第115話 キマイラの襲撃
外に出ると、あふれるように魔物がひしめいていた。前方からも後方からも、魔物がこちらめがけて押し寄せている。
私たちが討伐任務で魔物の数を削ったはずなのに、これだけ多くの魔物に襲われるなんて!
「くっ! 巫女様に近づけるなよ! 奴らを切り捨てるのだ!」
叫んだのは水の巫女の護衛たち。壮年で眼帯をした男が先頭となり魔物の群れに突っ込んでいく。素早い動きに魔力障壁をものともしない斬撃。彼らの行く先はあっという間に魔物の死骸が積みあがっていった。
「強い! さすがは水の巫女の、神殿騎士ということね。ゴブリンとはいえ、簡単に倒せる相手じゃないはずなのに!」
「ああ。少なくとも水の、レベル2以上の身体強化だろう。レベル3に至っている者も少なくない。特に、あの眼帯の男はかなりできる。もう一人とカロライナ様の護衛は、動いていないようだが」
エリザの言葉にアーダが答えていた。彼女たちの言う通り、アルセラ様の壮年の護衛は強いといえるだろう。俊敏な動きと強烈な斬撃でゴブリンを次々と切り捨てている。
「少し離れているのに、攻撃が当たっている? メレンドルフの槍のように、武器に魔力を込めているということ?」
「これが、連邦が誇る神殿騎士ということですか。剣技も魔力操作もさすがということね。厳しい選抜があるというのは伊達ではないということ。さすがの土属性のオークには、ちょっと苦戦しているようだけど」
私とアーダがつぶやいた、次の瞬間だった。
どおおおおおおおん!
すさまじい破砕音が響き渡った。神殿騎士の攻撃で下がった直後にオークの頭が野菜のように破裂したのだ。
「あはははははは! この程度かよ! 所詮は魔物! 大したことはねえな!」
心底楽しそうに叫んでいるのはアルセラ様だった。彼女がオークにとげ付きの鉄球を投げつけたのか!
「ふむ。モーニングスター、というには射程が長いな。鎖の長さを伸ばしたのか。あの武器はそう言う魔道具ということか」
そう分析したのはメラニー先生だった。アルセラ様が武器を引くと鉄球がすぐに彼女の手元に戻っていく。そして鉄球を振り回し、次のオークめがけて鉄球を投げつけていた。
土属性に苦戦するかと思ったけどとんでもない! アルセラ様は星持ち並みの強力な水の魔力で土属性のオークを次々と倒しているのだ。
「アルセラばかりにいい格好をさせるわけにはいかないか」
カロライナ様はそうつぶやくと、オークに向かって手をかざした。次の瞬間、オークの顔面に水が巻き付いた。水が鼻や口から体内に侵入していくのが見えた。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。オークは苦しみだし、もがきながら倒れ込んでいく。そしてそのオークが倒れると同時に、水が次の獲物に伸びていった。
静かに、だけど確実に侵入していく水に驚きを隠せない。抵抗もできずに死に絶えるオーク。さすがはレベル5の水魔法。土属性のオークが抵抗もできずに息の根を止められたのだ。
「あはははは! 何体いようとも敵ではないさ! ほら!ほら!」
嬉しそうに叫ぶアルセラ様に思わず眉を顰めてしまう。迫りくる魔物を撃退してくれているのに、水の巫女たちが嬉々として魔物を倒していく光景に空恐ろしいものを感じたのだ。
「巫女様だけに任せるなよ! 我々は栄えある神殿騎士! 決して巫女様に魔物を近づかせるな!」
カロライナ様のそばで一人の騎士が叫んだ。青い髪をした、目の細い30歳くらいの男だった。あの人王城で見たことがある。おそらくは護衛たちを統率する騎士なのだろう。彼の言葉に応じるかのように神殿騎士たちが魔物への攻勢を一気に強めたように思う。苦手なはずのオークにも一歩も引かず倒し続けている。
「水に強いはずの土属性の魔物をこんなに簡単に倒すなんて・・・。水の巫女も神殿騎士も、かなりの実力者ということね」
「ふん。魔道具の使い方はさすがということよ」
ぎょっとして振り返ると、いつの間にかアダルハード様がそばにいて、水の巫女の戦いぶりを注視していた。
「星持ちよ。見えるか? 水の巫女たちの力を。連邦の水の巫女が、中央神殿から狙われる存在というのは聞いたことがあるだろう。それに抵抗するために彼女ら自身も戦闘技術を身に着けておるのだ。まあその方法は、うちとは違うようだがな」
