第110話 後遺症
目覚めは最悪だった。
イナグーシャに変異したカミロさんを攻撃したのはつい昨日のことだった。私は部屋に帰って早々に眠りについて、翌朝を迎えたのだけど、気分は悪いままだった。
「お嬢様。目が覚めたのですね」
「・・・ええ。グレーテ。心配をかけたようですね」
ずっと様子を見ていてくれたのだろう。グレーテは赤い目をしながらも、それでも私に微笑みかけてくれた。
窓からは朝日が漏れ出していた。時計をみると、どうやら寝坊をしたということもないようだ。ちょっとだけほっとした。
「今日は授業があるのよね? ちょっと起きるのは遅かったかな。はやく準備しないと。エーファたちを待たせるわけにはいかないから」
私は取り繕うに言うが、グレーテの表情は変わらなかった。
「お嬢様。無理をしなくてもいいのですよ。今日は、一日お休みをいただいても・・・」
「大丈夫よ。ダメージを負ったわけじゃないから。それに、あの後のことも気になるし」
グレーテの言葉を遮って、私は学園に行く準備を進めるのだった。心配そうに見るグレーテや使用人の視線に、気づかぬふりをしながらも。
◆◆◆◆
教室に着いて早々に、私はハンネス先生に呼び出された。教室で何人ものクラスメイトが心配そうに声をかけてきたが、私は返事もそぞろに学園長室に向かった。
学園長室にはバルバラ様がいて、こちらの顔を覗き込むように声をかけてくれた。
「さて。昨日の事情はセブリアンくんから聞いているけど・・・。アメリーちゃん、大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です!」
正直、まだ体調は万全とは言えないけど、私は反射的にそう答えていた。学園長は眉を顰めながらも、説明を続けてくれた。
「昨日の今日で悪いんだけど、討伐任務よ。学園の北のほう、闘技場のそばに魔物の群れが確認されたわ。相手はゴブリンで大したことはないんだけど・・・。これからちょっとあって確実に仕留めておきたいのよ。アメリーちゃんの隊に任せたいと思っているんだけど」
「ビューロウ。学園長はこう言っているが、無理をする必要はない。昨日は大変だったそうだし、今回は他の隊に任せても」
メラニー先生が気づかわし気な目を向けてくれるけど。
「メラニー。私はアメリーちゃんに聞いているのよ」
学園長がぴしゃりと言った。
「ねえ。疲れているだろうけど、この場で判断してほしい。できるのか、できないのか。できないなら他の隊に任せようと思う。でも私は、この任務はあなたが受けるべきだと思う。昨日あったことも含めてね」
厳しいまなざしで私を見つめる学園長に、メラニー先生は眉をピクリと動かした。学園長の迫力に圧倒されながらも、私はなんとか声を絞り出した。
「い、一応、怪我はありません。刀は預けたままですが、予備の剣はあるし、魔法も使えるので後衛職としてはまだ戦えるかと。その、不安なのはわかりますが」
「じゃあ大丈夫ね。今回の件はあなたに任せます」
「学園長!」
メラニー先生が抗議の声を上げてくれたけど、学園長は取り合わない。
「今回の魔物は確実に倒しておきたい。そのためには、星持ちが戦うことが好ましいのよ。星持ちが出張ったと言えば、うるさい連中を黙らせることができるから」
「しかし! 恐れながら、アメリー・ビューロウの体調はかなり悪いようです。顔色も悪いですし、今回は他の隊に任せたほうがいいのではないですか? 他にも精強な隊は存在します。ビューロウ隊だけに負担をかけるわけには!」
しつこく食い下がるメラニー先生に、学園長は大げさな溜息を吐いた。
「じゃあ、万一に備えて専任護衛の部隊を近くに待機させましょう。確か、ビューロウ家の専任武官はあのフェリシアーノにも勝る精鋭と聞いているし、ベール家の護衛もかなり強者だと聞く。うーん。これだけじゃあ不十分か。付き添いも考えたほうがよさそうね」
