第103話 天災
「いたぞ! あそこだ!」
「くっ! なんて魔力だ! こちらを威圧するつもりか!」
私たちが戸惑っている間に、数名の戦士が少年を取り囲んだ。誰かの通報を受けて駆けつけてきたのだろう。武具は魔鉄製のかなり立派なものだ。羽振りの良さから察するに、もしかしたら彼らは貴族なのかもしれない。
少年は焦ったように彼らを見た。そして激しく首を振りながら、必死で言い訳をしていた。
「ち、ちが・・・! ぼ、僕は何もする気なんて!」
「ほざけ! そんな危険な魔力を見せびらかしおって!この場で対峙させてくれるわ!」
「おい! あまり近づくなよ! 暴走したら元も子もないぞ! 遠くから仕留めるんだ」
戦士たちは懐から短杖を取り出すと、青の魔力を込め始めた。
あの人たち! まさか、魔法で無抵抗の少年を攻撃しようとでもいうの! まだ何をしたわけでもないのに!
「やめなさい! 何をしようというの!」
「アメリー! だめっ!」
エーファの制止する声にも止まることなく、私は少年をかばうように立ちふさがった。
男たちの短杖からウォーターボールの魔法が幾重にも飛び出してくる。でも、このくらいの魔法が私に通用するはずがない!
「はああああああああ」
赤の魔力を展開させた私に、あいつらの魔法が降り注いでくる。だけど予想通り、私の魔力が水の魔法をすべて打ち消すことに成功した。
「なっ! バカな! お前! その天災をかばいだてするのか!」
「ちっ! こいつ! 学園生か!? きれいな顔しやがって! 俺たちはもうすぐ近衛騎士になるんだぞ! 高々学生のお前に逆らえるとでも思っているのか?」
戦士たちはわめき続けている。
「俺たちの邪魔をするだなんて、わかってんだろうな! 大人の厳しさというヤツを教えてやる!」
好き勝手言い出す男たちに、血が上りそうになる。こいつらは近衛騎士とやらになるのかもしれないが、この少年を害する権限などないはずだ。
たとえ、その男の子が『天災』と言われる危険な存在であっても!
「ふざけないで! あなたたちは何の権限があって」
「近衛騎士になるなら法はきちんと守るんだな。少なくとも、お前たちにこの子を害する権利なんてない。この子はまだ、何をしたわけではないのだからな」
私の言葉を遮るように言ったのはファビアン様だった。
「貴様! 学生のくせに生意気な! 俺たちに逆らったこと、後悔させてやる!」
「ほう。近衛騎士候補とやらは僕より偉いんだな。ロレーヌ公爵家の次男より高い身分があるとは知らなかった」
ファビアン様が見下すように言うと、男たちはあからさまに動揺したようだった。ここにきて気づいたのだろう。彼らが文句を言っている人が誰なのかを。
「ロ、ロレーヌ家のファビアン様! い、いえ、俺たちはそんなつもりは・・・」
「ではどんなつもりだ? 僕にはお前たちが無抵抗の子供を傷つけようとしたとしか思えなかったぞ。確かにその子供には危険な魔力があったのだろう。だが、お前たちが攻撃していい道理はない。専門家を呼ぶなりして対処するならわかるがな」
ファビアン様の言うとおりだった。
確かに暴走しそうな人がいたら通報するのは分かるが、対象がすぐに害されるわけではない。きちんと対話を試み、しかるべき機関に誘導されるはずなんだけど、連中は何も聞かずに攻撃してきた。
そんなの、許されるわけがない!