アダルハード様は水の巫女から目をそらさずに声を潜めながら話していた。
「あの方たちの恐るべきは、魔道具の使い方よ。彼女たちの装飾品は身を飾るだけのものではない。魔力を制御するにも使っておるのだよ。分かりやすいのは指輪とネックレスだな。アルセラ様の黒い宝石は、闇魔法を扱っているのか? あの鉄球が確実にオークの息の根を止めているのは闇魔法で軌道を操っているということか」
どこか楽しそうに言うアダルハード様。元教師だけあって、水の巫女たちの戦いを分析する様は喜びに満ちているように感じた。
そうか。水の巫女はあの高度な魔道具を使いこなすことができるのね。高度な魔道具は使うほうにもそれ相応の技術が必要だと聞く。水の巫女たちは魔法に加えてその技術に長けているということか。
「私たちのように魔力の扱いがうまいわけじゃないのね」
「ああ。どうやら連中は魔道具との相性で神殿騎士に選ばれているらしいな。強い人は強いが、そうでない者もいる。でも全員に共通するのは魔道具の使い方がうまいということさ」
アーダの言葉に無言で戦況を見つめてしまう。次々とオークたちを屠っていく水の巫女たちに、ごくりとつばを飲んでしまった。私があの場にいても彼女たちのように敵を倒せるかどうか・・・。少なくとも、攻撃をためらうような今の状況では何もできないだろう。
「ふん。連邦は連邦、王国は王国。悲観するばかりでもないわ。しかし、この状況はよくはないな」
そう言って、アダルハード様は視線を巡らせた。つられて私もその視線を追うと、陛下の竜車の後方で止まった。
アダルハード様が眉を顰めていたのは、陛下の後方から迫る魔物と近衛騎士との戦いだった。
「くっ! なんて数だ! このままでは!」
「援軍は! 援軍はまだか! 学園は何をしている!」
そんな声が聞こえてきた。こちらは何とか対処しているのに、後方から押し寄せる魔物に、王の近衛が押されているようなのだ。
「陛下の近辺が押されている? これ以上魔物を近づかせるわけには!」
「ちっ! クレーフェの小せがれが! 何をもたついているのだ!」
アダルハード様の言葉に唇を噛んでしまう。彼の言う通りだとしたら、後方からくる魔物を押さえているのは新たに護衛に加わった騎士たちということ? その護衛が、魔物を倒すのにてこずっているということ?
状況を見て、アダルハード様が即座に指示を出した。
「ベーヴェルンの娘よ! こちらは任せて陛下のお傍に! お主らの素早さなら陛下を守ることができる! 星持ちたちの安全は、このアダルハード・ユーリヒが責任を持って守ろう!」
「くっ! 失礼します!」
メラニー先生が躊躇したのは一瞬だった。すぐに護衛たちを引き連れて後方へと下がっていく。べーヴェルン家の令嬢は伊達ではない。護衛と連携して魔物を蹴散らし、瞬く間に陛下のそばへと駆け寄っていった。
「さすが、だな。さすがは教師。あれならば、護衛が崩壊する前に陛下の護衛につけるだろう。西のべーヴェルンに手柄を取らせるのは癪だがな」
ずんずんと進軍するメラニー先生を見て、アダルハード様がにやりと笑っていた。私たちと敵対しているとはいえ、この人の陛下の無事を願う心は本当みたいだ。
だけど、次の瞬間だった。
「がああああああああああああああああああああああ!」
戦場に響く、大きな叫び声。ぎょっとしてそちらを見ると大型の魔物がこちらに突撃してきていた。
その魔物は5歩くらいの獅子のような外見をしていた。特徴的なのは、胴から生えている獣の首と長い尾。体の真ん中から山羊のような頭が生えていて、しっぽは固そうな鱗を持った蛇の姿をしていた。
私は知っている。接敵したのは初めてだけど、書物で読んだこともあるし、学園長から資料を渡されてもいる。
「キマイラ!? そんな! 大陸でも有数の最強クラスの合成魔獣じゃない! なんで王国に!?」
エリザが動揺したように叫んだ。
北の大陸で最大級の魔物たるキマイラ。災害扱いされているあの魔物は、出現したら相当な被害があるという。大量の犠牲者を出し、時には撤退させるだけで精いっぱいな件も少なくないと聞く。
そんな強力な魔物が、肉眼視できるほどの強力な赤の魔力を纏いながらこちらに走り寄ってきているのだ!