学園長は考え込んだ。どうやら、彼女の中で私に行かせるのは決定事項のようだった。
「うん! そうだ! 私が行けばいいのか。最近デスクワークばっかりで体がなまっていたことだし。じゃあメラニー。後のことはおねがいね」
「が、学園長! お待ちください! 学園長!」
手を振って部屋を出ていくバルバラ様を慌てて追いかけるメラニー先生、その光景を、私は茫然と見つめることしかできなかった。
◆◆◆◆
学園長が見守る中、私たちはゴブリンたちを見つけることができた。いつものように討伐しようとしたけど、私たちは思わぬ苦戦に見舞われていた。
「く! う! わぁ!」
「フォ、フォルカー! くっ!」
ゴブリンの数は想定以上に多かった。10匹以上はいるのではないだろうか。フォルカー様は侵攻を防ぐので精いっぱいで、アーダ様の援護があってやっと食い止めている状態だった。
「くっ! ただのゴブリンなのに! 数が多い!」
「セブっち! 私だってやれるんだから!」
壁役のフォルカー様をすり抜けたゴブリンたちを、セブリアン様が見事に仕留めていた。回復役のニナ様の援護のおかげもあってか、ゴブリンたちを確実に仕留めてくれているのだけど。
「しまった! アメリー様! すみません!」
1体のゴブリンが、フォルカー様とセブリアン様をすり抜けて私に襲い掛かってきた。私はあわてて剣を抜こうとするが・・・。
「!!!!」
頭に浮かんだのは、助けを求めてきたカミロさんの顔。私は躊躇してしまい、剣を振ることができない。慌てて魔法を撃とうとするが、魔法陣は発動させずに砕けてしまう。
襲ってきたゴブリンが、イナグーシャとは関係がないのは分かっている。人と合成された魔物ではないのは明らかだった。でもカミロさんがイナグーシャに変わった光景を思い出して、私はゴブリンに攻撃を仕掛けるのをためらってしまった。
「アメリー!」
「くっ! いやっ!」
襲い掛かってきたゴブリンの攻撃を、後ろに飛んで躱す。反撃の剣は、振れない。得意の火魔法も、放つことはできなかった。私は襲い掛かってくるゴブリンを前蹴りでなんとか突き放した。
「ぎゃははははは!」
反撃できないのを好機と見たのか、ゴブリンが下卑た笑みを浮かべて私に向かってきた。
討伐対象とされる魔物は、こう見えてもかなり強い個体になる。学園に討伐対象として持ち込まれるのは、一般の冒険者を退けた魔物である可能性が高い。だから、弱った私ごときを倒すのにためらいなどないのだが・・・。
残忍に笑いながら、ゴブリンがさびた剣を振り上げた。だが、その首に細く白い手が差し出されたと思ったら、ゴブリンはびくりと震えて意識を失った。
いつの間にか私とゴブリンの間にアーダ様がいて、息を切らしてゴブリンを睨んでいた。
「あ、アーダ様・・・」
「フォルカー! 態勢を整えろ! 魔物をせん滅するぞ!」
指示を出すアーダ様に慌てて従うフォルカー様。次々と指示を出すアーダ様を、私は茫然と見つめることしかできなかった。
仲間たちが次々と魔物を倒していく。戦闘の中、私にそっと近づいてくる足音にも、直前まで気づくことができなかった。
「やはり、今は戦えないということね。駄目じゃない。戦えないならそう申告しないと。どんな強者でもこういう時はある。大事なのは、調子が悪いことを仲間と共有することよ」
驚いて振り向くと、学園長が厳しいまなざしで腕を組んでいた。
「い、いえ! これは!」
「ちょっと顔色が悪いわね。闘技場で休ませてもらいましょうか。帰りは専任護衛に守ってもらうとしましょう」
私が何か言い返す暇もなく、学園長はリッフェンを繰り出したのだった。




