第117話 決着 ※ 後半 アダルハード視点
「エリザ!」
叫ぶと同時に地面を蹴っていた。
キマイラが狙うのはエリザだった。エリザのあの水魔法はキマイラに痛撃を与えていた。怒り狂ったキマイラは咆哮を上げて再び火を纏い、エリザに狙いを定めて突撃したのだ。
「エリザベート様! くっ! があ!!」
エリザの護衛が吹き飛ばされるのが見えた。エリザを守らんと割って入ったが、キマイラの横薙ぎによって吹き飛ばされ、魔物の進路を変えることはできなかった。
大口を開けてキマイラがエリザに迫っていた。エリザは水色の目を大きく見開いていた。
「速く! 速く!」
左手で鞘を握り、右手で使を握り締めて力の限り駆けた。
エリザは優秀な魔法使いだ。魔法家の名に恥じない水の魔法を使うが、私やコルネリウス様のような俊敏な動きはできない。キマイラの攻撃を受ければ、容易く命を奪われてしまうだろう。
私は彼女のことを思い出していた。
最初の半年間はとっつきづらかったエリザ。クラスで女王様のように君臨し、子爵家の私では声をかけるのすらためらってしまっていた。だけど、彼女はいつもクラス全体のことを考えていて、私が孤立するのをそれとなく防いでくれていた。気になったことはすぐに指摘してくれたのは彼女の生真面目さが表れていたのだろう。
本人も努力家で、必要とあらば身分の低い私にも頭を下げてきた。彼女がこのクラスのリーダーとみられていたのは、ヴァッサー侯爵家の後継という以上に、いつも真剣で頼りになることが大きいのではないだろうか。
「彼女は、私のことを友人だと言ってくれた! だったら! ためらっている暇などない!!」
このままキマイラの牙に害されるなんて認めるわけがない。大切な友人の危機を黙ってみているなんて、できるはずがない!
いつも以上に黄色の魔力を通すことで、体中が悲鳴を上げていた。体の中に魔力を通すと耐えがたい苦痛が走る。これほどの量の魔力を通したのはなじめてかもしれない。全身がきしむようだったが、その甲斐あって私のスピードはこれ以上ないくらいだった。
「くっ! これで!」
思い切り、地面を蹴った。私はキマイラの首めがけて一直線に進んでいく! 今にもエリザをかみ砕こうとする獅子に、追いついた。
「くっ! ああ!」
熱い。キマイラの魔力障壁が、私の行く手を阻んでいるのだ!
これが、神殿騎士の攻撃を防いだ魔力障壁・・・。でも!
私はキマイラの魔力障壁に自分の魔力をぶつけた。指で魔法陣を描かなくても魔法を発動させられるのが星持ちの強み。ここで、あの魔法を作り出せれば! アーダのように魔力障壁を打ち消せれば!
浸透の力が弱い私の魔力ではアーダやお姉さまのように魔力障壁を打ち消すことはできない。でも、色の濃い魔力でアーダの魔法を発動させれば、ほんの一瞬だけ魔力障壁を相殺することができるはずだ!
私の火の魔力とキマイラの魔力障壁が激突した。そしてその瞬間、キマイラの魔力障壁がかき消えていく!
時間にして一瞬のことだと思う。アーダの秘術よりもものすごく短い時間だけど、たしかにキマイラは無防備な首を私の前に晒した。
「一瞬あれば、それで十分! 私の居合なら!」
私はすれ違い様に刀を抜き放つ。キマイラの牙がエリザに迫るよりも先に、私の刃を首に食い込ませることができれば!
「ああああああああああ!」
刃は魔力障壁が戻るより先にキマイラの首に食い込んだ。そしてそのまま、刀を力の限り振りぬいていく。
居合抜き、鴨扇ぎ。
手ごたえすらない。肉が焼けるようなにおい。魔力障壁が相殺された瞬間に、キマイラの首を切り裂くことに成功したのだ。
「やった!」
勢いあまってキマイラを飛び越えていく。私は成果を確認するために体を回転させた。獅子の首を半ばまで切り裂くことに成功したが、キマイラはまだ動いている! 獅子以外の2つの首が、キマイラが動きを止めることを拒んでいるというのか!