「・・・くっ! まだ一年生のファビアン様は知らないかもしれませんが、この場合は」
「おっと。ファビアン様だけではない。俺も見ていたぞ。貴様らが何の権限もないのに短杖を抜いたのは。インゲニアーの目を疑うのなら、わかるな」
続いたのはギオマー様だった。うしろでメリッサ様も厳しい目で彼らを睨んでいる。
「い、いえ! お、いや私たちは!」
「そうね。これはこの町の警備兵の仕事になるはずよね。少なくとも、近衛騎士の仕事ではない。まして、事情も聞かずに魔法を放つなんて、何を考えているのかしら」
エリザベート様の言葉がとどめとなった。
近衛騎士を自称する奴らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「お、おいお前ら! ちっ! 逃げ足だけは速いな」
「まあ、ロレーヌ家にインゲニアー家に、ラッセ家でしょ? しかもヴァッサー家までかかわってきたんだから、逃げだすのもしょうがないんじゃない? それよりも」
ニナ様の言葉に、私たちは少年を振り返った。
彼は本気で怯えていた。やはりいきなり魔法を掛けられたのは相当な恐怖だったのだろう。尻もちをつきながら怯えた目で私たちを見つめていた。
私は一歩、彼のほうに近づいた。
「もう大丈夫ですよ。貴女を攻撃しようとする人は」
「こ、こないで!」
手を伸ばした私を、少年は拒絶した。怯えた顔で首を振り、引きずるように後ずさりしていく。
「ちょっと待って! 私たちは!」
「こないで! こないで!」
叫ぶと同時に、少年の魔力が見る見るうちに高まっていく。
まさか、暴走!? 恐怖が募って魔力を暴走させたとでもいうの?
私はとっさに少年の手を掴むと、両手で包み込んだ。
「大丈夫。何も怖くないわ。私に合わせるように息を吸って、ゆっくりと吐きなさい」
私は男の子の目を見つめると、にっこりと笑いかけた。男の子は震えながら頷くと、私に合わせて深呼吸を繰り返した。
私と少年は、ゆっくりと深呼吸していく。何度も吸ってはいてを繰り返すうちに、彼の魔力は少しずつ落ち着いていった。
気づけば数分間にも及んでいたと思う。深呼吸をすることで男の子の赤い魔力が屋っと収まってきた。
「もう、大丈夫かな? 魔力が暴れそうになったら、今みたいに落ち着いてゆっくり深呼吸してみて。たいていの場合、それで魔力はおとなしくなるから。まあ、今みたいに同族性の人が手を握ってくれると安心なんだけどね」
私は微笑みながら手を放し、男の子の頭を撫でた。男の子は一瞬びくりとしたが、すぐに私にされるがままになった。
「さすがよな。そうか、お前も火の星持ちで、暴走しそうになった経験もあるのだな。魔力を抑えるのもお手の物ということか」
「ええ。まあ、私の場合はラーレお姉様という強い味方がいましたからね。あんまり回数は多くないけど、今みたいに助けてもらうこともあったんです」
ギオマー様の称賛に笑顔で答えた。メリッサ様が叫びそうになったが、すんでのところで自重してくれた。
いつの間にかみんなが私の周りに集まっていた。火の魔力暴走は恐ろしいだろうに、それでも皆来てくれたのだ。その友情がうれしくなって、思わず微笑んでしまった。
少年はきょろきょろとあたりを見回していたが、意を決したように話しかけてきた。
「あ、あの・・・。お、お姉さん、ありがとう、ございます。僕、どうしていいかわからなくて」
「えっと、君はどこから来たのかな? 私たちで付き添いの人のところまで案内しようかと思うけど」
私が尋ねると、男の子は困ったような顔になった。
「えっと、付き添いの人は・・・。もしかしたらもう帰ったかもしれなくて」
「ペドロ! ここにいたのですか!」
声をかけてきたのは、黒いローブを着た男だった。黒い髪に、銀の瞳をした、かなり珍しい色彩を持つ男だった。彼はあわてたようにこちらに駆け寄ってきた。
私は少し警戒していたけど、少年は安心したような表情を浮かべていた。ちょっと疑わしいけど、この子と黒ローブが知り合いだというのは間違いがないだろう。
「えっと、あなたは?」