◆◆◆◆
「帝国の連中の襲撃なのは間違いないな! こんな大物まで飛び出すとは! 面白い! 奴を止めるぞ!」
「は、はい!」
壮年の男がキマイラを止めるように動くと、数名の神殿騎士がそれに続いていく。彼らは、全員が相当な水魔法の使い手だと思う、水は確かに火に強い。でも、あんなに強力な火の魔力をまとったキマイラを、彼らが止められるのだろうか。
キマイラの獅子の個所は火魔法を操る。人間や普通の魔物が火で体を強化すると自分にもダメージを受けるが、あの魔法はその限りではない。体質的に、あの火ではダメージを受けないようになっているそうなのだ。
「があああああああああああああ!」
「はっ! デカいだけで倒せると思うなよ!」
突撃するキマイラの、前に立つ神殿騎士たち。あの眼帯の男は自信があるようだけど・・・。
キマイラと神殿騎士たちの攻防は一瞬だった。
「くっ! バカな!?」
「み、巫女様! お逃げください!」
キマイラは神殿騎士をものともせずに吹き飛ばしたのだ!
爪で切り裂かれ、倒れ伏す神殿騎士たち。あの壮年の男ですらも肩を押さえて膝をついている。すれ違いざまの攻撃を受けたのだろうか。血まみれになった傷口を押さえながらも、それでもキマイラに水魔法を放っていた。
対して、キマイラのダメージはほとんどないようだった。あの眼帯の神殿騎士は水属性の斬撃で反撃したのに、大きな傷を与えられなかったのだ。わずかについたはずの傷も、あっという間に修復されていく。
「神殿騎士の攻撃が、届かない!? 水で強化しているのに? 闇魔並みの、魔力障壁を持っているということ?」
「さすがは、帝国で災害とされる魔物の王よ。相性がいいはずの水の魔力をものともせぬとは。しかし、これはまずいな」
アダルハード様のつぶやきにうなずかざるを得なかった。
問題は、キマイラの進路だった。あいつの前方には2人の水の巫女と、そしてさらにその奥には陛下の竜車がある。このままでは、陛下とキマイラが接敵してしまう可能性があるのだ。
「うわっ! くそっ! この程度で!」
カロライナ様たちの護衛の神殿騎士が腰から筒のような魔道具を抜いてキマイラに突き付けた。先端から氷の弾丸が飛び出し、獅子に向かっていく。どうやらあれはうちの短杖と同様に魔法を瞬時に打ち出す魔道具のようだけど・・・。
「メェェェェェ!」
鳴いたのは、胴から生えた山羊の首だ。次の瞬間、氷の前に土の障壁が生まれ、神殿騎士の魔法を遮ってしまう。そして突如として出現した水弾に、神殿騎士たちが吹き飛ばされていく。
「ふん。さすがはキマイラか。神殿騎士たちが、足止めすらもできんとは」
「アダルハード様! お下がりください!」
アダルハード様を守るように彼の護衛が前に立った。水の巫女が抜かれたら次は陛下の竜車だ。王国の貴族の端くれとして、それだけは防がなくてはならない。アダルハード様の護衛もそれは同じなようで、悲壮な顔をしながらも覚悟を決めている様子だった。
しかし、そんな彼らの脇を一つの影がすり抜けていった。その影は水の巫女とその護衛たちもするりと追い抜き、キマイラの間に割って入った。
前に出たのは、私の護衛のグレーテだった。
「がああああああああああ!」
「!!!!」
接触は、一瞬。さっきの神殿騎士たちと同じようにキマイラとグレーテはすれ違ったが、結果は違った。グレーテは爪を盾で受け止めると同時にキマイラを吹き飛ばし、その進路を変えたのだ。
「しゃあああああああ!」
転がるように突っ込んでいったのはシンザンだった。シンザンはキマイラの山羊の首めがけて刀を一閃し、そのまま駆け抜けていく。
「くっ! 姉御! すみませぬ! 山羊の首を斬り損ねました!」
「いい! 次の機会も私が作る! そのまま攻撃を続けろ!」
キマイラの水弾を避けながら謝罪するシンザンにグレーテが応じた。水の巫女も神殿騎士も彼女たちの動きにぎょっとしたようだった。私は彼女たちに怪我がないようでほっとしてしまったのだけど。
「エリザもアーダも、無事ですか?」
そっと振り返ると、エリザが驚愕したように目を見開いていた。アーダも、驚いたように静止している。
私がいぶかしげに見ると、エリザがすぐに正気を取り戻した。
「い、いえ。まさか神殿騎士が止められなかった突撃を、個人で止めて、しかも陛下から引き離してしまうとはね。ビューロウが魔窟だって言うのを思い出したわ」
「う、うん。シンザンも、疑いもなくキマイラに突進するなんて」
2人はグレーテたちの動きに絶句しているようだった。
「い、いえグレーテは!」
「星持ちの言うとおりだな。今は驚いている場合ではない。あのキマイラを、一刻も早く倒さねばならぬ。ビューロウの『銀の盾』が軌道を反らしてくれたとは言え、いまだやつは健在なのだからな」
驚愕に染まる2人をたしなめたのはアダルハード様だった。正直、ビューロウが魔窟だとか言われて反論したいのはやまやまだけど、今はそんな場合ではない。
今は、あのキマイラを何とかしなければいけない。あの魔物が陛下に接敵するより前に、仕留めてしまわねばならないのだ!