「しゃああああああ!」
蛇のしっぽが鋭い警告音を上げた。口が大きく開かれている。水の弾を吐いて、私を攻撃するつもりなのか! 攻撃の直後で動けない私には有効な攻撃かもしれないが――。
どどどど!
水を吐き出すより先に、蛇の下あごに土の弾が直撃した。ブレスを吐く途中で口が閉められ、水の弾が客流してすさまじい爆発が起こった。
確認するまでもない。アーダの援護だ。アーダの土礫が蛇の口を強引に閉じさせ、水のブレスを暴発させたのだ。
だけど――。
「アメリー! 避けて!」
必死で叫ぶエリザの声。さかさまになりながらキマイラを見て驚愕に目を見開いた。
私の刀が獅子の首を断ち、アーダの土礫が蛇の頭を吹き飛ばすことに成功した。だけど、生きている! 私の炎で焼かれたはずの山羊が、再び黄色い魔法陣を展開していたのだ!
地面に落下する私には何もできない。『鴨扇ぎ』を放って硬直している体は受け身を取るのがやっとで、あいつの攻撃を防ぐことができそうにない。着地点の地面が隆起したら、私はおそらく串刺しになってしまうだろう。
「メエエエエエエエエエエエエエエ!」
山羊の頭が一際大きく鳴き声を上げた。炎で顔を焼かれたくせに、私が隙だらけのこのタイミングを逃すつもりはないようだった。勝利を確信し、山羊の顔が笑っているように見えた。私は何もできなくて、歯を食いしばることしかできない。
でも、その時だった。
「ルフト・ツェアシュテーレン」
絶体絶命の私の耳に届いたのは、男の冷静な声。直後、地面に吸い込まれていた魔法陣が砕けた。そして緑の弾丸がキマイラを貫き、キマイラの体内からすさまじい竜巻が巻き起こった。
キマイラの全身が斬り刻まれていく様子を呆然と見つめることしかできなかった。
私は地面をバウンドし、倒れ込んだ。なんとか顔を上げた私の目に、傷だらけのキマイラが崩れ落ちていく様子が映った。
「な、何が・・・。なんで、キマイラが?」
起き上がりながらあたりを見渡すと、手を突き出し、荒い息を吐いているアダルハード様が目に入った。
そうか。アダルハード様が風魔法でキマイラを攻撃してくれたのか。キマイラに止めを刺してくれたおかげで、追撃させるのを防げた。あれがなければ、私もエリザも、キマイラの最後の一撃で倒されたかもしれない。
「アダル・・・ハード様?」
「アメリー! しゃべらないで! すぐに救護が来るから! それまで頑張るのよ!」
すぐに駆け寄ってくれたのだろうか。エリザが素早く私の体を確認してくれた。そして怪我がないことを確認すると、私を大事そうに抱え込んでくれた。
ああ。私はエリザを守ることができたんだ。
安堵の息を吐くと、私の意識は急速に闇に包まれていった――。
※ アダルハード視点
安心して抱擁する2人の少女を見つめていた。頭がだるい。くらくらする。まるで大量の血を失った時のように体が冷たくなっているようだった。
「見事なものですね。キマイラの魔力障壁をものともせずに首を切り裂くなんて。てっきり障壁に防がれるかと思いましたが」
近寄ってきたのは水の巫女たちだった。彼女たちは護衛に守られながら私に話しかけてきた。
「そうだな。あの娘の技はかなりのものだろう」
「まあ、多少はやる。体のほうはどうしているかわからねえが、武器は火の魔力で強化していたな。相当に濃い魔力だった。武器だけに魔力を纏わらせるなんてかなりの技術だぜ」
アルセラはそう言うが、おそらくそれだけではない。体の中を土で強化しておるのだろう。内部強化はビューロウのお家芸だ。あの星持ちが使っているのはアルセラたちが予測した技術よりも一段も二段も上なのだろう。
「最年少で星持ちだと認定されるだけのことはある。キマイラを倒すなど、魔術だけでなく剣術の腕も相当なものだろうな」
アルセラを肯定するように言うが――。おそらく、剣術だけではない。あの星持ちは、魔法と剣技を融合させることでキマイラに痛撃を与えたのだ。