「え? あ、ああ! 迷惑をかけたようで申し訳ない。私はサルバトーレと申します。その子の保護者をしておりましてね」
慇懃に頭を下げる彼を、胡散臭そうな目で見つめてしまった。
「実は私たちは連邦からこの国にわたってきたばかりなんです。私が知人に挨拶している間に離れ離れになってしまって。彼を保護してくださったようで、本当にありがとうございます」
サルバトーレはほっとしたようにお礼を言うが、私の目はかなり厳しいものになっていたと思う。この子の首にはあの悪名高い魔法具のフラウボベがつけられている。知り合いだからって、簡単に引き渡すことはできない。
「失礼ですが、あなたとこの子の関係はどんなものなんです? 親子や親戚のようには見えませんが」
「ええ。私はその子の両親に頼まれて家庭教師をしているんです。彼の両親の都合でこの国に来ることになって、新しい家に着く前にはぐれてしまって。家庭教師としては失格かもしれませんがね」
エリザベート様の問いにもサルバトーレはすらすらと答えた。
一見すると、サルバトーレは本当にペドロの保護者のように見える。少なくとも、ペドロはサルバトーレのことを慕っているようだ。だけど、ペドロがつけているフラウボベが気になった。だってそれは、対象を操るための悪名高い魔法具なのだから。
「失礼ですが、その子は見慣れない首飾りをしていますね。いえ、あんまり高級そうなものですから気になって」
エリザベート様が続けて問うた。後ろではメリッサ様が自然な動作で懐に手を入れていた。もしかしたら彼女は、あの秘術で少年を解放するつもりかもしれない。
サルバトーレは何かに気づいたように力なく笑った。そして声を潜めながら私たちに説明してきくれた。
「私をお疑いなのですね。無理はない。この国は平和のようですが、誘拐事件がないわけではありませんから」
言うと、サルバトーレは溜息を吐きながら答えてくれた。懐から取り出して見せてくれた書類には、サルバトーレが少年を保護していることが記されていた。
「あなたがたもお気づきの通り、このネックレスはあまり良いものではありません。対象者を縛るための魔道具――フラウボベという、悪名高い魔道具を改良したものなんです」
私たちは驚いた。まさかサルバトーレがこんなに簡単に認めるとは思わなかったのだ。
ふと、左手のブレスレットが震えた気がした。私は思わず左手を抑えながら彼の言葉を待った。
「見ての通り、ペドロは魔力過多者です。それも、暴走の恐れが大きい火属性のね。それを気にした彼の両親は一つ制限を設けました。万が一、ペドロが暴走しそうになったらこれで防げるようにとね。残酷なことかもしれませんが、火の魔力が暴走したら多くの人が犠牲になってしまいますから」
私は歯ぎしりしてしまう。
彼の言う通り、魔力過多者に拘束用の首飾りなどを装着させることは王国でもよくあることだ。万が一、暴走してしまうとその被害は非常に大きくなる。この街すべてを破壊しつくす可能性があるのだから、その前に対処できるようにするのは仕方のないことかもしれない。
でも! こんな小さな男の子に、あんな魔道具をつけさせるなんて!
「私も心苦しいのですよ。ペドロはまだ成人にも満たないのに、こんなものをつけさせるなんてね。仕方のないことです。魔力過多者を封じる術がないと安心できないという人は大勢いるのですから」
「でも!」
私は言い募るが、その言葉を遮ったのは当のペドロだった。
「お姉さん。ありがとう。僕のために怒ってくれて。でもこれは仕方のないことなんだ。さっきだって、お姉さんがいなかったら魔力を暴走させていたかもしれないから」
ペドロの悲し気な瞳に胸が締め付けられるような思いがした。
「サルバトーレ。ごめんね。少し、自由に動いてみたいだけだったんだ。なにせ、この国はそんな雰囲気があったから。僕でも、自由に動き回れるかもしれないって」
「ペドロ」
サルバトーレの顔は本当に悲しそうに見えた。
「ごめんね。もうわがまま言ったりしない。少しの間だけだけど、結構自由に動けたからさ。あんまり皆を困らせちゃうと、姉さんにも申し訳が立たないし」