「報告にあった通りだな。キマイラは、3属性を同時に操る合成獣ということよ。獅子の体が火属性を操って体を強化し、胴に生えた山羊が土魔法を操る。そして、尾の蛇が水属性を操るとされる。蛇の牙も脅威だな。あの神殿騎士の肩をえぐったのは尾の蛇よ。すれ違いざまに牙で食らいついたということだ」
さすがに元教師にして侯爵家を率いる有能な魔法使い。アダルハード様はあの一瞬の攻防をしっかり分析したようだった。
キマイラはプライドを刺激されたのか、グレーテに向かって攻撃を続けている。しかしグレーテは剣と盾を巧みに使い、キマイラの猛攻を防いでいた。
「やるのお! さすがは音に聞こえし『銀の盾』が。ふふ。キマイラの奴、攻めあぐねておるわい」
アダルハード様がどこか嬉しそうな声を上げていた。たしか、『銀の盾』という二つ名はグレーテの冒険者時代のものだけど・・・。私はいぶかしげに思いながらキマイラへと視線を戻した。
「メエエエエエエエエエエエエエエ!」
キマイラの山羊の頭が大声で鳴き始めた。同時に頭上に広がる黄色い魔法陣。それは発現すると同時に沈んでいき、キマイラをすり抜けて地面へと吸い込まれていく。
「いかん! あれは!」
「!! 皆さん! 地面の魔力を! 何かが来る!」
地面が揺れ、みんながこらえるような姿勢になった。そして揺れが収まった、次の瞬間だった。キマイラを中心に、地面のいたるところからとげが隆起し出したのだ!
「ふむ! ほう!」
「くっ! みんな! 地面の魔力に注意しろ!」
警告もあって、私たちと周りの護衛はとげを避けることができた。とげが生える地面は黄色い魔力で輝くからだ。アーダもエリザもアダルハードですらも素早く移動して地面からのとげを躱していた。
でも、水の巫女の護衛はそうはいかなかった。とげに胴体を貫かれた者、避け損ねて胸を切り裂かれた者など様々だった。水の巫女への被害は防げたものの、そのダメージはかなり大きいように見える。
「がああああああああ!」
キマイラは相変わらず攻撃を続けるが、グレーテは冷静に一撃一撃を裁いていく。どうやらグレーテたちもさっきの土魔法を避けたようで、相変わらず獅子の猛攻を防いでくれている。まあ、シンザンの攻撃も防がれているようだけど。
「すこし、驚いたな。土を隆起させて範囲内の敵を同時に攻撃できるのか。土を隆起させる魔法を応用したのだな。魔物が魔法陣を操るとは、世も末だな」
アダルハード様が頭を振ると、私たちを振り返った。
「さて。星持ちとその仲間よ。どのような手を使ったのか知らぬが、キマイラは水の巫女や陛下を狙っておるようだな。『銀の盾』は見事だが、彼女とあの剣士だけでは火力が足りぬ。あの奮闘ぶりに応えられぬのは貴族としての名折れよ。キマイラは、私たちが仕留める。よいな」
ぎろりと睨んできたアダルハード様に思わずうなずいた。
「3属性を操るとはいえ、所詮は魔物。我ら魔法使いが協力すれば倒せん相手ではない。ヴァッサーの娘は水で『銀の盾』を援護せよ。水を得意とするヴァッサーなら火を纏う獅子を押さえることも不可能ではない。やれるな」
「は、はい」
エリザが慌てて答えた。
公爵位を持つアダルハード様にはエリザとはいえ文句を言うことはできない。その采配は的確で、内心はどうあれ彼女がその指示に従うのは当然のことではある。
「尾の蛇を押さえるのは、ベールの娘だ。あれは防御より身のこなしのほうが厄介だ。当てることさえできればお前の魔法でも着実にダメージを与えられるだろう」
「う、うん・・。いや、はい」
アーダが焦りながら答えた。彼女は資質は低いが魔法の扱いで右に出る者はいない。あの素早く動く蛇でも魔法を当てることができるかもしれない。
「星持ちと私は、山羊の頭をつぶすぞ。火は土の弱点というわけではないが・・・。ふふふ。私が援護してやる。星持ちの火力を見せてやるがよい」
「え、ええ。分かりました」
正直、アダルハード様に命じられることに思うことがないわけではないけど・・・。私はうなずいた。目に映るのはグレーテが獅子の猛攻を捌き続ける姿だった。
「私が戦って、キマイラを止めなければ。グレーテだって、いつまでも防ぎきれるわけじゃないのだから」
私のつぶやきに、アダルハード様が笑ったような気配がした。




