に連れ戻すことはできるやもしれぬ。だが、炎の巫女はどうかな? あれは、歴史上ないくらいの傑物だ。闇魔どもの四天王が3体も敗れた現在、炎の巫女が残れば闇魔を滅ぼす可能性は十分にある。あの2人を王都まで確実に戻すには、火の星持ち一人では足らぬよ」
「ああ! 炎の巫女がどれほどのものだってんだ! あいつはお前らの、セント・ソール大聖堂の認可もない半端もんだろう!」
激高するアルセラに、老人は見下したような目をしてきた。
「甘いのぉ。甘い甘い! お主、頭に身が詰まっておらんのではないか? 炎の巫女に対する認識がその程度とは。あれは、ひょとせんでも天災をこえる素材だぞ」
「そんなのありえるわけねえだろ! カロライナよりも濃い色を持つ魔法使いだと? ありえるわけがねえ! せいぜいでペドロ程度だろうさ!」
弟のことを揶揄されてカチンと来てしまう。だがそんな私に気を配ることなく、老人は言葉を続けていく。
「さて。万が一炎の巫女がにっくき闇魔を滅ぼしてしまえばどうなるかな。お前たちの魔道具を売る隙などあるまいて。王国はますます発展し、ワシらの調略がなんの痛痒も与えられない存在になるだろう。そうなっては、誰もこの国を止められぬ。今は、即効性がある楔を打たねばならぬ時なのだ」
老人の言葉を、私は否定することができない。
少し想像してみたのだ。
私たちは、確かに王国が闇魔に敗れるように工作してきたが、老人の言う通り、王国側が闇魔に勝利してしまったら? 王国側はおそらくこれ以上の隙を見せない。私たちの計略など容易く打ち破り、北の大地はおろか、連邦にまで手を伸ばすかもしれない。
そうなれば、私はどうなる? 弟は、生きていくことができるのか?
「!! 何言っていやがる! 王国が闇魔に勝つとは限らねえじゃねえか! 闇魔はお前らの故国を滅ぼしたんだぞ!」
「闇魔が生まれてもう100年が経つ。魔法も進化を遂げておる。過去のほうが優れたものというのは、かの天才が作り出した魔法か、それこそ古代遺跡にある魔道具くらいのものよ」
老人が自嘲気味に笑った。
「人と人との関係は読むのが難しい。あの学園とやらでの生活で、奴らは絆を強めたという話も聞く。奴らの間に亀裂を入れるのも、今となっては難しいやもしれぬ。だからこそ、ワシはもう一つの可能性に賭けるほうが合理的と考えた」
老人はのぞき込むように私たちの目を見つめてきた。にやりと笑う口元がいやらしい。漏れた腐臭に、思わず顔をしかめてしまう。だが、私たちはこの老人から目を離すことができなかった。
「も、もう一つの可能性だと」
「狙うは、国王カールマンの首よ。カールマンが死ねばこの地は揺らぐ。時期王となるアウグストもこの地に戻らざるをえまい。カールマンを我らの手で殺せば、必ずこの地は乱れるのだ。たとえ闇魔に打ち勝とうとも、付け入るスキは生まれるというものよ」
心底楽しそうに笑う老人から目を離すことができない。
「さて。山羊どもよ。考えどころだぞ。この国を止められるのは今しかあるまい。幸いなことに、公開処刑でカールマンは闘技場を必ず訪れる。お前らが、そう仕組んだのだからな。そのチャンスを、逃すわけにはいくまいて」
そう言って老人は笑い、右腕を高く掲げた。
垂直に伸ばした腕の先、手のひらから黒い魔法陣が発せられた。
魔法陣から黒い魔弾が飛び出し、粉々に砕けて四方に飛びちっていく。そして破片一つ一つから闇が生まれ、視界すべてが黒に染まっていった。
「くっ! なんだ!?」
「くそっ! 何にも見えなくなったじゃねえか!」
この魔法、目くらましか! 威力はないが、相手の視界を防ぐ魔法! 私もアルセラも、その他の魔法使いも! 視界を防がれて老人を止めることはできない!
そして視界が戻ったとき、老人の姿はどこにもなかった。側近たちが焦ったように何やら命令しているが、たぶん遅い。あの老人を捕らえることはできないだろう。
「やられたな」
「ちっ! 完全に視界を奪う魔法かよ! 逃げ足だけは早えじゃねえか!」
アルセラが吐き捨て、不機嫌そうに地面を蹴った。私は呆然としながらも、一人の名前が頭を過ぎった。
「バイロン・ドラモンド」
「なんだ、その名前は?」
アルセラが獰猛な目で私を睨んできた。
「いや、帝国が滅んでワイマール帝国に亡命した死霊使いに、そういう男がいたんだよ。死者を操り、高名な魔法使いすらも僕にする、恐るべき死霊使いだ。その男も、あいつのように顔に刺青があったし、暗闇を操る魔法を得意としていたはず」
「ちっ! やっぱりワイマール帝国かよ! 本国が闇魔に滅ぼされたときに、一緒に滅んじまえばよかったのによ!」
唾を吐き捨てそうは顔で、アルセラは地面を睨んだ。
「いや、すまん。刺青があるからってあの男とは限らんな。ああ。あの男のわけはない。言い間違えだ」
「ああ? 言い間違えってなんだよ。お前が言ったんだ。そいつなんじゃねえのかよ」
アルセラがいつものように鋭く指摘した。
こいつは、いつもはふざけたことばかり言うのに、たまにこんなふうに鋭いことを言う。二つ名もあって、それがかなり的を射ているのだから始末に負えない。
もっとも、今回ばかりはそれが外れているのだが。
「あいつがバイロン・ドラモンドであるはずがない。うちの諜報部が確認しているんだ。バイロン・ドラモンドは、3年前に起こった周辺国との小競り合いで命を落としているはずだからな」
「なんだよ。まさか死人が墓から蘇ったのか? 確かにあれから墓のにおいがプンプンしたが、そんなわけねえだろ・・・」
私が説明すると、アルセラは寒気でも感じたかのように、両手で肩をさすったのだった。