ペドロは言うと、サルバトーレと手をつないだ。
一見して仲がよさそうに見えたが、私は違う印象を受けた。ペドロが自ら牢獄に入ったように思えたのだ。
「お姉さん。ありがとう。暴走しそうになった時の対処法、忘れないから。じゃあね」
ペドロは手を振ると、サルバトーレに近づいていく。サルバトーレは一礼すると、私たちの無事を願うように印を切り、街の外へと歩き出した。
私たちは、その後姿を見ていることしかできなかった。
◆◆◆◆
私たちは、しばし呆然としてしまった。
先ほどあったペドロ少年に,サルバトーレ。魔力過多者につけられたフラウボベに、それを仕方のないと笑うペトロ少年。現実に納得できず、しばし呆然となってしまう。
「寄り道しようという気分でもなくなってきましたね。今日のところは帰りましょうか」
「そうね。今日のところはもう・・・。街を回るのはまた今度にしましょう」
メリッサ様とエリザベート様の言葉に、私たちは同意せざるを得なかった。
しばらく、みんなで歩いた。
誰も何も言わない。みんな、それぞれにペドロのことを考えているようだった。ファビアン様も、何か考え込んでいる。
「やっぱり、この世界ではだれもが資質に影響されるんだね」
「そうね。魔力過多に生まれてしまうと、いろんな苦労があるのね。その家族も大変よね」
カトリンのつぶやきに、エリザベート様が答えた。
「そうですね。うちも資質に関してはいろいろありましたから。姉のダクマーは小さいころに加護なしと蔑まれましたし、従姉のラーレはペドロくん以上の魔力過多でした。本当に、祖父が指導してくれなかったらどうなっていたことか」
祖父は2人に徹底して魔力制御を教え込ませた。私の教育は両親に任せていたけど、2人の教育は自分で行い、特段の注意を払っていたと思う。アロイジア・ザインの本を、祖父が食い入るように読んでいたのを思い起こす。
2人が誰にも負けない力を手にすることができたのは、あの修練の日々があったからに違いない。
メリッサ様が何か言おうとして、何も言わずにうつむいてしまった。おそらく、彼女にも察せられたのだろう。ダクマーお姉さまとラーレお姉様の地道だけど孤独な修練の日々が。
言葉を発せないまま歩き続けると、足音が聞こえてきた。後ろから街の入り口のほうに誰かが走ってきているのだ。大きな帽子をかぶったその男は私たちを追い抜いてそのまま過ぎ去っていく。
その姿を見て反応したのがデメトリオ様だった。
「!! まさかあの男は!」
デメトリオ様はすばやく短杖を抜き放つと、杖に緑の魔力を込めていく。
「なっ! テメトリオ! なにを!」
「止めないでください! あいつを行かせるわけには!」
セブリアン様と私が止める暇なんてなかった。止めようとした私たちを気にも止めず、デメトリオ様の短杖から魔法陣が展開されていく。
「これで!」
出てきたのは風の魔法。圧縮された空気は男に直進するが、男が右手で風の玉を振り払った!
魔力をこめた手で風の弾をかき消そうとしたのだろう。でも、風は振り払われる瞬間、一瞬にして風が巻き起こった。
男の帽子が吹き飛ばされていく。男の顔が明らかくなった。貴族風の、整った顔立ち。おそらく、この国の貴族といったところではないだろうか。
「なんだ!? 知り合いか?」
カトリンの声にも反応せず、デメトリオ様が駆け出した。あまりの展開に、私たちは付いていくことができない。
「!! まさか、彼は!」
デメトリオ様に続くかのように、セブリアン様がすごい速さで走り出した。
「ちょ、ちょっと! 待ってください!」
私も、デメトリオ様の後を追って駆け出した。グレーテが無言で私の背中を守るように続いてくれた。
「アメリー! 待って! 待ちなさい!」
「ちょっと! もう! 何が何だか!」
エリザベート様やエーファの声にも止まることなく、私は走り続けた。セブリアン様とデメトリオ様の護衛も慌てて追いかけてきたようだが、私たちに追いつくことはできないようだ。貴族が本気で行っている身体強化に、ただの護衛ではついてこられない。
唐突に、私たちの追撃戦が始まったのだった。