あの星持ちとキマイラの魔力が触れ合った瞬間、キマイラの魔力障壁が消失したのが見えた。おそらくあの星持ちは赤の魔力でキマイラの魔法障壁を打ち消したのだ。触れることなく火の魔法を扱えるのはさすがバルトルド殿の孫ということか。ベールの小娘の魔法をヒントに開発したのだろう。
「しかし、ルフト・ツェアシュテーレンですか。王国で、風の最上位魔法と言われている高度な術ですね。さすがアダルハード様。あれを使われてはキマイラもひとたまりもなかったようですね」
「ああ、まあ何とか言ったわい。ふふふ。公爵家の当主としての面目は守れたようでな」
「確かにすげえ魔法だったけどよ。あんなの必要だったのか? せっかく炎の星持ちとやらを屠るチャンスだったのに」
不満げに言うアルセラを思わずまじまじと見つめてしまった。隣には彼女の護衛もいて、主人と同じように私を睨んでいる。あの護衛、キマイラに蛇に肉を持っていかれたかと思ったら動けるまでに回復している。これも、連邦の魔道具を使った効果だろう。
「ふっふっふ。若いのう。あの手の魔物に手加減してもいいことはないだろうに」
「あ? てめえ! やっぱり王国の仲間だからって手心をつけてんじゃねえだろうな!」
「アルセラ」
怒鳴りこんでくるアルセラをたしなめたのはカロライナだった。
「万が一、キマイラの最後の魔法が発動していたら私たちもただでは済まなかったでしょう。特にあなたの護衛は確実に命を奪われていたのではなくて? アダルハード様がなりふり構わずにキマイラを倒してくれたのも納得というものです」
「だが!」
不満そうなアルセラに内心失笑が漏れてしまう。カロライナがなだめるが、それを意に介さないように噛みついてくる。
やはり、この2人の仲は悪い。中央教会に正式な巫女として認められたカロライナと、いまだに巫女候補に過ぎないアルセラとでは考え方が違うのだろう。普段は協調しているようだが、ふとした瞬間に反目している気がする。
「アルセラ様は大型の魔物との交戦経験は少ないようですな。あれは、あの手の魔物はチャンスがあれば確実に仕留めねばなりませぬ。でなければ、私たちはともかくとして護衛や神殿騎士の皆様に余計な損害を出してしまいますからな」
「!! くそが!」
アルセラがそっぽを向いた。
おそらく察したのだろう。もしあの時に仕留められなければ、彼女の護衛にも被害が出ていた可能性があることを。彼女を護衛する2人の腕利きも、無事では済まなかったことを。
私は一息つくと、水の巫女たちに笑いかけた。
「まずは喜びましょうや。帝国の、恐るべき魔物を倒すことができたことを。そして、我らの力を示すことができたことを。今回の件は凶事ではありますが、水の巫女様に確かな力があることを証明できたのです」
「それは・・・。まあ、そうだけどよ」
水の巫女が魔物を屠る様は大勢に目撃されていた。あれを見て、水の巫女が形だけと思う者はいないだろう。なにしろ我々に押し寄せる魔物を簡単に屠ってみせたのだから。キマイラの猛攻すらもしのぎ切った実力を、認めないわけにはいかないだろう。
「今回の凶事、悪いことばかりではありませぬぞ。近衛騎士にすらも犠牲者が出たことで、民草の中に不安が芽生えたはず。だからこそ、公開処刑をやる意味は大きくなった。罪人と貴族が戦う様を見せれば、貴族や我らの力を示すことになりますからな」
「ええ。そうですね。罪人が倒される姿を見れば、王国に何が必要かは示せますから。我々の魔道具が必要とされる理由も、すべてね」
カロライナの目が鋭く光った気がした。彼女の威と目の護衛が静かに笑みを浮かべたのが見えた。
「では、そろそろ行きましょうか。陛下の元に、報告をせねばなりますまい。そこで納得していただけるはずです。水の巫女様の力と、魔道具の力。そして、公開処刑を行う意味というヤツをね」
私が言うと、2人の水の巫女は同意したように頷いたのだった。




